<第一章:冒険の暇-いとま-> 【01】
【01】
炎教。
三大陸に広く普及している宗教の一つ。
炎という肉のない神を崇める宗派であり、世界は炎から生まれ、また炎に消える、という終末感を旨に、人は清貧であるべきと教えている。
発足は、ある高名な魔術師。
その名を、大炎術師ロブという。
二大魔法学派であるジュミクラ、ホーエンスに、強く影響を与えた炎魔法の始祖であり、基礎と極致を作り上げた希代の天才。
炎魔法は、生活の明かりに始まり、調理の火力、大軍を薙ぎ払う炎まで、異世界で最も使用人口の多い魔法だ。
専門的分野を持つ魔法使いを魔術師と呼ぶが、炎の魔術師といえばロブであり、彼を越える魔術師は未だに現れていない。
故に、大炎術師。
ただ、彼の晩年は不幸が続き。身内が疫病で死に絶え、追い打ちのように彼の弟子である炎の英雄ミテラが、大乱を巻き起こし、中央大陸南部を炎で包んだ。
消えない炎を眺める棄民達に、ロブは炎教の教えを説いたのだという。
『何れ人の世は灰となり、無に帰するのだ。故に、人に財は必要ない。君達は灰の上で清貧になったのだ』
全てを失った人間への、慰めの言葉である。
それとも弟子の悪行に、自らも恥を捨てたい一心だったのか。
教えの通り、大炎術師は自らの財を切り捨て、棄民達を食わせ面倒を見た。身を切り詰めたロブの最後は、炎が消えるように静かで侘しかったという。
ただ、彼が残した炎の秘儀と、ありがたい教えは、今も確かに生き残っている。
そんな炎教。
炊き出しや、厳しい冬中の住居提供など、財布が軽い者には何かと手厚い。貧乏冒険者には、ありがたい存在だ。
活動資金は国からの提供もあるが、多大な富裕層の寄付が主である。
人間は、歳を取り、“下”も立たず、老い先が見えてくると、ある欲望が強くなる。
名誉欲、とでもいうのか。
色んな人間に感謝されたくなるのだ。
それが、清貧な者の純粋な思いなら、尚心地良い事だろう。つまり、金を持つ富裕層は財産を寄付する事で、多くの貧者から徳を買うのだ。
こんなシステムが、人気の秘訣という所。
以上は、悪行の信徒の戯言である。
これが本質とは思えない。
だが丁度、僕も炎教の力になりたいと思っていた。
エルフの姉妹。ラナとエア。彼女達は去年の冬、炎教の世話になったそうだ。しかも、特別待遇で個室まで用意してもらった。
こういう恩は、返せる余裕がある時に返しておかないと。冒険者なんて仕事、先に何があるか分かったものではない。
以前、一度だけ訪れ、門前払いされた炎教の神殿に到着。
神殿自体はこぢんまりとした物。
前は気付かなかったが、両隣の宿泊施設は炎教の物だった。
「あの」
雪かきしている神官に話しかける。
浅黒い肌に金の髪。ランシールと似たピンと尖った耳。モフリとした尻尾。十代後半くらいの女の子で、炎教の制服であるフード付きの白い貫頭衣を着込んでいる。
獣人にしては珍しく肌の露出は控え目。
「はい、入信希望の方ですか?」
「いえ、この件で来ました」
もたつきながら、片手でスクロールを広げる。
「ああ、炊き出しの件で。あなた………前にどこかで?」
「まあ、一回だけ」
思い出した。
この娘、ゲトさんのお守りを見て、門前払いした本人だ。
「沢山の冒険者がいますからね。そんな事もありますね」
今回は追い返されず、神殿に案内された。
締め切った壁や扉はなく。開けた空間に、沢山の柱が並ぶ。列柱建築、いわゆるギリシャ様式に似ている。
中心には、巨大な篝火が熱気を放っていた。囲むように椅子が並び、暖を取っている冒険者や、昔話に花を咲かせる老人の姿がある。
荘厳な雰囲気だが、神殿自体は小さく。ただ、奥に行くと神殿の四倍は広い調理場が現れた。
これは中々、火元良し、水場良し、調理器具の種類、数、手入れ具合も良し、作業台広し、人の行き交う通路も広い。
豪華なホテルの調理場みたいだ。
妙にテンションが上がる。
「あら、あなたがレムリア王のいう異邦人の方で?」
