<第三章:獣の王> 【03】


【03】


「あなた、お帰りなさいです」

「へ?」

 僕は、自宅の玄関で立ち尽くしていた。

 どうやら仕事帰りで疲れていたみたいだ。

「ああ、ただ今―――――」

 本当に疲れているようだ。妻の名前をど忘れしてしまった。

「夕飯できています。汚い体を洗ったら残さず食べてください」

 妻は無表情できびすを返す。

 いつも通りの光景。なのに何故か、違和感を覚える。自室に鞄と財布と携帯を置くと、お風呂場に行く。バスタブにお湯が張っていなかったので、シャワーで済ませよう。

「冷っ」

 水だ。しばらく待つが水のまま。

「おーい! 給湯器故障してないか! お湯がでないぞー!」

 妻を呼ぶと、

「なるほど、お湯が出るのですか」

「はあ?」

 おかしな事をいう。

「水で洗えば良いでしょう。さっさとして、夕飯を食べなさい」

「ええっ」

 何か酷いな。僕、不機嫌にさせる事したか? 

 とりあえず、我慢して水で体を洗ってお風呂場を出た。妙にゴワゴワするバスタオルで体を吹いて着替えを、って着替えがない。

「おーい、着替えがないぞ」

「はい? 着替えとは?」

 また妻を呼ぶ、

「いや、シャワー浴びたら別の服を」

「なるほど、自分で用意しないのですね」

「ええっ!」

 何だろう。この噛み合わない感じ。異星人と話しているみたいだ。

 妻は異星人でしたとか? はは、まさか。

「少しお待ちください」

 本当に少し待つと、今着ていた物と全く同じワイシャツとズボンを投げつけられる。

 もっと楽というか、寝間着的な物が欲しいのだけど………仕方ない我慢しよう。

「今日の夕飯は何だ?」

「どうぞ」

 リビングに行くと食卓には、

「………………」

 生の野菜と、生の肉、生の素材? もしかして生の小麦?! それと、木のコップに入った水分らしきモノと、もうしわけ程度に塩が盛られている。

 ふむ。

 これは酷い。

 飯不味な嫁と思っていたけど、あれ? でも、おかしいな。

「ご飯は?」

「これがご飯ですけど?」

「いや、お米の事だ」

「オーコメ?」

 やっぱり変だ。他の料理ならいざ知らず、お米を炊く事だけは得意だったはずなのに。

 卵かけご飯で何度か飯を済ませた記憶もある。ご飯さえあれば、適当な付け合わせでどうにでもなって来た。

 あれ? その付け合わせって誰が作ってた?

「なあ、お前。今日は何か変じゃないか?」

「変とは?」

「こう、全体的に全て。何もかも」

 と、小さい足音が背後から近づく。ペタリ、背中に貼り付く何か。

「おとーさまー」

「は?」

 振り向くと、小さな女の子がいた。長い栗毛に覆われて顔色は見えない。愛らしいと感じるのと同時に、異常な不気味さを覚える。

「これを開けてください」

 彼女の手には、小さな箱が一つ乗っていた。

 いや、箱というより円柱のポットだ。それに妙な既視感が湧く。

「何故、僕がそれを開ける必要が?」

「鍵を失くしてしまったの。だから、開けてください」

「そうか、失くしちゃったのか」

 ポットを受け取り、鍵と連想して、音声のパスワードを思い出す。

「早く開けてください」

「ちょっと待て」

 どうしようもない違和感で、声を閉ざす。

「マキナはどこだ? ランシールは? エアは? 雪風は? マリアは? この家おかしいぞ。そもそも何で現代様式なんだ? おい………………お前誰だ?」

「失敗であります」

 妻と名乗った女がいう。

「失敗でありますな」

 子供と名乗った女がいう。

「やり直してあります」


 ぐにゃりと景色が歪む。


 

「あなた、お帰りなさいです」

「へ?」

 僕は、自宅の玄関で立ち尽くしていた。

 どうやら仕事帰りで疲れていたのか? そうでもない気が。

「ただい―――――」

「お風呂入って、夕飯にしてください」

「分かった」

 妻の言葉に急かされ、お風呂場に。上着と鞄を、

「あれ?」

 もう手元になかった。というか、

「なあ、聞いて良いか?」

「何でしょう?」

 お風呂場を出て妻に訊ねる。

「僕の仕事って何だ?」

「ダンジョンに潜る事ですよ。あなたは、冒険者ではないですか」

「………この格好でか?」

 このズボンとワイシャツ、タイ姿でダンジョンに潜っていたのか?

