異邦人、ダンジョンに潜る。Ⅷ 亡霊都市ウロヴァルス 【8部】

<序章>


<序章>


【170th day】


 々の尖塔、三十七階層。

 氷に閉ざされたダンジョンだ。

 他の階層と違い天然自然物のような造形であり、入り組んだ白氷の洞窟を、冒険者は凍えながら進む。

 季節は暖かさを取り戻しつつあるが、ダンジョンの気候には関係ない事だ。

 この階層に多く生息するモンスターは、エイラ・ムル・オルトガと呼ばれる。獣人の古い言葉で、白き破壊者という意味らしい。

 これ、ぶっちゃけ白熊である。

 体長3メートル。巨躯で、非常に凶暴。縄張りに侵入した者を死ぬまで追いかけ必ず喰い殺す。丸太のような腕は、一振りで冒険者を吹っ飛ばす。厚い毛皮は並みの武具では傷一つ付かない。

 しかもこいつら、常に群れて行動している。

 広域の魔法で吹っ飛ばそうにも、うちの魔法使いが使える広範囲の魔法というものは、基本的に炎を利用したもの。この氷の階層では炎の威力は格段と落ちる。魔力を振り絞っても、三頭倒す程度で限界。

 では、物理的な戦闘は?

 足場が悪い氷の階層とはいえ、うちのパーティの戦闘力は中々のモノ。

 それでも、数の暴力には勝てない。

 囮を使って敵を誘導しようにも、白熊のメスは縄張りの中心から動かず、しかもこのメスは鼻が利き、僕らが縄張りに踏み込もうものなら、一つ鳴きでオスを大量に呼び寄せる。

 この階層の純粋な攻略方法とは、白熊の繁殖期を待って狭くなった縄張りをすり抜けて行くか、もしくは超が付くバ火力で白熊を一掃する。

 他は、各々の冒険者が独自に編み出した秘匿だ。

 それで今、僕らのパーティが実践しているのは、その秘匿の一つである。

 パーティは密集隊形で移動中、索敵のエアも合流し行動している。

 仲間の息がかかる距離で集まって動くのは、他の階層でもなかった事だ。密集すると回廊ではろくな回避行動も取れない。しかしながら今はこれが最適、というか密集せざる得ない。

 何故なら僕らは今、白熊に完全に囲まれて動いているからだ。

「おい、ソーヤ。腹が減った休憩にしよう」

「はい?」

 最年長の提案に、僕は驚きの声を上げた。

「あ、お兄ちゃん。アタシもお腹減った」

「おれも、おれも」

 最年少組まで続く。

「あなた、私も」

 妻にまで飯を催促された。

「いや………………君ら、ほら周りがこれだよ?」

 牙を剝きだしている白熊を剣で指す。

 ひいふうみい、と数え。大体周囲、十頭いる。それと合わせて、背後にはニ十頭近く。行列のできる冒険者だ。

「大丈夫だろ。盾を少し広げてりゃ問題ない」

 親父さんの提案に顔が歪む。

「出来れば、一気に駆け抜けたいのですが」

「この寒さでパーティ全体が消耗している。食える時に食うのが冒険者だ」

「それがモンスターに囲まれていてもですか?」

「そうだ」

 そこまでいうなら従うけど。確かに、三十五階層からここまで休みなく進んで来たし、消耗していると思う。

 ただ、僕は緊張して空腹所じゃないのだが。

「お兄ちゃん、ラーメンよ! 早速ラーメン!」

「ソーヤ! ラーメン、ラーメン!」

 エアとシュナが騒ぐ。

「分かった。分かった。すぐ準備するから」

「イェーイ!」

「ェェエエイ!」

 疲れているのか、二人のテンションがおかしい。

「それじゃ、みんな休憩だ。慎重に盾を広げてくれ」

 各自、キューキューっと鳴く盾を円状に広げる。氷の回廊の中心で、なるべく大きな隙間を作らないよう等間隔に、ゆっくり視線を合わせながら。

 倒れないように、剣や、弓で盾を立たせ固定。

 問題ないか、最後に僕が全部見て回る。

「キューキュー」

「よし」

 死なれては困るので餌をやる。ポケットから乾パンを取り出し、砕いて一欠けらずつ食わせてやった。

 盾には、小さなモンスターを縛り付けてある。

 名を、エイラ・ムル・ムルファという。

 古い獣人の言葉で白き奉仕者という意味。

 体長40㎝。長い胴体に対して手足は短い。つぶらな瞳、愛嬌のある顔立ち。イタチ科。どう見てもカワウソなんだが、こいつらはこの氷の階層でモンスターの怪我の治療をしている。

