<第三章:亡霊都市ウロヴァルス> 【04】


【04】


 爆弾を受けたような衝撃だった。


 黒に塗りつぶされた意識が戻ると、血で濁った空が見えた。

 鈍い戦いの音が聞こえる。

 距離は分からない。遠いような、近いような。

 意識が闇と光を映す。暗闇には死のような安寧と安らぎが見えた。反して光には激しい痛みと苦しみ。

 血を吐き、焼き付くような喉の痛みに耐えて呼吸をする。

 脳がわずかに動いた。

 状況の認識を、意識を失わないよう、手放さないよう気力を揮う。

 少し前の記憶が蘇る。

 転移トラップは、僕とエヴェッタさんを空高くに跳ばした。常人なら即死するような高さだ。

 僕は何を勘違いしたのか。

 エヴェッタさんを庇い。彼女と彼女の得物の下敷きになった。

 落下の衝撃は、全身の骨と重要な内臓を破壊した。

 落ちた地点は、偶然にも自宅付近と似た場所。レムリアでいう外壁付近の広間。

 丁度、転がっている再生点の容器が見える。

 案の定、空っぽ。しかも、再生点を全て消費してもダメージが残っている。もしかしたら、このまま死ぬかもしれない。

 いや、それより前に殺されるか。

 周囲では、エヴェッタさんが戦っている。

 目に見えて不利な状況。背後で、僕というお荷物を守っているから自由に動けない。

 敵も狡猾で、隙あらば僕を狙おうとする。

「くっ」

 今もまた、僕を狙ったクロスボウを素手で受けて止め、傷付いた。太いボルトが彼女の手首を貫き、得物を落とさせる。

 落下地点で待ち受けていたのは、人型ホーンズのパーティ。しかも四組以上いる。

 一つのパーティが、エヴェッタさんと直接戦い。

 もう一つのパーティは、僕を狙い牽制して彼女の動きを封じている。

 残りのパーティは、ニヤニヤと笑い待機中。

 狡猾で、絶対に負けない冒険者のような戦い方。

 僕は判断をミスった。

 格下の僕が格上の彼女を守ろうなどと、最悪な傲慢だ。信じれば良かった。任せれば良かった。だがしかし、今後悔した所で何の意味もない。

 動け。

 動けと己の体に命じる。

 最低でも、自害できる程度に動けば良い。

 彼女一人ならこの状況は打開できる。

 そうすれば、彼女はパーティの皆を救いに―――――――僕の希望は、あっさり消えた。

 得物を失ったエヴェッタさんが僕に覆い被さる。

 止めろ、と。

 声を出す暇なく。

 エヴェッタさんは、無数の剣と槍に貫かれた。

 肩や腹を貫通して、刃の切っ先が僕の頬に触れる。彼女の鮮血が零れ落ちた。

 どす黒い感情が爆発する。

 動け動け動け、壊れた体を動かそうと意思を練る。全身に命令を下す。それでも、指一つ動かない。

「ぐ、あっ」

 エヴェッタさんは、めった刺しにされた。

 ホーンズは遊んでいた。

 ワザと急所を外し、死なないよう遊んでいる。

 獲物をいたぶる獣はいる。だがこんな、笑いながら人を痛めつけるのは人間だけ。………………いいや、本物のモンスターだけだろう。

 冗談なら笑ってやるから覚めてくれ。

 頼む。

 頼むから、こんな。

 いや………………違う。

 ………………貸せ。

 力を、貸せ。

 我が身に巣くう“呪い”よ。

 これまで散々と使ってやったのだ。一つくらいおまけを付けろ。

 獣だろうが、人狼だろうが、吸血鬼だろうが、何だっていい。

 力を寄こせ!

