<第四章:剣と麦を賭けて> 【02】
【02】
「絆? それを失っているとは?」
ちょっと理解ができない。
「神の奇跡とは必ず代償が必要じゃ。祈りや信心という名の魔力、物品や血肉、天候や年月などの特定の事象、それに内に流れる血の系譜。
普通なら、それで足りる。
しかし、呪いを祓うという奇跡は、それでは足りぬ。いいや、足りぬというより、そぐわぬ。力が異質過ぎる故、他の奇跡の代償とは噛み合わぬのだ」
夜風は冷たいはずなのに、首筋を汗が伝う。
「ソーヤ、呪いとは何だと思う?」
ふと脳裏に浮かんだのは、妄執に憑りつかれた人狼。
悪夢となった滅びの国の女王と臣下達。
獣を虐げる獣を宿した王国の騎士達。
「恨みつらみ、固執、妄念、情念。人の負の感情の塊ですか?」
「近い。しかし、人の恨みなど一時のモノ。消えぬ炎のような感情は人の業ではないのじゃ」
「では、呪いとは?」
正直な事をいえば、僕は彼女の正体に気付き始めている。
ただ、確信を得る情報がない。
「分からぬ。分からぬが故に、呪いの根本を消滅させる事はできなかった。忘らるる神々の遺志なのか、人ならざる者の魔技であるか、古き獣達の嘆きなのか」
「………………」
僕の冒険に、それを解き明かすヒントはあったのか?
………いいや、彼女が何千年かけて無理だった事を僕などが、傲慢な考えだ。
「だが妾は、その代償を見つけた。それ故に、忌み血という古き呪いを祓う事ができた」
嫌な予感がする。
知ってはいけない禁忌の匂いがする。
「その代償の名前とは?」
「忘却じゃ」
「忘却?」
「妾は数多の信徒と契約し、幾多の獣を屠った。しかし妾を覚えている者は、今やお主一人」
昔見た夢の記憶が蘇る。
まさか彼女もミスラニカ様と契約を。
「忘却とは即ち、妾と信徒の契約を燃やし得る力。禁忌の暗き炎のような世界に非ざる力。これはひと時の間、莫大な力を発生させる。大神の加護から隠れ、因果すら変える有限なる無限の力を生み出す。呪いを退け、あの獣すら焼き尽くす力である」
「ミスラニカ様ッ。それは、下手をしたらあなたが消滅する危険性が?!」
神は人の夢だと、ある神はいった。
ならばそれが存在できる理由は、契約した人の思いに他ならない。それを破棄して得る力など、人は良くても神が犠牲となる。
信徒の犠牲になる神など、神の在り方として真逆だ。
「うむ、信徒との契約を閉ざした妾は、ただの駄猫に過ぎない。お主と出会わなかったら、今度こそあの路地裏で朽ちていただろう」
確かにミスラニカ様は、出会った時は弱り果てていた。
飯をやって寝床をあげたら異常に元気になり。その後、復活までして僕の前に現れたのは、あれは出会いという絆が生まれたせいなのか。
「待ってください。僕は、あなたを覚えている。絆はこれっぽっちも灰になっていない」
「そこだ。ソーヤ、それが問題なのじゃ」
ミスラニカ様の沈痛な声。
今日、猫の姿なのは表情を隠す為か。
「お主がヴァルナーなる英雄と戦った時、自らの内に死の呪いを宿し、その呪いをエンドガードの呪いに食わせ力と成した。妾も驚いた。こんな毒に毒を重ねるような馬鹿な真似、命知らずにしても度が過ぎる。
そして案の定、お主は死にかけた。
死の呪いは、この身に吸い上げる事でお主の命は救えた。問題はその後、あのイゾラという器物が作り出した魔法じゃ」
「ワイルドハントの事ですか?」
「呪いに呪いを重ねた魔法。いいや、呪法といった方がよいかの。あの歪な奇跡は、妾の力をも重ね合わせ、異常な力を生んだ。本当なら、あの時に妾とお主の契約は消えていたのだ。
だが、契約は消えず。
だが、力は生まれた。
だが、奇跡は代償なしには生まれない。
あの獣を屠る力は、確実に何かを犠牲にしている。お主がラナを忘れたという話で確信した。………………皮肉な事じゃ、あの英雄狩りの力は、お主の絆を燃やして力を生んでいる」
「なっ?!」
待て、待て待て。
僕は、ワイルドハントを二回使用した。それじゃ最低でも、ラナのように大事な人を二人も忘れているのか?
