<第一章:シング>
<第一章:シング>
蜘蛛人間を二体、刀の錆にした。
親父さんは三体。
強いか弱いかでいえば、僕と親父さんには弱いモンスターだ。
だが、
「クソ!」
シュナが苦戦している。
蜘蛛人間は、鋭い長剣の刃をことごとく避けていた。
不気味な動きだ。
予備動作なしで、瞬間移動のような速度で攻撃を躱す。人間的な、生物的な挙動を無視したあり得ない可動だ。
「ウソっ?!」
エアの矢も同様に当たらない。
威嚇と先手の攻撃が完全に通じない。
「ソーヤ、合わせろ」
「はい」
シュナと蜘蛛人間の間に、僕と親父さんが割って入る。こいつらは回避行動が異常に速いが、攻撃行動は見え見えで遅い。
十分間に合った。
「っフ」
壮年の剣士と、僕は呼吸を合わせる。
全身を脱力させ、軽く腰を落として、鞘に収まった刀に指を絡ませる。
一瞬の無から、神速の斬撃を放つ。
闇に閃く白刃の軌跡。
交差するようにすれ違う破壊。
鯉口を切る音も同時。
僕は、完璧にコピーできた。
ワンテンポ遅れて、五体の敵が音もなくズレて崩れる。
「冗談だろ」
半分になっても生きている。
生命力も昆虫並みか。不味い後列の奴らも―――――
「あなた、退いて!」
「っと」
強引に横切るラナと肩がぶつかった。
彼女は炎の点いた薪を両断した蜘蛛達に放り投げる。干し草のように蜘蛛の体は燃え上がり、耳をつんざく悲鳴が上がった。
背後でも炎の気配。いつの間にか、ラナが僕らの倒した蜘蛛に火を点けていた。
手際の良さに驚いていると、
「あなた逃げましょう! 私の想像通りなら、これは【蜘蛛】です!」
緊張しているのか、ラナは敬語に戻っている。
「蜘蛛って、確かに蜘蛛だが」
「違います! その蜘蛛ではなくロラです! ロラが復活させたという太古の大蜘蛛!」
「なっ」
伝承によると、霧の術師ヒューレスが大蜘蛛ロラを討伐した。
だが、ロラとは蜘蛛を呼び出した者の名前。長き時の流れに埋もれ、二つの存在が一つとして伝わっていた。
ラナのいう通りなら、この蜘蛛はとんでもない強敵だ。倒すには、神話を再現するような弓手と術師が必要になる。
「ソーヤ、マズいぞ」
「お兄ちゃん! 上!」
親父さんとエアが見上げて叫ぶ。僕も視線を上に向け、恐ろしい物を見た。
闇の空が白く染まっていた。
大量の蜘蛛人間が、糸にぶら下がり降りて来る。
僕らのいる地面に到着するまでは、そう時間はない。
「雪風、何体いる?!」
『ザザッ………………ザザ』
「雪風!」
この肝心な時、雪風から変なノイズを走る。
『ザ、ザザ、ザー緊急放送です。これは訓練ではありません。××は外的要因により機能不全に陥っています。×級×員を優先に随時××を開始します。皆様、落ち着いて、押×ず、焦らず、アナウンスに従って――――――』
「おい! 雪風!」
雪風がバグったように変な音声を流す。応答がない。
「あなた! 逃げますよ!」
ラナに腕を掴まれ急かされるが、
「………………駄目だラナ。これは逃げきれない」
恐らく。この階層の星、全てが蜘蛛だ。
光り輝いていたのは、こいつらの繭か目だろう。今もその二つは、不気味に白く発光している。
ポータルまでは直線距離で2km。降りて来る蜘蛛から逃げきるのは不可能だ。
戦いながら押し通るしかない。
「ソーヤ、来るぞッ!」
親父さんの怒声。
一部の蜘蛛人間は、もう着地して僕らに向かっている。
緊急手段だ。
「全員、密集隊形! 親父さんは“しんがり”僕は先頭に、ラナ、デカい魔法でポータルまでの進路を焼き払ってくれ」
「あなた、私に良い考えがあるの」
こんな敵に囲まれた状況なのに、ラナは驚くほど落ち着いていた。
任せられる顔だ。
「リズ、持たせてくれ」
「分かった。あまり持たない」
リズに命令して魔法を使わせる。
「阻め、ティリング」
