<第一章:冒険の暇-いとま-> 【10】
【10】
豚バラとスープに使った野菜をタレに漬ける。
このタレなのだが、醤油とニンニク、蜂蜜を合わせたものだ。
メルムの奴は、古い味噌の液状化した部分を集めて、こして、原始的な“たまり醤油”を作っていた。
昼頃、炎教に持って来たので買い取ったが、あいつのドヤ顔を思い出して何だか腹が立つ。
さて仕上げだ。
ダンジョン豚の骨で作ったスープと、野菜で作ったスープを、豚骨7、野菜3の割合で混ぜ合わせ、アクセントに玉ねぎの香味油を少々、炎教の胡椒も少々、お酢を極少々。決め手の、エルフ産合わせ味噌を混ぜてスープは完成。
太めの縮れ麺は、小麦、塩、チョチョの卵液、炎教の洗剤から作り、最低でも二日寝かせた物を使用する。
具は、じっくりと炒めた玉ねぎをラーメン中央に薪を模して盛り。その上に、炎教特製スパイスを混ぜた辛味噌を、御神体の炎に見立てて置く。
一枚だけ許可された豚バラのチャーシューと、漬けた野菜は一口サイズにしてメンマ代わりに。
これで、異世界初のラーメンは完成である。
名付けて、豚骨炎味噌ラーメン。
夕方。
試作品が完成したので、司祭様と他の巫女さん合わせて30名に試食してもらった。
ちょっと思っていたのと違ったのが、半数の人が先にスープを飲み干し。麺と具と辛味噌を残してパスタのように食べた。
司祭様が、麺の加水率を上げて伸びにくくした理由が分かった。スープと一緒に麺を食べるという発想は、いわれないと気付かないものなのか。
「ソーヤさん」
司祭様は、一番初めに完食した。他の巫女さん方も続々完食する。
ぱっと見、残している人はいない。
炎教の方々が、僕と瑠津子さんとテュテュを見ていう。
『美味しかったです』
これだけの人数に感謝されると感動で震えるものだ。
と同時に、ほっと胸を撫で下ろした。
今回の料理は一人じゃ絶対無理だった。仮に出来ても、薄い野菜スープに麺の浮かんだラーメンモドキ。この濃厚かつ旨味が満載された豚骨ラーメンには程遠い。
依頼を受け、切っ掛けを作ったのは僕だが、完成させたのは瑠津子さんだ。そして、この世界の味噌の原型を作ったのはアルマさんと、恐らくはテュテュの母親も一枚噛んでいる。
ちょっと現代の知識があると得意気になっても、一人じゃラーメンも作れない。
程度が知れて良かった。本業に集中できる良い契機だ。
「あの、ソーヤ。ニャーは、ここに並んでいても良いニャ?」
「当たり前だろ」
テュテュは、少しバツが悪そうに立っている。
確かに、このラーメンはテュテュと関わりは少ない。だが、彼女には大事な役割がある。
「このラーメン。これからは、君が作って人に教えるんだよ」
「え?!」
驚くテュテュに瑠津子さんもいう。
「そうですよ。自分達、冒険者ですから」
「おかーさん、転職してラーメン屋になるニャ」
「自分、故郷に帰る手段を探す為、ダンジョンに潜らないと」
ああ、瑠津子さんが冒険者をやる理由って帰る為なのか。僕の帰還用ポータルに同乗させてあげたいが、彼女の日本と、僕の日本は違う世界の可能性が高い。
力になってあげたいが、今は保留するしかないな。
「ワイらもダンジョン潜らんと」
「監視せんとあかんからなー」
ガンメリーの理由はよく分からない。
「でも、本当にニャーでよいニャ?」
「僕らの連名でレシピ申請しちゃったからな。手の空いたテュテュが作るしかないだろ」
店も新しくするし、丁度良いだろ。
「ふ、不安ニャ。覚えるのは得意だけど一人で出来るニャ?」