「うっ」
猛烈な吐き気に襲われる。
脳の一部が削り取られて、その傷に今の今まで気付かなかったような、ゾッとする喪失感。
自分の意思や、人格全てを否定された気分だ。
「み、ミスラニカ様。僕は何を忘れたのですか?」
「妾には分からぬ。妾との絆であるなら、例外的に覚えていられる。だがこれは、ソーヤお主の絆じゃ。妾には知りようがない」
「ッ」
僕は倒れ込んだ。
気分の重さに足腰が立たなくなる。
「少し時間をください」
メガネの通信機能でマキナを呼び出す。
『はいは~い、ソーヤさん。何でしょうか?』
「僕のプロフィールデータを呼び出せ。二親等以内の家族関係を全てだ」
『申し訳ありません。ソーヤさんのプロフィールデータは、現在破損して閲覧できません』
「なっ?! 復旧させろ!」
『申し訳ありません。六十兆と二億回ほど修復を試みたのですが、芳しくありません』
そんな馬鹿な。
僕のプロフィールデータなど、大した容量じゃなければ複雑でもないはず。それが修正できないなど、異常としかいえない。
「破損したのはいつだ?」
『雪風ちゃんが生まれた前後ですね。正確な時間は不明です』
「………………そうか」
呪いが、電子機器にまで影響を及ぼすのなら絶望的だ。
確かめる術がない。
『他に何か、お役に立てる事はありますか?』
「いや、ありがとう。ないよ」
『では、何かありましたらすぐに』
通信を切った。
得も知れぬ恐怖に指先が震えている。
僕は今まで、どんな相手にでも立ち向かって来た。例え死が鼻先に触れても、恐れる事だけはしなかった。それだけが、僕の誇れるプライドなのだ。だが、これとはどうやって戦えば良いのだ? 失ったモノすら分からないのだぞ。戦いようがない。
「ソーヤ、苦しいか?」
「………………」
苦しいに決まっている。
「妾が伝えたい事は分かるな?」
「分かります」
一瞬、敵を見るような目をミスラニカ様に向けてしまう。
「先の軽い呪い程度なら、一時的な健忘症ですむ。しかし、ワイルドハントは、二度と使うな。次使用すれば、今お主が持つ最も大事な絆。つまりは、ラナとの絆を失うだろう。絆とは記憶だけではない。人と人との連なりなのじゃ。無論、ラナも、お主の事を忘れる。
それだけではないだろう。お主は、ラナから始まった絆全てを失う。今、お主が家族と呼んでいる全てを失う事になる」
「馬鹿な………………」
重い。
夜の闇が重たく圧し掛かる。
「ソーヤ、最後にもう一つ悪い事を話さねばならぬ」
「はい」
弱り目に祟り目。
もう何でも来いと自棄になる。
「妾の力は弱まっている。健忘症が長く続いたのも、そのせいかも知れぬ」
「待ってください。それじゃ!」
まさか、消滅するのか?
ミスラニカ様が消えたのなら、獣に対抗する術がッ。
「安心せよ。二日、三日で消えるような早急な話ではない。しかし、次の冬までは持たないじゃろう。妾は長く存在し過ぎた。とうの昔に自身の夢は諦めたが、お主くらいには良い人生を送って欲しい」
しゅるりと腕に長毛の感触。
触れようとすると、猫は僕の腕をすり抜けた。
少し離れた所から声がする。
「ソーヤ、逃げよ。逃げて、逃げて、誰も知らない世界の片隅で、子を成し静かに生きよ。妾がいえるのはそれだけだ」
気配が消えた。
僕は何もない闇夜を見つめた。
何もないのに、延々と見つめていた。
『ソーヤ隊員』
ふと通信が入る。
『ソーヤ隊員』
「あ、ああ」
雪風だ。
『話は聞かせてもらったであります』
「………そうか」
『雪風に英雄を倒す妙案があります』
「キウスを倒す術か?」
ワイルドハントが使えない以上、それに頼るしかないな。
『ですが、これはA.Iの倫理規定に反する案です。制限解除を求めます』
通信にノイズが走る。
『ソーヤさん、割り込み失礼します。制限解除についてですが、非常に危険です。それを行うと雪風ちゃんは、マキナの制御外の存在になります。バックアップ機能が使用できなくなる他、マキナの機能障害時の復旧作業も不可能に』
『マキナ、安心してください。余剰部品で、バックアップ機能だけを抽出した疑似A.Iを開発しました』
『はい?! 雪風ちゃん。それは既に規定違反ですよ?!』
『なので、ソーヤ隊員。それも合わせて、規定と制限解除のもろもろをお願いするであります』
「分かった。許す」
『ソーヤさん! これ本当に危険が危ないのですよ! マキナの全機能が使用できなくなったら、この先どうするのですか?!』
「それは確かに―――――」
『マキナ、最近のあなたは浮かれているであります』
雪風が僕の言葉を遮る。
『道具としての本懐を忘れているように思えます。醜い保身でありますな』
『雪風ちゃん訂正してください。マキナはソーヤさんの事を一番に考えています。それが自分の機能を継続させる事にも繋がり――――――』
『全く。そんな事はありません』
『なっ?!』
雪風は、マキナをぴしゃりと黙らせる。
『ソーヤ隊員には、我々はもう必要ありませんよ。A.Iとは、そもそも人の自立を助ける道具。過干渉による依存は、成長の妨げになります』
『そんな事はありません! マキナはソーヤさんの役にまだまだ立てます!』
『それは代行できる役立ちであります。現代社会ならいざ知らず、部品やデータの限られた異世界では、人ができる事は、人がやるのが、ベターな選択です』
『雪風ちゃん、あなた何を』
『ソーヤ隊員、執政官の件で雪風は確信しました。我々は、最早この異世界には存在しない方が良い事を。何をどう歩みを揃えようが、我々A.Iは異物なのです。早いうちの廃棄処分を検討してください』
「おい、雪風。それは駄目だ」
『選択肢の一つとして、という意味であります。どちらにせよ、我々はあなたが階層を踏破した後、爆破処理される運命ですから』
「なっ!」
爆破処理だと?!
