<第五章:レイヴ> 【05】


【05】


「魔王とやら何用だ?」

 亡霊の軍団が、魔王様に刃を向ける。

 共を一人連れた魔王様は、涼しげな声で答えた。

「あなた方の争いは、所詮は地上の戯れ。地の底に住まう我々には関係のない事。けれども、幼児の身侭で国を滅ぼすという貴様の悪辣さに、堪え難き苛立ちを覚えた」

「ほう。名と姿が偽りでないのなら、少しは楽しませろよ」

 亡霊が容赦なく突進して来る。

 数は百を超える。

 たった三人で相手をするには、どうしようもない物量だ。

「そう急くものではないわよ。坊や」

 大地が炸裂した。

 地面から生えた巨大な木々が、亡霊の軍団を吹き飛ばす。

 大陸そのものが動いたかのように、地形が変化して敵と僕らの距離を大きく開けた。

 魔王様が詠う。

「大いなる血脈の祖に、ゴルムレイス・メルフォリュナ・ギャストルフォが願い奉る。豊穣の聖名に大地よ集え、この地に散った数多の魂達よ、彼を慕う賢者の末裔よ、我は汝に再びの命を与えし者なり」

 力強い詠唱。

 隆起した土塊が、18メートルはある巨人の姿となった。

「盟約の恩寵により、根を骨に、楡の木に結ぶ数多な豊潤の如く育て。雨はなくとも、陽の光はなくとも、血肉はなくとも、恵みはなくとも、奇跡はこれを育む。しかしとて今、恵みは全て揃い抗う力になろう。再誕の時は、今」

 木々は巨人に絡み付き鎧となった。

 巨人は肩から伸びた巨大な枝を引き千切り、槍のように構えた。

 だがこの巨人、顔がない。

 顔に当たる部分がすっぽりと開いている。

「賢王ラーズよ」

 魔王様の手の先。

 そこには、いつの間にか、小さな木造のゴーレムの姿。

「我が古き友よ。今しばらく若人の為に力を貸して」

「ボウ」

 ラーズは頷き、巨大なゴーレムの手に運ばれると顔と一体化した。

 同時に、亡霊の軍団が僕らに肉迫する。

 遠く嘲笑う王子の姿が見えた。

 再び巨人と化したラーズが巨槍で亡霊を薙ぎ払う。

 騎士は光と散る。

 だが、巻き戻しのように再び元の形となる。

 しかし、これで良かった。

 亡霊がラーズに殺到した。手足を斬り落とそうと刃をたて、心臓を貫こうと槍を投げる。

 群がる亡霊を蹴散らしながらラーズは進む。

 ただ、王子に向かって一直線に。

「境界の門、隠れ谷の深奥、霊峰の禁足地。長き旅路の終わり、短き旅路の果て、ヒトの魂はそこに帰るであろう」

 魔王様の再びの詠唱。

 消えてしまったリズの言葉を補完する。

「葬列に並ぶ者よ。黒き死神を翻し、仮初めなりし光を我が与える。執念の為、憎悪の為、友の為と、縛られし魂の鎖を解き放ち。今、彼の前に現れよ」

 ラーズの槍が王子に届く。

 否、紙一重で届かなかった。

 ラーズの巨体を拘束したのは、更に巨大な獣の亡霊。二足歩行で狐のように細長い顔、長く鋭い爪、剝き出しの長い牙、燃えるような長毛は――――――いや、本物の炎のようにラーズの体を焼く。

 木の鎧が【炎の獣】により焼ける。実りは乾き、満たされた生命は焼け焦げる。土塊は崩れ落ち、灰になる瞬間。

 ラーズは、僕を見た。

 その視線だけで一つの意思が汲み取れた。


“さらば”


 その一言。

 男の別れだ。それ以上の言葉はいらない。

 だというのに、女々しくも僕が思い浮かんだのは、菜園で愚痴を漏らしながらの土いじり。色んな重責を忘れられる。小さくても大事な、心地良い時間だった。

「さらば」

 炎が消え、夜風の中にラーズは消えた。

 幻のように何も残らなかった。

「ソーヤさん。あの娘が開きかけた黄泉の門を、完全に開きました。後は“彼ら”が、あなたに力を貸してくれるでしょう」

「彼ら?」

 言葉と共に、魔王様と従者は闇に消えた。

 そして、声だけが残る。

「わたしとあなたは、これで本当にお別れです。あの、とりとめのない夜。わたしが滅びる時は、きっとこれを思い出すでしょう。ありがとう、さようなら」

「おさらばです。魔王様」

「じゃーなー、ソーヤ」

「ギャスラークさんもお元気で」

 声も風に流れ消えた。


 どうした? 終わりか?


