<忘らるる物語> 【04】


【04】


 彼女は、旅の仲間を集めた。

 人種を問わず、ただ苛酷な冒険を耐え抜く力を持つ人材を。


 最初の仲間は、後に『法魔ガルヴィング』と呼ばれる大魔術師。

 リリディアスに声をかける時、彼女は彼と契約したのだ。

 必ずや呪いの秘密を解き明かし、解呪すると。

 その後は、己が力にするなり、真の神を探す土台にするなり、好きにすれば良い。

 だが全ては、エリュシオンに巣くう呪いを解き祓ってからだ。


 次の仲間は、後に『三剣のアールディ』と呼ばれるエリュシオンの王子。

 相当、嫌がられると思っていたが小言の一つもない。

 それどころか、意気揚々と旅支度をしていた。

「不満ではないのか?」

 という彼女の問いかけに。

「益があるのか、無駄に終わるのか、どちらにせよ聖下の為に働ける事が嬉しいのだ」

 そんな犬のような言葉を吐く。

 母親のいない彼女には、理解できない感情だった。


 次に仲間になったのが、後に『忘却のスルスオーブ』と呼ばれる小人。

 酒場で詩人をしていた所を、冒険の記録係として彼女が雇った。

 小人達の故郷は右大陸にある。ネオミアにいた頃、何度か取引した事があった。非常に記憶力が良く、手先が器用な種族である。

 郷愁を感じなかったといえば嘘になるが、小人の能力が冒険の役に立つのは明白だった。


 そして彼女、後に『静寂のドゥイン』と呼ばれる偽りの王妃。

 世界中にあるエリュシオンの影響を利用する為、彼女はリリディアスの影となった。後の功績も、栄光も、全て彼女に渡すつもりだ。

 元々彼女は、自らの利益や欲望が少ない人間だ。

 全くの無欲ではないが、我欲のない人間なのだ。


 この三人と彼女で、最初の旅は始まった。

 中央大陸のダンジョンを巡り、硝子の死都で大炎術師の遺産を手にし、堕落の英雄・死霊王ミテラと戦った。

 無数の知識と数多の謎を手に入れ、冒険は海を越え、動乱の左大陸に移る。


 そこで新たに、二人の仲間を得た。

 後に『荒れ狂うルミル』と呼ばれる古き獣人の血を引く娘。

 後に『確固たるロブス』と呼ばれる異邦人の血を引く諸王。

 二人のパーティ加入には、アールディは最後まで反対していた。獣人も諸王も、エリュシオンが長年戦い続けて来た相手だ。

 気持ちは分かる。

 だが、優秀な人間を逃す理由にはならない。

 アールディはともかく。

 ルミルとロブスは、エリュシオンには敵愾心を抱いていなかった。二人共はぐれ者だ。コミュニティから追い出された人間なのだ。

 それに、

 ルミルは報酬があれば良し。

 ロブスは返り咲く名声を得られれば良し。

 動機は単純だが、二人が信用には信用で応える人間だと彼女は見抜いていた。

 アールディの小言も長くは続かない。

 命を預け合うと、人は嫌でも信頼しあう。そうでなければ生き残れないほど、左大陸の戦いは苛酷だった。

 諸王の内乱は混迷を極め、千や万を生かす過去の遺産が蛮族の手により薪代わりに燃える。

 誰かが治めなければならない。

 価値の分かる誰かが。

 彼女達は、戦火に飛び込んだ。

 エリュシオンの遠征軍を率いる第八王子は、危険な男だ。

 まさしく血に飢えた獣。

 彼が望むのは統治ではなく闘争である。今の左大陸の争いは、彼の奸計の結果だった。

 問うまでもなく分かる。

 この王子は、呪いを解くよりこのまま利用する事を望む。

 しかし幸運な事に、もう一つの遠征軍を率いる第五王子は彼女達に協力的だった。

 それも当然だ。

 第五王子『双貌の王ヴィガンテル』は、リリディアスの弟だった。

 政治的な理由で王子の一人とされ、血生臭い戦場に送り込まれていた。彼もまた、エリュシオンを覆う呪いに気を病んでいた者だ。

 彼の協力を得て、彼女は第八王子の勢力を罠にはめる。人を謀るのは師弟共に得意とする所、相手が王族なら尚の事だ。

 簡単な仕事ではなかった。

 エリュシオンの遠征軍を弱らせ、ロブスを諸王の盟主とするには、三年の月日が必要だった。

 ようやく冒険を再開し、崩れ落ちた文明の痕跡を片っ端から漁り、禁足地である獣人の霊峰を見つけた。

 最早、獣人の誰もが覚えていない聖地。彼らが産まれ出でた山。

 そこに、呪いの発端が在った。

 ネオミアや、エリュシオンが知らなかった旧獣人の秘密を知った。

 が、足りない。

 呪いを解くには至らない。

 冷静なはずの彼女が初めて焦りを表す。

 彼女は、アールディの子供を身籠っていた。

 自分はどうなっても構わない。夫も覚悟はしている。


 だが、子供には未来が欲しい。

 

