<第五章:けものせっき> 【02】


【02】


【196th day】


 天には、星。

 地には、這いつくばる冒険者の姿。

 僕は、雪風と親父さんとで、四十五階層の床を調べていた。

 ここ最近の騒ぎで、親父さんが一切姿を現さなかった理由は、足繁くダンジョンに潜ってこの階層を調べていたからだ。

 リーダーとして申し訳ない。

 その成果があって、攻略の糸口を見つけた。

 鍵穴だ。

 普通に歩いていたのでは気付かないほど小さい鍵穴。親父さんが五か所、雪風が三か所、僕が一か所、鍵穴を見つけた。

 そして鍵穴の箇所を階層の全体地図に繋げると………………

「どうなるのでしょうね?」

「さあな? 全部繋げないと分からんものだ」

 いいから探せと親父さん。

『そうであります。労働とは地道が一番であります』

 雪風にまで文句をいわれる。

 ミニポットはライトを照らし、徐行して探索していた。メガネには作りかけの全体地図が表示されているが、今の所、意味不明である。

 僕は戻って来たトンガリ帽子を押さえて、途方もなく続く闇と床を見る。

 先程までシュナ、エア、リズと、ラナもいたのだが、あまりにも地味な作業の為、若者組がブーたれ、うるさくて作業の邪魔になったので帰宅させた。

 ラナは残る感じだったが、屈んだ状態の胸が傍にあると僕が集中できないので帰した。

 んで、今の状況である。

 地味な作業は好きだ。ここの所の揉め事を思えば更に。成果があろうがなかろうが、無心で何かに没頭したい気分である。

 延々と続く広大なダンジョンで、

 両手両膝を薄汚れた床につけて、

 手元を明かりで照らし、

 這いながら少しずつ、

 細かい形跡を見逃さず慎重に調べて行く。

 探索範囲は前と同じ、ダンジョンの入り口から円状に広げて行った。

「雪風、あまり遠くに行くなよ」

『了解であります』

 雪風の探索は速い。こいつに任せれば、三日くらいで完全なマップが出来上がるだろう。

 だからといって、僕らがサボってよいわけではない。

 やれる事はやる。

 ただそれだけの事。

 地味で薄汚れ、擦り減る。華やかさの欠片もない作業。到底、上級冒険者の姿には見えない。

 でも現実だ。

『こういう地味なのも冒険者だ』

 一番年季の入った冒険者がそういうのだ。間違いない。もし反論があるのなら、僕と親父さんをぶっ倒して、僕ら以上の名声を得てからにしろ。

 とか思う。

 この作業、地味は地味だが、微妙な発見はある。

 この階層の床は、コンクリートに似た材質だ。別に不思議な事ではなく。古代ローマでもコンクリートはあったらしいし。街の建造物の一部も、コンクリート製だったりする。

 といっても、そこは異世界。

 A.Iが解析できない“不思議”で“特殊な”素材が使用されているとか。

 今でも街の大工に製法は伝わっているが、建造費用は馬鹿高い。だから、物好きの富裕層以外は、大体ダンジョンで拾って来た構造材や木材で組んだ物が多い。

 そんな、よもやま話を浮かべていると、

「少し休むか。目が霞んできた」

 親父さんが休憩を提案した。

 僕も小腹が減った所だ。

「雪風、戻れ」

『らじゃ』

 コロコロ転がって雪風が戻って来る。そして、ミニポットの光量を上げてキャンプファイヤーの代わりとなった。

 親父さんは、小物入れから携帯食料を取り出す。

 大き目のスティックタイプで、どっしりした生地にはナッツ類が混ぜられている。甘いアルコールの匂いがした。

「あ、親父さんそれ」

「何だ? やっぱりお前が作ったのか」

「いや、マキナの奴です」

「ああ、そこの小さい奴の母親か」

『メディム様、母親ではありません。同系統の姉妹品です』

 雪風はすかさず否定する。

 母親は、やっぱりイゾラになるのかな?

