<序章>


<序章>


【201st day】


 僕はパンを焼いていた。

 暗闇の中に映える篝火の中から、赤く熱した炭を取り出し、それでパンの材料を詰めた飯ごうを挟む。

『計測開始します』

 隣にちょこんと立つミニポット雪風はそういうが、僕は自分でも時間を計測していた。

 20分から25分の待機時間。

 匂いや音でも状態を掴む。まだまだ経験が必要な事だ。

 々の尖塔、四十五階層。

 別名、星の階層。

 暗闇と星の瞬きしかない虚無の階層である。

 僕らのパーティは、いまだここで足踏みしていた。

 鍵穴は見つけた。

 しかし、鍵が見つからない。

 ピッキングも試したが特殊な仕掛けで開錠はできない。現代科学の力でも解析不可能。

 完全に、お手上げ状態だ。

 ローラー作戦で階層の隅から隅まで探索しているが、それも今日で最後になる。

 タブレットに表示したマップは、もうすぐ埋まり。つまりその後は、別の所から情報収集する形になる。

 もちろん冒険者組合は、この階層の攻略情報を持っている。鍵その物を持っている。

 無論、無料ではない翔光符が必要だ。しかし、今回は莫大な数が必要になる。

 その数何と、28000枚。

 前に強力な戦闘力を持つ組合員を雇ったが、その時の枚数が700枚。今回は、40倍が必要になる。

 いや、正確にいえば【28000枚相当】が必要になるという事で、簡単に説明すると悪名高いゲームシステムと同じである。

 ようはガチャだ。

 この階層にある鍵穴は40。で、鍵穴の鍵一つに翔光符が700枚必要になる。

 当たりの一つに鍵を差し込めば階層を降りれる。

 当たり前だが、正解は分からない。というか、一定時間で正解の鍵穴が移動するようで、やり直し覚悟で適当な数の鍵を集めて挑戦するか、確実な40個の鍵を揃えて挑戦するか、本当に悩んでいる所である。


 冒険者組合長曰く。

『冒険者には幸運が必要な時が――――――』

『嘘吐け、組合の利益の為だろ! 悪質だぞ、このシステム!』

『………………』

 無言で去られた。


 つまりは、そういう事。

 前に運良くラーメンが作れて、街に広めて、ボーナスがもらえて、やっと700枚である。

 28000枚という翔光符。

 上級冒険者の依頼をパーティ全員でこなしても、集めるに半年以上かかる計算だ。

 僕に残された時間は、164日。

 幸運に幸運を重ねても、そこからさらに階層自体の攻略に時間が取られる。現実的な見通しを立てれば、一年内に五十六層に到達するという計画は―――――――

『パンが焼けました』

「お」

 うだうだ考えていると、時間が過ぎるのは早い。

 厚手の手袋を装備した。

 炭を篝火に戻して、ドキドキで飯ごうを開く。

「おお」

 焼きたてのパンの匂いがする。心配した焦げ臭い匂いはない。底を叩きながら、中身を紙皿に落とした。

 少し形の悪い。ゴロンとした白いパン。

 切り分けて味見をしようとしたら、

「ダンジョンで焼き立てのパンが食べられるようになったか、色々と極まったな」

 暗闇から帯刀した男性が現れ、篝火の傍に腰を降ろした。

「親父さん、パンくらいやろうと思えば誰でも」

 異世界にも色んなパンがある。もっぱらは天然酵母のサワードゥを使ったパンだ。僕はズルしてドライイーストで作っている。

「作ろうとした奴がいたが、ダンジョンだと気温の変化が激しい場所があるからな。パン種が持たないそうだ。こういう落ち着いて火を囲む場所も少ない」

「確かに」

 パン種は管理に手間のかかる生き物だ。ダンジョンに持ち込むのは厳しいだろう。

「なーんか、最近のんびりだよな」

 長剣を背負った赤髪の少年が現れ、彼も篝火の傍に腰を落とす。

 彼の後ろには、剣と盾を持ち騎士鎧を身に付けた少女の姿。

「リズ、手を消毒しろ」

「………………」

 パンに伸びる手を叩いて、消毒用のアルコールを渡す。リズは、渋々手を消毒してムッスリ顔で腰を降ろした。

 ダンジョン内で腹を下したら、命に関わるのに全くこいつは。

「あ、めっちゃ良い匂いする」

「これはパンですか、お米じゃないパンですか?」

 エルフの姉妹がやって来る。

 妹は長身のエルフらしいエルフで、長い金髪に碧眼、眉目秀麗、スレンダーなスタイル。弓を担ぎ、服装の肌の露出は高く。腹や脚、腕や肩が丸出しの下着のような服装。

 姉は小柄で幼顔、妹と同じ美しい金髪を編み込みのサイドアップにしている。後、こちらも露出は負けていない。

 下を切り詰めた白い武道着からは、ビキニアーマーの食い込みがチラチラと見える。足はニーハイの鉄板入りブーツ。太ももは丸だし。

 お腹は軽金と革を合わせたコルセットで守っているが、そのせいで胸元が強調されている。

 背には魔法使いの杖、補助武器としてナックル型の手甲を腰にぶら下げていた。

「ラナ、パンだぞ。焼き立てだぞ」

「ハァ………………パンか。軽食ね」

 ラナは死ぬほどガッカリしていた。

 最近の彼女は、妙にお米信仰が高い。

「今度、お米で出来るパン作って見せるから、元気だしてくれ」

「お米でパン作れる?! 最強じゃない!」

 テンションが急激に上がった。ホント、よく分かりません。

「で、お兄ちゃん。パンだけ?」

「スープもあるぞ」

 ミスラニカ様直伝のトマトスープがある。

 ダンジョンでは飲み水は貴重なので、刻んだトマトで豆を煮込み、材料を煮詰めながら豆は潰して、チキンブイヨンと塩コショウ、ニンニク、唐辛子、チーズで味を整え、最後は炒めたベーコンと玉ねぎを入れてもう一つ煮立てる。