やっと麻袋を脱いで、瑠津子さんがキリっとした顔でいう。
「慣れるまで自分が教えます。ダンジョンに潜るのは大事ですが、急ぐわけでもないので」
「おかーさん、とても助かるニャ」
「あの、自分はおかーさんでわ………」
それはそうと、
「さて、テュテュ。今から徹夜して明日朝の炊き出し用ラーメンを作ってもらう。いけるか?」
「いけるニャ。ニャーの体力舐めないで欲しいニャ。四徹は軽いニャ」
獣人って体力あるからなぁ。
「でもその前に、ソーヤにちょっと話があるニャ」
テュテュが周囲を見回す。ラーメンを食べ終えた巫女さんや、司祭様が、自分で丼ぶりやスプーンを洗っていた。
「ここじゃあれニャ。ちょっと裏に」
「ん? 良いけど」
なんぞ。
と、テュテュに手を引っ張られ調理場の裏口から外に出た。
冷たい夜気が広がる。人の喧噪が遠くから聞こえた。
「い゛」
急に腕を引っ張られ、声を上げてしまう。
「テュテュ何するんだ?」
「ソーヤ。やっぱり腕、痛めてるニャ」
「ああ、ちょっと肘をやったみたいで」
「ハァ~」
テュテュに深~いため息を吐かれる。
「何の為にニャーと契約したニャ。こういう事されるとニャーのコケンに関わるニャ」
「どういう事?」
さっぱり分からん。
「ムカついてるから痛くするニャ」
テュテュが僕の袖を捲ると、肘に噛みついた。
「痛っ」
噛まれた痛みと、肉と神経を吸われるような痛みに背筋が伸びる。
しかし、それは一瞬のもの。すぐ甘いテュテュの唇の感触と、肌を舐める舌の感触に変わる。
「ん~こんなもんニャ。ほら」
テュテュが、もう一度腕を引っ張る。
「え?」
痛みがなくなった。
自分で腕を振るってみるが、痛みもなく、前より調子が良い。
「次からは早めにニャーの所に来るニャ。本当は、お店以外じゃダメニャな事だけど、ソーヤは色々してくれたから特別ニャ」
テュテュが、自分の肘に触れて腕の具合を確かめている。
「ふーん。結構、重い怪我ニャ」
「なっお前! すぐ戻せ!」
こいつ、僕の怪我を自分に移したのか?!
「戻す事はデキないニャ。ソーヤがローオーメンと契約しない限り」
「今すぐしてくる。案内してくれ」
「え、ラーメンはどうするニャ?」
「お前だってその腕でラーメン作れないだろ!」
何を考えているんだ。全く。
「作れるニャー。獣人の体を舐めないで欲しいニャ。こんな傷、働いていれば治るニャ。ソーヤは、いつもおかしな所を心配するニャー」
屈託なく笑うテュテュに、心境が更に複雑になる。
「でもな、本当に大丈夫なのか?」
「いつもヤってる事ニャ。ローオーメンが再生点を渡すという事は、こういう事でもあるニャ。ソーヤは賢いのに、こんな事も知らないニャー。中級冒険者になっても、まだまだニャーがいないとダメニャー」
「………………うーん」
納得いかねぇ。
こんな、他人に傷を渡して治すなど真っ当ではない。
「本当に大丈夫ニャ。でも、獣人の心配するお客様なんてソーヤくらいしかいないニャ。だから、もうちょっと、特別ご奉仕してあげても良いニャ」
「え」
テュテュが、しなだれかかって来た。彼女の両腕が僕の首に巻き付き、小振りながらも存在感のある双丘が押し付けられる。思わず両手を細腰に回してしまった。
揺れる尻尾が指先に触れた。
熱っぽく潤んだ瞳が間近に。
「テュ………」
あ、いかん。
これは色々と久々にマズいが、抵抗できない。
「ソーヤさん、テュテュさん、ちょっと―――――」
はい、最悪のタイミングで瑠津子さんが来る。
「す、すみません! 浮気現場を?!」
「違う! これ浮気じゃないからな!」
