<忘らるる物語> 【03】
【03】
魔法とは、神の偉業を再現する御業である。
その力は、大きく二つの系統に分けられる。
一つは、炎のように激しく発生して、巡り焼き尽くし衰え、また芽生える力。
一つは、水のようにたゆたい、だが結集すると抗いようのない激流となる力。
彼女はそう学び、それで世界を見通してきた。
しかし、この二つが世界の全てではない。
知覚できない小さな力や、太陽や月のように大きすぎて理解できない力もある。植物のように静かに根を張り育む力もある。
魔法とは、あくまでも人が知覚して行使できる範囲の力。
そうでない別次元の力は、外法に他ならない。
数多の魔法使いが外法に触れ、ある者は発狂し、ある者は塩の塊になり、ある者は都市を炎で舐め尽くした。
大魔術師は、声を潜めて彼女に囁く。
「我が同胞に、【ロブ】という真炎を生み出し、終炎に最も近づいた大炎術師がいる」
彼女が放浪の旅の中、何度か聞いた名前だ。
「だが、この男。才はあっても人に恵まれなかった。【炎の英雄ミテラ】を知っているか?」
「死霊王ミテラ?」
中央大陸南部を自らと共に焼き払い。人の住めぬガラスと砂の地にした大罪人である。
被害はそれだけには治まらず、大量の難民と棄民による二次災害は計り知れないものとなった。
そして、ついた蔑称が【死霊王】だ。
「それだ。奴は、その弟子の不始末を片付ける為に、残りの人生を費やす事になった。稀有な才能も、人格という足枷のせいで無駄に終わる。嘆かわしいものだ」
「王宮を乗っ取る為に、弟子を罠にハメる師匠よりは随分とマシだけどね。………………あんたのように」
大魔術師という詐欺師は、微かに笑みを浮かべた。
彼女に確証があったわけではない。
ただ、経験と人を見る目を肥やすうちに、ガルヴィングが人間のクズ中のクズという事に気付いたのだ。
「貴様は、あのような辺境で終わるような器ではない。事実、我が何もせずともエリュシオンの奥に入り込み、取り入った。素晴らしい弟子といえよう」
「そんな素晴らしい弟子を売って、あんたは何を手にした?」
「歴史だ。エリュシオンがひた隠しにする失われた歴史」
彼女は笑い出しそうだった。
「そんな歴史、とっくの昔に知っていたわ。あんた本当に間抜けね」
「………………」
無言の苛立ちを感じとり、彼女は満足気に笑みを浮かべた。
その実、大魔術師以上に人を食ったような微笑である。
悲鳴と断末魔は、まだしばらく終わらない。
「で、そのロブとミテラが何?」
「ミテラの悪行には理由がある」
「理由?」
大炎術師の弟子は、狂気の末にあの惨事を引き起こした。
噂ではそうなっている。所詮、噂であるが。
「ミテラは、いや三大魔術師と謳われる我らは、かねてよりエリュシオンの持つ力を危惧していた。異形の【獣】の咆哮、たったそれだけで魔法を完全に打ち消す力。ミテラが自らを犠牲に焼き払った獣は、今我らの前にいる肉の塊から出来た模造品である」
「犠牲? 何それ」
つまり、大魔術師の弟子は狂ったのではないと。
「大きな間違いだった。生み出されたのは、無限に、無制限に、様々なモノを食らい尽くす貪食な獣だった」
「馬鹿な人達ね」
何が大魔術師だ。
蜂蜜を欲しいが為に蜂を焼き殺し、飛び火で森まで焼くような愚行だ。
「しかし、ミテラの術は素晴らしいものだったぞ。死地に踏み込み、終炎の一欠けらを生み出した。恐ろしいのは、その炎でも殺し尽くせなかった獣の方だ」
終炎とは、世界終末と創世の炎である。
いつか世界は炎に包まれ灰になり、そしてまた小さな炎から始まるという。魔法使いに伝わる古い言葉の一つだ。
「それじゃ、あの獣は世界が滅んでも生き残るって事?」
「恐らくな」
馬鹿な、と彼女はいいかける。
「だが、流石の獣も終炎の影響で弱り小さくなり、我が師と、ワーグレアスの手により遠い地の奥底に封印された。たかだか、肉の一欠けらでその影響だ。目の前のアレが解き放たれたら何が起こるか。実に………面白いではないか。我らの力が神の手を離れた【魔】であるなら、それを霧散させる力とは、そして死を超越した無限の生命とは、まるで本物の神の御業ではないか?」
「冗談、あれが」
魔法使いの探究とは、真の神を探し出す事にある。