調理場には、老女の司祭様がいた。
痩せていて、笑顔が柔らかく、少しだけ豪勢な祭服を着ている。
失礼な言葉だが、年齢を重ねても美貌が残っている。若い頃は相当モテたと思う。
「まあ、貴族様かと思いましたわ」
「あ、これは失礼を」
トップハットを外して、目を閉じながら軽く頭を下げた。
僕の服装は、古いネオミアの冒険装束に、いつものメガネ型デバイス(二代目)である。
古い貴族が、こういう衣装で冒険業を行った記録があり。歴史に造詣が深い人には勘違いされる。一応、偽の身分証じゃ貴族の息子だが、異邦人ともバレてもいるので最近は隠していた。
「異邦人のソーヤといいます。この服装は、北の知り合いから譲り受けた物です。僕は由緒ある血筋ではありません。ただの凡骨です」
「そうかしら? あなたのパーティは、他の追随を許さない速度で、ダンジョンを踏破しているとお聞きしましたわ」
「お耳に入ったのが、良い噂“だけ”なら安心できるのですが」
そうですねぇ、と司祭様は語り出す。
「商会を爆破して冒険者を三人ばかり丸めたとか、エルフの姫を二人も手籠めにしたとか、王子と殴り合ったとか、その姉に手を付ける寸前とか、中央大陸の英雄と喧嘩をしたとか、友人の名誉の為に命を賭けられる方とか、流れ者の商人を脅して国から追放したとか。最近だと、白鱗公にネズミのように絡んだとか、北の吸血鬼を討伐した英雄バーフルのお供をしていたとか、とか? 全て、あくまでも、噂ですわ。お気になさらず」
にっこりとした笑顔で全部いわれた。
これには僕も、にっこり笑うしかない。
隣で聞いていた獣人の娘は『?』として、雪かきに戻って行った。
「で、ええと。炊き出しの件ですが?」
「あらあら、ごめんなさい。歳を取ると話が長くなってねぇ」
この人は、敵に回さないでおこう。
そして、利用されない程度の人間関係を築こう。
人々が進呈する財産は、何も物品だけじゃないよな。情報なんかもあるって事だ。
「そう炊き出し。いやだわ、私ったら。大事な事なのに」
「新しいメニュー開発と聞いて」
「ええ、レム坊―――――あら、ごめんなさい。レムリア王たってのお願いでねぇ」
レム坊………その坊は坊主の坊ですか?
「今年の冬は、近年稀に見る寒さなのよ。だから、赤翔石を求める人が多くてねぇ。ヒューレスの森や、獣人の森、二塔の魔法学院からも、わざわざ人が来るの」
赤翔石とは、翔光石に炎の加護を授けた熱石だ。拳一つほどの大きさで三日は暖を取れる代物。うちでもコタツに入っている。
「赤翔石の需要のおかげで、炎教レムリア支部には、近年稀に見るお供え物が集まりました。いえ、少し集まり過ぎましたわ。いつも通りの炊き出しでは消費しきれない程に。
大切なお供え物ですから、金銭に変えたり、腐らせるなど以ての外。
それで炊き出しを豪華にしようと考え、丁度レムリア王が『それなら良い物がある』と、あなたに依頼したのです」
「なるほど」
それで、変わり種のメニューであるラーメンを選択したと。
「う、うーん」
「何か問題が?」
「とりあえず、お供え物とやらを見せてもらっても?」
「ええ、もちろん」
司祭様に、調理場の奥に案内され―――――
「ソオオオォォォォォォォヤァァァァァァ!」
すると、遠くから雄叫びが聞こえた。
振り向くと、ランシールが血相を変えて飛びかかって来る。
「その腕はどうしたのですか?! 今朝は大丈夫だったのに! 誰にやられたのですかッッ!」
「落ち着け、疲労の蓄積みたいなもんだよ。大事を取っているだけだ」
両肩を掴まれて詰め寄られる。
最近、何か激しいね。色々と。
「どうして! まず先に! ワタシにいってくれないのですか!」
「得物の修理に来たドワーフにいわれるまで、僕自身もこんな状態になると思わなくて」
「くっ、行きずりのドワーフが気付いて、いつも傍にいるワタシが気付かないとは。何たる不覚」
物凄く落ち込む。
たぶん、ラナも気付いていないから普通の事だと思うが。
