<第一章:冒険の暇-いとま-> 【07】


【07】


【159th day】


 雪風から連絡が来たのは、丸一日過ぎてからだった。

 炎教におもむくと、調理場には目にクマを浮かべた瑠津子さんと散乱した食料の数々。それと何故か、床に倒れているガンメリー。そして、惨状を眺めている司祭様がいた。

「ソーヤさん………………スープ、出来ませんでしたぁ!」

 泣いた瑠津子さんに抱き着かれる。

「頑張ったんですよ! でもタレが! タレが! 決め手になるようなタレができなかった!」

「えぇ、うーん、とても美味しいのだけど」

 司祭様が、スープを飲みながら感想を呟く。

「ダメなんです! これじゃ翼をもがれた鳥なんです!」

「あ、僕も一口ください」

 司祭様から、取り皿に入ったスープを受け取る。

 味見。

 クリーミーながらも濃厚な旨味。それでいて澄んだスープ。塩味が少し足りないけど、上品な美味さがある。

 まさしく、

「豚骨スープですね。いや、美味しいですよ」

「そうよねぇ。何が不満なのかしら?」

 普通にお店に出せるレベルに、司祭様と首を傾げた。

「後一つ、後一つ足りないのです。こんな欠けたスープは他人様に出せませんよ!」

「変にこだわるなぁ、瑠津子さん」

「不思議な子ねぇ、何が不満なのかしら? でも、このスープどこかで飲んだ事あるのよね。どこだったかしら?」

「どこなんでしょうね」

 司祭様の記憶は知らないが、僕も少し引っ掛かりを感じた。

「ソーヤざぁぁんぅうん。旨味が、旨味が足りないんですよぉぉぉオオおお! 何とか味噌を手に入れてきてくだざいぃ。このままじゃ自分は死んだお母さんの味に申し訳なくて、このスープは出せないですッ」

 瑠津子さんの顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃである。この光景を誰かに見られたら勘違いされそう。それにしても、

「味噌か」

 あるにはあるが、これも家で消費する分だけだ。

 てか、ラナはお味噌汁が好きで、夜食に必ず豚汁をご所望する。そこを削ってまで炎教に尽くすつもりはない。

『………♪………♪』

「ん?」

 メガネに通信が入る。

「ちょっとすみません」

 でろでろの瑠津子さんを司祭様に渡して廊下に移動。

「なんだ?」

『話は聞かせてもらいました』

 マキナからである。

「まさか、異世界に味噌があるとかいうのか?」

『そのまさかです!』

 そんな馬鹿な。

『ソーヤさんは微妙に抜けていますね。今までの人との会話の中にヒントはありましたよ。思い出せませんか?』

「いや、全然。さっさと教えろ」

『教えて欲しいですか?』

「………………」

『あ、ごめんさい。通信切ろうとしないでください。すぐいいますから』

「………………」

『無言は止めてください! 奥様の実家です』

「え、ヒューレスの森で?」

『奥様の叔母様であるアルマ様が、生前研究していたようです。家に残された蔵書の中に、コウジカビと思われる菌を培養して食品に活かす記述を見つけました。メディム様との会話の中にあるように、奥様のお父様が、アルマ様の後を引き継いで味噌作りをしている可能性が高いです。これは確定だと思いますよ。貴重な情報ですよね? ね!』

「………………うん」

『………………』

「………………」

 くっ、マキナのくせに有用な情報を。

「あ、ありがとう」

『ふっ、ふっ、ふ~。通信アウ~ト~』

 通信が切れた。

 悔しい。かなり悔しい。

 だが、何で僕はA.I相手にムキになっているんだ?

 調理場に戻ると、

「瑠津子さん、って寝てる」

「徹夜でしたからねぇ」

 司祭様に抱きかかえられて、瑠津子さんは眠っていた。顔色が悪い。あんまり良い夢は見ていないようだ。

「食材に心当たりがあるので外に出ます。彼女、任せても良いですか?」

「ええ、良いですわ。でもねぇ、このスープの何が悪いのか分からないのよねぇ。だから、ほどほどで良いですわよ。無理されても困りますし」

「はい、大丈夫です。ちょっと………妻の父親と話してくるだけなので」

「あらまあ、それは無理をしないと駄目ね」

 かもしれないなぁ。



 一時帰宅して、コタツに囚われた妹に事情を話す。

 あまり乗り気ではなかったが、僕の身を案じて、なんやかんで妹は同行してくれた。

 街を出て雪原を進む。

 遮蔽物がないので風が冷たい。そのせいで妹が腕にまとわりついて来た。

 雪に埋もれたキャンプ地跡から更に西へ行くと、白く染まった森が見えてくる。

 ゲトさんの忠告を受けてから、一切近づいた事のなかったエルフ達の根城。ヒューレスの森だ。

「お兄ちゃん。もっと寄って」

「ええと、どんな感じで?」

「じゃ後ろから抱きしめて」

「はいはい」

 妹の腰に背後から手を回して、彼女の外套に被さる。

 ロラの外套で透明化して森に侵入した。体を寄せ合って移動するので牛歩だ。妹の体温が染みる。柑橘系の匂いがする。密着しているので動く度に、お尻がその………。

「お兄ちゃん。今、変な事考えてない?」

「まさか」

 むしろ考えないように必死だ。

「いっておくけど。ヒームの侵入がバレたら八つ裂きにされると思うから、魅力的なアタシの体より周囲に注意してね」

「分かった」

 そうだった。

 ここでは昔、ある国の騎士団が侵入して破壊活動の後、森ごと焼き払われた。正確な死傷者数は知らないが、10や20程度じゃない。原因であるヒームが見つかれば確実に殺される。

