<第一章:冒険の暇-いとま-> 【09】
【09】
【161st day】
翌朝。
炎教の神殿前でエアを待つ事、二時間。
「ソーヤさん、少し落ち着きましょう」
「お、落ち着いているがッ」
ローンウェルに、うわずった返事をしてしまう。
さっきから膝が震えているのは寒いからだ。動揺しているからではない。
「だ、だがな。エアの奴、一人でお使いなんて初めてだし万が一という事が。やはり僕も付いて行くべきだった」
「妹さん、おいくつでしたっけ?」
「怖くて聞いていない。もし年上だったらどうする?」
「エルフですからねぇ、ありえない話では。姉じゃ駄目なのですか?」
エアを『お姉ちゃん』もしくは『姉さん』と呼ぶのか。
ないわぁ。どっちかというと、ランシールが姉ポジションなんで被る。
「ただ、いうても子供っぽいしさ。心配だ。他のエルフと揉めてないだろうか」
「大丈夫なんじゃないですかー? しっかりした方だと思いますよ」
「う、うーん」
僕が過保護なだけか。
何でこんな過保護になったのやら。
「ああ、帰ってきましたね」
ローンウェルの視線の先に、馬車の御者をしたエアが見えた。
僕に気付くと彼女は大きく手を振る。僕は両手で振り返した。
「大丈夫だったか?!」
「え、何が? 樽詰んだ馬車に乗って来ただけだよ」
「それはそうだが。味噌引き渡す時、他のエルフに悪口をいわれたり嫌がらせを受けたり」
「アタシ、一応姫だからね。森一番の弓取として尊敬されてるからね」
「さいですか」
完全に杞憂だった。さて、味噌の価値を司祭様に示さないと。
エアは馬車で待機させて、白味噌と赤味噌を抱えて調理場に移動。
待っていた瑠津子さんに見せる。
「たぶん、君の期待に応えられる味噌だと思うが………」
瑠津子さんは、何故か頭に麻袋を被っていた。
「………それどうしたの?」
「な、何でもないですぅ」
「頭隠して尻隠さずですな」
「親に合わす顔がありませんな」
背後のガンメリーも真似して麻袋を被っている。
そんな一人と二体を見て、司祭様が一言。
「泣きながら醜態を晒した事を恥じているそうよ。若いわねぇ、人間生きていれば裸で街中を駆ける事もあるのに」
どんな状況だ。
「ソーヤさん、手元が見えないので仕上げはお任せします」
「………はい」
白、赤で合わせ味噌を作って、ザヴァ商会が寄付した丼ぶりに入れる。瑠津子さんが作った豚骨スープで混ぜて溶かし、味見。
はい、豚骨味噌味です。スープは茶褐色が混ざってもまだ白く清い。味は濃厚で味噌の旨味も絡んで混ざって馴染んている。
深い。深い味だ。
異世界でラーメンスープを作りましたが何か?
司祭様の茹でた麺を湯切りして、入れてほぐす。
具は取りあえず後、丼ぶりには、これまたザヴァ商会が寄付したラーメン用のスプーンフォークを二つ添えた。
「司祭様、瑠津子さん、味見を」
「ではお先に失礼」
まずは、司祭様。
「このスプーン面白いわね。何に使うのかと思ったけど、ラーメンの為だったのね。それに、この容器も。ソーヤさん、中々商売上手な方ね」
「いえ、それほどでも」
後ろにいたローンウェルが照れる。そういえば、まだいたのか。
司祭様がラーメンを実食。
音を立てず麺を食べ、上品にスープを一口。すると神妙な顔つきになってスプーンを置いた。
異世界初の豚骨味噌ラーメン。果たして、どうなのか?