 てか、疑問符が多い僕である。

「おかしいですか?」

「おかしいですね。後、お前にも一つ疑問が」

「何でしょう」

 妻の胸を見る。

 わずかな膨らみで萎んだ風船のようだ。

「お前、そんな貧乳だったか?」

「この野郎です」

 怒った妻にスネを蹴られた。これもおかしい。妻は、僕に暴力を振るうような事は絶対しない。

「………お前、誰だ?」

「おとーさまー」

「え、更に誰?」

 知らん女の子に擦り寄られる。

「箱を開けて」

「だから何の?」


「これは駄目ですな。シチュエーションを変更するであります」

「そうですな。記憶を再現しましょう」


 ぐにゃりと景色が歪む。



「お兄ちゃん。お帰り」

「誰だ?」

 玄関で気付くと知らない女が目の前にいた。

 いいや、少し前に見た気がする。

「お風呂入って、夕飯にして」

 少女が杖をついて歩いている。古びた廊下だ。壁には古い洋画のポスターが貼ってある。

 築40年の二階建て木造住宅。

 ボロい部分はあるが、色々と直して住んでいる。耐震設計と頑丈さは折り紙付き。

 リフォームしたお風呂場に直行した。

 気前よく全部脱いで、軽くシャワーを浴びた後、湯船に浸かる。

「あ˝~」

 心が洗われるようだ。

 さっぱりした後、用意された着替えに袖を通しリビングに。

 ちゃぶ台には、

「ええと?」

 何もなかった。

「あたしが料理できるわけないじゃない」

「そうだったな」

 彼女は料理というモノが壊滅的に駄目だった。冷蔵庫を開けると、冷凍したご飯に、カルパス、卵に長ネギを見つける。

「チャーハンでいいか?」

「あたしチャーハン好き」

 なら良い。

 というか、彼女は好き嫌いのない奴だ。何でも美味いと食べる印象がある。

 フライパンを火にかけて、ちゃちゃっとチャーハンを作る。

 カルパスと長ネギを小間切れにする。多めの油で具を炒め、よく溶いた卵を入れてフワっと火を通したら、ご飯を投入。

 お玉で混ぜて混ぜて馴染ませたら、ウェイパーと醤油を入れて更に混ぜる。

 軽く味見して塩コショウを追加。仕上げにゴマ油をひとたらし。

「できたぞー」

「はーい」

 できたチャーハンは五人前。

「れ?」

 僕と彼女の二人前で良いはずだが、何故に五人前も作った?

「お兄ちゃん、お腹すいたー」

「分かった分かった」

 ちゃぶ台の傍では、彼女が足をバタバタさせて待っている。

 チャーハンを並べたら、麦茶をコップに入れて、夕飯開始。

『いただきます』

 五人分の声が響く。

 彼女と、知らない双子、後もう一人、黒髪の幼女がスプーンを持っていた。

 双子は凄い勢いでチャーハンをがっついている。

「ほほう。助手モーニエラ。これは中々、変わった味わいであります」

「執政官ユッタ。同感であります。粒々の野菜とは、粒々でありますなぁ」

「君ら誰?」

「あたしの友達」

「変わった友達だな」

 彼女の友達なら仕方ない。食い方が大分下品だけど。

「そうそう、お兄ちゃん。お願いがあるのだけど」

「ん? 何だ」

 彼女は、ちゃぶ台の上にA.Iのミニポットを置く。

「これ開けたいのだけど」

「へ?」

「パスワードを忘れちゃって」

「ああそうか、それなら―――――」

「ソーヤ隊員」

 黒髪の幼女に急に呼び止められる。

 妙に大人びた落ち着いた声である。しかし、リスのようにチャーハンで頬を膨らませコミカルな顔になっていた。

「私的には………むぐ、んん、もう少し辛くても………んぐんふ………うむ、良いです」

 幼女は麦茶を一気に飲みして、チャーハンを流し込む。

 もっとよく噛んで食べなさい。

「なので、四川ソースを所望します。後、ザーサイください。お漬物でも良いです」

「あったかな? ちょっと待ってくれ」

『いえ、待つであります』

 腰を上げると、双子に呼び止められた。

「貴様は誰でありますか?」

「意識外の存在であります」

 双子が黒髪の幼女を睨み付けている。歪んだ恐ろしい形相だ。

 幼女はスプーンを置くと、涼しい顔で双子を睨み返す。

「あなた方の悪趣味極まりない方法には、ヘドが出る思いです。ですが、時間を繰り上げて同じ食卓に付けた事だけは感謝しましょう。ソーヤ隊員、あなたが見る夢にしては、これはヌル過ぎる。そろそろ現実に戻る時です」

 双子はどこからか剣を取り出して、幼女を突き殺した。

「排除完了」

「ですが、発生源が分からないであります。別のシチュエーションを選択しましょう」

「了解であります。執政官」

「では、助手。次の夢に、次こそは鍵を開ける言葉を」

 双子が幼女を両断して首を断つ。

 ゴロンと転がる幼女の頭。それが最後に口を開いた。

「小エビのアヒージョ。そこに、この悪夢を壊すヒントがあります」

 アヒージョ? ゲトさんが好きなアレか?


