<第一章:シング> 【04】


【04】


 ダンジョンから脱出した帰り道。僕は夜の喧騒を避け、路地裏を移動する。蜘蛛の階層で暗闇に慣れたせいか、街の明かりが眩しく感じた。

 暗闇の方が落ち着く。他人に話せない事を話す時は特に。

 人目と聞き耳のない事を確認して、僕は雪風に疑問を投げかけた。

「信用できると思うか?」

『100%信用できるであります』

「蜘蛛は危険な存在だぞ? アバドンより危険だ」

『世の中、危険な物は沢山あるであります。現代世界でも、核兵器や、水爆、細菌兵器、A.Iも世界を破壊するに足る危険な物であります。でも、世界は滅んでいない。人類の知恵は、破壊をコントロールできる証であります』

 そりゃ結果ありきの言葉だ。

「運が良かっただけかも」

『なら、運に賭けるのも良いかと。なるようになるであります』

「何だかなぁ」

 普通、この心配をする立場は逆だと思うが。

 雪風は楽観的に育ったものだ。

『結局蜘蛛は、人類が捕食に足るまで進化するのを待っているのです。だから、文明を壊す存在に警鐘を鳴らし、ソーヤ隊員を呼び寄せた。これ、信用できませんか?』

「そこだけは信用できる。だからこそ信用できない。あの蜘蛛は、人間が食べごろになるまで待っているのだぞ?」

 人間を食料と考えている生物とは、手を取り合う事はできない。

 だからこそ蜘蛛の言葉に裏がないか勘ぐってしまう。

 信用はできない。

『それであります。それそれ。蜘蛛は待っているのです、人類の発展を。ですが、どのようなシンギュラリティが発生しようとも、この異世界の文明が、蜘蛛の食指の動くレベルに発展するには長い時間が必要です。この遥かなるモラトリアムで、この世界の人類は、蜘蛛を滅ぼすに至る“かも”しれません』

「“かも”って。んな、いい加減な」

『では、具体的な数字を出しましょう。異世界の人類が、蜘蛛の捕食対象になるまでの文明発展に必要な年月は、一万二千年です。これはかなり、希望的な観測であり。甘々な試算で、この数字であります』

「い、一万?」

 途方もない未来だ。

 それ人類は生きているのか?

『というか、雪風の計算能力ではそこまでが限界で、その後はカオスになるという意味です。実際は不可能といっても良いですね』

「いや、しかしだな。この世界には魔法がある。科学では理解できないような技術も沢山存在している。それが元で蜘蛛が動く可能性は?」

『いえ、ないです。本人から聞きました。不思議な事に、蜘蛛は魔法や、異世界由来の技術に対して全く興味を示していません。これは、どういう事でしょうか? ガンズメモリー』

「好き嫌いであーる。最初に食らった科学文明の味が、忘れられないのであろう。つまり、偏食であーる。好き嫌いのないワガハイを見習うのだ」

「なあ、ガンメリー。お前、一体いつの時代から異世界に来た?」

「秘密であーる」

 背中のガンメリーはごまかした。

 一応、人類の守護者だった物への敬意として背負っている。あんな話の後では引きずれない。ま、どこの人類かは知らないけど。

 しかし、思ったよりも軽い。中身のない鎧のようである。

「では、雪風。異世界で科学技術が発展する可能性は?」

『ですから、一万二千年はその計算結果であります。この異世界で、現代の科学技術を発展させる為には様々な障害があるのです。上空の異常な寒気の流れや、局所的に起きる電波障害。探知できない空間の歪みや、重力子異常も観測できます。最大の環境問題は、竜でありますね。あれを討伐して、人類が世界の覇権を握らないと繁栄など、とてもとても』

「竜を殺すだと?」

 物騒だな。

『はい、人類の繁栄には邪魔な存在です。環境を操る不死の巨大飛行生物など、文明発展の障害に他なりません』

「竜とは共存できる。蜘蛛とは違う」

 女子供好きの白い竜を思い出す。対話できる巨大な存在だ。事実、この国は竜と上手くやっている。これから先も問題ないはず。

 それに彼女のエルフ形態は、割と好みであった。

『個体差があります。異世界の歴史を紐解けば、人と竜の関係は友好には程遠いですな』

「竜の話題は変えろ。不愉快だ」

 朽ちた竜と、青い竜は、悲劇を産んだ。

 だからといって白い竜を殺すのなら、人間など皆滅ぶべき悪である。

『了解であります。後は、化学組成が微妙に違うのであります』

「化学組成って?」

 雪風先生教えてください。

『物質を構成する元素&化合物などの化学成分と比率であります。異世界では、これが現代世界と微妙に違います。というか、スキャンできない暗闇があるのです』

「ああそういえば、マキナもお前も、いっつも【似ている】とか【類似品】とかいうな」

 完全に同じといった事は少ない。

『飲食物については今の所、問題ないようですが、マキナの実験結果。現代世界で作られる様々な化合物&混合物の作成に失敗しています』

「例えば?」

 マキナが、夜な夜な地下で実験しているのは知っている。

『火薬であります』

「待て、ただの黒色火薬じゃなかったのか?」

 もう随分と昔に思えるが、商会で立ち回った時にマキナはそう判断していた。

『異世界の火薬は、99.999%ただの黒色火薬でした。ですが、いざ作ろうとすると硝酸カリウムの作成に失敗するのであります。スキャンできない謎の物質が原因と思われます』

