<第六章:メモリー> 【03】


【03】


 落ちる夢をさかのぼる。


 何もない無明の闇を落ちていた。

 底のない永遠に続くかのような奥底に。

 風がうるさい。身が竦み上がる速度だが、人間というのは何事も慣れてしまうもので、落ち続けているうちに冷静になってしまった。

 腕時計のライトを付けて周囲を照らすが、なーんも見えない。

 やがて、底に蠢く“大きなもの”が見えた。

 クジラに似た。

 いや、似て非なる巨大な触手。

 ライトに照らされ青白い肌が浮かぶ。光に気付いたのか触手の束が花開いた。現れたのは、辛うじて人に似た“何か”それを見て、僕は喉が張り裂けるほどの悲鳴を上げた。

 恐怖という言葉では足りない。

 死よりも恐ろしいものが其処にある。ただ無心に「神様」と祈り―――――――


『答えよ。我が名を呼ぶ者よ』


 とてつもない頭痛と共に。声が、脳に直接響く。

 落下がゆっくりと止まった。

 僕が降り立ったのは、柱のように並ぶ触手の先。

 同じような触手が僕のを合わせて六本並ぶ。目の前には、大きく青白い艶めかしい女の得体の一部。腕時計の小さなライトでは全貌は照らせない。


『答えよ』


「ぐっ」

 頭のどこかがブチリと切れた。

「ぼ、僕はあんたの名を呼んだ事はない。勘違いだ」

『ならば、信仰を誓うか?』

 少しだけ痛みは和らぐ。

『でなければ、この者達に続くか?』

「は?」

 並ぶ触手には、僕と同じように五人の人間がいた。共に異世界行きのポータルを潜ったメンバー。僕以外は全員何かしらのプロフェッショナルという。

「あなた、無事?」

 隣の女性に心配されるが、反応がおかしい。彼女達には声が聞こえないのか?