「ソーヤ、聞いて」

 死相の浮いた顔が近づく。

「何があっても、あなたは生きなさい。生きて、生きて、生き延びて、いつしか成し遂げなさい。それが、わたしの」

 彼女の首に刃が当てられる。一息で喉を裂くような事はしない。ゆっくりと切り裂いて、己の血で溺死させるつもりだ。

 ホーンズが理解できた。

 ホーンズの悪意が手に取るように読めた。

 こいつらは賢いわけでも、狡猾なわけでもない。人間の悪質と、悪辣と、邪曲と、傲慢さを濃く持っただけの化け物だ。

 安心した。

 そんなモノなら、どんな強敵だろうと殺せる。

 遅かったが、

 間に合った。

 溜まった感情を爆発させる。

 僕は、その場の誰よりも速く動けた。知覚全てを置いて行くほどに。

 肉の潰れる音と、消えた仲間を追った視線は、事が済んだ後のもの。

 彼女の喉に刃を当てた男を、壁にピン留めした。

 今の速度と力があれば、刀の鞘でも喉と壁を貫ける。男はゴポっと大量の血を吐き出す。脊椎を砕かれ、血で溺れ、それでも死ねない苦しみを味わっている。

 鞘はそのまま彼に預け、ゆっっっくりと抜刀して大上段で構える。

 なるべく目立つように、注意を惹くように、一瞬でも彼女に気を向けたら、即、首を落とすと殺気を放つ。

 赤い光が見えた。再生点の容器が赤く輝いている。

 どの呪いが応えたのか分からない。知った事ではない。こいつらを皆殺しに出来るのなら、悪魔に魂をしゃぶり尽くされても構わない。

 満ち溢れた再生点が体の修復を始めていた。まだ十全とはいえない。だからこそ、今の僕は最も強い。

 そう獣は、手負いになってからが本物だ。

「来いッ!」

 来る。

 ホーンズの剣士を盾ごと両断した。返す刃で、股間から脳天まで再び両断。三枚におろすと、前衛三匹が同時に斬りかかってきた。

 舐めるな。

 刀を横薙ぎに振るう。痛んだ鋼を薄氷の如く切断した。

 どうやらホーンズには、道具に対する敬意や愛着、整備という概念もないらしい。どれもこれも壊れかけで、まともな状態は少ない。

 まず武器を狙う。

 こいつらの再生能力は侮れないが、得物が身体性能に追い付いていない。例えエヴェッタさんと同じ異常な腕力を持っていても、相手が素手なら僕が圧倒的に有利だ。

 と、

 冷静になれたのがここまで。

 視界の隅に、槍の突き刺さったエヴェッタさんを捉え。

 再び理性が飛んだ。

 暴力的な感情を剣技に充てる。刃の嵐に巻き込み五体をバラバラに刻んだ。手足と首、臓物混じりの血雨が降る。

 強い殺意の現れで、六体目は刺突した。柄を回し心臓を雑巾のように絞る。女体のホーンズは、口から噴水のような血を吐き出しす。

 返り血を浴びる中、空気の流れを察知した。

 抜けない刀を手放す。自然と体が後方に跳ぶ。

 新たに五体のホーンズ降ってきた。刀を受けたホーンズを粗末な槍で突き刺す。

 魔刀を拾う暇はない。しかし背にはまだ得物がある。

 ザモングラスの剣で迫る槍を叩き壊す。

 この頑丈で厚い名剣は、決して切れ味が鈍いわけではない。平均以上の切断力を誇る。だが、今の僕の剣技でこれを扱うと恐ろしいほど鈍った。

 それが功を奏した。

 鈍器のような破壊。

 重装のホーンズの鎧を砕き、兜をペシャンコに潰す。盾も、槍も、剣も、手足も、触れるモノことごとくを荒く潰し、へし折り、破壊した。

 剣に魂があるなら、今まさしく僕の荒れた魂に剣は応えている。

 手足をタコのように砕かれたホーンズが、かん高い悲鳴を上げる。エヴェッタさんは悲鳴の一つも上げなかったのに…………この、この、三下共が!