小さくも強い少女の祈り。
ドーム状の光の膜がパーティ全員を囲み、その光の結界に触れるか触れないかの距離で、蜘蛛人間達は一斉に停止した。
まるで、リズの張った結界を観察しているようだ。
「ラナ、案を聞こう」
「まず聞きたい事が、メディム様。あなたと、私の夫の剣技は、何故通用したのですか?」
ラナの質問に親父さんが答える。
「俺とソーヤの剣技は、虚を突く剣技だ。普通の剣技は、剣線の読み合いと捌き合いに尽きる。だがこの技は、読みにくい抜刀の一撃を神速に昇華して、【見えない一撃】を作る。これは暗殺の業に近い。正道の剣技ではないな」
「なるほど、分かりました。あの蜘蛛の反応速度、真っ当な攻撃が通用しない事実。加えて、私達の祖先ヒューレスの伝説を当てはめると。―――――この方法しかないですね」
ラナが杖を構える。
「あなた、パーティ全員がはぐれないように結んでください」
「あれをやるのか? 了解だ」
探索用のロープを取り出してラナの腰に結ぶ、他のパーティメンバーも理解して、体を結んで行く。
ラナ、僕、エア、リズ、シュナ、親父さんと結んで並ぶ。
「ラナ、頼むぞ」
「ええ、私はしばらく動けないけど。後は、お願い」
ヒューレスの子孫が謳う。
「我が神エズス。偉大なる汝の名のもとに、並び奉る神に我が声を伝えたまえ。深淵のグリズナス。汝と大海の恩命を受けし、我が愛しき者の恩寵を借りる。真炎の加護よッ、混ざり、うなり、稀有なる奇跡の術をここに現せ!」
ラナは輝く杖を掲げ、石突を地面に突き刺す。
囁き、祈り、念じる。
「ヒューレス・ロメア・ルゥミディア!」
杖に灯った輝きが、白く破裂した。
濃厚な乳白色の霧が発生して、視界を真っ白に塗り潰す。
「リズ、結界を解け。全員、不用意に敵は倒すな、戦闘は最低限に」
結界が解かれ風が動く。
霧が階層に舞う。
濃霧の濃さは全く薄まらず、増すばかり。かろうじでパーティメンバーが視認できる。
無手になったラナが両手を合わせ、何かに祈るように言葉を紡いでいた。
強い魔法を使用した時のトランス状態。この霧の魔法、前は大量の魔法触媒と勇者の血を飲んで使用していた。個人で使うのは負担があるのかもしれない。
ラナの体を横にして、抱き上げる。
体が異常に熱い。
彼女の再生点容器を見た。魔力を表す青い液体が、沸騰しながら猛烈に減って行く。
霧を放つ杖を抜こうとするが、びくともしない。急ぐ今、置いて行くしかない。
僕は、メガネのマップ機能から帰還ポータルの位置を表示する。
「逃げよう。焦らず、急いで、慎重に」
軽い駆け足で移動開始。
階層は、白亜の闇に包まれている。
何度か振り返りメンバーを見るが、リズより後ろ、シュナと親父さんが見えない。
声をかけたいが、蜘蛛を集めかねない。
息を殺して進む。
ラナの熱さに不安が増す。
無言で呼吸を浅く、心臓を抑えて、500メートルほど進み。
不意に蜘蛛が眼前に現れた。
足の一本がラナに触れる寸前、反射的に、前蹴りを放ち蜘蛛を蹴り飛ばす。
マズッ。
悪手だ。
戦慄に体が震える。
「………ギ………ギギ」
が、
蜘蛛は『?』と周囲を見回し霧の中に消えた。
心臓が止まるかと思った。
この霧、完全に蜘蛛の感覚を狂わせている。
実在する蜘蛛は視力がほとんどなく。触覚で様々なモノを判断しているらしい。異常な蜘蛛人間もそれに倣っているのか、そうだと祈りたい。
しかし、隊列をミスった。
先頭に立つ僕が両手を塞がれて戦えないとか、大失敗だ。
今更、修正する指示は出せない。皆のアドリブと経験頼み。
ゆっくり、ゆっくりと、すり足のように進み。
また目の前に蜘蛛、同時に風が頬を撫でる。
二本の矢が蜘蛛の両膝を貫く。
エアの矢だ。
声を上げる蜘蛛は、不可視の力で猛烈に吹っ飛ぶ。遠くで跳ねる音と、蜘蛛が集まる音。
今の力は、リズか?
