<第五章:レイヴ> 【04】
【04】
ザモングラスの剣を持ち、全身全霊の一撃で首を狙う。
が、刃は虚空で止まる。
「俺は、まだやるとはいっていないが」
「知るか」
剣を手放し、アガチオンに頭上を狙わせる。それもまた、容易く見えない何かに受け止められた。しかし、こいつはフェイント。
本命の刀に手を置く。
防御不可の虚を抜く抜刀。鞘走る刃は―――――――
「がッ」
引き抜く前に僕の体は地面に叩き付けられた。すぐさま立ち上がろうとするが、背を石突のような物で押さえられ起き上がれない。
「聞け」
「お前と交わす言葉などッ」
「ならば、見よ」
暗がりを落とした平原に緑光が満ちる。見覚えのある幻想的な光景。
光が虚実に形を与え、数百の騎士となる。
亡霊の軍団。
噂の一つが目の前に現れた。
「死して尚、俺に忠誠を誓うエリュシオンの騎士達だ。貴様が聞く耳持たぬというなら」
「アガチオン!」
魔剣で槍を弾き飛ばし、体を起こす。
アーヴィンの剣を構えるが、身動きが取れないほどの槍と剣に囲まれた。
「………まあ良い。この状態で一つ問おう」
こうも囲まれては、隙を突くしか逃れる術がない。
「ソーヤとやら、貴様は何を求める?」
「………………今は、お前の命だ。獣の王子」
「何故に?」
「お前が敵であるが故に」
「敵か、それは誰に刷り込まれた敵だ?」
「あ?」
「その瞳。貴様も、あの女と契約したのだろう」
組み伏せられた衝撃でメガネがズレていた。
僕は奴と同じ金の瞳で、奴を睨み付ける。
「神の奇跡とは、とどのつまり意思の押し付けだ。神が良しとするものを是とし、神が悪とするものを非する。そこに人の意思はない」
戯言を。
戯言だ。
「ふざけるな。僕は知っているぞ。お前の行った悪行を。お前達に踏みにじられた人間を。お前達に滅ぼされた国を。運命を狂わされた女を!」
僕の脳髄で感情が渦巻く。
「愚かな。その記憶や感情すらも、押し付けられたモノと考えないのか?」
「な、に?」
「神とは人を惑わす。人の心根を変えるモノ。貴様は異邦人だ。この世界に生れ落ち、最初から神に毒された者と違う。己の最初の意思を覚えているか? 何を目的に、この世界に降り立った? それを忘れた事は、神のペテンだと思わぬのか?」
「………………」
言葉に詰まる。
確かに覚えがあった。
僕は、この世界に転移する時、何か重大な意思を持って来た。それを今、思い出す事はできない。分からず、考えないようにしていた。
そのしこりが、今の今になって重い違和感として圧し掛かる。
僅かに、闘志が鈍る。
「エリュシオンが獣人を虐げた事を罪とするなら、それは大きな勘違いだ。確かに今の世は、獣人を下にして存在している。しかしそれは、獣人という種族の強さあっての事。あやつらを解放し自由にすれば、ヒームという種族は簡単に獣人に飲み込まれるであろう」
「ヒームが弱いとは思えない。現に世界を支配しているのヒームだ」
王子は兜を地面に置くと、そこに腰かけ続ける。
「恐れあっての支配だ。支配者の落城は、即滅亡に繋がる。ヒームという種族は使い潰されればいとも簡単に滅びるだろう。我らは弱く、だからこそ他種族を支配し虐げるのだ。浅ましいと笑うだろうが、それは獣人の支配なき今の世を生きる者の余裕でしかない」
王子は手を広げ、拳を作る。
「俺は知っている。浅ましいドワーフやエルフの奸計を、恐ろしい獣人達の強大な力を。我が父が勝てたのは、単に運が味方したに過ぎない。針の穴に糸を投げつけ通すような、そんな奇跡を渡り歩いたに過ぎない。これこそが、本物の神の御業といえよう」
「何をいいたい?」
回りくどく王子は本心を隠し、本題を遅らせる。
