<第一章:冒険の暇-いとま-> 【05】


【05】


 やさぐれながら街を歩く。

 何でこうなった。ラーメン作りの依頼を受けたのに、パン勝負とはこれ如何に。

 てか、僕の出来るパンてチャパティだぞ。頑張ってもナンだぞ。レムリアにある石のように固いパンに比べたらマシだが、ラーメン以上にパン素人だぞ。

「ソーヤさーん!」

 やれて重曹ホットケーキだが………いやいや、もうそんな些末な事よりパン勝負やらされる事に腹が立つ。

 ラーメンのスープで頭一杯なのに、パンて。

 猛烈に面倒になって来た。依頼破棄しようかな?

「ソーヤ! さーん!」

 なんか背後から声が聞こえていた。

 ゆっくり振り返ると、十代半ばの少女が駆けて来る。

 癖の強い栗毛で、ボリュームのあるセミロング。小柄でスレンダーな体は、毛皮のコートに包まれている。

 清純なエロスを持った同じ異邦人。天羽瑠津子さんだ。

「お久しぶりです! 後、すみませんでしたッッ!」

「え、どうしたの?」

 いきなり謝罪された。

 頭を下げる瑠津子さん。後ろには、パンツを覗く鎧姿の小人が二体。

「ドラゴンの件です! 挨拶もなく急に帰ってすみませんでしたッッッ! あの後、ソーヤさんも色々大変だったらしく。今の今までお詫びの一つもいえず」

「ああ、そういえば」

 後日いきなり居なくなったから、いまだに報酬を渡せていない。

「実は、異世界に来てから挑戦していた物がようやく完成して。昨日までずっと試作品を作り続けていました」

「試作品とは?」

 何、気になる。

「ソーヤさんの時代には、アンパンくらいしかなかったと思いますが」

 彼女の中では、僕はチョンマゲ時代の人間という設定である。

「これ! これ見てください! 自分を納得させる事ができた最高の一斤です!」

 彼女は、現代世界で一番ポピュラーなパンを取り出す。

 受け取って震える。

 まさか、パンを持ってこんなに震える時がこようとは。

「女神」

「え?」

 僕は思わず瑠津子さんの手を握る。

「パンの女神!」

「え? え?」


【158th day】


 翌朝、早朝。まだ空は薄暗い中、炎教でパン勝負が行われる。

 審査員は三名選ばれたのだが、一人と廊下でバッタリ出会い。

 僕は逃げた。

「待つニャ!」

「待たないにゃ!」

 待てといわれて待つなら、最初から逃げない!

 脱兎の如く全力で逃げる。

 が。

 ひとっ飛びでテュテュに追い付かれ、背中にしがみつかれる。獣人の身体能力を侮っていた。後、小振りながらも、しっかりした胸の感触に体が固まる。

「捕まえたニャー!」

「捕まえられたにゃ」

 こうなったら、まな板の鯉だ。彼女に委ねよう。

「ソーヤも人が悪いニャ」

「え、今更?」

 僕は決して良い人ではないと思うが。

 契約している神様は悪行の神様だし。

「バーフル様の事きちんと最後までいうニャ」

「………………」

 どういう事だ?

