<第一章:ノーバディ> 【03】


【03】


 ついさっきも似たような事があったなぁ、と思いつつ。条件反射的にロングソードを抜く。

 頭と体が別々に動く不思議な感覚。

 合わせて、時間がゆっくりと流れ、妙に冷静に周囲が見通せた。

 斬りかかるエルフと、その背後に飛びかかって来る犬の姿。

 一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、俺を助けに来たのかと勘違いしたが、どう考えても俺に襲いかかって来る軌道だ。

「このッ」

 クソ犬への怒りが沸き立つ。

 エルフの剣は左肩で受けた。刃は結晶に当たり弾かれる。俺は抜き放った剣を、ポイっと空中に放り投げた。

 所詮は犬。

 剣を咥えてしまう。

 隙あり、と。犬を掴みエルフに投げ付けた。デカい犬をぶつけられたエルフは、瓦礫と雪の中に倒れ込む。

「よし」

 驚くほど冴えた動きにガッツポーズをして、俺も滑って転んだ。

 倒れたエルフが殴りかかって来る。俺も殴り返す。隙あらば犬も襲って来る。

「このヒームが!」

「うるせぇエルフが!」

「バフッ!」

 二人と畜生一匹を交えた泥仕合である。犬も犬で、エルフの拳に巻き込まれるとキレてエルフに噛み付き出した。

 良い気味だと笑うと、同時攻撃で俺は吹っ飛ぶ。追撃はさらりと避ける事ができた。まるで前もこういう事があったかのように、俺は手慣れて喧嘩を繰り広げられた。

 そして乱闘は続き、

「他所でやれぇぇぇぇぇ!」

 ザバーン、と全員時雨にバケツの水をぶっかけられた。

「営業妨害だ! 出禁にするぞ、この野郎!」

「シグレ、この男はエリュシオンの代行英雄であるぞ!」

「メルム様、よく見ろよ。こんな貧相で貧乏っちい英雄がいるわけないだろ」

「はっ………………確かに」

 おいエルフ、納得するな。

「バフ」

「バーフル様、ハウス」

「………………バフ」

 犬はプルプルと震えて水を払うと、店に戻って行った。こいつは鎖で繋いでおけ。

「あんた、面倒起こすなら出て行ってもらうぞ」

「いっその事、今すぐにでも出ていきたいが」

 顔を見るなり剣振り回すエルフ、頭のおかしいボケ犬。こんな奴らとは一秒でも一緒にいたくない。

「あっ! あんた怪我してるじゃないか! それに、その角」

 時雨がエルフに斬りかかられた俺の肩に手を伸ば――――――

「触るなッッ!」

 思わず怒鳴ってしまった。

「ッ」

 驚いて、時雨の耳と尻尾の毛が逆立つ。

「す、すまん。肩に傷はない。服が破れただけだ」

 中を見られないようにマントをずらして左肩を隠す。この傷は、剣如きで上塗りできるものじゃない。だからこそ危険なのだ。知らなくてよい人間は一生知らなくていい。

「シグレー、だいじょーぶ?」

 少し離れた所から女の声。

 店にいた客の一人。

「ダイジョーブです」

 時雨は愛想笑いを浮かべて客に手を振り、俺にこそりと言う。

「今日はもういいから、上がってアリアンヌさんの様子見て来いよ。後で飯運んでやるから」

 意外、追い出されずに済んだ。

 思ったよりも器量のある子供だ。誰に似たのだろうか? と言うか父親はどこだ? 獣人の女一人で育てているとか、ちょっと下種な考えが浮かぶ。

「おい貴様」

「まだ何かあるのか?」

 エルフを無視して帽子を拾う。次にロングソードを拾うが、また折れていた。

 犬の野郎だ、間違いない。

「詫びの品だ。くれてやる」

 エルフが乱暴に剣を投げ寄こして来た。隠し持っていた別の剣。受け取れず、俺の脇腹に当たって地面に落ちる。

「間抜け」

 うるさい。

 エルフの悪態に平静を取り繕い、落ちた剣を拾う。

 古びた剣。

 鞘や柄、鍔に、装飾の剥がれ落ちた痕があり、かつての栄光が垣間見えるデザインだ。

 肩と首で鞘を挟み、剣を抜くと薄汚れた灰色の剣身が見えた。一般的なロングソードとほぼ同じの長さと形。しかし刃は、極限まで研ぎ澄まされている。

 長い年月、剣として残るとは、名剣の類なのかもしれない。

「くれるなら貰うが、返さないぞ」

「貴様、本当にエリュシオンの代行英雄ではないのだな」

「何の事だ?」

 エルフは俺を鼻で笑う。

「その剣は、どこぞのエルフがヒームの王に簒奪された物だ。長き時の中、巡り巡って私のような末が手にした。………最早、何の意味も持たない屑剣だ」