 んで、ミスラニカスープの完成である。

「パンとスープぅぅ? 何か今日はフツーだな」

 ぶーたれる赤髪の少年。

「シュナ、お前は少し舌が肥えすぎだ。一度、他所のパーティの食事にお邪魔して来い。焼き立てのパンをダンジョンで食える事が、どれほど贅沢な事か身に染みるだろう」

「そうよ、バーカ。お兄ちゃんの食事に文句あるなら自分で作りなさい」

 シュナは、親父さんとエアにボロカスにいわれた。

「はい………………すみません」

 深く反省しているようなので許す。

 パーティ全員が手を消毒したのを確認した。

 篝火の明かりの中、人影を数えて人数分の容器にスープを入れた。スプーンと焼き立てのパンを添え、本日の昼食が開始された。

 各々神に祈りを捧げて食事を口にして行く。

 僕とエルフの姉妹は、

『いただきます』

 と簡潔に。

 実は異世界の神様達は、食事前の作法でうるさい事はいわない。

 まあ、かの神達の食事は色々と酷かった。そりゃマナーの文句は付けないだろう。

「あなた」

「ん?」

 隣のラナが静かにいう。

「パンもスープも美味しい………」

「は、はい」

 何て悲しそうな顔だ。そんなにお米が良いのか?

 親父さんは実に美味そうにスープを口にして、パンを齧る。

「俺も好きだぞ。何だろうな、懐かしい味だ。死んだ母親を思い出すような、いや俺の母親の料理はもっと豪快だったが」

 シュナは別の所に食い付く。

「親父さんのお母さんって、どんな人っスか?」

「ん? 女だてらに猟師をしていた。豪快な人間だったな。自然に生きて、最後は人に殺された。諸王の戦乱で徴兵を断り、拷問死だ。――――っと、すまん。飯が不味くなる話だな」

「いえ」

 シュナは黙って、スープを掻き込み。パンをむさぼる。

 少し静かになって、僕もスープを口にした。まずまずの味。ちょっと冷めたせいでトマトの酸味が結構出て来る。

 もっと長く煮詰めれば良かった、反省だ。

 パンは美味い。食感はフワフワでバターの風味が口に広がる。瑠津子さんの材料が良い事が、九割くらいの理由だろう。

 皆の反応も上々、特にリズが無表情であるがウキウキでパンを食べている。皆、基本的にパン食だからお米を用意するのが面倒なのだが、ラナの為だ。次は頑張ろう。

「あれ?」

「ん? どうしたのお兄ちゃん」

 僕の声に、エアが反応する。

「いや、おかしな事に」

 僕はスープの器を“七人分”用意した。

 うちのパーティは、僕、親父さん、シュナ、リズ、エア、ラナの六人パーティだ。

 リズはベルに憑りついているので実質七人だが、姿形があるのは六人で間違いない。

 メンバーと次々見て行く。

 篝火を挟んで、正面に親父さん、その右隣りにシュナとリズ。

 僕の左側にエアとラナが並び。

 で、僕の右隣りにいるのは、誰だ?

『………………』

 パーティ全員が注視する。索敵力の高いエアも、勘の鋭い親父さんも、現代科学のセンサーを積んだ雪風すらも、全く気付いていなかった。

 どこにでもいる冒険者の剣士姿。

 丸盾とロングソード、角の付いた兜に革鎧。顔は男性のように見えるが、輪郭の堀が少なくマネキンのようにのっぺりとしている。

 いや、よく見れば盾も剣も鎧も人工物ではない。炎の明かりを濡らっと反射させる油の浮いたキチン質。昆虫の甲殻だ。

 こいつは擬態だ。

 人の認識すら騙す完璧な擬態。

 そいつは、顔面を縦に開いてスープとパンを器ごと一飲みする。

 そして、現れたのは無数の眼。

 大きな二つの牙が付いた口。

 剣も盾も鎧も、擬態が解かれ複数の足に変わる。

 人型のシルエットではある。

 主だった手足らしきものが四本、副次的な細く爪の付いた足が四本。

 計八つ。

 こいつは蜘蛛だ。

 不気味さに心のどこかで警鐘が鳴る。こんなグロテスクな非人間を見せられても、僕の中にある感情は仲間に向ける親愛そのものだ。

 攻撃性が向けられない。

 いいや、だからこそ僕の中の獣が叫んだ。


 敵だ、殺せ。


 座したまま、正しい意味での居合いを放つ。

 スープの器とパンは左手に、片手だけの逆手抜刀。技がノっている時ほど、刀の感触が手から失せる。まるで手刀で敵を切り裂いたかのような感覚。

 僕は、音もなく蜘蛛の体を両断した。

 ズレて落ち悪臭を放ち、

『なっ!』

 シュナとエアが声を上げる。そこでようやく他のメンバーも気が付いた。

 否。

 闇の中に、微か銀の閃きを見た。

 見えたのは一刀。だが、親父さんの刀は蜘蛛を三体切断していた。

「ソーヤ、囲まれたぞ」

 チンッ、と刃が鯉口を切る。

 その音で切っ掛けに、僕は叫んだ。

「敵だ!」

 パーティが戦闘状態に移行する。

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