<忘らるる物語> 【01】


【01】


 ネオミアを追われてから二年。

 彼女は行く先々でトラブルに巻き込まれた。神の試練なのか、悪魔の悪戯なのか、運命が彼女を同じ土地に留めなかった。

 二年で四つの国を渡り歩き、彼女は右大陸に見切りをつけた。

 海を越えたのだ。

 古代の航海には死の危険が付き物。知恵者である彼女は、それをよく知っていた。だから異種族の友を作り、人の知識にない航路を使用した。

 今と比べても驚異的な速さで中央大陸に足を着け、そこからまた放浪の旅が始まる。

 土地が変わっても、面倒事に巻き込まれるのは変わらない。

 暇ではないが、心休まらない毎日。

 知らず知らずのうちに、安住の地を求めるようになっていた。彼女も年頃である。心に潤いと安定を求めるのは当たり前の事だった。

 里村と小国を渡り歩き、時には星の下で眠り、行き着いたのは中央大陸最大の国家。

 国の名は、エリュシオン。

 ネオミアと関わりのある国である。

 無論、彼女は裏の歴史を知っていた。ヒムという種族の成り立ちと欺瞞、エルフとドワーフの傲慢、獣人と人間の裏切りの歴史を。

 だからといって、安易に語るほど愚かではない。交渉道具として個人が扱うには、歴史は危険すぎるのだ。

 国の暗部に近づかないよう、関わらないよう、静かに寄り添うように生きた。そうはならなかったが、大国は居心地が良かった。

 人が多ければトラブルも多い。が、彼女個人の存在は人波に消えて埋もれる。噂が流れても、別の噂に上書きされ人の記憶から消える。

 彼女は、人に寄り添えればそれでよかった。

 たったそれだけで、自分が人間のように思えた。

 しかし、自らの心情は裏切らず、成すべきを成し、倒すべきを倒し、生きるように生きた。自分が息苦しくない程度に努力をした。

 善行など知った事ではない。

 弱きを助け、正義を成したのは偶然だ。そんな傲慢な考えはない。

 しかし気付けば、彼女は裏町の一つを取り仕切るようになる。

 自然と目立ち、またしても王族と関わる事となる。

 逃げ出す事もできた。

 だが、居心地の良い場所を奪われたくなかった。それ以上に、最大国家の王族への邪な好奇心があったのも事実。

 彼女が出会った王族は、王族の中の王族であり、名をリリディアスという。

 またの名を、聖リリディアス。

 偉大なる人間の王、ラ・グズリ・ドゥイン・オルオスオウルの妻にして、八人の王子の母であり。病床にふせる王に代わり、国を導いた建国の母でもある。

 第一印象をいえば、思ったよりもずっと若く。庶民のような気さくさで彼女に接して来た。

 到底、中央大陸の最大権力者には見えない。

「あなた、右大陸から来たそうね?」

「はい、聖下」

「聖下は止めなさい。リリディアスでよいわ」

「はい、リリディアス様」

 呼び出された場所は城の地下だ。しかも、リリディアスの護衛は若い騎士が一人だけ。

 人目を忍んだ非公式の召喚。

 ロクな用件ではないだろう。

「右大陸はどうでしたか?」

「つまらない土地です。小人は慌ただしく。獣人は感情的で。魔法使いはどいつも頑固。貴族は、自分の権利や立場に固執して肥え太るばかり。あのような土地は、いずれ滅ぶでしょう」

