<第三章:獣の王> 【06】
【06】
「ソーヤこっちです!」
「分かった!」
細く入り組んだ路地裏をランシールの手を取って駆ける。
僕らは、城の衛兵に追われていた。
流石に王様を殴り倒したのはマズかったようだ。その後、王の娘の手を取って逃げたのは更にマズい。
迷路のようなレムリアの路地裏だが、向こうも土地勘があるのであまり距離を離せていない。しかも、装備はなし。刀も雪風も城に置いたまま。
今、衛兵と遭遇したら向こうも仕事なので手足の一本は折られると思う。
その後は………………処刑かな?
そりゃ逃げるよね。
「次右です!」
「おう!」
反対の左に曲がる。
「そこ上がってください!」
低い建物の下を潜る。
「次は、左に曲がって更に左!」
右に曲がって、左に行く。
路地裏で声を上げると、妙な反響で声の方向はごまかせる。合わせて小手先の手段で誘導を切ろうとしているが、今の所効果はない。
「ら、ランシール」
「は、はい」
結構な時間、全力疾走している。
体が熱く汗で湿る。ランシールも額に汗を浮かべていた。
「離せていないな」
「ですね」
甘く見ていた。
一旦、引き離して家に帰ってエアやマリアと合流する手筈が台無しだ。いやもしかして、家に兵が詰め寄せ、彼女達が人質に取られている可能性も。
「軽率だったなぁ」
あんなハゲでも一国の王だ。ムカついて殴るのは悪手だった。
それこそ、後で暗殺すればよかった。
「いえ、ソーヤは間違っていません!」
ランシールは大声で叫ぶ。
「無理矢理に仕事を依頼しておいて! 客分であるソーヤの身を守らず! 保身ばかりに頭がいって義や情を欠いた行動をした者を! ワタシは王とも父とも思わないッッ!」
娘にまで愛想を尽かされたようだ。
でも、これ聞かれたら火に油になりそう。そして、怒りの矛先は僕に向くのだろうな。
「よし、ランシール」
足を止める。
体力が限界に近い。これ以上走れば、まともに戦えなくなる。
実は猛烈に体調が良くない。たぶん、呪いを発動させた後遺症だろう。重い倦怠感と風邪のような発熱、視界は時折霞み、目眩もする。
死に至る呪いを糧にする力。そんなモノ、デメリットがないほうがおかしい。今までの割り振りが来たのだろう。
「一か八か、素手でやってみる。武器の一つでも奪えれば―――――れ?」
汗か涎と思って口元を拭うと、手の甲に血がべっとり付いた。
これ、僕の血か?
「え、ソーヤ?」
「ランシール、すまん」
倒れて、ドス黒い血の塊を吐いた。明らかに異常な色だ。
続いて、強烈な痛みが全身を駆け巡る。
おまけに、両目が見えなくなった。
近づく衛兵の気配は察知している。もう、すぐそこ。
「ソーヤ、立ってください! 立ちなさいっ! 立って!」
ランシールが肩を貸してくれる。
情けない事に立ち上がれない。
「悪い。足が」
足というか全身が痺れて動かない。彼女が僕を引きずっても移動できる距離はわずか、しかも追っ手はすぐそこにいる。状況は絶望的だ。
「?」
こんな時、おかしい事に気付く。
急に気配が現れた。覚えのある気配だ。
「ランシール、異邦人、こっちだ」
静かな男の声。
「メルム様?」
エアの父親だった。
ランシールは僕を引きずって、どこかに近づく。軽い浮遊感と着地の衝撃。
空気の質が変わる。湿ったかび臭い匂い。
「二人共、口を開けて耳を塞げ」
僕の頭は柔らかいモノに包まれた。女性らしいランシールの匂いが強くなる。
束の間、この危機的な状況を忘れ夢の世界に。
が、
ドガンッッ!