「まあまあ、お熱い事。レムリア王の初孫は、ランシールが産むのかしら?」
「え? そ、それはその、そんな事もあればなぁと」
ニコニコ顔の司祭様に、まんざらでもないランシール。
今は勘弁してください。
「所で、ランシール。君はここで何を?」
困ったら話を逸らすに限る。
「洗剤が切れたので、炎教でいただきに」
「洗剤?」
炎教はそんな物も売っているのか。
正確には、販売じゃなくてお供え物の交換品か。
「食器、衣服から、お風呂場トイレまで、これ一つで全て洗える優れものです。木材に使うと変色するので駄目ですけど」
「凄いなそれは」
異世界の洗剤は万能か。
これも神の奇跡がなせる技か。
奇跡の粉と書くと麻薬みたいに思える。
「所でソーヤは何を? 大事を取っているのなら、今すぐ家に帰りましょう。ワタシが全ての面倒を見ます。それはもう、手取り足取り全てです」
君の思うままにお世話されたら、ダメ人間になりそう。
「冒険者組合の依頼だ。荒事はナシだから問題ない」
「むう、そうですか。冒険者組合の………それじゃ仕方ないですね。ワタシは帰ります。腕が痛むようなら、相談してくださいね」
「分かった。分かった」
踵を返してランシールは去る。
素直な事と、自分のルールを守る事が彼女の美徳だ。が一回振り向く。
「………相談してくださいね!」
「分かったからー」
遠くで手を振って帰宅していった。
僕も小さく手を振り返す。
自分でいった手前、冒険業には絶対関わらないが………内心混ぜて欲しいのだろう。元々冒険者やっていたわけだし、そも冒険者の王の娘だし。
どうしたものか。
「レムリアの後継者は、異邦人の血を引く事になるのかしら?」
「いやいや、それはないです」
司祭様にツッコミを入れた。
仮に、仮にだが、僕とランシールの間に子供が生まれたとしても、獣人の子供である事には変わりない。今の異世界では、その子供が王族になる事はない。
現勢力を滅ぼして一変させない限り。
それは、途方もない話だ。僕には関係ない戦乱の話。
ダンジョンに潜りに来て、戦争起こしたんじゃ何もかも駄目だ。目的がブレ過ぎて何も見えなくなる。
「あらら、ランシール。洗剤忘れていますわ。こういう所は変わらないのねぇ」
「僕が持って帰ります。お幾ら相当で?」
「ごめんなさいねぇ。貨幣での交換は行っていませんの」
物品のみか。
「ええと」
ポケットを探り、飴を見つける。
「こんな物でも良いですか? 蜂蜜で作った飴なんですが?」
厚紙で包んだ蜂蜜飴。
ラナが魔力切れで倒れた時用である。他にも色んな効果があるけどね。
「これは高価な嗜好品ですわ」
司祭様は受け取ると、早速口に入れた。
う、うーん。それは良いのか?
「中々ですわね。それではこちらが、対価の進呈品です」
司祭様が、作業台の下から大袋を取り出す。
僕は洗剤を手に入れた。片手だと、ちと重いサイズである。
「では、食糧庫に案内しますわ」
司祭様の後に続き、奥の食糧庫に。
「こ、これは」
かなりの広さの食糧庫。
そこにはぎっちり、肉、野菜、果物、乾物、小麦に酒、調味料が詰まっていた。
見た事のある異世界の食料が、ほとんど揃っている。
まるで、食糧の宝物庫やぁ。
「ここに入りきらないものは、地下に保管していますわ」
「これで一部なんですか?」
「種類的には、ここにあるのが全てです。量は、ここの四倍くらいかしら?」
司祭様が地下の扉を開く。奥底には、みっちり食糧。
なるほど、確かに量はある。
しかしだ。
「ただ飯を振る舞うだけなら、そこまで大変な事では?」
冒険者は大食いだし。
酒や肉なんかは、無尽蔵に食べると思うぞ。
「白状しますと、炎教の清貧の教えに“背かない程度”の食事しか出せないのよねぇ。ほら、一応ここは支部でありますから。皆様の見本になる為の司祭と巫女ですから。といっても、あなたの妻のように、外で活動している人達に、清貧を強要したりはしません」
大分、ぶっちゃけてくれたな。
王の紹介だから信用してくれたのかな?
