異邦人、ダンジョンに潜る。Ⅺ 仄日のレムリア 【11部】
<序章>
仄日【そくじつ】傾いた太陽、夕日。
<序章>
寂れた酒場。
不衛生な人の匂いと、アルコールの匂い。
冷たい隙間風が流れ、今にも消えそうな暖炉の明かりが店内を照らす。朝から晩まで薄暗く、客も自然とそういう連中ばかりになる。
この店の角から一つ離れた席。
そこが、俺のいつも座る席だ。
別に占有するつもりではないが、毎日通うと自然と場が決まる。弱い者同士の暗黙の了解で、互いに干渉はしない。
どんなたまり場でも秩序や安定は必要だし、混沌に慣れて居座るほど強い連中なら、こんな場所には入り浸らない。
この酒場の名前は『老猫の囲い亭』。
しかし、集まるのは行き場のないネズミ共だ。
どう皮肉ろうとも俺も同族である。
水で薄めた安酒で口を湿らせ、酸い豆の煮物で空腹を紛らわせる。それで一日中、他人の言葉に耳をすませて過ごす。
ネズミの所以は、金も居場所もない事に加え、耳ざとく噂を集める事にある。
聞こえ良く言えば情報屋だが、腕っぷしの弱い無能がやれる数少ない仕事だ。
「で、何だと?」
「あー兄さん。もしかして、この街に来たばかりかぁ?」
狭い店の中央。見ない顔の男に、知った顔の男が話しかけた。
こういう事で金を稼ぐ奴は口が上手い。情報が確かかどうかより、口が上手い事にある。後、相手に警戒させない容姿か。
「色々と教えてやりたいが~おいらの口は固くてねぇ。こう光り物の一つでもあれば」
「これで足りるか?」
男はテーブルに銀貨を置く。ポンと出す額にしては破格である。ここの飲み代にしたら朝まで飲める。
「いやっほほ、こいつはこいつは」
銀貨を握り絞め、男のテーブルに一人のネズミが着く。
「で、何だと?」
「まずは、アレだねぇ。第一の英雄と、狼王アシュタリアの戦い」
「相打ちだろう。他に何がある?」
「あるんだなぁ、それが。あの二人の戦いの中、巨大な化け物を見たって奴がいるんだよねぇ。それに薄光る亡霊の軍団や、おぞましい獣の群れを」
「馬鹿らしい噂だ」
「んじゃ、こいつは知ってるかい? アシュタリア王は、何と一人で戦っていなかったと言う噂だ。従者を連れて二人がかりで戦ったと」
「何?」
視界の端で、男の眉がひそむ。
何故か興味が湧いて、男の姿をしかりと目に収めた。ここらでは見ない毛皮のマント。黒革の鎧。剣のデザインも見た事がない。ないはずだが、何となしに諸王の物と理解できた。
「こいつは問題だよねぇ。諸王の言う勇猛さとやらが」
「証はあるのか?」
「いや証って、こいつはあくまで噂で」
「なら、程々にしておけ。諸王を侮辱するのなら命を賭ける事になる」
「ッ」
男の殺気にネズミが震えた。
「………………」
「他には何がある?」
本当に固くなった口を男が開かせた。
「そ、そうですねぇ。では、英雄と諸王の戦いの後だ」
「ほう、そいつは是非とも聞きたいな」
「そりゃ大混乱でしたぜ。なんせレムリア王が、エリュシオンとの同盟を破棄したんだ。国に残った中央の勢力を二晩で一掃。可愛そうなのは中央商人の一族郎党だなぁ。女子供まで一人も許さず根こそぎだ」
「………ほぉ」
男から、また殺気が漏れる。ネズミが気付かない程度のわずかな殺気。
「中央の血は一滴も残さない。そりゃぁレムリア王の考えは分からなくもないが、何も孤児を保護した炎教まで潰さなくてもねぇ」
「レムリア王は炎教を敵に回したのか?」
「司祭様を投獄して、国内の炎教支部は全部取り壊しさぁ。この国の炎教は相当貯め込んでいたって噂だけど。その貯め込みが今でも見つかっていないとか、いや王が隠したままなのかねぇ」
「他所の炎教が黙っていないぞ」
「そりゃ黙っていませんぜ。炎教の本部から炎術師が派遣されて、今も街のどこかに潜んでいるとか」
