<第二章:プライドとの戦い> 【02】


【02】


 動けない。

 指一本も動かせない。

 首から下を覆う半透明のスライムは、僕を拘束した後、他に何かするわけでもなくプルプル震えている。

「ぶあーはっはっはっ! 見ろよナナッシー! この間抜け面! 自信満々であっさり負けてやんの。悔しーかー? ええ、くやしーかー?」

(アガチオン)

 コソリと魔剣に囁きかけるが、背中を引っ張るだけで終わる。今のアガチオンに、このスライムの拘束を解く力はない。弱体化の弊害がいきなり出てしまった。

「おい聞けよ。悔しいだろ? 悔しいいーんだろー?」

 オラオラとアーケインが近づいて来る。しかし、噛み付くには遠い距離だ。

 うーん、負けを認めてさっさと終わらせた方が良いかな? 

 下手に怪我をしても事だ。エヴェッタさんには悪いが、こいつらの後に同行してもらう形で問題ない気がする。

 多少だけれども、時間に余裕はある事だし。

「あーそれじゃ」

 僕が負けを口にしようとしたら、

「炎よ、炎よ。偉大なる汝の―――――きゃ!」

 呪文を詠唱しようとしたラナが、嬌声を上げる。

 よく見ると、彼女を包んでいるスライムがグネグネと蠢いていた。その度に、ラナの巨乳もグネグネと形を変える。

「なっ、嘘? え、ひっ!」

 ラナが内股になる。どうやら、まさぐられているのは胸だけではないようだ。

「何だこれは!」

 おい! 説明を求める!

「アー、それはデスネー」

 カワウソ獣人が前に出て来る。今も杖を振り続けている事から、こいつがこのスライムを操っているようだ。

「あちきが品種改良した『ブロブ』は、魔力が大好物デシテー。普段はあちきの放出する魔力を食べてますケド。あちきより強力な魔力を見つけルト、それをハムハムしちゃいますカラー。魔法の詠唱は止めた方がヨイカトー」

「………………クッ」

 赤面したラナが押し黙る。するとスライムも静まった。

 悔しい。でも、僕は興奮してしまった。

「え、何?!」

 今度は妹が声を上げる。ラナと同じように、まあ胸はスルーされたが、すらっとした肢体をスライムに撫で回されている。

「フッひゃひゃひゃひゃひゃ! や、止め! くすぐったい!」

「アレー? おかしいですネー」

 大きな笑い声だ。い、色気ないなぁ。

「おい、カキュア。これどうなってる?」

 アーケインの疑問に、カワウソ獣人は首を傾げた。

「うーん。このエルフさん。あちきの放出する魔力ヨリ、潜在している魔力が高いのカシラー?」

「い、いいから止めさせろよ。こんなお金も払ってないのに申し訳ない。結婚前の男が見るもんじゃねぇよ」

 アーケインは顔を両手で覆う。ラナの淫靡な姿を見た時から、耳まで真っ赤だったりする。

 純情か?!

「ええと、今トメー。うりゃレ?」

 エアを包んでいるスライムに異変が。

 エアをまさぐっている内に荷物もバラしてしまったのだろう。雑貨や各種調味料が広がる。その中に、エア特製の辛味スパイスも浮かんでいた。

 それがスライムに混ざって溶けると同時に、

『ピギャェェェエェエエエエエエエ!』

 半透明のスライムが一瞬真っ赤に染まり、風船のように破裂して水と化す。

「お、やりぃ」

 自由になったエアは素早かった。

「ナナッシー! 捕らえろ!」

 アーケインの指示を受け、銀髪が動くより早く姿を消した。

 音も、姿も、気配もなく。完全に世界から消えた。

「ナナッシー!」

「うるさい。敵が捉えられない」

 感覚を研ぎ澄ますナナッシー。

 いくら不可視の外套とはいえ、こう水溜まりがあっては足跡が浮かぶ。

 エアの奴、どう動く?

 すると、

「ッ」

 ナナッシーは、アーケインの襟首を掴み引きずり倒した。

 そうしなければ、額に矢が生えていた。

「わギャ!」

 カワウソ獣人が見えない何かに殴り倒される。

 同時、虚空から現れた矢を、ナナッシーが迎撃する。素晴らしい反応速度だ。

 しかしエアの奴、殺してはいけないというルール忘れてないか? もろ急所狙いだったぞ。

 矢の嵐がナナッシーに殺到する。

 山刀の二本で全てを打ち落すと、矢は僕とラナの方向にも飛んで来た。

 矢はスライムに食い込み。丁度、肩の布を引っ掛ける。

「お兄ちゃん、お姉ちゃん、すぐ戻るから」

 姿を現したエアは、矢で布を絡め取り、引き抜く。

 僕らの赤布を回収すると、エアは再び姿を消した。

「お、おい。あれは何だ?! 聞いてないぞ!」

「いうわけないだろ」

 アーケインの的外れ過ぎる質問に呆れた。

「一人には逃げられたが、まだ二人捕えているんだ。俺様達の勝ちは――――――」

「そんな事ない」

 ナナッシーは状況を理解しているようだ。

「こいつらの布を奪われた。これをどこかに隠されたら、まず回収できない」

 だろうな。あんな布切れ、燃やして処分すれば奪われる心配もない。これで僕らの布が奪われる心配はなくなった。

 そして、カワウソ獣人は完全にノックダウンしている。

 まだ二対一の状況ではあるが、完全に不可視化したエアを追ってダンジョンを進むのは、骨が折れるだろう。

 トラップや、モンスターをけしかける事も出来るし。エアのやりたい放題だ。

 うむ。流石、我が妹だ。あの状況から逆転したぞ。

「おい、おい! カキュア!」

 アーケインはカワウソ獣人を揺さぶるが、全く起きる気配はない。

「ど、どーするんだよナナッシー。あんな消える芸当する奴は追えないだろ」

「問題ない」

 何?

