<第六章:メモリー> 【01】


【01】


 振り下ろされた腕を避け、それを駆け上がり化け物の首を斬り抜ける。

 浅い。

 空中という回避不可の空間で、虫を掃うように弾き飛ばされる。草原を転がり回り衝撃を殺し、地面を蹴りまた斬りかかる。


『まるでネズミだな』


 化け物の感想は竜と同じ。だが、竜という人と寄り添う不滅の存在と、こいつが同じとは思えない。同じとは思いたくない。

 斬りかかり、何度も何度も首と心臓を狙う。

 弾かれて砕かれても、何度も何度も斬りかかる。

 数十、百、千? 何度これを行った? 研ぎ澄まされた感覚の影響か、まるで夜が無限に続くかのような錯覚を覚えた。

 それが何だという。

 闘志は揺るがない。

 微塵も揺るがない。

 繰り返す再生で肉体のガタが来ても、この火は消えない。暗き火は消える事はない。

 体がボロ雑巾になっても、刃は所々こぼれても、まだまだ数千と、数万と、億でも、京でも、那由他までも刀を振るってやる。

 だからこそ、

「我が神、暗火のミスラニカよ!」

「フッ」

 鼻で笑う化け物の片腕を、真っ正面から受け止めた。

 体が爆ぜたように全身から血が吹き出る。凡そ、無事な所がないダメージ。

 再生が遅い。

 無限の力を使う時間が尽きようとしている。どれだけ強い力であろうとも、僕という小さな器では受け止めきれない。こぼれ落ち、流れて消える。

 だからこそ、何度でも詠い汲み上げる。

「我は人の呪いを食み、糧とし力とする者。汝、唯一の信徒なり! ラ・ヴァルズ・ドゥイン・ガルガンチュア。我ら、旧き血の始原を永劫に憎まん!」

 黒い霧が生まれる。

 死の呪いを、化け物は歪んだ顔で一笑した。

「怨嗟の響きと呪いの声を持って、我はケダモノを呼ぶ。凶月の女神よ、ラウカンよ、この身にその力を! 我が神よ、魔を清め罪を許したまえ! 我は人の身のまま獣を宿す! 人のままヒトを狩るッ!」