「この地には、ベリアーレという国があった。王の名は、ラーズ。貴様と同じ異邦人だ。奴は愚かにも、獣人や他種族をヒームと同じ土台に並べ国を造り上げた。結果は、愚か者に相応しい最後だ。貴様は、レムリアの地下に広がる街を知っているか? そこにこんな一文がある」
「“我々は獣に滅ぼされるのではない。自らの愚かさで滅びるのだ”」
何故か。
それを、こいつにいわれるのは不愉快極まった。
「それだ。その通りの言葉だ。ベリアーレという国は、ドワーフが持てあました技術と、獣人の感情と、エルフの叛乱により滅びたのだ。他種族を謀り陥れる事しか知らぬエルフ。獣のように情動のみで動く獣人。己が発明にしか興味のないドワーフ。この愚かしい種族の掛け合わせにより、草原の王ラーズの国は滅びた。これは世界の縮図なのだ」
「ッ」
僕は………………笑いを噛み殺した。
あまりの間抜けさに震えてしまう。
「聞け、ソーヤよ。その命を差し出し、俺に忠誠を誓うのなら――――――」
「黙れ。安っこいペテン野郎」
「………何?」
顔に図星と書いてある。
「歴史を知らないお前に僕が教えてやる。【賢王ラーズ】の国は、世界を思うが故の賢さで、獣に対抗する術を封印し滅びたのだ。お笑いだな、世界の王という顔付きで【アバドン】の存在を知らないのか。お前は、禿げ散らかした冒険者以下のゴミクズだ」
「………………ふ、フフ」
嬉しそうに。
実に嬉しそうに王子は笑う。
「こいつは一つ取られたな。その礼にベリアーレの真実を教えてやろう。ラーズは、自分の首一つで民の命を救うよう懇願した。俺は寛大にもその願いを叶えてやった。
だがその前に、俺は奴を痛めつけ、苦しめ、ボロカスのような姿で民の前に帰した。
ここからが傑作なのだ。
奴の愛した民草というものが、一丸になって王の仇を討とうとした。この俺に。ボロカスの王を愛するカスのような愚民共が剣を向けた。
俺は、ラーズの命一つでその民草を救ってやるつもりだった。しかしだ、刃を向ける者共には別だ。将を殺せば兵が怒り、兵を殺せば家族が怒る。家族を殺せば、残った家族が俺を憎む。敵の正体を知らぬ無知蒙昧の馬鹿共を、俺は一人一人丁寧に殺してやった。国に残る者が、ラーズただ一人になるまでな」
本性を現したな。
ああ、間違いない。こいつは敵だ。誰に刷り込まれたかなど考えるまでもない。例えこいつが悪でなくとも、僕は死ぬまで叫んでやる。
巨悪であると。
「【草原の王】とは、俺が直々に名付けてやった名だ。かつて繁栄したベリアーレは、この平原の半分を満たすほどであったが、俺が綺麗に破壊してやった。
奴の首をかかげて、見渡す限りの平原を見せつけたのだ。しかし、涙を流した奴の奥には何か憐れみを感じた。そうか、【アバドン】というのか。奴が隠し通したものは。面白い。まだ世界には俺の知らぬ滅びがあるのか」
「後学の為に教えてやる。獣以上の力など、僕の一年にも満たない冒険でごまんと見つけた。何がエリュシオンだ。何が獣だ。何が獣狩りの王子だ。お前らは………大したことないぞ」
「ハハハハハハハッ!」
王子は急に狂ったような笑いを上げる。
「剣と槍に囲まれ身動き取れない阿呆が、俺に安い挑発をするか。駄作極まりないな貴様ッ!」
「同じ質問をしてやる。お前は、何が目的だ?」
「目的? 決まっているだろ。俺は支配者の最大の敵と常に戦っているのだ」
「敵だと?」
パっと浮かんだのは我が神。
だがそれだけでは足りないと直感が動く。
「その名は、“退屈”だ。エリュシオンは大きくなり過ぎた。強くなり過ぎた。俺の奸計を上手く掻い潜り下々の者が勝手に強くした。
こいつは駄目だ。
俺が見たいのは一方的な勝利ではない。そんなものはとうの昔に飽いた。俺が見たいのは、枯れた老人や、女子供までもが武器を持つ血みどろの戦いだ。こいつは良いぞ。何度見ても哀れさで胸が張り裂けそうになる。俺のお気に入りの悲劇だ」