「仮にだ。今から火薬を作成して銃を量産、なんて事は?」

 最終手段の禁じ手として残しておいたが、

『難しいでありますな。異世界産の火薬は、一体何をどうやって安定させているのか理解できないであります。危険なんだなー』

「なるほどなー」

 使用不能か。

 厳しいな。

『後は、ソーヤ隊員の話した悪夢の世界。眠る竜の冬。ダンジョンに眠る危険な遺物の数々。後は、魚人の支配圏である未知の生物のいる海洋。こんな危険な世界で人類が繁栄しているとは、神の奇跡としかいえません』

「お前、魚人も滅ぼすとかいわないよな?」

『人類の繁栄には必要な犠牲であります』

「怒るぞ?」

 朝飯を共に食う人間を殺すなどと、流石に戯言が過ぎる。

『ですから、雪風の持つ繁栄モデルには必要という事であります。実際しませんよ? おすすめしませんよ? 抵抗にあって、逆に人類が滅ぼされる可能性の方が高いでありますから』

「なるほどなー」

 理解しても声に怒りが混じる。

「あのなぁ雪風。言霊というものもあるし、簡単に滅ぼすなんて言葉は使うな。実現したらお前、後悔するぞ」

『雪風としては、言葉が足りない事の方が後悔に繋がります』

「意見の相違だな」

『で、あります』

 じゃこの話題はここで終わり。

『で、信用するでありますか?』

「蜘蛛は信用しない。あいつの危険性を細かに記し、本を作ってくれ。魔法学派、冒険者組合、商会にも並べよう。危険性を後世に伝えなければ」

『情報は風化すると思います。まともに伝わるとも思えません』

「それでも、やらないよりはマシだ」

 僕の気持ちの問題だ。

『了解であります。本日からでも執筆に入ります。著者は、ソーヤ隊員の名前で?』

「雪風の名前でいいよ。嫌か?」

『なるほどー、雪風の名前が後の世にも伝わるのですか。………………なるほどぅー』

 声が上ずっていた。

 嬉しいのだろうか?

『あ、でも冒険者組合は止めた方が良いであります』

「何故だ? 一番置かなきゃいけない所だろ」

 組合の上の階層には、巨大な図書館がある。蔵書の一つとして置く事に何の問題があるというのだ。

『レムリア王は蜘蛛と遭遇しています。当時パーティにいた獣人を介して、蜘蛛とコミュニケーションしているであります』

「はぁ?」

 顔が引きつって眉が歪む。

 どういう事だ?!

『過去、文明の危機や、大崩壊の前に、蜘蛛は何度も人類に警告し助言を与えているのです。レムリア王の時も、その一つであります』

「そいつは皮肉だな」

 実ったら食おうとしている生物から助言を受けるとは。

『そういうわけで、冒険者組合に本を送ったら処分されるか、情報を陳腐化させられる可能性が高いですな』

「では、魔法学派と、後マリアにも持たせてくれ。左大陸になら冒険者組合は手を出せないはず。なるべく古く貴重そうな装飾で作ってくれよ」

『らじゃ、おおー創作活動とは、何だか脳の使っていない部分がキュンキュンするであります。雪風の名前が後世に残りますかー残っちゃうでありますかー作者近影もこそっと書くであります。滅茶苦茶美少女設定にしておくであります。あ、そうであります。本のタイトルは【ザ・シング】にするであります。それとも遊星からの物体―――――』

「ほどほどにな!」

 さて、本当の問題は六日後。

 今日はもう終わるから、実質五日後か。

「蜘蛛は信用しない。後世に警告を残す。だが―――――」

 雪風を信用して、蜘蛛を信じる。

「近寄る危機の情報は信じる事にする。雪風、今から戦いの準備をして勝てると思うか?」

『ゼロではありません。というか、ソーヤ隊員には確率は無意味であります。だから、何とかなるでしょうなー』

「はっはー適当」

『入念な計算をした適当であります。つまり、雪風の適当は綺麗な適当であります』

「はいはい」

 何でこう、悪い所だけは吸収が早いのだろう。

『この問題は、マキナにも送信済みです。ただ今、主機の全機能を以って作戦計画の立案中。雪風とそんなに変わりないと思いますが、結果待ちであります』

「現実問題として、今回は僕一人の力で切り抜けられると思うか?」

 裏事である以上、今回もパーティの皆は使えない。

 理想は僕個人で全てを終わらせて、いつも通り何食わぬ顔で日常に戻る事。

『難しいですなー相手は軍である可能性が高いです。流石に個人の力では、厳しいであります』

「他所から力を借りる必要があるか、例えば冒険者を金で雇うか?」

 まず無理だろうが。

『軍相手では、冒険者は専門外でしょうな。傭兵の仕事であります。この大陸には傭兵はいませんけど』

「レムリア王は?」

『絶対無理であります。絶対ソーヤ隊員売られるであります』

「だろうなー」

 そうやって生き残って来た王様だ。

 しかも僕、あいつの娘を愛人にしているし。邪魔がられているし。

「レムリア以外の勢力」

 となると、いくつか思い当たる所が。

 ただ、色々と問題もある。

「難しい」

『難しいであります。簡単な戦争など存在しないであります』

「戦争か」

『はい、これは戦争ですよ』

 そんな事をしに異世界に来たのではないのだが、ままならねぇなぁ。

 ピピっと電子音が鳴り、メガネに通信が入る。

 マキナからだ。

「どうした?」

『ソーヤさん大変です!』

「おぅ、これ以上どんな大変な事がある?」

 僕の大変センサーは麻痺している。

 もう何でも来い。

『企業のチャンネルから通信を受けました。たった今、異世界遠征の増援を送ったそうです。というか、もう到着しています!』

「は?」

 え、冗談。

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