「バーフル様の最後は立派だった、そう王様から聞いたニャ。ソーヤもお供して、一緒に吸血鬼と戦ったと聞いたニャ。秘密任務とはいえ、ニャーにはいってほしかったニャ」

 なるほどな、そういう風に落としたのか。

「それはそうと、バーフル様意外と貯め込んでいて、自分が死んだ時の為に、ニャーや世話になった近所の人達にお金用意していたニャ」

「へぇ」

 それは本当にあいつの金なのか? と邪推してしまう。

「結構お金が入ったから、お店改装するニャ」

「あの店を?」

「屋根と壁を付けるニャ。オーブンも作るニャ。本格的ニャ」

 やっと普通の店になるのか。

「それでソーヤに相談ニャ。出来るだけ安くて信用できる大工を紹介して欲しいニャ。女将さんとこの紹介は腕は確かだけど、みんな高いニャ」

「良いぞ。一人、腕が良くて暇な職人を紹介してやる」

 マキナに仕事やろう。

 あ、ラナも趣味で家具を作っていたな。頼んでみるか。

「でもテュテュ。どういう店にするつもりだ?」

 立派になっても、あの立地じゃ人を入れるのは難しいだろう。

「バーフル様を思い出すから、お酒はもう出さないニャ。料理だけのお店にするニャ。安くて量の多い店ニャ」

 テュテュは料理下手ではない。かといって人を呼べるほど良いわけでもない。

 安くて売れそうな料理か。手伝ってあげたいが、何もかも僕が仕切っていたのでは、時間も労力も足りない。

 しばらく様子見して、駄目そうなら助け船。それでも駄目になるなら、かわいそうだが借金を作る前に店を畳ませるか。

「そんなわけで、今日のパン勝負。勉強させてもらうニャ」

 テュテュの顔は見えないが、不敵に笑った気配を感じた。

 思ったよりも、したたかな娘だ。僕の考えは杞憂に終わるかも。

「あ、でも。審査はしっかりするニャ。そういう所に個人的なカンジョーは入れちゃダメニャ」

「そうにゃ」

 ほどなくして他二名の審査員も揃い。

 僕と瑠津子さんはパンの仕上げにかかる。

 そして、

 がらんとした炎教の食堂に、パンと人が揃う。

 ちなみに審査員の面々は、可愛い金髪の猫獣人、眠たそうな冒険者組合の受付担当、国の偉いハゲ。

 の、三名。

 テュテュはマスターの所の従業員、エヴェッタさんは僕の担当、ハゲはどうでもいい。

 一応、公平な審査員だ。

「さて、ソーヤ。パンの試食を開始する前に決める事がある」

 マスターが金貨を取り出す。

「城が表、麦が裏。それで先攻後攻を決めるぞ」

 一般的な金貨は、一つの面に城、反対側に麦穂のデザインがある。

「マスター。好きな方を選んで良いですよ」

「は? お前、古来から料理勝負ってのは後攻が有利なのだぞ? これでほぼ勝負が決まるといっても良い。いきなり勝負を捨てるのか?」

 そりゃグルメ漫画の理論だろ。

「いや、どっちでも勝てる自信があるので」

「ほぉ~貴様は自信があるようだが、頼りの助っ人はガクガクだぞ」

「ひゃ!」

 マスターに睨まれ、脅える瑠津子さん。

 そりゃ厳ついおっさんが二人もいるのだ。無理もない。

(ソーヤさん! 聞いてないですよ! 王様がいるなんて! しかも相手がその親族なんて!)

(大丈夫だ。僕も聞いていなかった)

 僕の背後に隠れた瑠津子さんがコソコソと話しかけてくる。

(どどど、どうしましょう? 自分のパン不味かったら吊るし首ですか?!)

(その時は、僕があのハゲぶち殺して一緒に逃げてあげるから)

「失楽園ですな」

「愛のコリーダですな」

 ガンメリーの相変わらず意味の分からないツッコミ。

「最後は、もぎたまですかな?」

「それ、おもろー」

 止めろ。

「おい、ソーヤ。聞こえているぞ」

「ちっ」

 ハゲ事、レムリア王が僕に因縁をつけて来る。

「そ、ソーヤさん。マズイですって極刑ですって!」

 瑠津子さんは更にガクブルしだす。

「そんな浅はかな王様なら誰も付いてこないから」

 とまあ、言葉をかけても震えたまま。でもパンの焼き上がりは見事だし、美味しいのは匂いで分かる。

「マスター。僕らが先攻で良いですか?」

「ふっ、この勝負もらったな」

 了解と受け取ってパンを準備。

 型から出した長方形のパンに包丁を通す。さくりという抵抗感のなさに審査員に動揺が走った。それで、このパンのフワフワ度が理解できただろう。

 僕らが用意したのは、いわゆる食パンである。

 瑠津子さんが挑戦していた物とは、イースト菌だった。

 レムリアで一般的に食べられているパンは、いわゆるサワーブレッド。サワードウという乳酸菌が主体のパン種<酵母>で作られている。このサワードウで作られたパンは、イースト菌で作られた物より膨らまず、重たく、中身の詰まった硬いパンになる。そういえば独特の酸味があるのは、乳酸菌のせいだったのかと納得した。

 サワードウは、作る事自体は実に簡単で小麦と水を発酵させるだけで作れる。ただ、品質を安定させるのが難しく。美味いパンとなると熟練の腕が必要になる。

 パンの、ぬか床みたいなものかな?

 サワーブレッドは保存が利き、冒険のお供にするには持って来いの食品である。顎も鍛えられるし、良く噛むから満腹感も増す。

 そして食パン。つまりは、イースト菌で作られるパンは、ふっくらして癖のない味わい。そして、サワードウのパンより安定した品質を出せるそうだ。

 瑠津子さんは、こっちに来てからサワードウでパンを作り続けていたが、品質のバラつきに納得が出来ず。ついには、イースト菌の開発に乗り出した。

 イースト菌も、サワードウも、パン種<酵母>には違いなく。素人の僕には今一違いが分からないのだが、瑠津子さんがしっかり説明してくれた。

『イースト菌は人工酵母です。サワードウは天然酵母です。以上です』

 とっても分かりました。

 どうやってイースト菌を作ったのか聞いたら、ガンメリーがガンメリーを、ジャイアントスイングして遠心分離機の要領で成分を分離させたと、想像できても理解できない方法だった。

 ちなみに、重曹の要素は一切ない。

 だってフワフワパン勝負とはいったが、重曹縛りとはいっていなかったので。

「えーこれは、僕の故郷の味を再現したパンで、名を食パンといいます。こちらの友人の手を借りて作りました」

 皿にスライスした食パンを乗せて審査員の前に置く。

 まあ、食パンとは考えて見れば変な名前だ。食べられないパンて、クイズの中にしか存在しないからね。

「これは何でしょうか?」

 エヴェッタさんが目を覚ます。いや、パン勝負なのにパン以外の物は出さないだろ。

「食べ物です。お食べください」

「よく分かりませんが、ありがたく」

 エヴェッタさんは素手でパクリと一口で食べた。

「ソーヤ、パンが溶けました」

「いやいや」

 一瞬で消えたぞ。あなた、どうなっているんだ?

