<第一章:ノーバディ> 【01】
【01】
牙が見えた。
食らい付かれ、絶命する自分の姿が見えた。
一瞬の意識の空白。
次に見えたのは、閃く白刃。
俺は剣を振るっていた。今日初めて握ったはずの剣で狂犬の口を狙っていた。
しまった。
と言う杞憂の刃は、飴のように噛み砕かれる。
ありふれたロングソードとはいえ、鍛えた鉄には違いない。そんな物を容易く砕くとか、この犬、魔獣の類か?
「ぐっ」
ビキリとした左半身の痛み。思いもしない動作で体のバランスも崩れる。
運が良かった。
倒れなければ顔面を削がれていた。
だが状況は好転していない。圧し掛かって来た犬の首と体を足でブロックして牙を遠ざける。いや、遠ざけられない。何という力か。
「バーフル様ッ! お座りニャ!」
獣人の娘が犬に抱き着いて止めた。喉のすぐ傍でガチンと牙が鳴る。
「その人は違うニャ! 止めるニャ!」
「………チッ」
渋々、犬は舌打ちして離れた。
強姦未遂とは別の殺意を感じたが、何だこの犬。
「あ、ありがとうございますニャ。危ない所を」
「いや、俺は何もしてない。しかしまあ、なんてこった」
転がる騎士を見て、全員死んでいる事を確認。犬の分際で、あっという間に仕留めやがった。こいつ本物の化け物だぞ。
「なッ、何だこれは?!」
声を荒げたのは、階段から降りて来た上半身裸の男。少しばかり高価な剣を手にしており、恐らくはこいつが騎士団長だろう。
「やったのは貴様かッ」
剣の切っ先が俺に向けられた。
そんな馬鹿な、と言った所でこの状況ではなぁ。
「………………」
騎士団長の後ろには、素肌にシーツを巻いたアリアンヌがいた。
転がる死体と、テュテュと、俺の顔を見て、
「ハァ………………」
もの凄い顔でため息を吐かれる。普段の俺を知っていれば理解できると思うのだが、気持ちは分からんでもない。
アリアンヌが騎士団長から剣を奪った。
反応させる間もなく。さくりと持ち主の喉笛を裂く。冷徹に冷静に、血だまりで咽かえる男の心臓を一突き。止めだ。
「ひっ」
短い悲鳴を上げる獣人の娘。
「もう何なのですかこれ、ってテュテュじゃなくて?」
「お、お客様」
二人は知り合いのようだ。
「で、あなたは何をしているのかしら?」
「何もしていない」
アリアンヌの険のある表情。視線の先には、俺の持った砕けたロングソードがある。ポイッと捨てて無表情で返した。
「何もしてなくて、この惨状はおかしいのではなくて?」
「何もしてなくても、この惨状だ。犯人はそこの駄犬な」
俺に唸り声を上げるクソ犬。
「ああ、モンスターと言う噂は本当でしたのね」
「お前こそ情報源を殺してどうするんだよ」
危険を侵してまで接触した相手を、こうも簡単に。
「仕方ないですわ。あなたも、私も、テュテュも、ここには居なかったし。こいつらは諸王の誰それがやったという事で………逃げますわよ。良し悪しに係わらず、関わる事が既に損なのですから」
「了解」
流石できる女、切り替えが早い。
「あ、あの、あの、ニャーはどうすれば?」
ビクビクしっぱなし娘がアリアンヌに聞く。
「忘れなさいな。どーせ悪いのはこいつらなのでしょ?」
「そうだな」
同意である。
強姦しようとしたアホが返り討ちにあっただけだ。被害者が気に病む要素はない。
「アッシュ、あなたは金目の物の回収。私は死体を偽装しますわ」
「了解」
こういう事はアリアンヌにお任せ。作業開始。
倒した相手の金品を奪うのは諸王の伝統らしい。奇しくも冒険者も同じ。全く、浅ましい伝統である。
銅貨が10枚。銀貨が8枚。金貨が1枚。硬貨はこの程度。後は、盗んだであろう女物の櫛と安っぽい指輪、紙切れになったレムリア商会の金符が5枚。
鎧には、中央商会の持ち物を意味する記号が彫られていた。足が着くから手は付けない。剣は自前のようだが、悪くはないが良くもない。
一振り、銅貨4枚が良い所か。かさ張るし要らないが、何となく一振りだけ鞘に収めてベルトに下げた。
お、自分が強くなったかのような気がする。
ま、完全に気のせいだ。
騎士六名の手持ちの財産はこれだけ。
本当にこいつら金持ってないな。所詮は肩書だけのゴロツキだな。
「まいりましたわ」
アリアンヌが困っていた。
そりゃどう見ても獣に食い殺された死体だ。これを諸王の仕業にするには、一度蘇生させる必要がある。そんな魔法など見た事はないが。
「少し骨だけれども、仕方ないわね」
アリアンヌは死体に回復魔法をかけた。絶命した人間には無意味な行為だが、死んで間もない細胞が生きている間なら形を整える事はできる。
で、整った死体を切り刻んで諸王の一兵の仕業に仕立てた。
「こんなモノですわ」
「………ファ」
獣人の娘が青ざめて気絶した。確かに見ていて気持ちの良い光景ではない。
アリアンヌは騎士団長の死体を上の階に運び、降りて来ると普段の鎧姿に戻っていた。
「遺留品なし。私達の痕跡や犯行の証拠も………………たぶんなしですわ。アッシュ、おぶりなさいな。魔力切れで私寝ます」
「え、はい」
二コリと笑って、アリアンヌは意識を失った。
魔力切れで気絶のようだ。冒険の帰りで余裕がなかったのだろう。これ、あんまり良くないと聞くが大丈夫だろうか。
アリアンを背におぶり、背に感じる硬い鎧の感触を恨む。
「さて、どうする」
途方に暮れた。
万が一の事を考えて、このまま宿に帰るのは不味い気がする。他に行き場など知らない。俺が知っているのは、あの酒場くらいだ。
「バフ」
すると、愚犬に後ろ足で蹴られた。
『ついて来い』と犬は裏口から出て行く。こいつの背にも気絶した娘が乗っている。中々器用な奴である。
野生の勘に周辺警戒は任せて、俺も後に続く。
拍子抜けするほど簡単に、しかも誰にも出会わず、騎士団の駐屯所から離脱できた。
五分ほど裏通りをグネグネと移動して、たどり着いたのは小さな飯屋の前。名前を『冒険の暇亭』と言う。
飯屋自体は小奇麗で良い店だが、立地は最悪だ。両隣が破壊され倒壊しかかった廃墟である。
「………ん?」
この廃墟、壊されたのは最近だな。砕けた建材に新しさがある。事情は分からないが、飯屋は良く無事だったものだ。
ともあれ、飯屋は夕飯時に向けて準備中の様子。奥で小さい人影が何か作業しているが、入り口は閉じられていた。
犬の後に続き、店の裏口に回る。
裏口の鉄扉には下方に呼び鈴が付いていた。手が塞がった業者への配慮なのだろう。犬が呼び鈴を鳴らすと、扉を開けたのは獣人の子供だった。
歳は7、8歳くらいか? ポニーテイルの黒髪で猫耳、金の瞳、中性的な顔立ちだが可哀想な事に目付きが悪い。テュテュとか言う獣人の娘と似たデザインの給仕を着ていた。
妹か弟か、子供はテュテュを見ると驚き声を上げた。
「かあちゃん! どうしたんだ?!」
あ、子供だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます