<第四章:剣と麦を賭けて> 【04】
【04】
【192nd day】
の前に、後顧の憂いを払わねば。
「すまんラナ。ランシールに手を出したッ!」
色んな準備を終えて朝帰り、そして朝から土下座した。
朝から修羅場、
「え、はい。お風呂にします? ご飯にします? 今朝はお粥という物に挑戦したのよ。私的には中々美味しくできたと思うの」
とはならなかった。
「え、え? ちょっと奥さん」
「はい?」
ラナの腰に抱き着いてすがりつく。今日の彼女は久々のローブ姿だ。
「僕は浮気したんだぞ!」
「はぁ、それでお風呂かご飯は」
「ちょ、ちょいちょい」
これは予想外過ぎる。
僕としての予想は三つだった。
予想一は、泣かれる。これが一番困るし、僕は罪悪感で自害するかもしれない。
予想二は、制裁である。最近、鍛えに鍛えたラナの拳で半殺しくらいなら甘んじて受けるつもりだった。いやもう、いっそ殺してほしい。
予想三は、通報である。主にグラッドヴェイン様&その眷属。これは確実に死ぬと思う。
んで、かすりもしなかった。
「だからあなた、何なの?」
「君が何なのですか!」
責められるはずの僕が逆に怒る事案。
「はあ、ごめんなさい」
「ラナ、いいか、よく、聞いてくれ」
「あ、はい」
「僕は、ランシールと」
「ランシールに手を出したのでしょ? 今更それが何なの?」
「………………怒ってないのか?」
ラナは割と表情に出るタイプだ。
これは、本気で怒っていない顔。しかも至って平静な顔である。
「正直な事をいえば、まだ手を出していなかったのかと少し呆れたわ」
「そっか、呆れたか。………何だろうこれ」
前もこんな感じがあったような、なかったような、忘れているような。
「あら、ソーヤ。おかえりなさいです」
「あ、お兄ちゃんお帰り」
ランシールとエアが、地下から上がって来た。二人共髪がしっとりしているので朝風呂していたのだろう。
「ランシール、少し困ってるの」
「はい、何でしょうか奥様」
ランシールのラナへの態度が変わっていた。
まるで主従関係のようだ。
「夫があなたの事で混乱していて」
「ら、ラナ。できれば場所を変えて」
エアの前はマズい!
今更自分を良く見せようとは思わないが、妹の情操教育に良くない。将来、僕のような男に引っかかったらどうするのだ?!
と、そんなエアに視線を向けると、彼女は部屋の隅に視線を向けていた。
そこで、僕は潜む気配に勘付いた。
自宅の安心感と、ラナへの申し訳なさで失念していた。
玄関隣りにあるフリースペース。通称まったり空間で、
「やれやれ、実に見苦しい」
透明な外套が翻り、エルフの男が姿を現す。
「げ、メルム。変な風が流れていたと思えば、やっぱりあんたか。それ返しなさいよ!」
「実に便利なアイテムだ。もう少し――――」
問答無用、メルムはエアに外套を引っ剥がされた。
乱れた衣服を整え、髪も整え、メルムは僕を見下す。
「さておき、エア。見たか、この男の情けない姿を」
「はぁ?」
「妻がいる身でありながら、獣人女に気を奪われ、あまつさえすがりついて許しを乞う。実に情けない。こんな男には愛想が尽きただろう? 婚約など破棄して別の男を探せ、丁度良い事に私の古い友人の息子で、中央近辺の諸島に身を隠していた由緒正しい血筋の―――――」
「うるさい」
エアは、一言でメルムを黙らせた。
ちなみに僕はラナの腰に抱き着いたまま、彼女は僕の頭を撫で続けている。状況を忘れて眠たくなる。
「エア、もう一度いうぞ。妻がいるのに他の女に―――――」
『お前がいうな』
とまあ、今度は姉妹同時のツッコミが父親に刺さる。
「お兄ちゃんが、どこでどんな女を引っ掛けようが、惹かれようが、特にあんたには! 一切! 文句をいう権利はない!」
エアのド正論である。
この先何があろうとも、メルムと、どっかのハゲにだけは、女性問題にツッコミを入れられたくない。
「失礼、メルム様」
ランシールも口を開く。
「ワタシの乳母について聞きたい事が一つ。何でも良い仲だったと噂を」
「さ、私はそろそろ帰ろうかな」
おい待て、クソエルフ。
どんだけ手広く手を出しているのだ。
「メルム………“様”」
ラナが底冷えした声でメルムを遮った。僕の髪をくしゃりと撫でると、離れて拳を鳴らす。
「おい。縁を切ったとはいえ父親の私を」
「一つ聞きたいのですが、あなたの靴底少し湿っていますね。それに微かですが、私達の使う石鹸や、洗髪剤、香油の匂いがします。あなた、どこから我が家に侵入しましたか?」
「う、うむ」
そりゃ地下からだろうな。
………………あ! まさかこいつ! 外套で透明化して覗きしてたのか?!
「メルム、あんた最悪よ! 気持ち悪い!」
「メルム様。流石の父でも女人の湯を覗いたとは聞きません。最低ですね」
エアとランシールからボロクソにいわれる。
愚かな男だ。覗くなら証拠の残らない最先端機器を使用しないと。自ら足を運び、証拠まで残すとは愚の骨頂である。
「ランシールには詫びを入れよう。軽率だった。しかし、エア。父親が娘の成長を確認する事の何が悪いというのだ? そもそも大して成長―――――」
ズバンッ、という破裂がした。
何の音やらと、ラナが床を踏み締める音。彼女の足には、マキナ作成の兎のワンポイントデザインが入ったスリッパ。
彼女の拳は、縁を切った父親の腹に軽く当たっている。
が、
「ゴフッ!」
メルムは肺を絞られたような悲鳴を上げた。
足の衝撃を体に通して打ち込んだのか? 中国拳法でこんな技を見た気がする。
映画だけど。
「メルム“様”。あなたと私は絶縁した身。なれど、夫の愛人と妹の裸体を覗き、しかも愚評まで口から吐き出す始末。この罪、どうしてくれましょうか?」
ラナの背後に鬼が見えた。
「まっ、待て」
エルフの王が痛みに耐えてプルプル震えている。
実に、面白い。愉快で頬が緩む。
「ラナ………いや、ラウアリュナよ。絶縁した身だが、お前の成長を見れて嬉しく思うぞ。だが、胸はともかく、尻肉が少し大きくなり過ぎて―――――」
こんな時でも憎まれ口は忘れないエルフの王は、アゴにアッパーをくらい。追撃でかかと落としをくらい。止めに思いっ切り踏まれる。
そして絶命した。
じゃなかった気絶した。
「我が家は土足厳禁です」
これとして意味があるのか不明だが、ラナはメルムの靴を脱がす。
エアとランシールが、メルムを引きずり家の外に捨てた。続いて、ラナが靴を外に放り捨て家の鉄扉を締め、ようやく一段落。
「さて、あなた。お風呂にしますか? ご飯にしますか?」
「ご飯でお願いします」
なるほど。
一つ分かった事がある。
つまりは、彼女達の父親を超える度し難い女遊びをしなければ、僕は彼女達の怒りに触れないという事だ。
どうしようもない義父共であるが、今回ばかりは感謝である。
でも、度を越した途端、ああいう風に捨てられる事は肝に銘じておこう。
朝食は、ラナのいう通りお粥だった。
食卓の中心に土鍋に入ったお粥が置かれ、その周りにお供のおかずが並べられている。
ベーコンのカレー粉炒め、肉味噌、緑菜と干し魚のニンニク醤油和え、唐辛子の干し肉挟み甘辛風、豚の角煮、ゆで卵、ピクルスの山盛り。
かなり豪華なおかずである。
「何か騒ぎ?」
まだ居たレグレが二階から降りて来る。
『もう大丈夫です』
と、王族三人娘が揃って返事。
「ご飯だッー!」
マリアが後ろから走って食卓に着く。
『手を洗いなさい』
ラナとランシールに注意され、そういえばとエルフの王に触れた汚れを三人娘も洗い落として、僕も続いて手を洗い。
ワイワイと朝飯を食べた。
「エアー、それ辛いか?」
「辛いわよ。マリアには五年早い」
「ふっふ~ん。じゃ食べる~………………ぴにゃー!」
「だからいったのに、あんた懲りないよねぇ」
「奥様、今日のお米はまた違った味わいですね」
「そうよランシール。水を多めにして食べやすく、後少し麦を混ぜて食感を変えてみたの」
「それで奥様、そろそろ美味しいお米の炊き方を教えて欲しいのですが、ソーヤも、マキナも、これだけは教えてくれなくて」
「そうですね、私が死を悟った時にでも教えてあげます」
「寿命的にあなたが一番生きるでしょうに」
「何だこの豚肉! フワッフワッだ! 口の中で溶けるぞ!」
「レグレ、後で作り方教えてやるから陛下に食べさせてくれ」
「えーオレが料理~」
「覚えろよ。母親になるんだろ」
「あなた、おかわりは?」
「もらう」
「大盛りですね」
「お粥で大盛りは困る。こぼれるッ!」
と、食事を堪能した。
食後のまったりとした空気の中、食器を洗うラナとランシールの後ろ姿を食卓に突っ伏して眺める。
幸せである。
満足である。
このまま死んでも悔いはない。
「お兄ちゃん、今日はこの後どうするの?」
「すまん仕事だ。商会から輸出の件で相談がある。昼には戻るよ」
「ああ、船出すの今日だっけ? アタシの小物入れとか売れるのかな?」
「売れる売れる。もう爆売れだ。お前はエルフのデザイナーとして世界中から引っ張りダコだ」
「タコって何?」
「深海に住む触手うねうねの生き物」
「そんな気味悪いのとアタシを並べないでよ」
「比喩だよ、比喩」
「日本人の比喩はよくわかんないわ」
「なあ、エア。………僕はお前の兄だよな?」
「そうだけど。でもそのうち、夫に転職するけどね」
「それはさておき、そうだよな。僕はお前の兄だよな。うん………兄だ」
「う? 変なお兄ちゃんね。あ、いつも通りか」
そんな感じで、
妹と。まったりトークをした後、マキナから例の槍を受け取り、皆に挨拶をして家を後に。
外に出ると、座り込んだメルムがいた。
「まだ居たのか?」
「貴様に用事があるのだ」
「何だよ用って」
エルフの王はガラ悪く、紙巻のタバコをふかしている。
この甘ったるい煙たさ。確か、痛み止めのタバコだ。
「場所を移すぞ」
よろよろ歩きでメルムは先行する。
人目のない近くの路地裏に移動して、二人で腰を下ろした。大昔の不良みたいだ。
「例のエリュシオンの英雄。どうするのだ?」
「正直な事をいえば、決めかねている」
「あれこれと画策している所を見れば、倒す手段はあるのだろうな。ただお前は、奴の目的を理解しているようには見えない」
「………その通りだ」
僕はまだ、キウスの目的を知らない。急に来国した執政官の目的も不明のまま。その二つが、何かしら関係のある事だけは確かだろう。
「遠く左大陸の小国に一匹の獣が現れた」
メルムの急な話は、どこかで聞いた事のある逸話だった。
「炎をまとった巨大な獣だ。これは家々を焼き、民草を焼き、兵を焼き、全てを灰にするはずだった。しかし、最後は勇猛な将の手によって滅ぼされたという。同時に、左大陸の遠征軍を率いていた第八法王。その代行英雄が消息を絶った。分かるか? 私が思うに、炎の獣の正体はこの代行英雄だ」
「………………」
そうか。
命を捨てて英雄の獣を屠るとは、流石陛下の将達だ。できれば会いたかった。
「これが最初というわけではない。歴史を紐解けば、国が巨大な獣に滅ぼされたという逸話は幾つも見つかる。そして今、非公式、かつ随伴騎士も連れていない代行英雄がこの国にいる。ここまでいえば、馬鹿なお前でも、その理由と目的を想像するのは容易いだろう」
「国崩しの尖兵と?」
「尖兵か、言い得て妙だな。英雄とて所詮は使い潰しの一兵という事か。ま、尖兵が国を滅ぼしてくれるのなら、こんな楽な戦争はないだろう」
「メルム、やはりおかしい」
おかしい事がある。
「キウスは僕に、執政官の暗殺を依頼した」
「お前が獣を倒せる者か、執政官を試金石としたのだろう」
違う。
それも違う。
「執政官と獣は違うぞ。全く別の不死性だ。メルム勘違いしてないか?」
「あ?」
急に睨み付けられた。こいつ間違いを指摘されると逆ギレするタイプか。
面倒くさい。
全くここらの王というやつは、どいつもこいつも器が小さい。陛下のように大らかで豪快になれないものか。
「待て、あいつらが別の生き物だというのか? ならば、執政官を作り出したという――――」
「ああ、そろそろいいか?」
宣言通りにお昼までに済ませたい。というか、キウスに直接会って問答した方が早いだろう。何を腹に抱えているにせよ、吐き出させればそれでよい。
「待てまだだ」
「面倒だ」
無視して歩き出す。メルムは構わず口を開いた。
「お前だけが憂いているわけでも、備えているわけでもない。お前だけが戦う理由も、必要もない。この国の連中は強いぞ。それを利用してやろうとは思わないのか?」
「思わない。信用できない。できる事があるのなら、他人など使わず自分で動くべきだ。あんたもそうだろ?」
「代用があるならそれで良いだろう。お前の代えはいるのか?」
代え、代えか。
それは失念していたな。考えなくちゃいけない事だ。
でも何だ。
「なあ、メルム。あんたもしかして、僕に気を使ってるのか?」
「………………黙れ、殺すぞ」
エルフの王の照れ隠しは、英雄より怖かった。
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