後列に刀が閃く音、剣が風と肉を断つ音。
シュナと親父さんが背後の敵と戦っている。ロープ越しに戦闘の振動を感じた。
見守るだけのリーダーというポジション。
こんな状況だが、懐かしさを覚える。
僕の最初の冒険とはこんなだった。
思えば成長したのだろうか? その割には今もピンチだが。
さて振り返るのは後、生き延びればいくらでもできる。必死に進む。必死に仲間を信じる。問題ない、今回も切り抜ける。間違いない、だからこそここまで来たのだから。
霧の中は距離感が失せる。
少しずつ減って行くマーカーの表示だけが頼りだ。
実感はないが、かなり進んだ。
残り200メートル。
「ん?」
思わず声を漏らす。
ポータル付近に光が見える。巨大で熱く揺れる光。無数の篝火だ。
近づくにつれ詳細が見えた。
群がる蜘蛛の大群と、戦う集団の姿。
「何だ。あれは?」
親父さんが声を上げた。激しい戦闘の音がここまで響いている。もう僕らが声を抑える必要はないだろう。
敵は全て、先に集められている。
50メートルまで接近すると、鉄火場のような熱気に感じた。
この辺りは霧が晴れている。
並べられた巨大な篝火が原因だろうか。秘術を防ぐとは、普通の炎ではないだろう。そして、炎からは煙が漂っていた。この匂い、覚えのある匂いだ。
戦闘を指揮しているのは、見知った顔。
青白い羽の生えた美少年。冒険者組合長。
「ソーヤ、敵だ!」
敵の小集団が僕らに気付く。
親父さんがロープを切り離し前に出るが、その五体の蜘蛛はメイスの一薙ぎで四散した。
「ソーヤ、ぶじでちか?!」
銀髪の角が生えた幼女が現れる。
身の丈三倍サイズのメイスを引きずっていた。そんな得物を振り回せるとか、人知を色々無視している。恰好は流石に事務服であった。
「エヴェッタちゃん!」
「だから“ちゃん”は、やめなない!」
ちょっと舌足らずで噛んでいるが、エヴェッタちゃんはメイスを振り回し、更に近づく蜘蛛を薙ぎ払う。
わぉ、この幼女強い。
というか、幼女になっても強い。
「エヴェッタ! 馬鹿な事やってないで戻れ!」
組合長が剣幕で怒鳴る。
メイスで蜘蛛を叩き潰すエヴェッタちゃんが、急に動きを止めた。
「おなかがへって、うごけないです」
「何という燃費の悪さ」
他の武装した組合員が寄って来て、一人がエヴェッタちゃんを回収。
残りは僕らのパーティの護衛に付く。
組合員は普通に蜘蛛を倒していたが、全員がシュナより強いとは思えない。
明らかに、蜘蛛の動きが鈍くなっている。この炎と煙に仕掛けがあるのか。
「ソーヤ! パーティは全員いるな! 欠けたメンバーはいないな?」
組合長に怒鳴られてパーティ全員を見回す。
ラナは腕の中、親父さんとエアはすぐ隣に、リズ、シュナも無事。
「問題ない!」
「良しポータルを潜れ! 急げ急げ!」
急かされて駆け出す。
組合員に連れ添われ、僕らのパーティはポータルを潜った。
光に包まれる一瞬、敵の大集団と、それを焼き払う組合長の姿を見た。
転がり込むようにダンジョンを脱出。
空気が変わる。
眩い普通の光を感じる。
無事、一階層である冒険者組合ロビーに到着。
そこは、普段より人の行き交いが混んで騒ぎになっていた。わめく冒険者と、なだめる組合員の姿がアチコチに見られる。
「こいつは」
「ダンジョンは、いちじ閉鎖でち。クモがでたからしかたないでつ」
「なるほど」
エヴェッタちゃんの言葉に納得した。そりゃその日暮らしの冒険者には事だろう。
「しかし、危なかった」
最近気を抜いていたから、久々の冒険だ。
響く騒ぎの中、僕らのパーティは気を抜いてへたれ込んだ。収穫はないが、無事生還する事が何よりの報酬だ。
この日を境に、しばらくダンジョンは封鎖される事になる。
そして、僕らのパーティは急な敵襲にも関わらず、犠牲なしで帰還を果たした。
しかし、問題が二つ。
ラナが目覚めなかった。
もう一つは―――――――
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