「よく分からんが、このパウンドケーキとやらは美味い」

 パウンドケーキとは、同量の小麦粉、バター、砂糖、卵を使って作るケーキだ。

 日持ちのする食料で、親父さんが食べている物は炒った木の実を混ぜ込み、果実酒を染み込ませて表面を飴でコーティングしている。

 後、砂糖の代わりに蜂蜜を使用したので甘味が濃厚である。ポイントは生地が焼きあがってから蜂蜜を混ぜる事だとか。

 一般的な冒険食であるバターと小麦粉の塊より、格段に美味いと自負している。

 執政官に振る舞ったコース料理のデザートがあれだったのと、このケーキが開発された経緯に因果関係はない。

 瑠津子さんに悪いので、絶対に関係ないとする。

 ちなみに一本で銅貨8枚。携帯性とカロリー、材料費を考えれば値段相応であるが、高価な食料には変わりない。

 だからか、そこまで売れていないが、親父さんのような目ざとくて金のある冒険者には人気が出始めている。

「で、お前はまたそれか」

「またとは何ですか、故郷のソウルフードですよ。しかも愛情たっぷりです」

 僕は、ラナのお手製おにぎりを取り出す。

 デカいおにぎりだ。具は食べてのお楽しみだそうな。

「お前が好きなら俺は知らんが、このケーキはやらんぞ」

「酔っぱらうので結構です」

 おにぎりにかぶりつく。

 お、ツナマヨだ。しかも七味の混ざったピリ辛味。うまうまである。

 よく噛んで味わって食べ、もう一つのおにぎりに。

 こっちは、シンプルに炒めた豚肉だった。

 ん、でも普段食べている豚肉と食感が違う。やや硬めだが噛むほどにコクと旨味が米と絡む。

 ま、まさかこれは、豚の頬肉か?! なるほど、この素材の美味しさなら、ラナでも塩コショウで炒めるだけでよい。

 いいや、そこまでの食材を選んだ彼女の目利きが素晴らしいのだ。

 買い出しはランシールの仕事な気もするけど、それはそれ。

 夢中になっておにぎりに食らい付き、食べ尽くした後は恍惚とした余韻に浸る。

 僕は幸せ者だな。

 夢見心地だ。

「お前、ランシールに手をだしたそうだな」

 親父さんの言葉で、一気に現実に引き戻された。

「はい」

 素晴らしい嫁を裏切った愚か者である、僕は。

「いや、遅かれ早かれだと思ったが、それにしても遅かったな。俺がいうのもおかしいが」

「ああ確か、親父さんってヴァルシーナさんと仲が良かったとか?」

 ランシールの事は突っ込まれたくないので、話題を逸らした。

 親父さんは渋さを増した顔で、渋々答える。

「それなりに長く一緒に暮らしていたな。あいつはどうだか知らんが、俺は護衛として雇われた傭兵だ。金も貰った。仕事なのだから、関係に線引きはするだろ」

 昔から真面目な人だ。

 僕の勝手な予想だが、ヴァルシーナさんは親父さんに、あのハゲと同等か以上の愛情を持っていた気がする。

 こんな下衆の勘繰りは、墓まで持って行くつもりだが。

「で、お前、ランシールを孕ませたのは本当か?」

「ゴフッッ」

 食後のお茶を吹いた。

「そ、それは誰から?」

「レムリアとデブラ、後本人からだ」

 発表の場にいた全員じゃねぇか。

 お前ら少し分散して相談しろよ。

「最初は死人の顔をしたレムリアが来て、次が自殺しそうな顔のデブラが来た。最後は、満面の笑みを浮かべたランシールだ。親の心、子知らずというか。生みの親と育ての親は、良い歳の女を今でも子ども扱いしていたのかと、俺からすれば全てが複雑な状況だった」

「何かすみません」

 間接的な迷惑を。

「で、ランシールの子供は、本当にお前のか?」

「ランシールの思い込みです。そんな子供って簡単にできるもんじゃ」

 だがレグレの件がチラつく。

 安心できない。あの女は、本当に僕を安心させないな。

「あいつがお前に本気で惚れているのなら、強ち勘違いともいえんが時期尚早だな。でもな、男は堂々としてりゃいいんだ。自分の腹が痛むわけでもあるまいし、どいつもこいつも、オロオロと情けない」

「ですよね。ありがとうございます。腹くくりました」

 そうだ。

 冒険者とはぶっつけ本番な職業。子供が出来ていたなら、その時はその時に悩めばいい! 

 とりあえず今は、一旦置いておこう。いやぁ、親父さんがいて本当に、

「話題を変えるが、またエリュシオンの英雄を倒したようだな」

 そりゃ駄目だ。いくら信頼した親父さんにも話せない。

 信用しているからこそ話せない。

「ご冗談を。僕のような只の冒険者如きに」

「只の冒険者が、この短い期間で俺達をこの階層まで到達させるか?」

「それとこれとは、また別の話で」

 姿を消した例の冒険者集団がそうであるように。優れた冒険者が、優れた人間というわけではない。

「お前に、俺の目について話した事はあったか?」

「え、目?」

 親父さんは急に話題を変えると、左目の眼帯を外す。

 その古傷に付いては、気になる者は多くいるが誰も由縁を知らない。探り当てたら賞金が出るとの噂もある。

「これは俺がシュナくらいの歳に………ああ、丁度アルマが姿を消す前日か。ある騎士と、その獣と戦った痕だ」

 親父さんの隠された左目には、古い刃物傷があった。だが目は健在だ。しかもそれは、闇の中に映える金色の瞳だった。

 また一つ、糸が手繰り寄せられた気がする。

「といってもだ。気付くと眼球自体は癒え、この薄気味悪い瞳になっていた。俺と、あの騎士とは、本当に命を賭けて戦ったのだ。そういう傷は勲章だ。どんな理由であれ、俺だけが無かった事にはできない。だから塞いだ。俺の生涯でこれを見せるのは、お前が最後だろう」

 過去に獣と戦った男。

 彼は忘れてしまったのだろう。昔、彼の傍には灰色の猫がいた事を。残された金色の瞳は、忘らるる神の残滓だ。

「どんな、騎士でしたか?」

 ミスラニカ様の事を、聞くか聞くまいか一瞬迷った。

 けれども『知らん』という言葉に一番傷付くのは彼女だ。僕もその言葉は辛い。親父さんは、彼女の過ぎ去りし時。今はそれでいい。そうするしか方法が思い付かない。

「強い騎士だったな。俺の人生で最も強い敵だった」

「でも、親父さんは勝ったのでしょう?」

「結果的にな。実力では俺は負けていた。しかしまあ、勝負とはそんなものか」

 親父さんは再び、左目を眼帯で隠す。

「ま、お前が話したくないのなら俺は二度と聞かないが、顔に出ているぞ?」

「出てましたか」

 親父さんにバレるという事は、ラナやミスラニカ様にもバレているのだろう。

 こういう所は、僕のダメダメな部分だ。

「僕はエリュシオンの英雄を、二人。いや………………“四人”倒しました」

 思いの外、重たく腹に抱えていたのか、口に出したらスラスラを言葉が流れる。

「一人目は、獣狩りの英雄ヴァルナー。二人目は、アーヴィンの師。緋の騎士ザモングラス。三人目は、バーフル。いえ、デイモス・ザモングレア。四人目が今回の、キウス・ログレット・ロンダール」

「………………」

 親父さんは表情を変えず、雪風の灯りを見つめる。

「最初は友の名誉の為、次はその友の師の願いの為、次は妄執に巻き込まれ、今回は、何でしょうね。邪魔だったから退けたとしか」

 ザモングラスとバーフルは英雄ではない。

 ただそれは、エリュシオンが英雄と認めていないだけで、僕からすれば十分な英雄の強さだった。

 味方に謳われる英雄がいるなら、敵に恐れられる英雄もいる。

 あの二人は後者のそれだ。

「キウスは、正確には殺してはいません。キウスという“英雄”を世から消しただけです。これを聞いたら、親父さんも引くと思いますが―――――」

「俺も、レムリアも、メルムも、アルマも、ヴァルシーナも、若い頃には色々とやった。いや、今もやっている奴がいるか。生きる為だとしても、人として許されない非道をな」

 気遣いどうも。

 なら、話す。

 親父さんに、全部話した。

 新たなアバドンを作り出した事。

 それを無関係な島々に振りまいた事。

 キウスの判断次第では、無関係な人々が大量に死んでいた事。

 いつの間にか、親父さんは煙管を取り出し煙をくゆらせていた。

 何となく。

 カタコンベで、バーフルと火を囲んだ時を思い出す。あの時もこんな闇の中だった。

「ソーヤ。お前はどう思っているのだ? 罪悪感で眠れない男の顔ではないぞ」

「本当の事をいえば………………」

 少し言葉に詰まる。

 親父さんは察し、

「ダンジョンで語り明かした秘密は、上には持ち込まない。全てここの闇に混ぜて忘れる」

 といった。

 なら、これも話す。人前で全裸になるより恥ずかしい告白だ。

「僕は、欠片も罪の意識を持っていません。何故そうなのか、どうしてそう思うのか、いや思わないのか。そこの所は、僕にも分かりません。ただ、見えもしない人間の死に乾いた感情しかなくて。いや、これは違う。人間の死そのものに感情が動かなくて、これじゃまるで獣だ」

