<第三章:獣の王> 【04】


【04】


 景色が急転する。草原から、薄暗い地下室に。

 目の前には、

「ぼごっ」

 と、目と口から黒い血を吐き流す黒青ドレスの少女。このバケモノは、何故か僕の口に舌を差し込んでいた。

 口の中に腐った内臓の匂いが広がる。舌を刺激する苦味に吐き気を催す。

 怒りと共に、沸き立つ再生点。

 呪いの一部が僕の体にも流れ、全身に異常な力が満ちる。

 狼のように歯を剝き出し、僕は枷を引き千切った。肉や骨も無事ではない。しかし、瞬時に傷は癒える。

 手刀で助手の胸を貫く。

「チッ!」

 狙いを外した。

 僕は呆然と立つ執政官を狙っていた。助手が庇って間に入ったのだ。

「ユッタ。逃げ―――――」

 思ったよりも抵抗感はない。

 だが、左胸に右腕の肘までが潜り込む。助手はそれで絶命した。

 執政官はドレスを掴むと、一つしかない階段を駆け上がる。

「逃がすか!」

 追おうとする僕の前に、入れ替わりで城の衛兵が大挙してきた。

「なっ!」

 兵達は長盾を構え、槍の穂先を僕に向ける。

 全員まともな目をしていない。操られている? さっき僕が虜になっていた術と同じか?

「くそっ」

 レムリアの衛兵は猛者揃いだ。

 素手で手加減して、どうにかなる相手じゃない。それに兵の中には、飯を振る舞った事のある顔もある。そんな人間を殺せるのか?

 しかし今、執政官を逃がす訳にはいかない。

 応援を呼ばれたら、大群がこの国を囲む。レムリア王は間違いなく、僕に関わりのある全ての人を売り払うだろう。

 あの男は、国を守る為なら身内すら売る。

「だってのに」

 一難去ってまた一難。

 ジリジリと、床に倒れたランシールと距離を開けた。

 手元の死体を盾にして、衛兵達の出方を見る。虫一匹通れない包囲。

 これを突破するには、

「すまん」

 やるしかない。

 逡巡は僅か。格上相手なら一切の油断はしない。情も殺す。この命だけならくれてやるが、それだけで済まない事なのだ。

「ソーヤ殿!」

「って」

 階段から別の声。大槍を持った小柄な獣人が飛び込んでくる。

「屈んでください!」

 衛兵長にいわれるまま伏せる。

 頭上で旋風が巻き起こった。

 槍の一薙ぎで、盾を持った衛兵達が壁に吹っ飛ばされる。一撃で半分は気絶したが、残りはゾンビのように立ち上がり襲いかかって来た。

 その全てに、槍の石突が突き刺さり意識を奪う。無駄がなく丁寧で、故に最速の動き。

「無事ですな!」

「はい、無事です」

 何だか神技を見せられてポカンとしてしまった。

 衛兵長は僕とランシール、助手の死体を見て、

「ソーヤ殿は、こいつらを殺せるのですな?」

「ええ、まあ」

「逃げた執政官を捕らえます。手を貸してください」

「了解」

 利害が一致した。

 走る衛兵長の後ろに続く。階段を駆け上がり、城の中を走る。城内には慌てた雰囲気が流れていた。

「あの執政官と助手には、ヒームを操る術があるのです」

「ああ、なるほど」

 襲って来た衛兵は皆ヒームだった。

「無論、我が王も操られていた。ソーヤ殿を、見す見す彼奴<きゃつ>らに渡したのは、そういう事です」

「ほう」

 普通に売られたと思ってた。日頃の信用って大事だと思う。

 犬のように走り、衛兵長と二人で城の屋上に立つ。

「弓の名手と聞きましたが」

 屋上に用意してあった弓を受け渡される。身の丈ほどあるロングボウだ。

「昔は得意だったが、今はどうかな」

 試して見るしかない。

「ここから奴を射ます」

 通りからは目立たない城だが、その屋上からはレムリアの大通りが見通せた。

 人波の感じから時刻は昼下がり、今日は珍しくまったりとした人の流れと数。

「土地勘のない者に路地裏は使えません。迷って大通りに戻るしかない。恐らく、執政官は今すぐにでもこの国から逃げ出し、近港の騎士団に救援を求めるかと。なれば、ここを張るのが定石でしょう」