という衝撃に身が震えて、竦む。
近くに雷が落ちたような破壊音。
大爆音だった。
「ッううう」
耳鳴り混じりに、ランシールの唸り声が聞こえる。
「め、メルム様。今のは?」
「ダンジョン豚の胃に火薬を詰めた物だ。思ったよりも衝撃と音が出たな。ちょっと待ってろ」
メルムの気配が離れ、すぐ戻って来る。
「よし、衛兵は無力化できている。思った通り、聴力の優れた獣人には効果が高いようだ。追手が全員獣人で幸運だったな」
「あの、もしかして」
ランシールの疑問に、
「助けてやる。黙って付いて来い。痕跡は残すなよ」
意外な返しをするメルム。
裏があるだろうが、死に体の今では頼る他ない。ランシールにおぶられて移動する。
良い匂いがするなぁ、と呑気に思ってしまった。
「所で、そいつ死ぬのか?」
「生き返ったよ………」
嫌味を返す程度には回復した。目も少しずつ見えてきた。
「ソーヤ、大丈夫ですか?」
「大丈夫、何というか。たぶん、溜まった疲れが原因だと思う」
「それなら良いですけど、驚きました」
「悪い」
ランシールは僕を背負い直す。その時、偶然にも手に胸が当たった。彼女は全然気にしていないが、正直色んな情欲が湧く。
「………………」
不謹慎すぎるが、人間死に直面すると子孫を残そうとするとか。そんな状況でない事は僕が一番理解しているのに、体は正直である。
五分ほど黙って歩き。
やがて、周囲をしっかり認識できた。
今進んでいる所は、街の下にある地下通路だ。天井は低く。ランシールの獣耳がすれすれである。どこかのカタコンベのように、人間大の柱が規則正しく並んでいる。
先頭のメルムは、カンテラを片手に歩いていた。
帯剣して、どこかで見た外套を羽織っている。
「おい、メルム。それ」
「エアから借りた。便利だな」
「後で返せよ」
「分かっている。娘の物を取るほど、さもしい父親ではない」
「ワタシの父は、情を欠いた卑しい人間ですけどね。本当に幻滅しました」
ランシールは怒り心頭の様子。僕も同意見である。
「あまり嫌ってやるな。あれはあれで、色々と考えているのだ。王とは時に、非情で異常な判断を下さねばならない。それは家族や恩人が相手でも変わらない」
珍しさに拍車をかけ、メルムがレムリア王を擁護した。
「まるで納得できません」
「王者の女であるなら、納得せずとも黙って飲み込め」
「おい」
メルムの発言を威圧で黙らせる。その棘は僕も刺しているぞ。
「お前もだぞ? 王の血筋を抱いているのだ。多少でも自覚を持て、いつまでも庶民の心積もりでいるな」
「やかましい」
って、王の血筋って何だよ。
まさか、テュテュの事じゃないだろうな? やっぱりお前が父親か?!
「で、お前らが衛兵に追われている理由と、先程の大通りの騒ぎはどんな関係がある? レムリアの密偵とエリュシオンの執政官。それと、獣臭い男を見たが」
「執政官に飯を出したら、変な疑いで拷問された。それを振りほどいて、レムリア王をぶん殴ったら追われる身だ」
「ぶふっ」
メルムが吹き出した。
「あ、あいつの禿げ頭を殴ったのか?」
いや、殴ったのはアゴだけど。妙な所がツボだったようで、背中がプルプルしている。
こいつも人並みに笑ったりするのか。
「………いかん。調子が崩れた。変な話をするな。で、執政官の疑いとは、どんな疑いだ?」
「確か、獣の王とか」
今の今まで忘れていたアーケインの言葉を思い出す。
『彼は獣の王を探している』
キウスが探している【獣の王】と、執政官にそれを任命された僕。無関係ではないのだろうが、さっぱり関連性が分からない。
いや、あいつらとの会話に重大なヒントが。
ヒントがあったのだが――――――
「………クソ」
「ソーヤ、どうしました?」
「いや、少し頭が」
拷問前後の記憶がふらついている。
誰が何をいったのか、何を見たのか、何を忘れたのか、それが全部ごちゃ混ぜ状態で、何が何やら分からない。
これは整理に時間がかかるな。
今すぐには無理だ。
「………………」
メルムは無言だった。考え込んでいるようにも見える。
「確かに、獣の王といわれたのだな? エリュシオンの執政官に?」
「間違いない。ランシールも聞いていた」
「はい、間違いありません。メルム様」
「時折、執政官が獣の王を捕らえたと噂が流れる。地域政治や世情に関係なく、無作為な故、執政官のパフォーマンスと思い込んでいた。しかしそれが、異邦人を捕らえていたのなら、全てに合点が行く」
「異邦人を捕らえる? 何故に?」
また、頭に霞がかかる。
分かっている気もするが、思考が噛み合わない。
「お前は実に馬鹿だな。簡単な事だ。奴らは、知識が欲しいのだ」
記憶の一部が合致する。
そうだ。