今この世界にいる神は、集団思想の末に生まれた虚像に過ぎない。その虚像を知恵と舌先三寸で利用するうちに、優秀な魔法使いほど気付くのだ。
『これは本物ではない』
と。
そして、真の力を求めるあまり、破滅の道を歩む者は多い。
だが、目の前にいる醜く巨大な肉の塊が、魔法使いが求める真の神と? それはあまりにも皮肉で悪趣味だ。
「急くな、我が弟子よ。可能性の一つに過ぎない。しかし、ネオミアの歴史によると、エリュシオンの王族共は、たかだか農奴に過ぎなかった。それが旧獣人を滅ぼし、ドワーフとエルフの主要軍を壊滅させたという。これを奇跡の御業といわず何という?」
「さぁね。ネオミアが盗んだ歴史も、全てが記されたわけじゃない。あんたみたいに、盗み取ったペテンかもよ?」
「本物の神なら、豪気に人を許すはずだ。あまねく英知と罪科を――――――」
弟子と師匠の問答の途中、食事が終わる。
最後の断末魔が響き、辺りが静寂に包まれた。
「行くわ。あんたは許可するまで永遠に黙っていて」
彼女は姿を現し、
「聖下、夜分の急をお許しください」
リリディアスの前に跪く。
「あなたッ?!」
リリディアスの顔を見て、彼女は心底『良かった』と感じた。表情に恥があったのだ。
獣は己を恥じたりはしない。リリディアスは、人間だ。
彼女は、心から相手を信頼して言葉を紡ぐ。
「心中お察し致します。背後にいるは、大魔術師と名高いガルヴィング。聖下には黙っていましたが、私は彼の弟子であります。聖下、どうか命じてください。私はあなたの力になれる」
「力?」
生贄を見捨てた理由は信頼の証だ。
リリディアスの邪魔をしないという表れ。
時には、今助けられる者を見捨てなければならない。彼女は、ガルヴィングが教えたように安い正義感など持っていない。
「はい、聖下。力です。我らは魔道の精鋭。人知には無い知恵と世界を知っています」
「………………あなた、一体何を?」
「聖下、王を元の姿に戻したいと思いませんか?」
「元に?」
揺らぐ表情が見えた。
間違いない。
リリディアスは今の環境を仕方なく受け止めている。救いを求めている。
「はい、王は病であります。病であるなら治療は出来る」
「これまで、どれだけの人間が知恵を絞ったか知っていて?」
「いえ知りません。ですが、その中には私と大魔術師はいなかった。聖下、正直にいいます。今の私の脳髄には、王を治療できる術はない。そこな大魔術師も同じに。ですが、世界に隠された英知の場所を我々は知っている。得ようと思えば全てを知れる。………これが答えです」
「自負が過ぎるわよ。そんな可能性など」
「いいえ、確信です。聖下、どうか機会をお与えください。一命に賭けて、いえ、大魔術師全ての命も賭けましょう」
揺るがない自信で、彼女はリリディアスを見つめた。
長い沈黙の間、冷たい表情が彼女を見つめる。
彼女もガルヴィングも、リリディアスの一声で肉の餌になる可能性がある。
陰で画策し、人の後ろで奇跡を放つ、魔法使いとはそういう生き物だ。矢面に出て戦いを挑むのは、例え大魔術師でも経験が少ない。
ガルヴィングの緊張した息遣いが聞こえた。
だが彼女は静寂のまま、心音も表情も涼風のように。
蠢く不気味な肉塊を一瞥し、リリディアスが聖女の顔でいう。
「リ・リディアス・ケルステイン・ドゥイン・オルオスオウルが命じます。世界中を巡り、王の病、呪いを治療する知恵を探しなさい。命を賭けるという言葉、戯言であるならエリュシオン全てが敵となるでしょう」
「拝命します。聖下」
リリディアスが彼女の元に近づく。
「あなたには名を貸します。騎士を貸します。子を貸します。聖下の名の下に、成すべきをなさい。もし、あなたを探る者あらば全て静寂で返すのです。もう一人のドゥイン。リリディアスよ。あなたの行く先が、良き冒険でありますように」
こうして、
薄暗い地下から、後にヴィンドオブニクルと呼ばれる冒険が始まる。
旅の切っ掛けは、友情なのか、探究欲なのか、それとも名も分からぬ暗い炎なのか、それだけが彼女には分からなかった。
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