<第三章:獣の王>


<第三章:獣の王>


 夜も更け、お風呂上り、自室にて、

「うあ~」

 僕はベッドの上で、唸りながら体をくねらせる。柔軟体操ではない。

「そんなに嫌なら、断ればよいじゃないの」

 ラナにそんな事をいわれる。

 彼女は鏡台の前に座り、眠る前の身支度をしていた。

「断った方が面倒になる」

「そういうものなの?」

「そういうものだ」

 僕の経験上そうだ。

 ちなみに、暗殺の件ではない。

 レムリア王から直々に、執政官の歓迎料理を作れと命令が来た。

 腕の良い料理人など沢山いるのに『冒険者が飯を作る事に意義があるのだ』とか、何とか、よく分からん理屈を述べられた。

 僕みたいな異邦人が、大っぴらな場所で料理人の真似とは。

 自信がない。

 それに面倒くさい。

 腕の良い料理人は他にもいるし、僕の場合は物珍しさが受けているだけだ。実力じゃない。

 だからといって断ると、僕の代わりは瑠津子さんだ。

 執政官の悪い噂を知っていれば、任せられない。

 女性だし、同郷の人間だし、一時的とはいえパーティを組んだ事のある友人だ。何かあった後では、取り返しがつかない。

 でも、面倒くさい。

 でも、やらなくてはならない。

「ぬー」

 こんな気持ちである。

「はいはい、仕方ないのね」

 良い匂いが近づく。ラナもベッドの上に乗って来た。そっと僕の頭を崩した膝に乗せてくれる。

 時々、色んな人間に忘れられるが僕は妻帯者。

 エルフの妻がいる。

 妄想ではない。

 夢見心地ではあるが現実だ。

「私がいうのもおかしいけど。難儀な人ね」

「誰が?」

「あなたが」

 そうか? あんまり自覚はない。今まさしく、こんな良い目にあっているのに。

「でも嬉しい。最近やっと、私に色々話してくれるから」

「それはまあ、うん」

 最近、ラナと一緒にいると気が緩む。ついつい、こんな下らない事を話してしまう。格好悪いと思うのだが、彼女はそれが嬉しいという。

 女心の分からない所だ。男の見栄ともいうが。

「明日も早いの?」

「いや、仕入れと下ごしらえはテュテュと瑠津子さんに頼んである。僕は調理するだけだ。城に行くのは………………昼前でよいかな」

「それじゃ、久しぶりにのんびりとできるのね。あなたは朝も早いし、眠るのも遅いから体を壊さないか心配で」

「頑丈なのが取り柄だよ。僕は」

 少し態勢を変える。

 ラナの太ももに頬を当てて、頭頂部を彼女の腹に当てた。手持ち無沙汰で、砂金のような髪に手の甲で触れる。

「だからなの」

「ん?」

「丈夫な人ほど一度体を壊すとコロリと逝ってしまうから、母もそうだったし」

「大丈夫だって、死んでも蘇ってやる。君より長く生きてやるぞ」

 死にたがりの僕がいうと、ブラックすぎるジョークか。

 でも、ラナの微笑む気配を感じた。

「そうだラナ―――――」

 何かをいおうとして、髪を撫でられる心地よさに言葉が止まる。

 合わせて、反対側の頬に柔らかな感触が乗っかかる。重たくも柔らかく、水ではないが溺れそうな肉の感触。ラナは二人きりの時、良くこうやって体重を預けてくる。

 やっぱり重いのだろう。

 しかし、太ももと胸に頬を挟まれるとは、ここは天国か。

「何?」

「あーえーと………………」

 頭が働かない。ホント、人を駄目にするおっぱいだ。

 けしからん。

 ウトウトと眠りかけながら、ぼんやりと思った事を口にする。

「ラナ、グラッドヴェイン様の訓練、辛くないか?」

「辛い、けど」

「けど?」

「魔法と違い。日々強く慣れるという実感を得られるのは、得難い経験なの。ホーエンス学派の監禁図書館で勉強している時は、不味いパンと萎びた野菜を食べて、延々と物語を記憶して行くだけだったし。知識の集大成を破壊で表現できるのは楽しかったけど、私には今の方が合っている気がするわ。ご飯も美味しいし」