奴らは、A.Iのパスワードを欲していた。一世代古い知識の規範だが、電子的な知識の保存や、システムをある程度理解しているという事だ。それは恐らく、他の異邦人から奪い取った知識なのだろう。
厄介だぞこれは。
今からでもマキナの設定を変えないといけない。と、肝心な時に雪風も通信手段もないと来ている。
「お前が得意気に作った料理に調味料、調理器具一つをとっても莫大な利益に繋がる。占有できるなら、したいものさ。だが解せないのは、エリュシオンの衰退だ。
負け続けている戦争もそうだが、愚かな経済体制に放置している政治的な腐敗。お前のようなチンケな異邦人一人ですら、レムリアの食文化をここまで盛り上げたのだ。それがエリュシオンで起こらないのは、意図的なのか、愚かすぎる故なのか、もしくは――――――」
「自ら滅びたいとか?」
知識を集めて封殺するとか、ぱっと思い付くのはそれくらいだ。
もう一つは、メルムがいうように愚かすぎる故か。
「分からんな。支配者という者は進歩と発展に貪欲なはずだ。そうでなければ務まらぬ。現世界最大の国家がそんな世迷い事など」
「あ!」
それよりも、
「エアや、マリア、レグレを避難させないと。僕らは大丈夫だから、そっちを」
彼女達の方が心配だ。
「それは安心しろ。レムリアとは長い付き合いだが、女には無意味に温情をかける」
「父がもし、非道に非道を重ねるならワタシが命を賭けて正します」
ランシールの危ない決意はともかく。
「メルム、安心して良いのか?」
「今心配するのは、お前自身の身の振り方だ。何か策はあるのか?」
「うーん………………ランシール?」
さっぱりないので、彼女に意見を求める。
「ソーヤ、ワタシに良い考えがあります」
「おお」
妙案か?
「父を王座から引きずり降ろして、この国を乗っ取りましょう」
「駄目だ!」
驚きの提案である。
簒奪とか駄目でしょ。無理でしょ。この国、大混乱でしょうが。ダンジョンに潜る所じゃないでしょうが、冒険者から王様にクラスチェンジしても、何のメリットもないのに。
「良い考えと思ったのですが」
「なるほど、それもありか」
何故か、メルムは乗る気である。
「おい、王との長い付き合い」
こいつには友情とかないのか? 友達にしたくないエルフナンバーワンだ。
「冗談はさておきだ。策がないなら、私に良い考えがある」
嫌な予感しかない。
と、メルムは足を止めた。
地下通路の一角に扉がある。そこを開けると、部屋が一つあった。
中に入ったメルムが照明を点けると、小奇麗で快適そうな内装が照らされる。
ワンルームタイプの間取り。
こじんまりとしたキッチンに、テーブルと椅子。周りには収納家具。奥には大きなダブルベッドが見えた。
入ってすぐの両隣に戸がある。
「トイレは左、風呂は右だ。キッチンに火を入れて置くと、風呂場でお湯を浴びられる。食料は二十日分あるはずだ」
セーフハウスにしては上出来である。
ランシールの背中から名残惜しくも降ろされて、椅子に座らされる。
「ソーヤ、体の調子は?」
「まだ少しといった所」
歩けるが、走る事はできないだろう。後、酷い頭痛がする。記憶もグダグダのまま。
何だろうこの症状は。長続きしなければ良いけど。
「メルム、助かった。礼をいう。それで、策とは?」
「お前ら二人で―――――」
「は?」
それは、耳を疑う提案だった。
「ワタシは大丈夫です」
ランシールは乗る気である。女性って、こういう時の判断は凄いな。
「メルム、他に策は?」
「ないぞ。三日やるから、適当にしておけ。エア達には私から伝えておく」
いや、まてまて他に手段があるだろ。
何か考えないと、
「じゃ、私は行く。代行英雄の動向を調べないとな」
さっさとメルムは部屋を出て行く。
「ソーヤ、ワタシは汗を落としたいのでお風呂に」
ランシールはキッチンの火元を弄るとお風呂に。
「おい、忘れていた」
扉が開いてメルムが何かを投げ寄こす。受け取ると、液体の入った小瓶だった。
「エルフの秘薬だ。体力を回復しておけ」
そしてメルムは消えた。
妙に今日は気遣ってくれる。気持ち悪い。まあ、ありがたく一気に飲み干した。
「甘っっっ!」
圧縮した蜂蜜のような甘さ。ズキズキと頭痛が悪化する。
「これ効果あるのかよ」
目眩が酷くなる。熱もある気がする。最悪だ、飲むんじゃなかった。
体調が悪くて椅子に座っていられないので、奥のベッドに行く。
横になると楽になった。同時に、猛烈な眠気に襲われる。
いや駄目だ。寝るな。
何か考えないと、
策を、この状況を打開する策を、メルムの策はリスクが多すぎる。それに僕は………………あれ? 僕は何だっけ? かなり大事な事を忘れている気がする。
うあ………………眠い。
気分が悪い。
あの薬ロクなもんじゃないぞ。 賞味期限切れじゃないのか?