 これが最初の、人間らしい彼女の感情だった。

 悪魔が彼女に囁く。

 呪いを解くことが出来ないのなら、別の方法を取ればよい。

 呪いを変える力。

 呪いを喰らう力。

 呪いを力とする力。

 エリュシオンの呪いとは、旧獣人に対抗する為のもの。

 巨人の如き獣人を、人の身で倒す異常の力。

 後遺症は、魂の病み。

 病んだ魂は、肉を肥大化させ、骨を歪ませ、心を壊す。

 だがこの呪いは、獣人そのものを侵す事は出来ない。事実、第三王子が孕ませた女の中には獣人もいたが、その子供達には呪いの兆候がなかった。

 それだけではない。

 エルフとの子も、小人族との子も、恐らくはドワーフとも。

 この呪いは、純粋にヒームだけを侵す呪いなのだ。まるで、獣人の肉を焼く霊禍銀と同じ力。

 今の人間が、他種族になる事は出来ない。

 しかし、他種族の特性を外部的に取り込めれば。

「愚かだ」

 愚かな事だった。

 歴史を繰り返すだけの愚行だ。

 分かっている。分かっているのにも関わらず、彼女は旧獣人の力を手にした。

 古き獣の力で、今の獣を制す。

 この力で、強襲して来た第八王子を彼女は倒した。呪いを肥大化させて、リリディアスが愛でていた肉塊のようになった王子を、滅ぼす事が出来た。

 成功したかに見えた。

 いや、大失敗だった。

 彼女のした事は、古き呪いを復活させただけだ。

 質の悪い事に、これは信仰で感染する。最早、残骸でしかない神の欠片が、人々の意思を侵し、体を変容させ、死と魂と世界を操る。

 溢れ出る無限とも思える力。

 まるで永遠に燃える暗き炎。

 危険すぎる力だ。

 人が触れてはいけない力である。

 失意の中、彼女が最後に賭けたのは故郷の右大陸。

 世界の始まりの塔。

 神々の尖塔と呼ばれた『々の尖塔』。

 危険すぎる故、近づけなかったダンジョンだ。しかし、今の仲間達となら行ける。

 大魔術師曰く。

 かのダンジョンの深層に、この呪いを制御する方法があるという。

 だが、事はそう上手くは行かない。

 別れがあった。

 深層を目の前にパーティは別れる。

 ロブスは、諸王達をまとめる為に左大陸に戻り。

 アールディは、リリディアスから密書を受け取り、急ぎエリュシオンに帰還する事に。

 別れ際、彼はルミルに愛剣の一つを渡す。

 その親愛の証、剣の名を『星の子』という。

 彼女も、ルミルに一つ預け物をした。乳離れして間もない自分の子供だ。

 彼女は、自分の身に危機が迫っているのを感じていた。第八王子を手にかけた事が、どこかから漏れたのだろう。アールディの召喚も無関係とは思えない。

 ルミルには、子供を護衛してしばらく身を隠すよう頼む。 ルミルは快く承諾して、一時的にパーティから離脱した。

 必ず再会すると約束して。

 叶わぬ約束をして。

 彼女の最後の冒険は、急な終わりを迎える。

 右大陸に行く船旅の途中、一つの船が彼女の前に現れた。

 騎士の生首を船首に飾った、第一王子の船。

 夫の死体を見て、彼女はルミルに子供を預けて心底良かったと安堵する。記憶に残らないとはいえ、悪魔のようになった母親など誰も見たくはないだろう。

 皆殺しにする。

 相手が何であれ、殺して殺して殺し尽くすつもりだ。

 船上は陰惨な殺戮の現場となる。

 王子の近衛を半分ほど殺し、彼女はある事に気付く。同じ力が近くにある事に。

 それが何であるか、彼女が知るのはもう少し後になる。

 端的にいえば、彼女は第一王子に負けた。

 ガルヴィングの裏切りにより負けたのだ。

 旅の終わり。

 彼女を待っていたのは、長く陰惨な責め苦と光のない暗い世界。そこで、闇に溶けるように彼女は息絶えた。

 彼女は名を奪われた。

 旅の仲間を奪われた。

 愛した男を奪われた。

 栄光と賞賛を奪われ。

 全てに忘れ去られた。

 果てるその瞬間、まるでどこにでもいる女のように彼女は夢を見た。

 夫と共に、今一度、別れた子供を抱く夢を。

 

 これが、後に『ヴィンドオブニクル』と呼ばれる冒険者の最後の冒険。

 決して記録には残らない陰惨なエピローグ。

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