「次は自分が」
瑠津子さんも実食。麻袋の口の部分を捲って、日本人らしくズルズルと音を立てて麺をすすり、スープを豪快に飲む。
「どうだろう?」
彼女の反応が一番気になる。
「くっソーヤさん………………合格です。お母さんの味です!」
親指を立てた。
ズルズルとラーメンを食べて行く。完食させた後、
「おうちに帰りたいよぉ」
ホームシックを発症した。何か色々こじらせちゃったようだ。
「司祭様、ラーメンできました。これに具を追加すると完成です」
「う~ん、ごめんなさい。ちょっと人を呼んでも良いかしら?」
「え、はい」
司祭様は外に行く。
僕も移動した。ローンウェルと瑠津子さんを置いて馬車の妹の所へ。
「どうだった?」
「ラーメンできたぞ」
「やったね! 味噌渡したらアタシも試食したい!」
「してくれ、してくれ。具を追加しないといけないから意見を聞きたい」
「でも、他の奴もラーメン食べられるようになるのよね」
「それの何が?」
「身内で独り占めしていた贅沢感が薄れる………」
エルフってそういう所あるよな。
「エア、食文化ってのは多様性で変化するモノだぞ。色んな人間に触れる事でラーメンの味は進歩する。僕らが作ったラーメンを超えるモノが現れるかもしれない」
「そうかなぁ、想像できないけど」
「てか、お前はラーメン作らないのか? 趣味の範囲に留まらず、店できると思うぞ」
腕も材料も全て揃っている。瑠津子さんのスープ作りも雪風が全て記録しているし、決め手となる味噌は彼女の実家が作っている。
ラーメン屋を始める条件は全て揃っているが。
「ラーメン屋ねぇ。冒険者引退したら考えても良いかも。でも今は、お兄ちゃんの為にやる事しっかりやらないと」
妹が膝の上に手を置いて来た。その上に僕も手を添える。肩を寄せて来たので、空いた手を背中に回す。冷たい長耳が頬に触れた。
中々良い雰囲気である。微妙に人の目を引いているが、僕らが兄妹である事は声を大にして伝えておきたい。
妹とイチャイチャしていると、
「あんたら何してるニャ」
テュテュにツッコミ入れられた。彼女の後ろには司祭様も。
「ソーヤさん、神殿の前でそういう事は」
『すみません』
兄妹で詫びて反省した。寒かったのでつい、何か盛り上がってしまった。
エアを置いて再び調理場に。司祭様が連れて来たテュテュも一緒である。
テュテュがいる理由は何となく分かっていた。
「それで、ニャーは何で呼び出されたニャ?」
ただ、本人は分かっていない様子。
「テュテュ。このスープを飲んで見なさい」
「ん? はいニャ」
入れ直したラーメンスープをテュテュに飲ませる。早朝の眠気まなこが、スープを一口飲むと見開いた。
「こ、これお母さんの味ニャ!」
やっぱりか。
今も昔もある素材で、しかもテュテュの母親である獣人が手に入る素材。捨てられる豚骨くらいしかないだろう。だが、味噌はどうしたのだろう? もしかして、アルマさんとトトは交友があったのかな?
今より獣人の権利が薄かった時代では、レシピを公開したら簡単に奪われる。幼い娘に残そうにも、下手をしたら殺されて奪われる。バーフルに託さなかったのも、トトさんは、あいつが消える事を読んでいたからか。
財を守るには、やはり力なり権利なりが必要だ。それを持たぬ故、消えてしまったレシピをたまたま復活させる事ができた。
さて、問題が一つ。
「これ、誰が作ったニャ?! ソーヤニャ?!」
「違うにゃ」
僕は瑠津子さんを指す。
「え? 一応そうですが、味噌とかはソーヤさんが――――」
「おかーさぁぁぁぁぁぁん!」
「えええ?!」
テュテュが瑠津子さんに抱き着く。麻袋越しでも困惑している様子は読み取れた。
しばらくそれを眺めて、司祭様が口を開く。
「テュテュ。悪いのだけど、ちょっと込み入った話を良いかしら?」
「なんですニャ?」
テュテュは、瑠津子さんに抱き着いたまま司祭様に答える。
離れるつもりはないようだ。
「このスープは、あなたの母親であるトトメランジェが作った物と同じ。間違いないかしら?」
「はい、間違いないですニャ。思い出の味ですニャ」
「そうなると………………ソーヤさん、どうしましょうか?」
「どうしましょうね」
難しい問題になってきた。こうなると、僕らがレシピの権利を取るわけにはいかない。テュテュの母親が作ったのだ。先駆者が敬意と権利を得られないのなら、文化は育たない。
「テュテュ。面倒な話なのだが、僕らはこのスープでラーメンという食事を作る予定だ。しかし君の母親に、つまりは君にスープの権利はある」
「え? え?」
テュテュはよく分かっていない。
「つまりは、調理レシピの占有証明を得て」
「よく分からないから、ソーヤに全部任せるニャ」
「コラコラ、しっかり考えろ。儲かるのだぞ? たぶん結構、いや場合によってはかなり」
「う~ん、でもそれって働かないで貰うお金ニャ? ニャーはそういうの信用できないニャ。人間、汗水流して働いて、夜は疲れてぐっすり眠る人生が素晴らしいニャ」
胸が痛いほど身につまされる言葉だ。
「しかしだなぁ」
だからといって、僕が占有証明を得ても目覚めが悪い。
「私に良い考えがあります」
隅でずっとラーメンを食べていたローンウェルが手を上げる。君、大分気に入った見たいだな。それ何杯目?