でも考えないと、
ええと、策を。
レムリア王とキウス、執政官をこの世界から消す方法を。
いやいや、消しちゃ駄目だろ。
もっとスマートに考えよう。永遠に僕の前から邪魔者を消して、安心してダンジョンに潜れるような世界を作り………………何かこれ悪の親玉みたいな考えだな。
「ソーヤ、お風呂入りますか?」
「いや、すまない。今は横になりたい」
お風呂上りのランシールが出て来る。タオル一枚というあられもない姿。
濡れた女性は何故に魅力的に見えるのかと論文を。
これ前にも、似たような事を考えた気がする。
「少し待ってくださいね」
ランシールは視界の外に引っ込む。
収納家具を開ける音がした。後、衣擦れの音も。
再び現れたランシールは、スケスケのネグリジェ姿であった。メルムの趣味だろうな。こんな所で気が合うとは。
「体を拭いて怪我を見ないと、拷問の傷もあるのでしょ?」
「それは大丈夫だと思う」
再生点の効果内だったはず。と、何となく容器を確認してみると赤い容量が空になっていた。
いつの間に。
体調不良と関係があるのか? 分からない事だらけだ。
「じっとしてくださいね」
ランシールが隣に座る。艶っぽい声で心臓が高鳴ってしまう。
濡れた布で顔と首筋を拭かれた。
たどたどしい手つきでシャツを脱がされる。胸と腹を撫でられる。
「よかった。怪我はないみたいですね」
「頑丈なだけが、取り柄だからな」
「そんな事はないですよ」
「そうかなぁ?」
他の取り柄は思い付かない。欠点なら沢山思い付くけど。
「例えば、優しい所とか、勇敢な所とか、凝り出すと止まらない所とか、人に平等な所とか、子供好きな所とか、ワタシはソーヤの良い所を沢山知っています」
近い。
と思ったら、ランシールが覆い被さってきた。
彼女の両手は僕の首に、胸は胸に、脚は絡み、唇は耳に。
「な、なあランシール。たまにテュテュにもされるのだが、耳にキスって何か深い意味でも?」
「あの、ハレンチ泥棒猫」
しまった怖い。
地雷を踏んだかもしれない。抱き締める力が結構強い。
「ソーヤもソーヤです。こんな事も知らなかったのですか?」
「すまん。何かタイミングが悪くて聞きそびれた」
「逆に考えれば、あの泥棒猫以外の獣人女とは“無い”という事ですね。安心しました」
「いやいや、テュテュくらいしか相手にしてくれないよ。しかもお金払ってたし、向こうも仕事だからね」
「ソーヤ、何かおかしいですよ?」
「おかしい?」
記憶が? あ、もしかしてエアとイチャイチャしてたの見られてた? でもあれ妹だぞ。何だか婚約宣言もされたけど、一時的な気の迷いに違いない。
本当に結婚など。
結婚など………………結婚?
それについては、大事な意味があったはず。僕は確か………あ、クソ。駄目だ霧がかかる。
「ソーヤ」
「ん?」
また耳にキスされた。
「これの意味を教えてあげます。たっぷりと」
「え?」
いや、それよりも策を考えないと、状況を打開して日常を取り戻す為の―――――
「ん」
思考は唇と共に塞がれる。
前にもこんな事はあったし、ランシールが情熱的なのはいつもの事。でも今回は質が違う。これで終わらないという確固たる意志を感じた。
舌が絡む度に、まともな思考が奪われて行く。
触り、触られ、蛇のように互いの体を絡ませる。
熱いモノが込み上げ来た。
僕もランシールの耳にキスをする。獣の耳と、続いてヒトの耳にも。漏れる甘い声に情欲が掻き立てられた。
尻尾の根本を指で掻き回し、尻肉を鷲摑みにして乱暴にこね回す。震える肉に、湿り吸い付く肌。吐息も甘く、肉も甘く、脳がとろけて何も考えられなくなり。
そして、獣になった。
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