「おい、予備。落ち着け、落ち着いて敵の反応を待て」

 顔に傷のある男がいう。

「隊長、爆薬を! 小火器じゃこのサイズはどうしようも」

「マキナはどこだ?! 他の物資は?」

「全員、落ち着け! 冷静になれ! チャンスを」

『黙れ』

「あの、皆さん。少し静かに」

 不機嫌そうな神? の声。僕の提案は怒鳴り声で返される。

「落ち着いていられるか?! こんなの聞いていないぞ! 到着地点は―――――」

 パンと人間が破裂した。

 プロフェッショナルが一人消えた。

『黙れ』

 一人の死を皮切りに、三丁のAKが火を噴く。暗闇にマズルフラッシュの閃光、やかましい銃声。相手がこれでは、あまりにも頼りないクラッカーだ。

『疾く消えよ』

 銃の引き金を引いた男達は、隊長以外破裂して血煙と化す。

 隊長は冷静に、AKを撃ちつくした後は脇のホルスターからガバメントを引き抜き撃つ。撃ち、撃ちつくしてリロードしようとした所で、潰された。

 屈強な男が紐のように圧縮され殺された。

 隣の女性が、一瞬だけ僕に救いの目を向け………………それが数合わせの予備と思い出し絶望した顔を浮かべる。

「止めッ」

 僕の声を聞くより先に、彼女はガバメントを口に咥え頭を吹っ飛ばした。

「………冗談」

 お前ら、予備を残すなよ。

 絶望過ぎて絶望できない。何だこれ、到着先は異世界の平原のはずだ。

 いきなり化け物に襲われて全滅とか聞いてないぞ。異世界転移は、実は生贄の偽装とか? 冗談にしても笑えない。あの社長、ぶち殺してやる。

『信仰を持ち、神を持たぬ者よ。何故汝は、我の声を聴く?』

「は? いや普通に聞こえまず、ますけど」

 冷静を装うとしても声がうわずる。

『答えよ。二度はいわぬ』

 足元触手が開く。

「うぇぉぉあう!」

 落ちそうになり、手足で触手の縁を掴んで止まった。口を開い触手の中は、ミキサーのような歯がびっしりと並んでいる。こんな所に落ちたら一瞬でハンバーグである。

「あなたの疑問とやらに答えたいが! まず問題をしっかりと提示していただきたい! 説明を求む!」

『………………』

 無言だが、不機嫌そうな気配は伝わる。

 触手が閉じ始め、

「お待ちを。我が神よ」

 降り立った誰かに助けられた。

 僕の手を掴んで持ち上げたのは、長い黒髪の少女、の髪の一部から伸びた四本の触手。後ろ姿で顔は見えない。小柄で細いという事だけは分かる。

『聞こう我が分神よ。神格を捨てたとしても、汝は我が同胞である』

「ありがたき幸せ」

 うやうやしく頭を下げる姿は………………全く思い浮かぶ人間がいない。というか、人間といってよいのだろうか。

「進言します。“この者は使えます”。我が神を裏切り、力を盗み取った男を必ず倒すでしょう」

『………………』

 よく分からない進言だ。僕に誰を倒せと?

『何を賭ける?』

「我が一命を」

「待ってくれ。あんたらの要望を聞くとは、てか話が見えねぇよ」

「例え失敗しても、枯れた眷属が一人と、故も分からぬ異邦人が一人死ぬだけ。我が神には何の迷惑もかけませぬ」

 無視された。

『………好きにせよ』

「待て」

 だから、僕を放置するな。

「僕はやるとはいっていない! 何を倒すかも分かっていない! 簡単に受け入れる事ができるか。説明をしろ!」

 相手が何であるかも忘れて声を荒げた。

 死よりも、知らぬ事に巻き込まれて利用される方が嫌だ。

「では、あなたに依頼します。我が神の力を盗んだ男を倒しなさい」

 触手女は、相変わらず後頭部で僕に話す。

 助けてもらった手前もあるが、こうも訳が分からないと従えない。

「僕は企業の依頼で異世界に来た。ここがそうなのかは分からんが、まずそれを終えてから再度交渉しよう」

「その依頼の障害になる男です。あなたの人生という道を塞ぐ、腐った巨人のような存在です。絶対に倒さねばならない」

「僕の人生を勝手に決めるな」

「決めていません。知っているだけです」

「お前………誰だ?」

 女の肩を掴む。冷たく濡れた肌の感触。暗闇と髪で気付かなかったが全裸のようだ。

 露出趣味で触手の生えた女など全く知らない。てか、絶対元の世界にいない。

「“私達”が誰なのかは、それは―――――」

 振り向いて一瞬だけ顔が見えた。

 可愛い系である。が、知らない顔。知らない顔なのだが、既視感を覚える顔。誰かに似た面影、思い出せない誰かの面影。

 記憶の奥底にある原初の。

「――――――きっと未来に分かります」

 視点が反転した。

 重力が変わり、体がさかしまになり浮かぶ。

「今はサヨウナラ。そしてまた会いましょう」

「おい、名前くらい教えろ!」

 上に落ちる。

 落ちて行く。

 猛烈な意識を失うほどの速度で。最後の瞬間、また大きく声が響く。


『よいだろう。我が分神の願いにより、我が名と力を貸し与える。我が眷属の一人にも協力させよう。ただし、我が力は奴との戦いにのみ使う事を許す。この記憶も一時預かろう。我が分神の言葉が正しいのなら、運命が貴様を戦いに導く。その時こそ、この盟約を果たす時だ』


「あんたは一体誰だ? あの女は? 異世界には何があるというのだ!」


『我が名は―――――――』


 神が名を名乗る。しかし、その記憶は封印された。この時に起こった事も含め全て。

 僕はたった一人で異世界に落ちる。いや、一人ではないか。


 そして僕は、寝転がって空を見ていた。

 数々の出会いと冒険を繰り広げ、今は地にふせ暗い世界を見ている。


 死はすぐそこに、それでも今は至らず。破壊されたはずの心臓は弱々しくも動いている。

「何?」

 まだ生きている僕を見て、神から奇跡を盗んだ男は驚きを見せた。

「何故、生きている?」

「お前に合わせたい神がいる。その名は―――――――」

 死の淵より、かの神の名を呼び覚ます。


「来い、深淵のグリズナス!」

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