「連名でレシピの占有証明を得ましょう。ソーヤさんと、そこな麻袋のお嬢さん、テュテュさんと三名で。儲けはソーヤさんと、お嬢さんが得て、その金をテュテュさんに好意なり何なりで渡す形にすれば良いのでは?」
「えー、それじゃニャーの名前載せなくてよいニャ。ソーヤとおかーさんに、お金貰いたくないニャ。そういう人間関係、ケンゼンじゃないニャ」
テュテュって真面目だなぁ。
でも、物凄く筋が通っている。金って人間関係を壊すからね。
………金。金か。………………ううむ。仕方ない。
「僕に良い考えがある」
僕の提案は、ローンウェルが反対。司祭様、瑠津子さん、テュテュには賛成された。
「じゃ決定で。手続きは」
「お任せあれ~」
司祭様は軽やかなステップで調理場を出て行った。
普通、レシピの占有証明を得るにはかなり時間がかかるが、彼女には特別なルートがあるそうで恐ろしい早さで許可が貰える。
「えー、ソーヤさん。えー」
欲深き商人の悲鳴が聞こえた。
「お前、この丼ぶりやスプーンフォークで十分儲かるだろ? しかも味噌だって独占だぞ。ラーメン売れたら、どんだけ儲かるんだよ」
「丼ぶりとスプーンフォークは、投資分を差し引いたらあまり儲かりませんよ。新しい物ですからね、設備投資というものがあります。味噌も、ソーヤさんの身内ですから売値との差額ギリギリで買い取りますよ。ほら、あんまり儲からないじゃないですか」
「じゃ、ラーメン屋でもやれば?」
「………………なるほど。新店舗にその案がありましたか。ちょっと帰って土地の下見を。今日はこれで失礼。炊き出しは明日からですよね? ではまた」
ローンウェルは帰った。
気が早い。まだ他の人のラーメンの感想がないのに。確かに美味しいけど、他の人の舌に合わない可能性もあるぞ。
司祭様が、もう帰って来た。
「ソーヤさん、肝心な事を忘れていましたわ。歳って嫌ね。このミソ、外にある物も含め寄付品としていただきますわ。ヒューレスの森への赤翔石は、冬の間欠かさず渡します。彼の森の方々の、寒さを和らげる助けになれば良いのですが」
「ありがとうございます。妹も喜ぶと思います」
ついでに大事な約束も完了した。
外に出て、妹の所に。
上手く行った事を伝えると、とびきりの笑顔が返って来た。
炎教の巫女さん達と一緒に馬車の味噌樽を食糧庫に納め、対価の赤翔石を積んでエアの馬車は森に帰る。
調理場には、瑠津子さんと、ガンメリーと、テュテュが残った。
「さて、ラーメンを仕上げますか」
「ですね」
「ですニャ」
ラーメン作りも終盤である。
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