「自分から出て来るようにすればよい」

「おい待て!」

 僕を無視して、ナナッシーはラナの方に歩く。

 止める間も術もなく。山刀は、スライム越しにラナの腹部を突き刺す。

「ッ」

「止めろ!」

 僕の声に応えたわけではないが、山刀が引き抜かれる。

「おいエルフ、叫んでさっきのエルフを呼べ」

 傷はそこまで深くなかった。再生点が癒し、痕もなく消える。

「次は、もっと深く刺す」

「やるなら僕を刺せ!」

「あなた大丈夫よ。私、鍛えているから」

「そう」

 ナナッシーは、次はラナの鎖骨の下に刃を通した。

「っぐ」

 山刀の切っ先が肉に沈んで行く。

「このまま鎖骨をへし折って外す。鍛えていようが関係ない。もう一度だけいう。叫んで、あのエルフを呼べ」

「断ります」

 ラナの気丈さに揺るぎはない。

 僕は、大きな勘違いをしていた。

 動けない相手を拷問のように痛めつける。こいつらは冒険者じゃない。冒険者としてプライドなど何一つ持ち合わせていない。

 敵の本質を見誤ったのは、大きな間違いだ。

「あなた?!」

 刃を受けているラナが、逆に僕の心配をする。それは無視してスライムに潜った。

 一つ観察して分かった事がある。

 このスライム、入る時の抵抗は弱く。出ようとする時の抵抗が強い。そうやって獲物を捕らえて離さない仕組みだろう。

 山刀が引き抜かれる時、そういう風に見えた。

 これも見誤っていたら僕は溺れ死ぬだろう。だが、惚れた女の前で無力でいるくらいなら死んだ方がマシだ。

 片目を必死に開けて、観察する。

 スライムには、不自然に気泡が浮いている箇所が必ず存在する。

 その付近には、無色透明なこいつらの核、急所が存在する。僕は、ラナの料理の副産物であるスライムを飽きるほど倒して来た。

 スライム退治のスペシャリストといってもよい。まったく、こんな技能が役に立つとは。世の中おかしいものだ。

 気泡の位置を確認。

 そこからは勘だが、経験に基づいた勘だ。ここを外す間抜けなら死んだ方が良い。

 大口を開け、何もない空間に喰らい付く。

 口の中にゼリーのような歯応え、味はしないが噛み締める。

 丁度息の限界が来た所で、空間が弾けた。

「う、げほっげほっ」

 核を破壊されたスライムは水分に戻る。

「嘘だろ、おい」

 呆然とするアーケインは放置。

「おい小娘、ラナから離れろ」

 ナナッシーはラナに山刀を突き刺したままだ。スライム産の水を吐き出し、呼吸を整える。

「従うとでも?」

「そこからラナの急所を刺すより早く。僕は“お前ら”を斬り殺せる」

 二つ駆けで、抜刀と同時にナナッシーを両断して、返す刃でアーケインを殺せる。

 冗談ではない。

「アーケインを殺したら、このエルフを殺す。もう一人のエルフも地の果てまで追って、血の末まで殺す」

「奇遇だな。全く同じ言葉をくれてやる」

 これ以上ラナを傷付けるのなら、何もかも殺す。一切合切、目に入る者全てを斬る。

 斬り殺す。

「な、ナナッシー。落ち着け、とりあえずな」

 アーケインの間抜けな声と顔を見て、決めた。

 もう殺す。

 体を低く、踏み込み入る予備動作――――――の所で風が吹いた。

 ナナッシーを壁に叩き付ける突風だ。

 それは風と見間違うエヴェッタさんだった。

 彼女の右手にはラナに突き刺さっていた山刀、の刃の部分。左手にはナナッシーの頭部。

「この恥知らずがッ!」

 振り回して、再度大きくナナッシーを壁に叩き付ける。岩石同士のぶつかり合いのような轟音。

 叫ぶエヴェッタさんの声も大きい。

「動けぬものを痛めつけ! あまつさえ殺害を予告するとは!」

 山刀が握り潰される。

 割と業物だった気がするけど、飴細工のように捻じれて折れた。

「貴様は冒険者ではないッ! 最早、人でもない!」

「お前も、人間の真似をするな」

 ナナッシーが、エヴェッタさんの腕を掴み返す。いや、押し返していた。

 こいつの左胸で赤い角が輝いている。装備の一部だと思っていたが、もしかしてエヴェッタさんの角と同じ? しかも分離した。

「ナナッシーいい加減にしろ! 止めろ! 止め止め!」

「分かった」

 アーケインが割って入ると、即行で止めた。

 よく分からん奴だ。

「何お前、冒険者組合の人間とモメてんの! これだと俺様達追い出されるぞ!」

「浅はかだった。謝罪する」

「違うだろ。こっち、こっち」

 アーケインは、エヴェッタさんを指す。

「それは嫌だ」

「お前、頼むぞ。本当に」

「隙あり」

 しゅるんとナナッシー、アーケインの赤布が奪われる。いつの間にか、カワウソの赤布もエアの手元にある。

「へ?」

 もう見慣れたアーケインの間抜け面。

「はい、エヴェッタ」

 エアがエヴェッタさんに布を渡し、決着はついた。

 あ、勝ったよ。

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