 再び満ち溢れた力により、化け物の腕を片手で押し返す。

「明けぬ夜はなく、覚めぬ夢もなし。災いの忌血とて、いつかは涸れ絶える。されど、今は狩人の夜よ来たれ!」

 空いた手が振り上げられ。

 降ろされると同時に、遠く離れた所に大きな腕は落ちた。

「イゾラ・ロメア・ワイルドハント!」

 体が重く。関節が強張る。傷の痛みが消えない。絶叫するような痛みと共に、受け止めた化け物の腕が潰れる。

 違う。

 何かが違う。

 途方もない腕力と、空間すらも歪める力。

 体が遅く鈍く動く。いいや、敵はもっと遅く鈍い動きだ。

 感覚が鋭くなり過ぎている。時間と体を超えている。背後に飛び散る血の一滴すら知覚でき、爆音で響く心臓の早鐘の中、擦り減る関節の軋みすら聞こえる。

 気が狂いそうなほど、脳に情報が送られた。

 途切れそうな意識を、剝き出しの歯を食いしばって耐える。

 長い一瞬。

 刹那に刹那を重ね、乱刃を閃かす。

 親指を斬り落とす。足首を切断する。両膝を十字に斬り込む。両股関節を突き刺す。内臓を抉り出す。袈裟斬りと逆袈裟であばら骨を断ち、肉を削いで心臓を剝き出しにした。

 ゆっくりと落ちて来る敵の体に目掛け。

 刀を担ぎ、大上段に振り下ろす。

 蠢く分厚い肉の塊を断つ。

 時間が元に戻る。焼けるような熱い血を全身に浴びる。

「ぐッ」

 バキンという刀の芯が壊れる音。同じ音が自分の体内からも聞こえた。まだ、まだ壊れるな。この後どうなっても構わない。

 今だけは持て。

 動け。

 震えを力で抑える。何もかも全てを力押しで留める。

 己に命じ、倒れ伏せた巨人の首を刎ねた。

 確かに、斬り飛ばした。

 代償は刀。竜と戦い、悪夢を斬り抜け、英雄を斬り、魔術の終炎を斬り、獣狩りの王子を斬り倒し、化け物の首を斬り、そこで愛刀は捻じ曲がり―――――――折れた。

 巨岩じみた首が夜の草原に転がる。

 心臓を壊し、首を刎ねた。

 だというのに、

「クソッ」

 駄目だ。

 こいつは“まだ死んでいない”。

『こんなに敵を褒めた事はない。本当だ』

 転がった首が喋り出す。

 何もなかったかのように。

『知っているか? こういうのを異邦の言葉では「刀折れ矢尽きる」という』

「それが何だ」

 再生が始まる。

 汚物のような悪臭を放ち、化け物の胴体と手足は溶けた。次の変化は首、首から下に骨が生える。神経が伸びる。肉が覆う。一分もかからず元に戻るだろう。

 隙は隙だ。

 大きな隙だ。

 しかし、僕も態勢を立て直さないといけない。

 左手の感覚がない。どんな意思を込めようともピクリとも動かない。左目の視力が失せた。何をどう見開こうとも、そこには闇しかない。

 ま、限界に限界を重ねた代償にしては安いものだ。

 足腰は動く。

 右腕も右目も無事。

 なら、もう一戦いける。

「一つ………良い事を教えてやる」

『何だ?』

「獣は、手負いになってからが本物だ」

 今一度右腕に力を込め、折れた刀を握り絞める。

 再生した化け物が、その巨体を直立させた。

 改めて見ると巨大な敵だ。全長は20以上メートルあるか。巨大な不死の化け物。最後の敵にしては十分な相手だ。

 こいつ僕をネズミといった。残念だが、僕は狼騎士だ。終わり方はそれらしく決めてやる。

 どうせ死ぬなら前のめり。その前に一矢報いる。いや、二矢でも三矢でも報いる。贅沢をいうなら千や万だ。

『貴様は、骨の髄まで獣だな』

 そうだ。

 認めるさ。

 僕は獣でいい。獣の王という悪名は受け入れよう。

 だが、僕の臣下は賢いぞ。

 こいつの不死にもカラクリがある。不滅の蜘蛛ですら対抗できる手段があったのだ。僕が無理でも、何か後世にヒントを残せれば良い。

 この戦いは、全てマキナに記録させている。

 メガネは頑丈な物で、今も尚、敵の情報を送信していた。これをアナログな媒体に移し替えて、こいつの能力と悪行を世界に伝え広める。

 ヴィンドオブニクルのように修正されるだろう。しかし、誰かが真実に辿り着くだろう。いつの世も、目ざとく勘の良い人間はいる。

 誰かが気付けば良い。

 誰かが広めれば良い。

 誰かが継いでくれれば、僕の戦いは無駄ではない。

 知識の共有は、いずれ莫大な力になるだろう。

 不死を殺すような莫大な力に。

「化け物が………………黙れ化け物が。そんな醜い姿にしかなれなかった化け物が。皮肉なものだな。かつて獣の王を倒したお前らが、ケダモノ以下のバケモノとは」

『訂正しよう。そのバケモノに潰される貴様は、虫けらだ』

 バケモノの動きが変わる。

 また何か仕掛けて来る。

 僕は、折れた刀身を拾い口に咥えた。

 やってやる。

 狼騎士の戦いを、最後の最後まで、

 と、折れた刀が不思議な振動を見せた。

 文字通り横槍が入った。最初は、バケモノのこめかみに砲弾が着弾したのかと思った。衝撃で、さしもの巨体がぐらりと体勢を崩す。

 突き刺さっていたのは、太い槍だ。ちょっとした柱くらいのサイズ。こんな物を投擲できる人間は一人。

「こいつは何だ?」

 援軍だ。

 陛下だ。

 流石の陛下も499の獣全てを相手にするのは堪えたのか、完全に無事な姿ではない。胸と左肩に鎧を裂くほどの爪痕。そして初めて見た呼吸を乱す姿。

 武器も愛用の大剣が一つだけ。

 しかし、精強な姿。

 だから、

「お退きを! こいつはまだ―――――――」

 戦わせてはいけない。こいつはまだ何かを隠している。それをさらけ出させてからでも、戦いは遅くない。

 大きな影が迫る。

 バケモノに叩き付けられ、僕は地面に倒された。

「がっ」

 背中に手を押し付けられ微動だにできない。

 しまった。

 こんな状況で、敵を目の前にしているのに注意を怠った。

『我が獣達はどうした? 蛮族の王よ』

「奴らは全て地に還した。ただの一匹も余すことなく」

『………………そうか』

 バケモノが、わずかだが声に感情を付ける。

「醜い姿だな。これがエリュシオンの正体か。貴様も、そんなモノか」

『貴様も土に還してやろう。まず、このネズミからだが』

 圧力が増す。

 内臓を吐き出しそうになる。

「恐らくはエリュシオンの英雄よ。獣よ。いいや、王子か? 人間同士の戦いを望まぬのだな。闘争を望まぬのだな。良し。ならば良し。致し方なし。愚生もそう応えよう」

「馬鹿な」

 不敬と思いつつも声に出してしまった。

 黒い風が吹き、陛下の姿が隠れる。次に現れたのは、黒く大きな狼。

 頭から尻尾の先まで20メートルはある小山のような狼。

 魔獣、【古き者】。

 これが陛下の、竜の躯を喰らった者の末の姿。

 確かに、アシュタリアの転機にはこれが現れたという。ザモングラスとの戦いの後もこれは現れた。あれは………………陛下だったのか。

『やはり貴様もか、蛮族の王よ! ケダモノらしいお似合いの姿だな!』

 バケモノが歓喜の声をあげた。

 魔獣が牙を剝き、バケモノに襲いかかる。

 空に更に闇が深くなり、そしてもう夜明けが近付きつつあった。

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