 いや、殺される前に散々いたぶられるだろう。一緒にいるエルフの娘も共に。

 透明化しているといっても、重力を消したわけじゃない。足跡などの痕跡が残る。追跡能力の高い相手だと、異変に気付くかもしれない。気を張って慎重に歩こう。 

 しかし、不気味な森だ。

 外で見ていたより、奥が深く、空が高く感じる。しかも、どこを見ても似た様な大樹が並ぶ。雪のせいで景色一色に染まり、更に見分けが困難に。

 これは一人で入り込んだら出られないな。

「………………」

 他のエルフが見えて、一瞬呼吸が止まった。

 大樹に作った物見台に歩哨が二人いる。伝統的なコンポジットボウと腰に下げた矢筒、狩猟用の短剣を装備していた。偶然目が合い、心臓が跳ね上がる。

(根を踏んで行くから、転ばないよう気を付けてね)

(了解)

 木々の根を伝い。足跡を残さないように進む。

 息を潜め、歩哨の真下を通った。エアの鼓動が早くなると何故か冷静になれる。剣は、いつでも抜けるように身構えておく。

 殺すつもりはないが、明日の目覚めが最悪な程度には気絶させる。

 歩哨は不規則に配置されていた。

 そのせいで気が抜けない。

(エア、見張りの配置は分からないか?)

(わかんない。アタシがいたころと変わってるし)

 仕方ない。今のまま慎重にゆっくりと進むか。

 この森の住居は、大樹をくり抜いて造られていた。歩哨の多くは、その二階部分のテラスから警戒している。だが、何も訓練された兵だけではない。欠伸混じりに周囲を見回す若者や、小さく談笑しながら警戒している少女達の姿。武装がなく鍬を片手に見張る者も。

 ようは住民だ。

 ただの住民の多くが、外からの敵を警戒している。

 中には、マリアより小さい子供まで歩哨として立っていた。白い息を吐いて震えながら、体に合わない大きな弓を持って。

 話には聞いていたが、直面すると堪える光景だ。

 異邦人とはいえ、種族的にはヒームである僕の妻と、妹は、この故郷に帰れるのだろうか?

(お兄ちゃん。すこーし、マズイかも)

(どうした?)

 妹に促され民家の影に隠れた。

 彼女の顔が向いた先には、一際大きい大樹があった。当然それも住居として改造されている。

 その家を守るように、珍しい鎧姿のエルフが四人いた。

 鎧姿も珍しいが、鎧自体も珍しい。目鼻を出した翼が付いた兜に、意匠の凝った軽金の鎧。携えた槍も儀礼的で、腰の剣もそんな感じ。

 街中では見ない武器と防具だ。エルフ伝統の装備なのか?

(あいつ………)

(知り合いか?)

 エアは、四人のエルフの誰かを見ている。

(うーん、ちょっと相手にしたくない奴。あれの隙見て家に侵入するのは難しいかも)

 どうやら、エルフ達が守っているのが目的の住居のようだ。

(そうか仕方ない)

 エアが難しいというなら間違いない。

(よし、待とう)

(待つの?)

(陽が落ちてから隙を見よう。それで駄目なら帰る。ラーメンの為に命を賭けたくない)

 僕だけでも嫌なのに妹まで。

(そうね。そうしよう)

 少し移動して、住民の死角かつ洞穴のように開いた大木を見つけ、エアと一緒に腰を下ろす。

 帰りを考えて一時的に外套の機能は止めた。

「雪風、センサーは最大で。近づく者がいたらすぐ知らせろ。さっきの四人はバグドローンで監視を」

『了解』

 バグドローンは、A.Iが改造した蚊の一種で、カメラと簡単なセンサーが付けられている。

『監視が必要とは思わなかったので、手持ちのバグドローンは五体しかありません。一体の寿命は、低温化だと三時間が限度であります』

「カメラ機能は、ドローンが死んだ後も残るのか?」

『映像だけでしたら、五時間ほど受信できるであります』

「それじゃ適当な配置に置いて、定点観測を」

『了解であります』

 雪風に指令を終えると、後は待機。

「ふっふ~ん」

 膝の上に妹が座って来る。

「なんか最近、アタシに割く時間少なくない?」

「あ………すまん」

 確かに、マリアが来てからエアを構う時間は減った。

「別に良いけどね。アタシだって、いつまでも子供じゃないわけだし。いや、今も子供じゃないけど」

 エアは体勢を変え、僕の首に両手を巻き付けて来る。体温を逃がさないようにマントで体を包んでやった。

 密着すると冬の空気が忘れられる。

 温い呼気が首に当たる。寒そうな足をさすって温めてやった。 

「でもまあ、今は子供でもいいや」

 エアは、僕のトップハットを奪うと嬉しそうに目深に被る。

 大きいのに甘えん坊の妹だ。いつまでこんなんだか。

 ………………可愛いけどさ。

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