一応、妻公認だ。
「そうニャ、おかーさん。これニャーの仕事ニャ」
「どんな仕事ですか?!」
「こんな仕事ニャ」
「こんな仕事です」
弁解するのに三時間もかかった。
テュテュを始め、炎教の巫女さん達にもラーメンの作り方をレクチャーして、しっかりとした役割分担を決め、今後のラーメン作りの計画表を完成させると。
【162nd day】
白い朝を迎えた。雪に反射する朝日に目が痛い。
久々に徹夜した。
「ソーヤ、味見してニャ」
「ソーヤ様、味見してください」
「了解」
テュテュと狐の巫女さんに、同時に味見をせがまれる。
各々のスープを味見。
「テュテュは、悪くないが灰汁取りはもっと丹念に」
「はいニャ」
「巫女さんは、野菜を強火で煮過ぎてエグ味が出ている。肉はじっくりと、野菜はその三分の一くらいの時間で煮るように」
「わかりました」
時間が余ったので、次の日のスープ作りを見ていた。
何故か僕は、瑠津子さんの要望で首と頭に白い布を巻き付けている。そして腰にはエプロン。
良いのだろうか、僕のような者がラーメンの仏の真似事をして。
その恰好で、調理場を隅々まで観察して、作業する人達の意見を聞く。
瑠津子さん、司祭様を始め、ヒームの巫女さん方は先に休んでいる。徹夜で残っているのは獣人ばかりだ。
彼女達は皆タフで覚えが早い。ただ、融通や応用が利かない一面もあり、環境の変化や材料が欠けた時には、司祭様やヒームの巫女さん達に任せる形だ。
『ソーヤ隊員。完成したであります』
「でけたでー」
「疲れたわぁ」
雪風とガンメリーに、ラーメン作りの内容を石板に彫らせた。文字が読めない人でも分かるように絵で説明している。
時間の説明が難しかったので、原寸大の砂時計を並べて書いた。近港辺りで採れる砂から作った砂時計なら、大体同じ時間が計れるはず。
しかしまあ、
「何か漫画みたいになった」
『そうでありますな』
「たーのしー」
「すごーい」
ガンメリーは深夜のテンションで喜んでいる。こいつらも寝たりするのだろうか?
石板のサイズは、縦2.5メートル、横1.8メートルと内容もさる事ながら漫画の1ページみたいだ。これを調理場の目の届きやすい所に飾った。
『へぇー』
調理場の巫女さん方とテュテュから、物凄く感心した目で見られる。
漫画文化ってそんな凄いの? 確かに分かりやすいけど。
「ソーヤ。ニャーもこれ欲しいニャ」
「ああ、そういうと思って」
テュテュに石板と同じサイズの羊皮紙と木炭を渡す。
「え?」
「紙を石板に被せて木炭で擦ってみ。破かないように優しくな」
「え? え?」
よく分かっていないテュテュだが、素直に従う。すると凹凸の関係で石板の内容が羊皮紙に写った。単純な仕組みだが、昔映画で見た時は感心したものだ。
「何これ、魔法ニャ?」
「分類なんだろうな。科学? 実験?」
気付くと、火元で作業している巫女さん以外はテュテュの後ろに並んでいる。念の為に、羊皮紙を大量に用意して正解だったな。
大体、人数分回った辺りで来客がある。
「異邦人はいるか!」
怒鳴り込んで来たのは、身なりと恰幅の良い男。年齢は五十代くらい。レムリアの商会全てをまとめる商会長だった。
「あ、ここに」
僕は手を上げる。
「お前、これはどういう事だ?!」
商会長は、広げたスクロールを一枚持っている。見ると、調理レシピ占有証明書の写し。僕と、瑠津子さん、テュテュの名前が記されているラーメンのレシピだ。
デジャヴを感じた。
もしかして、また誰かの隠しレシピに触れたのか?