「彼奴ら、やる時はやる連中だ。レムリア王は阿呆か」
「そっくり全部敵に回しても、勝てる計算だったんでしょうさ。なんせ―――――おっとこいは後の話だぁ。同盟破棄の混乱冷めやらぬ間に、現れたのが諸王の軍勢。いいや、“元”諸王の軍勢と言った方がいいのかねぇ」
男は頭痛でも味わったのか、こめかみを押さえる。
「ヴィンドオブニクル軍か」
「ああやっぱり、兄さん左大陸の人間かい? 最近は格好だけじゃどこの人間か判断できなくてねぇ。金さえあれば世界中の武器防具が手に入る」
「おい、金をもらって詮索か?」
「いやいや、申し訳ねぇ。つい、つい。んで、そのヴィンドオブニクル軍だ。あいつら急に現れたんだよ。驚いたの何のって、数千の軍団が平原に集合してんだぜ。どいつもこいつも、国の終わりと覚悟したもんだぁ」
「ヴィンドオブニクルの将は誰だ?」
「将? 代表はデュガンって言うヴィンドオブニクル、ロブスの子孫さぁ」
「奴は取りまとめ役に過ぎん。ちっ………まあいい。ヴィンドオブニクル軍とレムリア王はどうなったのだ?」
「そりゃ驚いた事に」
ネズミがパンと手を叩く。
「新しく同盟を組んだのさ」
「何故だ?」
「いや、何故って言われても。お互いにおいしい所があるからでしょうや。レムリアは諸王と言う新しい後ろ盾。ヴィンドオブニクル軍は、冒険者の神の子孫と言う名を使い、冒険者の中から戦力を募る。互いに損はないでしょ?」
「解せん」
「え、何がですかい?」
「中央を放置して右大陸に遠征する事が、だ。第一の英雄が倒れたとて、まだまだエリュシオンの戦力は残っている。そして諸王は一枚岩には程遠い。長年、左大陸で戦って来たロブスが、それを分からぬはずはない。レムリア王は何を対価とした?」
「え、噂では何も」
所詮は噂を拾うだけのネズミ。密な秘密など知る由もない。
ま、俺も知らないけど。
「………次だ。レムリアとヴィンドオブニクル軍の同盟はどうなった?」
「同盟の調印は、草原で行われたんですがね。またまた驚いた事に、急に黒い竜が現れて『ブワァー』と炎を一吹きさ。炎は三日三晩草原を焼き続けたからねぇ。おっそろしい光景だったなぁ」
「………………ロブスはどうなった? レムリア王は?」
「行方不明って事ですが。ま、誰も生きちゃいませんぜ。ヴィンドオブニクル軍数千の兵と、レムリアの虎の子の兵隊。ぜ~んぶ、灰でさぁ」
無常なものだ。
人の群れなど大きく異常なモノ相手ではゴミと同じ。
「その【黒い竜】とは何だ?」
男の表情が急に読めなくなる。
気になるが好奇心は飲み込む。ネズミらしく分相応に、こぼれたパンクズのような噂を拾うだけにしよう。
「いえさっぱりで。こいつに付いては話せるような噂一つもなくてねぇ。さしずめ黒鱗公と言った所でしょうか?」
「この国は白鱗公の庇護を受けている。もし他の竜なら、彼女が黙っていないはずだ」
「いやぁ、所詮は気まぐれな竜の考え。人間との約束など」
「………………」
やはり、男は何か思う所がある様子。
「今、この国の支配者は誰だ?」
その疑問は、この国に住む誰もが疑問に思う事。
「今、レムリアには色んな勢力がいますぜ。まず一番頭数が多いのが、エリュシオン第五法王・放浪王ケルステインが率いる遠征騎士団。次に多いのが諸王・傭兵王ガーシュパル・ヨハンうんたらかんたらの傭兵団。この二つを筆頭に、ヴィンドオブニクル軍の残党“らしきもの”、ヒューレスの森のエルフ、東の獣人族までが、この街の覇権を握ろうとしてまさぁ」
付け加えると、これに商会同士の小競り合いが加わる。
放浪王と共に来た新しい中央商会は、レムリア商会に前中央商会の損失を請求している。
これが国二つ買える莫大な金額らしく。突っぱねようにも、現在レムリア商会には武力の後ろ盾がない。何とか交渉を先延ばしにして逃げているが、それも時間の問題だとか。
