<第六章:メモリー>


<第六章:メモリー>


 全ての亡霊が光に還る。

 その光は緑の奔流となり集まる。

 この身に、この魂に、全ての怨嗟は浄化され純粋な力として流れ込む。

 草原は眩い光に満ち溢れた。

 月よりも煌々と、太陽よりも密やかに、死者の光が踊る。

 人の領域を超えた証拠に、再生点の容器が砕ける。ひと時の無限の力。呪われし獣を滅ぼす不滅の力。絆を代償とする最後の力。

 光の元、そこには王子と僕の二人だけ。

 他に観客はいない。

 語る。

「見よ。我が身を見よ。呪いを喰らう獣を見よ。エリュシオンの王子よ、これを【獣の王】と呼ぶのなら“まさしく”と僕は答えよう。そして、歴史は繰り返さない。ここで獣狩りの王子は獣に敗れ終わるのだ」

 王子は笑わなかった。

 立ち上がり、僕を見つめる。

「数々の英雄と、数多の勇士、そして異邦人が俺の前に立ち、その全てが成す術なく果てていった。褒めてやろう。俺が手づから殺すのは父王以来だ」

 今の今まで、こいつの腰に剣がある事に僕は気付かなかった。

 だから、

 何だというのだ。

「獣狩りの王子よ。この夜がお前の最後だ」

「やって見よ。獣の王よ」

 同時に剣を振り上げた。

 空気が爆ぜ、鋼が鳴く。剣のぶつかり合いとは思えない音。拮抗し弾けた剣の音。

 こいつ、ワイルドハントを使った僕と同等の力を。

 しかも一撃で、アーヴィンの剣に亀裂が走る。

 獣となった英雄を斬り殺した剣が、たった一合で損傷した。

 王子の使う剣。見た目こそ変哲のないロングソードだが、並みの剣ではない。伝説級の名剣だ。

 が、それでも『行け』と声が聞こえた。

 剣を振り抜く。

 二合の剣のかち合いで、アーヴィンの剣は大きく欠けた。

 刹那の斬り結びだというのに、王子は余裕をもって口を開く。

「この剣の名は、【エリュシオン】という。我が父王がエルフの王から奪い。それを俺が奪った。長き時で美しさこそ損なわれたが、並の刀剣如きでは傷一つ付かぬぞ」

「そうか」

 構わず剣を叩き付けた。

 アーヴィンの剣が半ばから折れる。

「アガチオン!」

 魔剣に命じ、王子の背後から襲わせる。王子は視線を僕に向けたまま、魔剣の刃を素手で受け止めた。甘い血の飛沫、それだけの傷で魔剣を容易く受け止める。

 反撃で、僕は肩に剣をもらう。

 冷たい痛みと熱い血の流れ。ためらわず進む。刃を肉に潜り込ませ、折れた剣を王子の首に突き刺した。

「ごっ」

 と、王子は血を吐く。

 少しだけ安心した。血を流すのなら殺せる。確実に殺せる。

 例え―――――――

「ぐっ」

 腹に衝撃。一蹴りで僕の体はサッカーボールのように飛ぶ。

 20メートル近く、大きく距離が開いた。

 剣の抜けた肩の傷から血が吹き出る。内臓が破裂して背骨が砕けた。致命傷だが、満ち溢れた力が即座に傷を再生させる。

 相手も同じ。

 喉を貫いた剣を投げ捨て、血を吐き出す程度。

 だが、そう、血を流した。

 例え今は無理でも、必ず死が訪れる。

「何がおかしい?」

「お前の全てさ」

 今度は僕が笑う番だ。

 戻って来た魔剣を隣に、ザモングラスの剣を構える。

 一息で間合いを詰めた。

 再び魔剣との挟撃。王子は魔剣を片手で弾き、その隙に僕は背後を取る。王子の剣を掻い潜り、腰を薙ぎ払う。

 斬撃は上半身を斬り飛ばす―――――――はずだった。

 腹の半ばで、剣は止まる。

 万力で締められたかのように動かない。切り返した王子の剣が首に迫る。今の僕とて首が飛んでは無事で済まない。

 感覚が鋭利に尖る。

 視覚から色が消えて、時間がゆっくりと流れた。

 剣から手を離し、迫る刃を両手で挟み込む。敵の適当な態勢が有利に働いた。王子の肘に膝を叩き込んで腕をへし折る。

 手離れた剣を奪い、心臓を貫く。

 肉を抉る。

 掻き回す。

 飛び散る液体の赤が見えた。時の流れが元に。

「どうしたものか」

 血を吐き王子は笑った。

「やはり、棒切れ遊びは苦手なものだな」

「ッ」

 刺すような手の痛みで剣を手放した。危機を察知して距離を開ける。

 火傷? 手の皮が溶けて再生する。

 膨らむ熱気。

 緑光の中にいて、それでも赤く輝く炎の明かり。

 10メートルの距離を開けたというのに、熱気で肌が焼ける。熱い空気に喉と肺が痛む。

 王子は炎を纏っていた。

 まるで、アシュタリアを滅ぼした獣のように。

 いいや、それ以上の炎に。

 腹のザモングラスの剣を抜き、熱で柔らかくなった剣を容易く潰した。心臓の剣も引き抜き、ゴミのように捨てる。

 悠然と僕に近づく。

 ただそれだけの事で、身が焼け呼吸が止まる。

 あまりの熱にトンガリ帽子が煙を上げていた。

「この炎の名を、【終炎】と呼ぶ。炎術師が御大層に名付けた終末の炎だ。安心しろ、伝承ほどの力はない。俺が手に入れたのは不完全な物だからな。ま、それでも人如きでは近づく前に消し炭になる。………それで、次はどうする?」