「貴様、聖下の故郷を愚弄する気か?!」

 騎士が前に歩み出て、剣を抜こうとする。

「は? 故郷?」

 これには彼女も仰天した。

 聖女と崇められた女と同郷とは。

「アールディ止めなさい」

「しかし、聖下。こんな目つきの悪く薄気味悪い女、信用なりません」

「女性を見た目で判断するな、と何度いわせるのですか? 結婚で失敗しますよ」

「聖下、それは大きなお世話です」

 まるで姉弟のように話す。変な騎士と王妃である。

 しばらくの間、彼女は二人の口喧嘩に付き合った。相手は王族のトップと護衛の騎士だ。下手<したて>に出て損はない。

 ただ話題は、本当に関係のない他愛のない内容だ。

 食事前のつまみ食いに、

 剣術の修行の事、

 夜更かしに、

 騎士が街の悪い女に騙されかけた事、

 美味かった昔の食事と、不味かった最近の食事、 

 で、話がどうでも良すぎる枕の感触に発展した所で、

「あの、ご用件は?」

 いい加減止めた。

 リリディアスは、王妃とは思えない人懐っこい笑顔で詫びを入れた。

「ごめんなさいね。最近、お城も息が詰まるから、アールディとも気を抜いて話せる機会が中々――――――」

「聖下、また別の」

 何とか騎士がズレを戻す。

「はい、ごめんなさいな。あなた裏町の顔役でしてね? 間違いなくて?」

「間違いありません」

 表向きは顔役。実際は裏の顔役でもある。

 王族には関係のない事実だが。

「今、裏町で流行しているパンがあるでしょ? 形が悪くて薄いのに、柔らかくて枕を食べるような食感の」

「え、はい。ありますね」

 そのパンは、現代世界でいえばナンと似た物である。

「あれを作っているシェフを城に招待したいの。できれば秘密裏に」

「出来立てをご所望ですか? 難しいですね」

「作り方を教えて欲しいのよ」

「更に難しいです。お金の問題じゃないので」

「貴様ッ」

 今度は騎士が邪魔をしようとする。

 が王妃にいさめられ、騎士は簡単に後ろに下がった。

「お金の問題ではないとは?」

「はい、リリディアス様。あのパンは、夜の商売から眠りにつく娼婦への褒美です。彼女達が養っている子供や、親への施しでもあります。後、常客なども一緒に食事の席に着かせます。

 裏町の顔役として、人が集まる所で皆の顔を見ておかないと。人の流れが読めません。そういう貴重な場所を奪われると、顔役としての仕事が立ち行かなくなる。それに、聖リリディアスと呼ばれる方に、下賤な商売女と同じ物は食べさせられません」

「なるほど、一理あるわ。そうね。では、こうしましょう。こっそりと人目に付かないように食べるから、シェフをお城に」

「………………」

 そういう問題ではない。困った人だと彼女は押し黙る。

「幾らだ? 結局、金だろう?」

 騎士の不躾な質問に、彼女は静かに怒り答えた。

「どれほど金品財宝を積まれようが、絶対に教えない」

 例え拷問されても答えるつもりはない。

 たかがパンの作り方だが、パン種を失った今、彼女にとってはこのパンが子供なのだ。

 簡単に身売りさせるような事はしない。

「貴様を通す事で、穏便にすませようとしている聖下の御心。下賤なお前には理解できないと見えるな。たかだか料理人くらい。今からでも―――――」

「アールディ、騎士の名を汚すような言葉は止めなさい」

「………はい、聖下。申し訳ございません」

 また騎士はリリディアスに止められる。

 はあ、と彼女はため息を一つ吐いた。

「料理人くらいというけど、金では絶対に作らないからね。王族と貴族と騎士ってやつは、どこの国でも同じね。無駄で無意味に威張り散らして。普段着ているものから食う物まで、誰が作っていると思っているのやら。あんたらどうせ、野菜の一つも育てた事ないのでしょ?」

 何気ない悪態のつもりだったが、

「あら、ではパンはあなたが作っているのかしら?」

「はい、そうですが」

 あのパンは、ある洗浄粉を混ぜた生地と特殊な窯で作っている。生地が作れても窯がなくては作れない。肝心の窯は、彼女しか使えないよう魔法で封印してあった。

 パン、と手を鳴らす聖リリディアス。

「では、あなたを王宮に招きましょう。新しい侍女として」

「はい?」

 あまりにも突拍子もない言葉で、相手が王妃なのを忘れた。

 誠意の欠片もない言葉だが、彼女は怒られる前に取り繕い。静かに、はっきりと、

「お断りします」

 拒否した。

 リリディアスの素敵な笑顔に、彼女も素敵な笑顔で返す。

 それで、終わるはずもなく。

 戦いが勃発した。


 歴史の影に埋もれた戦いだが、

 この日、聖リリディアスと呼ばれる王妃は、裏町の顔役如きとマジの喧嘩をした。

 ちなみに加勢しようとした騎士は、王妃の一撃で昏倒したそうな。

 彼女もかなりの手練れなのだが、聖リリディアスも伊達ではなかった。

 勝敗については不明である。

 この夢ですら記録にない。

 あまりにも子供染みた戦いなので、記憶から消したのだろう。

 論ずるだけ野暮というものか。


 ただ翌日、リリディアスの侍女が一人増えたという。

 大きな壺を抱えて城に来た。変わった女である。だが、大変王妃に気に入られ、夜な夜な二人きりで部屋に閉じこもって怪しげに壺を眺めていたそうだ。 

 そして何故か、部屋からは美味しそうなパンの匂いがするという。

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