 ぐにゃりと景色が歪む。



 風を感じた。

 草原に立っていた。

 遠くには巨大な建造物。角笛を突き刺したような形のダンジョン。

 々の尖塔。

「おう、ソーヤ。まだか?」

「へ?」

 傍には、キャンプ用の椅子に座った魚人が一人。

「ほれ、油鍋だ。油鍋。はよ食べたい」

「え、ああ、そうでした。すみません」

 土鍋に張られたオリーブオイルにはニンニクと鷹の爪が入れられている。そこに、剝いた小エビを入れて、火にかけながらグツグツ旨味を抽出していった。

 知恵の輪を遊んでいるゲトさんの隣には、同じく双子が知恵の輪で遊んでいる。

「助手、この器具には何の意味が?」

「執政官、恐らく知育玩具と思われます」

「なるほど、これで子供の腕力を鍛えるのですね」

「はい、そうであります」

 双子がバキンっと知恵の輪を引き千切った。

 ほどなくして、小エビのアヒージョが完成する。

「ゲトさん、冷ましますのでお待ちを」

「いや、問題ないぞ」

 ゲトさんが額にペタリと鱗を付ける。全ての熱と炎から身を守るという竜の鱗だ。

「ああ、それがあるなら熱い物は………………あれ? ゲトさん」

「ん、どした」

「いえ、あの、この時にはそれはまだなかった気が」

 軽い目眩。

 何を疑問に感じたのか忘れた。

「すみません、何でもないです。食べましょう」

「うむ」

「ほほう。油で海産物を煮立てるとは。助手、食べた事ありますか?」

「いえ執政官、初体験であります」

「パン切り分けるぞー」

 僕が四人分のパンを切り分けて、皆でアヒージョをパンに漬けながら食べる。

「うむ! これだな!」

 ゲトさんの眉がクワッと歪む。

「ほほう、助手。これは中々お目にかかれない味」

「執政官、確かにであります。美味しいのでちょっと黙りますね」

 双子と魚人がアヒージョとパンを取り合う。何か凄い光景なので、僕はやや引いた。

 買い置きのパンが全部なくなり、しかも最後の方はパンで鍋を拭きながら食べていた。

 意地汚い食べ方である。

「うむ、食ったなぁ」

「食べましたねぇ」

 僕も結構食べられた。何故か、あまり満腹感はないけど。

「では、異邦人。腹も満足したので、これを開けるであります」

 双子の片割れがA.Iのミニポットを取り出す。

「開ける?」

 そうだな。僕はこれを開けないといけない。そんな気がする。

 パスワードは確か、

「コードブレイク」

「ソーヤ。どれ、食後の腹空かしに一つ話をしてやろう」

「え?」

 ゲトさんが、僕の声を遮り急に語り出す。

 いや、これも自然な事だ。“前に”聞いた時は自然な流れだった。

「待つであります。助手、記憶のコントロールができないであります」

「執政官、何か、我々が支配を妨げる存在が」

 ゲトさんが話を続ける。

「古代。神依りの時代が終わり、人の歴史が始まって間もない頃。

 獣人を統べた王がいた。

 名を獣の王――――――――――」


「執政官ユッタ。緊急措置により接続を切るであります」

「助手モーニエラ、了解であります。しかし、そちらは?」

「いえ、ユッタ。間に合わないであります」


「そうだな」


 執政官は光に包まれ消えたが、助手の方は僕が腕を掴み引き留めた。

「ここまで人の心に土足で入り込んだ報いだ。最後まで聞いていけや」


 魚人の神官は、呪われた名を口にする。


「ラ・グズリ・ドゥイン・オルオスオウル」


 いや、それは僕の口から別の意味として語られる。


「我ら、旧き、血の始原を、永劫に憎まん」


 呪いの言葉である。

 助手の目と口から黒い血が溢れる。

「貴様、何故に王子と同じ呪いの!」

「黙れ、人喰いのバケモノ」


 そして、世界が壊れた。

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