 階層にある希少な薬草を見つけ出し、それを口で食んで怪我のある箇所に擦りつける。理由は、“何となく”怪我をした生き物を放っておけない、という習性らしい。

 凶暴な白熊もそれを本能で理解していて、カワウソには手を出さない。

 そこで、冒険者の王が考えた攻略方法は、盾にカワウソを縛り付けて並べる。という、見た感じ非道な手段だ。

 気分的に、盾に猫を縛り付けて戦ったペルシア兵の気分である。

 カワウソの状態は良し、白熊も睨み付けて来るが襲って来ない。

 問題なし。

 僕は、バックパックからアルミシートを取り出し氷の床に敷く。各自、その上に毛布や防寒具の一部を置いて腰を降ろす。

 僕も休みたいが、その前に食事の準備だ。

 近くの氷を鍋に入れ、携帯のガスストーブの上に置き着火。

 そして、カップ麺を取り出す。無地のパッケージ、これは異世界で作ったカップ麺である。前に作った物を少し改良して、細切れにした干し肉と乾燥したジャガイモとリーキを入れた。

 エアと、シュナは、もの凄い勢いでカップ麺を見ている。

「君ら、何でこれにそんな興味が?」

 普段、街で食べるラーメンの方が絶対美味しいのに。

「お兄ちゃん。この危険と隣り合わせで食べるラーメンこそ。至高なのよ」

「そうだそうだ。くっそ寒い中で食べるラーメンこそ本当の味だ」

 環境違うと、味も違う的な事か。

 僕とラナ以外のパーティ全員の前に、カップ麺が並んでいる事を確認。

 それと他に………………………………ラナが料理の準備をしている。

 別の鍋に、最近手に入れた魚人産のお米と凍ってシャーベット状になった水筒の水を入れ、僕と同じようにガスコンロで火をかける。

 彼女はお米を炊く事“だけ”はプロ級である。ただ他がね。ちょっと。何というか。不味いというか、危険というか。

 だからといって、彼女のやる気を無視したくもない。で、色々考えた。

 まず、料理中は杖を取り上げる。

 使用する食材は僕が用意した物だけ。

 変なアレンジしたら、お仕置き。

 この三つを守らせる事で、何とか、50%の確率で食べ物が出来る。

 こちらを食べに来ない食べ物だ。

 食べに来る食べ物とは、ちょっと意味分からないが実際そうなのだからしょうがない。

 今回。

 ラナが挑戦するのは『トマトご飯』だ。

 お米を炊く時、水をやや少なめにして中心にトマトを丸ごと入れる。塩、胡椒、オリーブオイルを加えて、後は普通のご飯と同じように炊けるまで待つ。

 炊き上がったら、かき混ぜて完成である。

 この工程で異物が入り込む隙間はない。しかし何故か、半々の確率で恐ろしい物が生まれる。そいつらを大量に処理したせいで、僕はある種類の敵に対し非常に強くなった。

 たぶん、この街一番。

 もしくは異世界一。

 何でこう、大して意味のない事ばかり得意になるのか。

 僕の鍋のお湯が煮立ったので、フィルターを通してパーティメンバーのカップ麺にお湯を注ぐ。

「ソーヤ、これでラーメンが食べられるのか?」

「少し待てば食べれます」

「ほー」

 親父さんの不思議そうな声。

 三分計測の砂時計を置いて、ラナの鍋を監視。彼女の美しくも可愛らしい横顔に見惚れた。

 こう並ぶと、釣り合ってないので不安になる。

 僕の容姿など、中の中。むしろ中の下か? 正直そういうものを意識した事すらない。

 考えると余計に不安。

「お兄ちゃん。三分たったよ!」

 悶々としていると三分がすぐ過ぎた。

「はい、どうぞ」

「いただきます!」

 テンション高い妹がカップ麺を開ける。続いて、シュナ、親父さん、リズもこそりと。

 僕とラナのカップ麺は後だ。

 ズルズルとパーティの皆が麺をすする中、僕とラナは緊張した面持ちで沸騰する鍋を見守る。今の所、襲って来る様子はない。

 念の為、刀の柄に手を置き、中腰から抜刀できるよう構える。

 急所を斬れば一撃で倒せる。