「この、レシピの使用料金。おかしいだろッッ!」
「え、何が?」
申請を終えた後、司祭様に料金や細かい区分を聞かれたのでしっかり答えておいた。
見ても、記述に間違いはない。
「この利用料金だ! 何だこの、一日銅貨三枚とは!」
「高かったですか?」
僕と、瑠津子さん、テュテュの代金だ。
まあ、テュテュは受け取らないので、その分は僕がもらって後で設備やらで返す予定。
「安すぎるんだよ! これじゃ、そこらに転がっている獣人や、落ちぶれた冒険者、中央商人共まで、このラーメンを作り出すぞ!」
「いいんじゃないスか? 多様性があると食文化は発展するわけですし」
「は、発展か。それはいわれると少し、分からんでもないが………いや、だがせめて。レムリア出身の者に限りと記載しろ。やっと潰せそうな中央商人が復活する可能性がある」
微妙に、話が分かりそうで分からない人だ。一応聞く耳は持っているが、どうにも中央大陸出身の商人への敵愾心が強い。
田舎者根性というそれは、分からんでもないけど。
「レムリアの商人が、しっかりとしたラーメン作って客を取れば問題ない事ですよね? というか、そもそもまだ売れると分かってないですし」
「………ぐぐ、だが、もしもだ。このラーメンを中央商人が中央大陸に持ち帰って、我が物顔で広めたとする。お前だって気持ち良くはないだろ?」
「う、うーん。それは確かに」
あんだけ苦労して、協力してもらって作ったのだ。
手柄の横取りみたいなのは気分が悪い。
「な? “レムリア出身、もしくは右大陸出身の者に限り、この金額にする”と記載しろ。後、やっぱり一食銅貨三枚とかにしておけ。よく考えろ? 儲かるぞ~椅子に座っているだけで、金貨が転がってくるのだぞ」
あ、いかん説得されそう。お金は、やっぱり沢山あっても問題ないか。レムリアの商会長がいっているのだ。ここは従って後々ガッポリと………………。
「朝から五月蠅いわねぇ、商会長さん」
「げっ、司祭様」
眠たそうな司祭様が現れた。それを見て商会長が冷や汗を浮かべる。
「良いではないですか、色々な人がラーメンを作るなら商人が損をする事はないでしょうに」
「し、司祭様。異邦人も杞憂している通り、他所の大陸に文化が盗まれる――――」
「では、こうしましょう。レムリア王に頼んでレシピに王印を押してもらいますわ」
「なっ!」
司祭様の和やかな提案に、商会長が驚愕の表情を浮かべる。
何の話か分からないので訊ねてみた。
「司祭様、レシピに王印とやらで何が?」
「レムリア王が、国の名産として印を押すという事ですわ」
「は?」
いきなり大きな話になったぞ。
寒いのに商会長がダラダラと汗を流す。
「ま、待ってください司祭様。ラーメンに王印が押されるという事は、ダンジョン豚のベーコンや、ギネル大卵に続き、二十五年ぶりにレムリアの食の名産が生まれるという事ですか?」
「そうなりますわねぇ」
「え、ちょっと僕を置いてなんかとんでもない話してません?」
他の二人と相談させてくれ。
「………なんてこった。腹上死した先代の商会長から後を継いで五年。まさか自分の代で名産が増える事になるとは、これは今すぐ動かないといけないな。失礼する!」
商会長は出て行った。
司祭様はニコニコである。
「司祭様、もしかして冗談ですか?」
「あら本気よ」
それはそれで困るな。
「今日の炊き出しには、レム坊を呼んでいるわ。その感想次第ではあり得る話よ、でもちょっと商会長は早急過ぎるかしらねぇ、ホホホ」
この人と商会長の関係が、短時間でよく分かった。何か可哀想に。文句が僕の所に来なきゃ良いが。
「ソーヤさん、炊き出しの準備は良いかしら?」
「問題ないです。皆、覚えが良いので作業分担は早々と決まりましたし、四回もテストできました。200食と聞いていましたが、念の為に300食用意してあります。余ったら翌日分に回してください。スープなんですが、司祭様の舌なら新しい物と混ぜて調整できるでしょ?」
「………………私は、一つ謝らないといけないわね」
「はい?」
え、何。今更働かせ過ぎたとか? 先に寝たとか?
「獣人ばかりをワザと宛がって仕事を任せたのよ。異邦人とはいえ、従順な人間を前にすると本性が現れるから」
「は、はあ」
よく分からん。
「でもあなたは、誰一人にも威張る事なく丁寧に仕事を教えていたわ。これは、この世界では稀有な事なのよ。という事で」
という事で?
「炎教の司祭になってみないかしら?」
「お断りします」
だから僕は冒険者だって。
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