金が動けば、人と暴力が動く。新しい争いの火種だ。
「レムリア王の勢力はいないのか?」
「カス程度には残っていたらしいですがねぇ。ケルステインに一掃されたとか、傭兵王に取り込まれたとか、ダンジョンに逃げたとか、あんまり良い話は聞きませんぜ」
「冒険者組合はどうした? レムリア王と親密な付き合いがあったはずだ」
「あいつらは上手い事やってますねぇ~全勢力と付かず離れず、冒険者の自由ってやつを守っている。あくまでも、冒険者だけの自由ですがね」
自由か、お笑いな言葉だ。
「ソルシアの奴め、いや化け物に忠誠を求めるのが」
急に酒場の扉が蹴破られた。
現れたのは騎士鎧を身に付けた五人の男。ただ、ほとほと鎧が合っていない。サイズと言う意味ではなく。男達の顔と佇まいが、騎士と言う職と位に全く合っていない。
まるで、ゴロツキのコスプレ。鎧が人間を着て歩いているようだ。
騎士“もどき”共は、男の背後に並ぶ。各々剣は手にして戦闘状態である。
「おい、そこのお前。諸王の手の者だと聞いたが」
「騎士旦那ァ。間違いないですぜ」
ネズミが、騎士もどきにヘラヘラとした笑い顔を浮かべる。
ああ、なるほど。あらかじめ騎士を呼んで、時間稼ぎに話をしていたのか。ネズミらしくない度胸のある愚行だ。
「いくらだ?」
男がネズミをにらみつける。
「な、な?」
人を殺せそうな威圧。背後に刃があるのに目の前の小者に圧を向けるとは、ただ感情的なだけの男か、それとも。
「き、金貨二枚だ」
「安いな。それがお前の値段だ」
男は一息でネズミの体を股間から脳天まで切り上げた。見事な剣技である。テーブルや椅子も何の抵抗もなく切断されている。
こぼれるモツと流れる血。男の手には剣、抜く様は全く見えなかった。
「このッ」
背後の騎士は致命的に遅く。男は死神のように速い。
一刃で五人の首を綺麗に落とした。客の悲鳴と転がる椅子の音。咽かえる程の血の匂いで、不味い酒が更に不味くなる。
「貴様」
何故か男は、俺に剣の切っ先をを向けた。
「何だ?」
意味不明である。
「何者だ?」
「何者でもない。あんたが殺した、そこのネズミと同じだ」
俺もそうやってゴミのように死ぬのだろう。
「………………そうか、すまないな」
何を詫びる事があるのか。
男は剣をしまうと、騎士の死体を漁って金目の物を奪う。自分の財布から金貨を取り出すと、壊れたテーブルに置いて何も言わず去った。
何者だ? とは俺の台詞だ。
ともあれ一つ噂話が仕入れられた。
年老いた店主は慣れた様子で掃除を始め、ネズミの握り絞めた銀貨を奪う。
どうせ身寄りも仲間もいない奴だ。誰も文句は言うまい。
「あら、揉め事かしら?」
品の良い女の声。場違いな花のある笑顔。グラマラスな肢体に癖のある長い金髪。白を基調とした鎧とマントを身に付け、厚みのある騎士剣と小さい丸盾を腰に下げている。
いわゆる女騎士。
それもどこかのご令嬢が“ごっこ遊び”しているような。そいつが、大きく開いた入り口から顔を出していた。
いつもながら顔付きにも品があり、こんな酒場には全く合わない。こんな酒場にいる俺には更に合わない。
寂しい財布から飲み代を取り出すと、テーブルに置く。
「いつも通りだ」
と、女に視線を送って席を立つ。
外の冷気は骨に凍みた。
街の景色は女と同じく白い。建物は季節外れの積雪に化粧され、しかも原因不明の霧が立ち込めている。
そんな中でも、街の中心には途方もなく巨大な角笛が見えた。
大陸に突き刺さったダンジョン。
富と名声、福音と災厄をもたらす迷宮。
名を、々の尖塔と言う。
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