 一瞬の見極めが、アレを倒す最善の策だ。

「うむ。俺も冒険者として長いが、極寒のダンジョンでこんなもんが食えるとはな」

 後ろの親父さんは、感心した声を上げてカップ麺をすする。

「でしょ? メディム、お兄ちゃんに感謝しなさいよ」

 妹は自分の事のように自慢げ。

「このカップ麺さ。グラッドヴェイン様が、眷属五人以上勝ち抜きするとくれるやつだ。それをまさか、ソーヤが作っているとか。まさかとは思ったけど、まさかだ」

 グラッドヴェイン様は、お土産としてカップ麺を大量に持ち帰った。

 あれ、そういう扱いなのね。 

「シュナも感謝しなさいよ」

「するけどよぉ。何でエアが一番偉そうなんだよ?」

「お兄ちゃんの物は、アタシの物。アタシの物は、お兄ちゃんの物よ」

「へいへい」

 シュナは面倒そうにカップ麺をすする。

 女家庭で育ったシュナは、女性の面倒な部分はスルーできる偉い子だ。

「………………」

 リズは、相変わらず無言でカップ麺を、

「ッッ熱、フー、フフー」

 冷ましながら食べている。こいつも猫舌か。多いな猫舌。

 彼らの食事風景を背に、沸騰から落ち着きつつある鍋を見守る。

 契約している神、全てに祈りを捧げた。

 どうか、美味しくな~れ。


(無茶をいうな)


 と、猫の姿の神がいった気がした。

 ラナと二人、肩を寄せ合い鍋を見守る事、二十分。背後ではラーメンを食べ終わり、続いて携帯食を口にしているパーティメンバー。

「あなた出来たわ」

 ラナの自信ありな顔。

 駄目かも知れない。自信ない時の方が成功していたような。

「離れて」

 ラナをどかして、一人鍋と向かい合う。

 蓋を軽くこついて反応を見る。場合によっては鍋ごと斬る。

「………………」

 鍋は、無反応である。

「大丈夫よ。自信あるから」

 両手の拳を固めるラナ。

「その自信が、確信ならありがたいが」

「たまには信用してくだ………して」

 全面的に信用しているけど、料理の腕だけは信頼できない。

 それとただ今、夫婦間で敬語禁止中である。ミスラニカ様と、グラッドヴェイン様にいわれた事だが、僕ら二人の会話は余所余所しく聞こえるそうだ。

 むしろ、妹との方が夫婦に見えるらしい。

 そんなわけで敬語禁止中。

「さて」

 意を決し、鍋を開けると大きく湯気が上がる。

 緊張の瞬間、これが晴れると同時に襲って来る影がッ!

「………………」

 なかった。

 普通に、ご飯が炊かれている。真ん中に熱の通ったトマト。

 いや、まだ奥に潜んでいるかも。

 しゃもじでご飯を混ぜる。

「お兄ちゃんできたー?」

「エア、作ったのは私ですよ」

「食べられるかどうかの判定は、お兄ちゃんがするでしょ?」

「それは、そうですけど」

 トマトをまんべんなく混ぜて、ご飯を赤く染める。マイ茶碗を取り出しよそって、

「いただきます」

 座して試食。

 箸でご飯をいただきます。

 お米は相変わらず素晴らしい炊き上がりだ。一粒一粒がピンと立っている。魚人産のお米は、もちっとして粘り気が強い。実に日本人好みのお米。

 口に運ぶと、トマトの酸味と、ほのかな塩味が口に広がる。噛むと米の甘みと酸味が合わさり絶妙なバランスに。

「どうで――――どう?」

 もしゃもしゃ食べる僕をラナが覗き込む。

 正直、箸が止まらない。空腹も手伝い無言で一杯平らげた。

「美味い」

「はい!」

 ラナが力強く拳を握った。いつもこうなら素晴らしい嫁なのに。いや、これを差し引いても素晴らしい嫁だが。

「それじゃお兄ちゃん、アタシの分はここに」

 妹がカップ麺の容器を差し出す。底にまだスープが残っていた。

「ラーメンのスープにお米を入れると、至上の美味しさになるのよね」

 冒険中だし高カロリーの食事は必要だが、エルフに食べさせて良い物なのか? 色々とファンタジーな雰囲気が台無しになるぞ?