 獣が姿を隠して人の傍に寄れば、最後は不幸が待っている。

 愛した者を食い殺すのか、化けの皮が剥がれて串刺しになるか。

 幸せを感じる度、これが頭をよぎるのだ。

「傭兵をやっていた時、お前のような奴と出会った事がある」

「え?」

 どういう事だ。

「俺が初めて人を殺した時、小便を漏らして一晩中震えた。剣を握った手はガチガチに固まって、翌日になっても動かなかった。情けないが、別に珍しいこっちゃない。誰しも最初は震えるもの。しかし、たまにいるのだ。お前のように人の生死に無感動な奴が」

「その出会った人はどうなりましたか?」

 不幸な結末が思い浮かぶ。

「戦場で死んだ奴もいれば、傭兵を引退し農夫になった奴もいる。商人になった奴もいれば、いまだに戦場で剣を振る奴も。つまりは様々。その程度の個性という事だ」

「その程度? え、その程度?」

 思わず聞き返してしまう。

「俺の母親は狩人でな。一匹の狼を飼っていた」

 何の事やら分からないが、親父さんは思い出を語る。

「最初は犬と思っていたらしい。だが、育つにつれ狼だと気付いた。周りの大人は、人に慣れないから殺せといったそうだ。でも母は、見事に飼い慣らした。どうやったか分かるか?」

「すみません、分かりません」

 この逸話の全体が分からない。 

「他の犬に混ぜて育てたのさ。人に従い喜ぶ犬の姿を見せた。すると狼は、その犬達を真似るようになった。俺が見た時には、他の老犬と変わらないように思えた」

「でもそれは、個体差では?」

 狼にも人に慣れる個体が稀にいるらしい。

 親父さんの母親は、たまたまそういう個体を引き当てただけでは?

「それもあるだろう。真似をした奴は皆失敗していた。だが俺の母親は、狼の性分を飼いならし犬にしたのだ。お前のいう通り母の力だけではない。

 最終的には、犬として生きるよう選んだ狼の意思だ。

 俺は思う。

 狼に出来て、人間が、その性分を飼いならせないはずがない。例え、おぞましい化け物でも。人の意思は負けやしない」

「飼いならす」

 己の闇も飼いならせず、何が英雄か。

 思い出したのはキウスの言葉だ。

 あいつは、獣を飼いならしていた。恐るべき忌み血の獣を。

 それに比べたら、僕の獣など可愛いものだ。

「ああ、なるほど」

 少し、何かが、分かった気がした。僕は半ばで諦めていたのだろう。これが僕だと、自分のくだらない個性を守っていた。

 ただの間抜けで怠けだ。

 親父さんのいう通りなら、自分の性分など飼いならせるはずだ。

 僕が、人間であろうとするなら。

 必ずできる。

「何か………………その、ありがとうございます」

 親父さんに礼をいう。

 一つ霧が晴れた気分だ。

 できる、できないかは重要ではない。挑戦する意思が大事。

 僕は人間だ。そう思い続ける限りは、人間なのだろう。

「いや何、昔この話をヴァルシーナにした事があってな。激怒されてしばらく口をきいてくれなかった」

 何でや、ヴァルシーナさん。

 良いエピソードだと思ったのに。

「長く休憩し過ぎたな。探索を再開するぞ」

 親父さんは、煙管の灰を落とし。一度立ち上がって腰を動かす。

 僕も探索の準備体操をした。

 さて、また床を調べよう。まだまだダンジョンは広大である。

「最後に一個だけ良いか?」

 親父さんは、僕を睨み付けるとこういった。

「俺は、男は一人の女を愛し添い遂げるモノだと考えている。なんやかんやで、お前もそうなると思っていた。嫁がいる身でランシールに手を出すとは、見損なったぞ」

「はい………………すみません」

 やっと普通に怒られた。

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