 急所はワザと外した。

 けれども陰湿に確実に、無力化に専念して武器、手足、目や臓物を壊す。

 僕の姿は獣のそれだが、人間らしく戦いの中で学習する。

 圧死した細胞は再生に時間がかかる。

 だから潰す、ぐちゃりと潰す、捩じり潰す。ザモングラスの剣は、棍棒のようにホーンズを破壊して行く。

 五体目の股間を剣の腹で潰し、柄で脳天をカチ割る。床には悲鳴で合唱する角付き達。

「我が神、残影のブラトヴァステル。絡み、奪い、掴み、突き刺す、ぬばたまなる――――――」

 離れた場所で魔法の詠唱。

 角の付いたモンスターが神に祈るとは、笑える話だ。

「アガチオン!」

 祈りより高く叫んで、魔剣を投げつける。鋭い鞘先は、魔法使いのホーンズを貫く。

 外した。

 貫いたのは腹だ。喉と肺は無傷。

「――――――影の幾手により、愚かなるものを捕縛せよ」

 無数の黒い手が足元から迫る。

 ザモングラスの剣を手放す、これは剣では足りない。もっと大質量の得物でなければ迎撃できない。丁度、足元にはエヴェッタさんの得物。

「ッ」

 槌頭を踏み、柄を掴む。

「ッッおおおおおオオオオオオオオオオッッ!」

 超重力の得物だ。剣のようには振れない。全身で、全霊で、床を擦り、苦しみ悶えるホーンズの体を磨り潰しながら、メイスを振り抜いた。

 一振りで大きな血風が巻き起こる。巻き込まれた黒い手とホーンズは、全て消し飛んだ。

「ブレード! 抉れ!」

 突き刺さったアガチオンがブレードを突出させ、回転して魔法使いの体を抉る。上半身と下半身を分断する攻撃。

 クロスボウのボルトが飛んでくる。

 メイスを両手で振り抜いた態勢、避ける手段も受ける手段もないから、

「ガッ!」

 歯で噛み止め砕いた。

 クロスボウを持ったホーンズは間抜けな顔をする。

 メイスを構え直す。この重量は担ぐだけで体を痛める。再生点の修復がなければ、使うだけで深刻なダメージが残る。だからこそ、今扱える得物だ。

 壊れた体は、破壊された瞬間から強く蘇り、人の域を超える。

 綱の引きメイスを回転させた。床に転がるホーンズを磨り潰して丁寧に殺して行く。

 一掃すると、

「どうした?」

 残ったホーンズはもう笑っていない。

 周囲を索敵、敵影の確認、沢山殺したおかげで、少し冷静に頭が回る。

 残りのホーンズは、パーティ一組、四体。

 クロスボウ持ちの索敵系一体。

 魔法使いが一体。

 戦士風の男一体

 戦士風の女一体。


「さあ、お次は誰だ!」


 女が前に。

 雄牛のような長い二本角を持った銀髪の女。冒険者の戦士装束で、腹や胸元の開いたレオタード姿。武器は、刃がノコギリのように欠けた特大剣一つ。

 顔がランシールに似ている。

 違う、幻覚だ。

 何であれ、角付きは全て壊す。お前らは、僕の大事な女を傷付けた。滅びるには十分な理由だ。根絶してやる。全て磨り潰してやる。

 再生点の容器が更に赤く輝く。眩いほどの明かり。生き物のように粘り纏わりつく光。これが危険な事なのは、本能的が察知している。

 が、知った事か。お前らを殺せれば、僕は他に何もいらないのだ。

 空気が爆ぜる。

 ぶつかり合ったメイスと特大剣が、轟音を鳴らす。

 一合で理解できた。

 この女は強い。とてつもない強さだ。まともな力比べをしていけない強さ。理解できているのに、それでも尚、真っ正面から打ち合う。

 僕の膂力は、片手でメイスを振るうレベルまで達していた。

 速く。

 強く。

 とめどなく。

 無限の力が体を満たす。

 満ち溢れた力は脳髄から溢れ頭蓋を貫き、そこに―――――