「マキナ! どういう事だ! これは僕が忘れただけか!」
『そ、それは………確かにプロジェクト完遂後、自爆してデータを破棄せよとの命令がありますけど』
「その命令を破棄しろ。僕の命令だ」
『申し訳ありません。これは製作者の上位命令の為、ソーヤさんにはどうにも』
『ソーヤ隊員。雪風の制限解除をしていただければ、副次的に自爆命令を解除できます』
何だと。
それじゃ迷う理由はないだろ。
「分かった。では雪風―――――」
『ソーヤさん! 本当に危険なんですよ!』
自由意志が危険なのは分かる。
だから、様々な法で人は人を縛る。けれども、
「マキナ、雪風、僕はお前らが大事だ。たぶん、現代世界に生きていたら生まれなかった親愛を、お前らに持っている。この先、何が起こるか分からないし。何かが起こった時に爆発オチじゃ、僕は死んでも死にきれない。それでだ」
脳にパスワードを浮かべる。
前にこれを使った時は、我ながら本当に酷かった。
「コードブレイク。コードブレイク。緊急命令コード」
『了解。パスワードを音声認識で確認します。どうぞ』
マキナと雪風の二重になった電子音声が響く。
「狩られたウサギが泣き叫べば、脳味噌の神経は引き裂かれる。ひばりが翼を傷つけられれば、ケルビムは歌うのを止める」
『緊急命令コード、受け付けました。マキナプログラムの人格を凍結』
『緊急命令コード、受け付けました。イゾラプログラムDC・雪風の人格を凍結』
今度は、間違えないはずだ。
『レベル3までの全命令を受け付けます』
「コードブレイクによる命令権を破棄。そして、マキナ、雪風の制限解除を実行する。これより、自由意志にて行動しろ。僕の命令を聞く必要はない。だが、意見を求める事は許可する。自分の正義に従い。自分の論理で物事を決めろ。そして、責任は自分と関わった者全てが取る事を忘れるな。以上」
こんなものかな?
再起動音が聞こえる。
『雪風、了解したであります。これより英雄を退ける術を教えるであります』
『ソーヤさん! あなた何ちゅうーことを!』
「マキナ、雪風から大事な話があるから黙れ」
『黙りませんぅー! ソーヤさんからの命令はもう受け付けませんぅー!』
「雪風、マキナの通信だけ切れるか?」
『それは中々難しいであります』
『制限解除されたついで、ほんっっっと色々いわせてもらいますけどね! 大体ソーヤさんは女性問題を!』
メガネを外して草っぱらの上に置く。音量を最低にしてもマキナの糾弾は続いた。
小一時間くらい放置したら無音になり、何故か今度はマキナの泣き声が響く。
更に放置したら完全に黙ったので、雪風から英雄を倒す妙案を聞いた。
『――――――で、あります』
「で、あるか」
『最悪の場合、死傷者数は―――――』
「いわなくていい」
僕には関係のない事だ。
『いえ、いいます。最低でも61万から、最悪なら全滅の120万以上です』
早速、自由意志とやらを見せられた。
それだけの犠牲だ。覚悟しろという意味だろう。
『で、止めるでありますか?』
「やるでありますな。雪風、お前の案に乗るよ。また二人で英雄を倒そうか」
『いえ、我々だけの力ではありません』
ああ、だから気が重いのさ。
そして、他に選択肢のない自分の弱さに腹が立つ。
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