 王子の声に被せてアガチオンをけしかけた。

「これはもう飽いた」

 実に容易く受け止められ、アガチンは素手の一撃で刃を大きく破壊される。止まった魔剣を捨て、敵は更に近づく。

 炎が近付く。

 熱で体が焼ける。

 僕は呼吸を止め、両膝をついた。

 久しくしていなかった正座。

 静かに、ただ静かに。

 痛みも、熱も、敵すらも、何もかも無として己の中から消す。この溢れ出る力を極限まで研ぎ澄ます。

 細く、細く、紙よりも薄く。感覚を極致の更に上に。

 左手の指で鯉口を切り、右手を柄に。

 この刃は手で斬らず。

 この刃は心そのもの。

 我が刀、我が魂の現身。無限の魂を糧に振るうのなら、我が心は全てを斬る。

 ただの刃なれど、これは何もかも斬り通す刃。

 今、神域に到達する剣技をッ。

 我が心でお前を殺す。

「む?」

 間抜けな王子の声で意識が戻る。

 燃えた帽子が飛んでいた。焼けた唇と頬が再生する感触。竜に由縁のある外套でなければ、僕は全身がローストされていただろう。

「貴様、何を」

「お前には見えないものさ」

 僅かに覗いていた刃を収める。

 チンッ、と小気味の良い音の響き。

 炎が消える。

 その後に噴き出たものは、炎よりも赤い液体。斜めに走った傷から、王子は大量の血を吹き出した。

「随分、余裕のない顔だな。王子様」

「貴様ッ」

 今一度の不可視の抜刀で両膝を斬る。跪いた王子に対し、僕が次に狙うのは心臓と首。獣を殺す伝統的な方法。

 来い。

 頼む、来いッ!

 破損した魔剣は忠実に僕の手元に。技も何もなく王子の心臓に、剣を突き刺した。

 刀を抜き放ち首に向かって振り抜く。

 殺った。

 居合いと違いゆっくりとした刀の感触。皮膚を斬り、肉を斬り、骨を断ち―――――――

 ゾクリ、全身を怖気が襲う。

 だがそれも刀で斬り落とせる。

 視点が反転した。

 判断をミスった。

 少しの浮遊感と着地した後の土の匂い。傍に刀の突き刺さる音。呼吸が出来ない。胸に大きな爪痕。呼吸する為の器官、そのものが抉れてなくなっていた。

 再生が始まり、一瞬で戦う為に体に戻る。襲いかかる痛みに歯を食いしばり、刀を手に取った。

 一陣の風が吹く。

 風が終わると、そこには敵がいた。巨大な敵の姿が。

 跪いた巨人の姿。

 水死体のように白く皺枯れた肌。大きいが、体格に対して細くやせ細った得体。手には長く鋭い爪。白髪から覗く落ち窪んだ眼窩には、目は無く暗い穴があるだけ。

 背には巨大なアバラ骨のような骨の翼が。


『心から賞賛しよう。俺がこの姿を現したのは、兄弟を殺した時以来だ。認めよう。貴様はエリュシオン始まって以来、最大の敵といえる。故に、憐れであるな。こうなった俺は誰にも止められぬ。滅びを、この右大陸全てにもたらす。引き金となった貴様の名は未来永劫伝えてやろう。貴様と関わった者の憐れな末路と共に』


 この姿は獣ではない。いや、これもヒトという獣なのか。

 僕は戦いで恐れた事はなかった。そういう部品が壊れている事は自覚している。

 しかしこいつは、魂が震える。

 底見えぬ海の深淵を覗いたような、根源的な恐怖を覚えた。

 嵐を剣で払うような無意味さを感じた。

 途方もない力の差を………………否。

 唇を噛む。

 ここで自分を曲げてどうする。ここまで辿り着いた自分を折ってどうする?! 勝てる勝てないではない。戦うか否かだ。

 男なら最後まで、戦うだろうが!

『臆さぬか』

「そんなモノはない!」

 闘志に火を灯す。

『まだ戦うのか?』

「夜はまだ明けていない」

『所詮は獣か。否、獣すら巨大な敵を前には恐れ逃げる。貴様は獣以下だ。それ故に、獣の王となるのか』

 戯言はもう沢山だ。

 曰く。

 武の究極をいえば、身一つ剣一つあれば事足りるという。

 五体一つ、刀が一つ、敵が一つ。これだけあれば、十全の用意と状態といえる。

 恐れある敵と戦うと思うな。

 武の究極に挑戦すると思え。

 なら、勝機などなくとも戦えるはずだ。


 ――――――――――最後の瞬間まで。

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