「つまり、食材を沢山使いたいけど高価に見えない豪華な食事を、と?」
「はい、面倒でしょう? でもねぇ宗教ってこういうモノなのよ。うちは大らかな方だけども」
「確かに」
清貧を主に謳っているが、強要はしていない。
入り口は大きいし、確か抜け出る事に罰もない。
あ、でも魚人関係の水の加護は駄目なのか。それを除けば大らかだ。
といっても、ゲトさんのお守りは竜の息吹を完全無効化する代物。僕が転んだりして、神殿の炎に突っ込んだら、ご神体の炎を消す可能性もあった。
ま、仕方ない事か。
「しかし」
ラーメンを作るにあたって、問題が一つ。
「司祭様、ヒューレスの森のエルフが」
先ほどの獣人が司祭様を呼びに来る。
「あら、何かしら? ソーヤさん、ここはお任せしても良いかしら?」
「はい、出来るだけ頑張ります」
「では~」
司祭様は、軽快な足取りで食糧庫を後にした。
若い年寄りだ。
「雪風、食糧をスキャンしてリスト化してくれ」
『らじゃ』
一人残った僕は、雪風を使って食料を調べる。
肉と野菜は大量にある。ラーメンのスープの材料はあると思う。もちろん、ラーメン素人の僕が、最初から美味しいスープが作れるわけはない。試行錯誤が必要だ。
問題は、ラーメンの麺。
あれって確か、小麦粉と、
「雪風、“かん水”って異世界で見つけた事あったか?」
中華麺の独特のコシや風味は、小麦粉にかん水を混ぜ込んだ結果生まれる。
これがないと、ラーメンスープにうどんを入れる事になるが。
『炭酸ナトリウムでありますか? 雪風のメモリーには見当たらないであります。ちょっとマキナに聞くであります』
雪風から、古い黒電話の呼び出し音が鳴る。
ガチャっという効果音。
『はい、代わりました。マキナですが何か?』
「マキナ、ラーメンを作る事になったのだが。かん水を探している」
『はい、ありますよ』
「えッ?! 僕らが持ち込んだ物じゃなくて、この異世界にあるって事か?」
『はい、そうです』
えー。
即行で見つかったよ。
「大量に必要なのだが、可能か?」
『はい、可能です』
「それは何だ? どこで手に入る?」
『………………教えて欲しいですか? ふっふ~ん、教えて欲しいですか? ソーヤさんにも、ご飯の事で分からない事があったのですね。教えて、欲しい、です、か?』
「………………」
イラッ。
『仕方ないですね! マキナの前身は、お料理ロボットとして発売されました! そんな記憶も沢山残っています! 素人上がりのソーヤさんが最初から敵うはずはないのです! では、第六世代人工知能マキナが、仕方なく教えてあげ―――――』
「通信を切れ」
『らじゃ』
切った。
即行でマキナから通信が来るが、全部遮断した。
「さて雪風。探すぞ。異世界にあるなら、ここにあるに違いない」
『了解であります』
洗剤を床に置いて、探索開始。
かん水その物はなくとも、代用品があるはず。
「雪風、成分分析とか出来るか?」
『あの、ソーヤ隊員。マキナから謝罪のメールが、毎秒600通も送信されてメモリーを圧迫しつつあります。面倒なので答えをいって良いですか? 後、メールは削除しても構いませんか?』
「メールは削除してよし」
もっと食料を眺めたかったが、仕方ない。聞いてやるか。
「………………で、答えとは?」
雪風が腰から離れて着地。
僕が床に置いた洗剤の袋を開く。
『こちらの洗剤は、重曹とほぼ同じ成分と判明しました』
「重曹って、あの重曹?」
異世界にも重曹があったのか。
てか、重曹ってそんな万能な洗剤なのか?
『こちらで、ラーメンの麺が作成できます』
「え?」
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