「あ、エアずるいぞ! だからスープ残していたのか、いえよ!」

「あんた、いっても飲み干すでしょ? 次があるなら残しておきなさい。クックックッ」

 ホカホカのトマトご飯をカップ麺の容器に入れると、エアはシュナに見せびらかすように食べる。ぐぬぬ、と悔しそうなシュナ。

 エア。君のそういう所、父親とそっくりで僕は複雑だ。

「ソーヤ、おれもおれも」

 シュナもカップ麺の容器を差し出す。スープはないが、器新しく用意するのも面倒だし、これで良いか。

 シュナにトマトご飯をよそい。次は、無言で同じく空のカップ麺の容器を差し出すリズに。

 最後は親父さん。

「おい、野菜は無いのか? あのランシールがレムリアの朝飯に出す。酸い野菜だ」

「ピクルスですか? ありますよ」

 ピクルスの瓶を取り出す。

 中身は色とりどりの異世界野菜。といっても、現代世界の野菜と大して変わらない食べ物。

 小さいトングで親父さんのカップ麺の上に無造作に置いて行く。

「玉ねぎは多めにな」

「了解」

 希望通り玉ねぎは多めに。親父さんは年の功か、体に何が必要か感覚的に理解している。

「他に誰か、野菜は?」

「あなた私も、適当にいくつか」

「はいよ」

 ラナのお茶碗の上に適当にピクルスを置く。

「他は?」

 リズ、シュナ、エアの反応はない。

 この野菜嫌いキッズ共。いつか野菜を『美味い、美味い』と食わせてやるからな。

 僕とラナのカップ麺にお湯を注ぎ、三分待つ間にもトマトご飯を食べる。漬物感覚でピクルスを頬張ってカリカリ咀嚼しながら、トマトご飯をがっつく。

 素朴だ。

 でも美味い。

 僕は基本的にこういう食事で十分です。ザ・一般人の舌。

「お兄ちゃん、おかわり」

「エア、自分でなさい」

「えー」

 姉に怒られ、ふてくされながらエアは自分でご飯をおかわりする。カップからはみ出る大盛。それに自前のカレー粉をかけてフォークスプーンで上品にがっつく。

「おれも、おかわりっと」

 シュナもおかわり。エアほどではないが大盛り。

「エアー、おれも何か調味料。あんま辛くないやつ」

「お子様ねー。ほら、乾燥ニンニクとハーブ混ぜた塩」

「おれもカレー粉が良いんだが」

「………辛いよ?」

 ニヤッと笑うエア。

 こいつの辛いは激痛に近い。マリアが間違って食べて『みゃぁぁぁ!』と叫んだ事がある。

「塩で我慢する」

 シュナがもらった小瓶の塩をパッパッとひとかけ、一口食べ――――

「なっ、うっま。え、何だこの塩。うっま」

 クレイジーソルトは気に入ったようだ。

 親父さんとリズはもう満足らしく食後の休憩中。僕とラナは、カップ麺にも手を出しカロリー補給。

 四合炊いたトマトご飯は、綺麗になくなった。

 食後に豆茶を入れて一服。

「しかし」

 相変わらず白熊共は僕らを囲んでいるが、

「人間くつろごうと思えば、どこでもいけるもんですね」

 何やかんやで休憩できてる。

 親父さんが煙管に火を点けて、白熊に向かって煙を吹く。煙を嫌がって白熊が一歩下がった。

「一応、安全だからな。文句いっていた割りに、お前も落ち着いているぞ」

「慣れって怖いなぁ」

 5メートル先に、凶暴な獣がいるのに完全にリラックス状態だ。

 食える時に、食い。

 休める時に、しっかり休むのが冒険者。

 僕は多少でも“らしく”なったのだろうか? まだまだ不安だ。この不安を良い方向に改善できればいいが。

 結局の所、緊張と脱力のバランスなのかなぁと思う。

 十五分ほど食休みをして、休憩終了。

 極寒の為、普段のダンジョンのように睡眠は取れない。その分、今は戦闘と索敵が楽である。

「行こうか」

 ゴミは残らず、きちんと回収。

 ダンジョンは極力汚さないように。これは冒険のマナーだ。こういう所を疎かにすると、後々他の冒険者にえらく怒られる。ただでさえ、悪い僕の評判が更に悪く。

 小さなゴミでもモンスターに影響しないとも限らないし、親父さんが特にそういう所がうるさいので従い守る。

 普段、魔法で階層を焼き払ったり、モンスター虐殺している冒険者が何だと思うが、それはそれ、これはこれ、だそうな。

