<第六章:メモリー> 【02】

 

【02】


 巨大生物同士の戦いは苛烈を極めた。

 単純な動作だけでも強風が巻き起こり、膨大な力のぶつかり合いは空気を震わせる。

 ちっぽけな人間が出来る事はない。

 狼の動きに対して、皺枯れた巨人は人間のような曲線的な動きを見せる。

 牙が届く前に長い爪を狼の背に突き刺し、顎を蹴り巨体を打ち上げる。

 狼の動きは直線的で単純だ。至極、読みやすい。

 だがしかし、と。

 それが狼の誘いだった。

 狼の動きは直線的で単純なまま、ただ速度と力を倍の倍にして迫る。

 一瞬で形勢が変わる。

 黒い狼が、すれ違い様に巨人の左腕を食い千切った。金色の瞳で睨み付け、更なる速度で何度も何度も飛び掛かり肉を抉る。

 巨人も応戦する。

 が、片腕では防ぎきれない。攻め手に回れない。次は右腕が飛んだ。片足が飛び、止めと狼は喉笛に食らい付く。

 台風のような暴風を巻き起こして、狼は巨人を振り回した。

 草原に血飛沫が撒き散らされる。肉や骨が飛び散る。ボロきれのようになった巨人を、これでもか、これでもかと狼は痛め付けた。

 これが陛下なのか、伝承に伝わる“古き者”なのか、僕には分からない。

 目の前にあるのは圧倒的な力だけ。

 常人が魂すら賭けて傷付けた化け物が、それを超える化け物に蹂躙される様。

 なのに、何故だ。

 何故に、こんなにも胸がざわつく。

 巨人の首が捻じれ切れた。落ちた頭部を狼が噛み砕く。咀嚼され骨が割れ、肉がこぼれ、眼球が転がる。再生が始まるが、それを上回る速度で破壊がなされる。

 決まったかのように見えた。

「陛下ッ! 翼が!」

 転がった胴体の一部、骨の翼が狼を襲う。

 僕の咄嗟の呼びかけが通じたのか、反射速度の問題か、狼は翼の槍を紙一重で避けた。

 避けたはずなのに、左の前足が切断される。

 バランスを崩し、狼は草原に転がる。すぐさま三足で体勢を立て直すが、その前足の傷口は沸騰したように煮えたぎり、焼けただれていた。

 猛烈な痛みを耐えるように、狼は歯を剝き出しにして唸り声を漏らす。

「蛮族の王よ。貴様は、銀貨の血塗られた歴史を知っているか?」

 巨人の肉片から、王子が這い出て来た。

 僕と戦った時の余裕はないが、死が傍にあるような顔ではない。

「霊禍という呪いがある。万象に意思を込める古き呪いだ」

 王子の右手には銀の剣。

 伸ばした左手には銀貨が一枚。

「エルフは自らの美しさに。ドワーフは鉄を鍛える腕に。小人は流れゆく詩と物語に。獣人は血と信仰に。そして人は、銀に“獣よ滅びよ”と呪いをかけた」

 銀貨が指で弾かれる。

 ただの銀貨が一条の光になり狼の顔を貫いた。

 狼はギリギリに避けた。避けたが、光の軌道に左目があった。巨体がぐらりとバランスを崩すが、耐えて踏み止まり――――――構え、大口を開けて王子に飛び掛かる。

「獣よ。貴様の獣は俺の獣より強い。だが、それだけだ」

「止めろォォォ!」

 最後の力を振り絞り、折れた刃を投げ付けた。

 容易く、僕の最後の力は指で挟まれ止められた。何の邪魔にもならなかった。

 もう足が満足に動かない。這って進むにはあまりも遠い距離。

 一際に眩く、銀の閃きが走る。

 まるでそうあるのが当たり前のように、銀の剣は獣を斬る。

「霊禍の銀は獣を滅ぼす。獣性の呪いを全て払う」

 黒い狼は、空中で両断された。

 ぼたん、と肉が落ち内臓が流れる。

「俺の【獣】と貴様の【獣】。故も由来も何もかも違うが、イライザにいわせると収斂進化というらしいな。全く違う生き物が、同じ地位になると必然と似たような姿、手段をとるとか」

 こんな馬鹿な事があってたまるか。

 こんな所で死ぬような人ではない。

「獣に獣で対抗しようとした時点で、貴様は負けていたのだ。俺を誰だと思っている? 何百万の獣を倒してきたと思う? 獣狩りの王子が、獣如きに負けるものか」

 この人は―――――の軍を率い。――――の子を。

「あ、れ」

 僕は、今、何をいおうとして言葉が抜けた? 待て、あれ?


“何を思い出そうとして、思い出せなかった?”


 これが、

 これが、ミスラニカ様のいう絆の消失か。まずは僕の記憶。そして恐らくは、僕の忘れた人間も僕を忘れたはず。

 覚悟はしていた。

 対策もある。

 だが、恐ろしい。

 こんなにも恐ろしいと感じたのは初めてだ。

「まだ………………だ」

 それでもまだ、思い出せる事はある。こいつは、陛下を殺した。こいつだけは、ここで倒さなくてはならない。ここで奴をやらなければ、絆を失おうとも僕と関わった人間が死ぬ。それだけを覚えていたら、僕は戦える。

 片足を引きずり、敵に向かう。

 折れた刀を片手で持ち構える。

「貴様のしつこさにも飽いた。ま、死ね」

 刀を振るう。

 トン、と胸に軽い感触。

 胸に、心臓の位置に、銀の剣が突き刺さっていた。

 不思議と痛みはなかった。

 引き抜かれる冷たい感触と、赤い液体の噴水。まだこんなにも血が残っていたのかと、驚きを覚えた。

 急激な睡魔に襲われる。永遠に目覚めない死の眠りが、地の底より深い所から僕を呼ぶ。

「ほう、焼けぬか。貴様はそれでも、獣ではなかったのだな」

 膝が折れた。

 前のめりで自分の血だまりに沈む。

 暗い。

 夜明けの前の一番暗い世界が広がる。

 ああ、僕はこれを見た事がある。

 この世界に来た時の、最初の最初に。

 海に沈む。

 記憶の海に。

 深く深く、闇の深海へ。

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