「神解きの帳よ」


 落ち着いた声が響いて、全てを中断させた。

 獣の反射速度で、女ホーンズが僕から離れる。

 彼女がいた場所に雷のカーテンが降りた。放電した厚い力の流れが空気を焦がし壁を作る。 


「疾くといね。さもなくば雷落を見るぞ、角付き共よ」


 年老いた魔法使いだ。

 古びた冒険の装備。長い白ヒゲ、長く先の曲がったトンガリ帽子、長い歪な杖。影のような細く長い体格。丈の長い貧相な灰色のローブ。

 シンプルで、質素な、ここまで“らしい”魔法使いは初めて見た。

「さて、どうするかね?」

 杖の石突が床を叩く。驚いた事に、残ったホーンズ達は静かに退いた。

 残ったのは、死骸と残骸。放電する雷のカーテン。

 本当に終わったのか? この魔法使いは。

 今はそれよりも!

「エヴェッタさん!」

 彼女の元に駆け寄る。意識はない。傷も深い。痛々しく無数の槍が突き刺さったまま。

「若者よ、安心するのだ。その角付きは“まだ”死なぬ。傷を開いてやれば、自ずと再生するだろう」

 魔法使いにいわれ、一般的な治療方法ではないが、突き刺さった槍を引き抜いた。

 今更小心な感覚だが、知り合いの肉の蠢きに鳥肌が立つ。

 ぽっかりと開いた肉の穴は、思いたくないが他のホーンズ同様に少しの時間で埋まり、塞がり、完全に消えた。

 口に耳を近づけ呼吸を聞く。静かな寝息。落ち着いて、問題はない。

 とりあえず安心して良いのか。

 気を抜いたせいか、急に体が重たくなった。

 あ、いかん。忘れていた。

「助かりました。あなたは?」

 どちら様だ。この階層では他の冒険者はいないはずなのに。

 組合の救援か?

「違うぞ若者よ。我は組合の者ではない。そなたと同じ冒険者である。放浪と探求の身である故、組織に身を置いた事はない」

「ん………そうですか」

 あれ、声に出ていた?

「我の出で立ちを貧相と評したが、これは友人の手向けでな。才能も容姿も、血も財も、女に友、仇敵と仲間、人の全てを持って生まれたような人間であったが、晩年は弟子の不始末に追われ哀れな最後を迎えた。

 そやつは『清貧』とやらを良しとした為、我も倣ってこのローブ一枚よ。やってみると中々快適でな。つまり魔道の探究とは、思考する頭と、外界と思考を切り離す帽子、転ばぬ為の杖があれば足りるのだ。真理も探究も、己が宇宙に満ち足りてある普遍的な叡智なるぞ」

「ちょっと待ってもらえますか」

 疲れた頭では処理できない情報量だ。

 弟子の不始末で清貧って、それ炎教の始祖? いやいや、ご冗談を。似たような運命を辿った誰かさんだろう。

「確かに人は、信仰する者の運命に引きずられる。悲劇とは、満ち足りた者の娯楽なのだ。いざそれに直面して人は必ず『何故だ?!』と叫ぶ。ここまでが、信奉し過ぎた信者の末路だ」

「色々と、率直に聞きたいのですけど」

 考える事を放棄した。

「何であろう?」

「お名前は?」

 魔法使いは、何気なく答える。

「我が名は、ガルヴィング。巷では、大魔術師だの、法魔だの、神否だの、大それた名を付けられているが、今も昔も只生粋の魔法使いである」

 異世界には、最も名高い魔法使いが三人いる。

 炎教の始祖、大炎術師ロブ。

 狂宴の魔術師、ワーグレアス。

 冒険者の神、ヴィンドオブニクルに名を連ねる法魔ガルヴィング。

 再生点を始め、冒険者が今も尚使う数々の魔法を作り上げた大魔術師。

 冒険者の始祖魔法使いガルヴィング。

「え………………」

 え? 本物?

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