「んじゃ、ニャーもいただくニャ」

 テュテュも素手でガブリと食べて、停止………………震え出す。

「な、なんニャこニャー!」

 ちょっとしたグルメ漫画みたいなリアクション。

 裸になったりはしないけどね。

「どう噛んで良いか分からないニャ。唇で挟むだけでパンが潰れるニャ。す、凄いニャ。ソーヤ、これ食パンっていったニャ? つまりは、ソーヤの故郷では、これ以下のパンは食べる価値すらないという意味ニャ?」

「そんな事はない」

 僕、サワーブレッド好きだけどね。昔のアニメみたいに、焼いたチーズを乗せて食べると本当に美味い。保存が利くから、取りあえず台所に入れてある。

「………………ふむ」

 ハ―――――じゃなかった。レムリア王が神妙な顔つきになる。

「そこの娘。名は何という」

「ひ、ひゃい。る、ルツです」

 瑠津子さんはカチンカチンに緊張していた。

 可愛そうなので背中を撫でてやる。

「ルツとやら、レムリアにいるという事は、冒険者か?」

「は、はい。でも最近はダンジョンに潜るよりパンばっかり焼いています」

「うむ、ダンジョンに潜るだけが冒険者ではない。時には良いパンが人の心を救う事もあるのだ。これは、そなたにしか出来ない偉業であるぞ。誇るが良い」

「ありがとうございますぅぅぅ!」

 勢い良く頭を下げる瑠津子さん。

「して、そなた。王の側室に興味はないか?」

 あ?

「生活は保障しよう。パンも今まで以上に焼かせてやろう。そなたは若い。今はまだ女として野暮ったいが、磨く方法など幾らでも教えてやろう。その為の金は惜しまぬぞ。どうだ余に仕えて見ぬか?」

「そ? 側室?」

 瑠津子さんが袖を引っ張る。

 側室の意味が分かっていないようだ。

「そこのハゲは君を愛人にしたいといっている。断るなら麺棒で殴るといい。手伝うよ」

「えっ愛人?!」

「おい、ソーヤ。貴様一国の王に対して――――――」

「お断りします!」

 思ったよりも大きな声で瑠津子さんは断った。

 もっと小動物のようにオドオドすると思ったのに、意外だ。

「自分は、男の人は一人の女性を愛すべきだと思います! そんなとっかえひっかえなんて、女性は季節物の服じゃないんですよ! 最低だと思います! お断りします! 帰りますッ!」

 瑠津子さんはエプロンを脱ぐと、机に叩き付けて帰って行った。

「ソーヤ、何で苦しんでるニャ」

 止めてくれテュテュ。

 ちょっと発言が刺さって胸が苦しい。

「おいおい、ソーヤ。助っ人が帰っちまったぞ。こりゃ勝負にならねぇなぁ」

 マスターはニヤけ顔を浮かべる。

 いや、瑠津子さんの仕事は終わったのだが。

「さて、じゃ次は俺のフワフワパンだな」

 レムリア王が席を立つ。

「このパン勝負。ソーヤの勝ちとする。美味いパンと良い女を見つける事は出来たが、次からは昼にせよ。流石に眠い」

 続いてエヴェッタさんも席を立つ。

「ソーヤの勝ちにします。あの、ソーヤ。食パンの残りはもらっても?」

 テュテュも立つ。

「ニャーもソーヤの勝ちで。あ、ニャーも食パンまだ食べたいニャ」

「はいはい、お土産分あるから」

 一斤ずつ包んだ食パンを、お帰りの三人に渡す。

「ちょ、お前ら待て! 俺のフワフワパンを食べずに決めるとは!」

「余は食べ飽きた」

「私も何度も食べたので」

「ニャーも余りを良く食べたニャ」

『じゃ、これで』と審査員は帰って行った。

 皿を持ったマスターが硬直したまま残された。

「おい………………ソーヤ」

「何ですか?」

 僕は片付けに入る。司祭様がチラ見して、察して通り過ぎた。

「俺の分はあるか? 食パン」

「ありますよ」

 マスターは食パンを手に取ると、背中を丸めて帰って行った。大きい背中が小さく見える。

 何か、可哀そうな事したな。

 マスターの残したフワフワパンを手に取る。見た目は、パンというよりカステラ?

 一口頂く。

 甘みの少ないカステラ生地に、蜂蜜が挟んであった。素朴な味わい。

「マスター。僕これ嫌いじゃ」

 あ、もう居ないか。

 食糧庫から勝手に牛乳を取り出してフワフワパンと一緒に流し込む。

 どら焼き作ろうかな? 家に砂糖まだ合ったよな。

 一仕事終えた達成感に浸り、フワフワパンを片付ける。まあまあ美味しいと思う。甘味が高級品の異世界だ。ご褒美としては十分だろう。

「さて」

 キッチンを片付け、洗い物をして、一人ぼっちの調理場を眺める。

「………………何も進んでねぇ」

 現状に絶望した。

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