「他の大門は?」

 目抜き通りの西門以外、レムリアには北、南、東に大門がある。回り道になるが、そこから抜け出して、近港の騎士団に救援を求める可能性も捨てられない。

「手の内にある商会を利用して、北と南で荷馬車事故を起こしました。その事は執政官の耳にも届いているはずです」

「東門は?」

「私の兄弟に守りを固めさせました。問題ありません」

「流石」

 用意が良すぎる。これ絶対裏があるやつだが、詮索は後だ。

「矢は、これを使ってください」

 渡された矢は、限りなく透明に近い素材で作られていた。羽根はなく矢じりもないが、先端は鋭く触れるだけで小さな血の玉を生む。

「二十階層の大蜂の唾液を加工して作った矢です。傍から見れば何に射られたか判別できないでしょう。貴重な物故、二矢しか作れませんでした」

「あの蜂からこんな物が」

 衛兵長もロングボウを手にし、透明な矢を番える。

 僕も久々に弓を構え、矢を番えた。

「ソーヤ殿。現れました」

「ああ、僕も見つけた」

 読み通りだ。

 遠く先。

 大凡、300メートルの地点。

 路地裏から黒と赤のドレス姿が現れる。警戒しながら、周囲と歩調を合わせて歩き出す。

 人混みに紛れる、ゆったりとして目立たない動き。見事な隠蔽だといえる。しかし、僕らからは丸見えだ。

「衛兵長、どこを狙います?」

「足を」

「では僕は肩を」

「ならば先手を頼みます」

「了解」

 一度呼吸を止め獲物と呼吸を合わせる。脳裏で動きを再現して、歩幅と移動距離を読む。

 次に、射撃の予想地点を想像した。

 この感覚が間違っていないのなら、当たるはず―――――いや当てる。

 貫く。

 じっくりと力を溜めながら弓を張り詰める。震える弦を更なる力でピタリと止めた。

 弓を空に掲げ、矢は天を狙う。

 僕にはもう、隠れ名の英雄の加護はない。あるのは妹から学んだ弓の腕のみ。ただし今は、目を閉じていても禍々しい気配が見える。

 見えているモノを射抜けぬ道理はない。それが月や太陽でもない限り。

「射ます」

 鞭のように弦が弾けると、矢は空に消えた。

 矢に己の魂が乗り移ったかのように視界が空を浮かべる。山なりに飛んだ矢は、一定の高度から緩やかに落下した。

 重力で加速した矢は、放った時の鋭さを保ち、当たる寸前に察した執政官の肩を貫く。

 バランスを崩して執政官は倒れる。

 周囲のざわめきが聞こえた気がした。

 隣で衛兵長の弓が鳴る。

 感覚的に当たると予感。

 立ち上がろうとした執政官は再び転んだ。衛兵長の矢は膝を貫いていた。これなら当分、歩くこともままならないだろう。

「この後は?」

「密偵が捕らえます。手傷を負った状態なら問題ないはず」

 周囲に潜んでいた密偵が、一斉に執政官に近づく。

 全員獣人で、中には褐色の猫獣人もいた。傷を見るような形で、周囲に悟られないよう執政官を縛り上げて目隠しと猿ぐつわを噛ませる。

 馬車が近くに止められ荷台に執政官を乗せた。

 見事な人攫いの手際である。

 後はそのまま移動するだけ――――――

「げっ」

 とはいかなかった。

 大柄な男が乱入してきた。

 あっという間に、密偵を全員気絶させ馬車を奪い。そのまま街の外に走り去った。

「なん、だと」

 あまりにも急な登場と、手際の良さで衛兵長は驚愕している。

「あの野郎」

「ソーヤ殿?! 今の男を知っているのですか?」

 最悪のタイミングで再登場してきた。

「エリュシオンの代行英雄様だ」

 間違いない。

 キウスの奴だった。

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