「なるほど」
こいつがよく分かった。
「お前が、一番つまらないクソ野郎だ」
「何をいう。【面白きことなき世を面白く】こういう異邦の言葉もある」
こいつ、さっきのA.Iの入れ知恵か。
「僕の国にはこんな言葉もある。【金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困る】だ」
「ハッ、下らぬな」
この言葉には続きがある【そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない】だ。
この状況、この相手、この力、時代を影から支配してきた男を倒すという偉業。口に出すほど簡単ではない。
「さて、貴様にはどんな死が相応しいか。どんな責め苦が相応しいか。あの女の信徒らしくネズミを喰らうような――――――」
「王子」
ふと、場違いな女の声が響く。
僕を取り囲む亡霊と同じ。いや、それよりも薄く消えそうな緑色の光。貧相で凡庸な、どこにでも居そうなメイドの姿。
「誰だ?」
王子は、本当にリズの顔を知らないようだ。
リズは、何かを決意していた。決意した者の顔をしていた。まるでこれから死にゆく殉教者の顔。僕にはそれが、理解できない。
「逆らう事をお許しください。偉大なる祖国に弓を引く事をお許しください。ボクが行うのは、王子のいう安い寸劇に過ぎません。けれども、長き忠誠の果てに、ボクが必死に考えた。ただ一つの答えです」
「だから、貴様は誰なのだ?」
リズは答えない。
無意味な返答はしない。だから必死に詠う。
「黄泉の門、隠れ谷、禁足地足る恐れ山、長き旅路、短き旅路の間に、魂は帰る、ヒトの魂は帰る、長き葬列と黒い死神を翻し、恋人の為と、家族の為と、友の為と、魂に鎖はなき―――――――」
「リズ! 止めッ」
僕の声は遅い。
声をあげた所で止まりはしない。
亡霊騎士の無数の槍がリズを貫く。彼女を突き刺したまま槍は掲げられ、
「ソーヤ、長い旅の中。冒険の中。お前達と一緒に食べたご飯が、一番美味しかった。後は」
光は霧散してリズは消滅した。
始めから何もなかったかのように、彼女は消えた。
「リズ………………ふむ、知らぬな。あのような者、俺の手の者にいたのか?」
「お前ッ」
怒りが込み上げる。己の部下の名も覚えぬ男に、ただ怒りが。
「そうか、貴様も自らの痛みより他者の痛みを嫌う者か。盟約がある故、レムリアには手を出すつもりはなかったが、半分も殺せば貴様と関わりのある者がいるだろう。どれ」
王子は本気だ。
戯れで国を滅ぼす奴だ。なら、何を使っても倒すしかない。
今、
「ソーヤさん、それは今しばらくお待ちを。露払いが終わってからにしましょうね」
また声が響く。
同時に風が吹く。
僕を囲んでいた剣と槍が、一斉に天を向いた。
「一旦下がるでー」
呑気な声と共に、襟首を掴まれて引かれる。
あっという間に、王子達と亡霊の軍団から僕と、
「ギャスラークさん?!」
ゴブリンの英雄は距離を取った。それじゃ今の声は、
「何奴だ? 今度は答える相手であろうな」
王子の声に、闇が答える。
「お初にお目にかかります。時代の支配者、エリュシオンの首領よ。我が名は、ゴルムレイス。禁域の王、簒奪者、豊穣神の末裔、ゴルムレイス・メルフォリュナ・ギャストルフォ」
闇夜よりも黒い風が吹く。
現れたのは、黒いマントを羽織った骸骨だ。
骨格は小柄なヒームの物。眼窩に燃えるような青い光を溜め、首には王冠を砕いて造った金属のネックレス。
王殺しの証を付けた者。この世界ではそれを――――――
「人は、わたしを魔王と呼ぶ」
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