 やっぱりラナには、グラッドヴェイン様の血が濃く出ている。

 古い勇士の血。

 戦いと名誉に、生と死を見つける血だ。

「どうしたの?」

「あ、顔に出ていたか?」

「出ていなくても分かるの」

 髪を軽くかき回された。妙にゾクゾクする手遣いである。

 姉にからかわれているみたいだ。

 エロくておっぱいの大きいエルフ姉とか最高か。いや、妻だった。

 よく分からん。

 ラナと触れ合っていると、思考が溺れる。

「今は、イヤラシイこと考えているでしょ」

「これは顔に出ていたな」

「うん、出ていたわ」

 反省。

 悟られず欲情できるよう訓練しよう。

「あ~ラナ、何か欲しい物はないか?」

 ごまかしついでに聞く。女性は金がかかるというが、普通と比べるとラナはかからない方だ。

「立派な鏡台をもらったのに、そんな贅沢な」

 部屋に置いた鏡台と椅子。元々は破損して値が付かない物だった。それをマキナと修理して使える物にした。

 手間はかかったが、金はかかってない。

 ラナは上級冒険者になって魔法の講習なんかもやっている。その収入で化粧品や衣類、簡単な嗜好品などは買ってしまっている。

 女性は金がかかる生き物なのに、僕にあまり金を使わせてくれない。男の自尊心の為に、もう少し出費させて欲しいくらいである。

 良い妻だが、

 いや、僕には過ぎた女に思える。

 あ、そうだ。

 聞きたい事を思い出した。質問が前後したけど。

「ラナ、どうして強くなろうと?」

 鍛えるのが好きにしても、訓練内容は苛酷過ぎる。

 強さを求める先にあるのは、危険な戦場と強敵。待っているのは、勇士の誇り高い死の誉れ。

 これは僕のワガママだが、自分の女が命を賭して戦う様は見たくない。

「私が強くなりたい理由………………てっきり気付いていたとばかり」

「すまん、全然気付いてなかった」

 夫失格である。

 関係ないが【夫】という字と、【失】という字は何故に似ているのか。

「簡単よ。あなたを安心させる為」

「え? ん?」

 いや、逆に不安なのだが。

「私が強くないと、あなたが安心して居なくなれないでしょ」

 その言葉は、思ってもみなかった。

「そもそも、私とあなたでは寿命が違う。後、あなたは無謀な事が好きだし、一人で相談なしに勝手気ままに死にかけるし、一度急に消えましたし。それに、あなたは異邦人。故郷が違う。この土地に骨を埋めるつもりもないでしょ?」

「………………」

 何故だ。

 何故、僕は、答えられない。

 そんな事はないといえ。

 簡単な事じゃないか。今更、日本に帰るつもりなどない。企業の金なんていらないし、帰りを待つ者もいない。

 トーチの願いを聞いて五十六階層に到達しても、日本に帰る理由にはならない。

 冒険を終わらせた後、

 ここで、この世界で、ラナ達と余生をのんびり過ごせるはずだ。

 その願いは喉元まで来ているのに、声に出せない。

 何かが、何かが邪魔をしている。

 何だよ、僕が帰らなくちゃいけない理由って? ないはずだ。そんな者いないはずだ。


 ないはずなのに!


 何が僕の邪魔をしている?! 魂が震える。怒りと焦燥で心が焦げ付く。大事な者が思い出せない。目の前にラナがいるのに、これ以上の者などないはずなのに。

 腹が立つ。

 己の無力さと間抜けさに殺意すら湧く。

 それでも思い出せない。

 心と魂がバラけそうな痛み。

「大丈夫。大丈夫だから」

 きつくラナに、頭を抱きしめられた。

 不安を見せてしまったようだ。

 僕は本当に、ダメダメな男である。

「私、もっと強くなるから、あなたが安心して全て任せられるような強い女に、だからもう少しだけ待っていて」

「何をいっているんだ。君は、もう十分強いさ」

 弱いのは、君を信じきれない僕だ。

 強くなりたい。

 強く君を信じたい。

 今は駄目でも、これから先、こんな夜を過ごせばいつの日か、安心して君を信じる事ができるだろうか?

「そう、じゃ試してみる?」

「………………えーと奥さんそれはつまり」

 割と問答無用である。

 まあ、勝ちました。

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