 でもカップ麺の容器は、羊皮紙とダンジョン豚の皮だし。ここに捨てても大丈夫と思うけど。

 ま、我慢して持ち帰ろう。

 移動再開。

 白熊に囲まれながら進む。

 動き出すと、盾のカワウソがキューキューと鳴き出す。

 見栄えの変わらない氷の回廊だが、メガネ型デバイスでロケーターを起動しているので、オーグメント<拡張現実>上に表示されている光の線を辿るだけで目的地に行ける。

 念の為、ミニマップも視界の斜め下に表示していた。

 現在は、階層の四分の三を踏破した所。

 ダンジョンの平均的な広さは20㎞、階段から階段への最短ルートは階層によるが、大凡5㎞から10㎞。

 王からもらった地図は、かなり正確な物だった。

 距離計測もさる事ながら、地形の細かい注釈も。三十年以上前の情報とは思えない正確さ。

 ダンジョンは、攻略方法が分かっていると非常に簡単に踏破できる。

 この地図と、この秘匿が、最たる例だと思う。あのハ―――――じゃなかった。冒険者の王。一体どうやって白熊の習性や、カワウソの習性を調べたのだ? 僕が思っているより、地道で堅実な冒険をやっていたのか? 分からんものだ。普段の顔を知っていると特に。

 もしかして、探ると痛い目に合う裏があったり?

 ………気を付けよう。しれっと人の秘密を探るA.I共にも注意させて。

『ソーヤ隊員』

「どうした?」

 思考を読まれたように、腰のミニポットから声。

『そこの壁、通れます。かなりショートカットできるかと』

「壁?」

 壁の一部がターゲティングされる。目を凝らすと、細い隙間があった。反対側に移動できれば、この階層の階段は目の前だ。

 地図上には無い情報だが、

「雪風、お前よく気付いたな」

『リソースが余っていたので、風の流れを探知していたであります』

「なるほど」

 そういえば、前に遭遇した不可視のモンスターに対抗するアプリを開発したといっていた。

 こいつらも、知らない間に異世界仕様にバージョンアップしている。

「シュナ、ちょっと手伝ってくれ。他の皆は周囲に注意を」

「おう?」

「ここが開くそうだ」

「おう」

 シュナと鞘に収まった剣で、氷壁を突いて壊して行く。

 他のパーティは万が一の場合を想定して警戒。

「なあ、ソーヤ。こういう事、聞くのはおかしいけどよ」

「ん?」

 作業中、シュナが話しかけてくる。

「どこから情報手に入れてんの?」

 難しい質問だ。

 ダンジョンの攻略情報は、決して不釣り合いな報酬ではない。下手をしたら僕は死んでいたし、命がけという点では、ダンジョンで試行錯誤するのと同じ。

 ただ、バーフルの件は公言できない。

 曲がりなりにも、吸血鬼退治の英雄として祀り上げられた者が、実は妄執に駆られた古き者などと。こんな秘密は、ハゲと僕だけが抱えていればよい事。

 冒険者の薄暗いモノは、薄暗い者が抱えていれば良い。

「お前が僕に隠れて訓練しているように、僕も君らに隠れて裏で色々とな。あんまり楽しい話題じゃない。退屈過ぎて寝てしまうさ」

「そういう事なら、それでいいけどよ」

 そういう返しをされると、シュナも大人になったなぁと思う。

 最近髪が伸びて増々女性的に見えるが、背も伸びて来たし体格も完成しつつある。強さに箔も実<じつ>も付いている。

 アーヴィンと揃って得た名声。『竜甲斬り』の名は伊達ではない。

 こいつには正道を歩んで欲しい。それこそ、本物の英雄と呼ばれるような。

 でも、いつの日か。

 お互い歳を取って昼下がりに酒飲みするような身分になったら、アーヴィンの事を、この世界の英雄の事を、僕が冒険の影で行った全ての事を冗談交じりに話そう。

 本当に先の、先の事になるが、いずれ全てを話したいと思う。

 遠い未来になるだろうが、そう夢見るのも悪いとは思わない。

 と、

 削っていた氷壁が崩れて壁が大きく開く。一人一人が、進んで行ける幅。

 すぐそこには、下りの階段があった。

「さあ、進もうか」

 今は、少しでも先に。

 振り返るのは後だ。

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