 盗るのではなく、簒奪と。違いが分からない。

 しかし屑剣とは俺に相応しい。

「盗品か。ろくなエルフじゃないな、あんた」

「黙れ。紛らわしい容姿をした間抜けめ」

「けっ」

「ふん」

 こいつとは一生分かり合えない気がする。

 エルフと別れ、俺は裏口から店に入る。

 綺麗なタオルがかけてあった。『使え』と言う時雨の気遣いと受け取って、濡れた体と衣服を拭きながら店の地下に行く。

 地下はかなりの広さだ。しけった空気に、石造りの通路がどこまでも続く。設置された照明では先が見通せない。ただ外よりも気温は高く。割と快適である。

 これもダンジョンなのだろうか?

 街の下にこんな物があるとは知らなかった。噂でも聞いた事がない。

 変わった店だ。

 豊富な食材に、妙に近代的なキッチン用具も気になる。クソッタレな化け物犬と、さっきの変なエルフも。

 世話になっている以上、変な勘繰りはしないけどな。

 ダンジョンの一室をノックした。

「アリー、起きているか?」

 返事はない。なら遠慮なく扉を開ける。

 時雨が用意してくれたアリアンヌの部屋は、六畳一間にダブルベッドとテーブルが一式。隅には鏡台が一つ。奥の別室にはトイレと風呂もある。窓はなく牢獄のようにも見えるが、住み心地は良さそう。

 足元には鎧と剣が転がっていた。

 よく見たら椅子には衣服と下着も。

「片付けろよ」

「うるさいですわ」

 ベッドのシーツから生足が返事をした。

 完璧なアリアンヌだが、時々こういう事をする。彼女なりのささやかで可愛らしい落ち込み方である。

「まーた、一から手掛かりを集めないといけませんわね」

「そだな。ま、何となるさ。ちょいと運が悪いだけだ」

「運て、あなたねぇ」

 ウンザリ顔のアリアンヌが振り返った。

「え、どうしまして?」

「ん?」

 何か驚いた顔。

「肩よ。それ刃物傷でしょう?」

「外で頭のおかしいエルフに斬りかかられた。怪我はない」

「何よそれ、物騒ですわね」

「ホントだよ」

 そのエルフから貰った剣を部屋の隅に置く。

「で、それは?」

「エルフの詫び」

「捨てなさいな。あなたに剣なんて似合わないわ」

「分かった。明日にでも捨てるよ」

 アリアンヌの言う通り。俺に剣なんて似合わない。

「付き添い何て、頼まなければ良かったわ」

「そんな事を言うな。俺は役に立てて嬉しかった」

「役に立ってないわ」

「うむ」

 面倒事を増やしただけな気も。

「ハァ、肩見せなさい」

「大丈夫だ」

「いいから見せなさいな」

 本当に大丈夫なのだが、見せろと言うなら見せる。

 マントを外し、シャツのボタンを外し、左肩をはだけさせる。

「また進行したわね」

「順調にな」

 俺の左肩と肘は結晶と化している。街中の治療術師に見せたが原因は不明。治療も不可能。今も尚、徐々に結晶は広がり胸の一部にまで及んでいる。

 心臓に達すれば死に至るだろう。

 明日死ぬことはないが、半年は確実に持たない。もしかして、来月かも。

「痛い?」

「そうでもない」

 そうでもある。結晶に浸食される激痛で、眠れない時や動けない時がある。

 でも俺も男だ。

 女に『痛い』なんて言えない。

「人の最後は、穏やかなのが一番ですわ。私の父や兄のように、人に憎悪をまき散らして逝くような最後はおススメしません。人はせめて、人らしく死ぬべきよ」

「その通り」

 間違いない。今の穏やかに死に近づいている生活は嫌いじゃない。前の俺がどこでどんな生き方をしていたのか知らないが、誰にも知られず路地裏で死にかける最後などロクなもんじゃない。ケダモノの生き方と、死に方だ。

「というか、ここはどこですの?」

「テュテュの店の地下。しばらく厄介になる事になった」

「あら、何か悪いわね」

「そうでもない。俺が働いて恩を返している」

「それは良いわ。スープの作り方でも覚えなさいな。手に職付けて余生を過ごしなさい」

「へぇへぇ」

 短い余生、そういう風に生きるのも悪くないか。

 コトリ、物音がした。

 アリアンヌも気付く。

 部屋の扉を開けると、トレイに乗ったラーメンと飲み物が置いてあった。

 走り去る足音。消える小さい影。

 時雨だろう。

「何だ。声くらいかけてくれよ」

 変な子供だ。

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