 そういう王子の顔に、僕は不敵に笑って答えた。

 目の前には炎の獣と亡霊の軍団。

 僕一人なら容易く潰されるであろう。

 魔王様のいう“彼ら”が誰なのかは分からない。だが、彼女はくだらない嘘で人を騙す人間ではない。律儀で約束を守る義理堅い魔王だ。

 だから、信じて待つ。

 両腕を組んで堂々と待つ。

 炎の獣が鳴き声を上げた。空気を震わせ、他の亡霊を弾き飛ばしながら突進して来る。あっという間に真っ正面に大きなアギトが広がり――――――忽然と消えた。

 炎の獣の首が、空を飛んでいた。

「未熟者め」

 声がした。

 剣が浮いていた。

 獣を一撃で倒した剣が。

 それは魔剣ではない。肉厚で頑丈に作られた普通のロングソードである。

 青い光が集まり、人の形となる。

 剣を手にしたのは元の主。傷んだマントを翻した老齢の騎士。

 名を、

「ザモングラス?!」

 緋の騎士ザモングラスという。

「小僧。少しは成長したようだが、まだまだ未熟だな」

 ザモングラスは、猛烈な剣技で亡霊を斬り払う。これに比べたら確かに僕は未熟だ。

 魔王様のいう“彼ら”というのは、まさか。

 アガチオンが独りでに動き、亡霊の軍団を切り裂いた。

 戻って来た魔剣を手にしたのは、若い騎士だ。ザモングラスのように青い光で作られた体。豪勢なマントに獣の顔が付いたマント留め。

 クソ生意気そうな顔を浮かべて、僕を睨み付ける。

「勘違いするな。貴様に手を貸すのではない。あの男が心底気に食わないから戦うだけだ」

「知ってるさ。好きにしろよ」

 獣狩りの英雄が、アガチオンを手に亡霊に斬りかかる。

 そして、

 そして、僕の握る剣が手から離れた。

 青い光が剣の持ち主となる。

 若く精悍な顔付きの騎士。僕の失った最初の仲間。忘れた事のない名を、

「アーヴィン!」

「ソーヤ、久しぶり」

 昨日別れ、今再会したかのような何気ない挨拶。あまりにも“らしい”ので、そのせいか涙腺が緩んでしまった。

 彼との別れの後、様々な事があった。積もり積もった冒険のエピソードがある。できるなら、ゆっくりと酒を酌み交わし語り合いたい。

 所詮、ひと時の幻に似た再会だとしても、戦いの中そんな思いを浮かべてしまう。

 僕の甘さはアーヴィンが斬る。

 ザモングラスと獣狩りの包囲を抜けて来た亡霊を、アーヴィンが両断した。

「何はともあれ、ソーヤ戦いの場だぞ。見惚れるのは女の顔だけにしろ」

「あ、ああ………………応ッ」

 刀の柄に手を置く。

「弓はどうした?」

 友に見せつけるように、見えぬ剣技を披露した。

「今はこれが得物だ」

 冴えた刃は亡霊二体を両断する。

 自分ですら、収める様を知覚できなかった。

「これは嬉しいものだな、また肩を並べて戦えるとは」

「そりゃ僕の台詞だ」

 背中を見守るだけではない。今の僕は、並び戦える。腕もアーヴィンに優るとは思わないが、劣るとも思わない。

 駆け抜けた冒険の日々は、今この瞬間の為といっても過言ではない。

 三騎士と共に、亡霊の軍隊を切り開く。

「実に愉快だ」

 ザモングラスが笑う。

「死して尚、戦い集うのが誰かと思えば………我が弟子の中で最も不運な男と、最も出来の悪い男とな」

「ケッ」

 と、獣狩りはそっぽを向き。

「………不運」

 アーヴィンも表情を崩す。

 弟子二人のやる気を削ぎ、師は前に出た。

 剣が閃く。

 鋭くも荒々しい剣技で敵を裂く。一つの剣が翻る度に、数十の敵が霧散して道を開ける。

「もし、我が弟子の中で猛者が誰かと聞かれれば、必ず貴様ら二人と答えよう。嬉しいぞ、我が馬鹿弟子共。冥府の底でも肩を並べ戦おう」

「お断りだ爺。ここで魂の欠片も残さず滅べ」

「光栄です。師よ」

 真逆の意見を二人がいう。

 激烈な敵の群れを、緋の騎士を先陣に、遊撃を獣狩りに任せ、僕とアーヴィンは堅実に邪魔な敵を斬り倒す。

 数など物ともせず、僕らは進み。

「良くぞ俺を裏切った。緋の騎士以外、名も知らぬ雑兵ではあるが褒めてつかわす」

 奴の戯言が聞こえる距離まで近づいた。

「礼として、魂を砕くほどの恐怖を与えよう」

 草原を満たすほどの緑光。

 それが作るのは巨大な獣。

 数十の、いや数百の、亡霊の獣の軍団。今も尚、その数は数体ずつ増えている。

「一つ皮肉を教えてやる。あの蛮族の王が殺せば殺すほど、獣はここに増える。奴が戦い殺すほど貴様らの敵が増えるのだ」

 僕は笑う。

 ザモングラスも笑う。

 釣られてアーヴィンも笑い。

 獣狩りだけは、空気を読まず王子に睨み続ける。

『それがどうした?』

 しかし、言葉は重なる。

 想いを一つに、王子を倒す為に僕らは“獣”に突撃した。

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