<第四章:妄執のネオミア> 【02】


【02】


 戦いの音が近い。呼吸を細く、感覚を鋭く、歩む音は微かに駆ける。

 問題は色々とある。

 僕とあいつの、いかんともしがたい実力差。経験値に生命力、パワーとスタミナ。近接戦闘では絶対的に不利。真っ正面から戦うのはあまりにも愚か。

 だから、一撃で決める。

 野生の獣を相手にするのと同じで、不意打ちで倒す。

 ならこれは、戦いというより狩りか。

「で」

 並走するメイドに話しかけた。

「あんたは何を?」

「手助けをしようかと」

 トトが付いて来る。

 思ったよりも足が速く離せない。

「邪魔だ。帰れ」

「肉盾として使うなり、注意を逸らすなり、お好きなように使ってください」

「死ぬぞ?」

「お構いなく。姫様が生き残れば問題ありません」

「あ、そ」

 こいつには騙された。マリアも裏切られた。そうだな、気兼ねなく利用できる。例えテュテュに似た顔の女でも………………問題ないはずだ。どこも痛まない。

「正面から向かい合って、あいつを『バーフル』と呼べ。あんたは死ぬかも知れないが、一瞬の隙を突いて仕留める」

「了解しました。しくじらないよう気を付けてくださいね」

「………………」

 もう、交わす言葉はない。

 トトが先行して駆けて行く。音はもう間近に。

 風が吹き、粉雪が舞う。

 城のエントランスは大きく破壊されていた。破壊した獣頭の男は、今まさに吸血鬼と戦っている。

 人外同士の戦い。これと比べたら、肉食動物の争いが品のあるものに思える。

 喰らい付き、握り潰し、磨り潰す戦い。

 バーフルの得物は、更に凶悪になっていた。特大剣の重量と体積を増し、銀の刃が巻き付けられ、巨大な棘付きメイスとなっている。巨躯であるバーフルよりも背の高い武器。巨人が使う得物だ。

 街をうろついていたのは、これを作っていたからか。

 威力は絶大で、吸血鬼を跡形もなく叩き潰す。

 黒い霧になって避ける吸血鬼もいたが、バーフルは霧に白い粉をかける。すると吸血鬼は霧から元の姿に戻され、素手の一撃で心臓を貫かれた。

 絶命した吸血鬼は燃え一瞬で灰になる。バーフルは、その灰を掴むと同じように霧になって逃げる吸血鬼にかける。姿が戻り、メイスで潰される吸血鬼。破裂した風船のように全身の血を撒き散らし、絶命すると血も肉も焼けて灰塵と化す。

 そんな手際の良さを見せるが、腕に喰らい付いた吸血鬼を、バーフルは噛み殺した。

 一口で顔面の半分を喰らう。二口目で頭を喰らい尽す。

 他に組み付いた吸血鬼を素手で潰し、ゴミのように投げ捨てる。

 刃を合わせた感触では、吸血鬼の膂力は人間を遥かに超える。下手な受け方をすれば簡単に骨が逝く。それを、バーフルは正面から力任せに倒している。メイスを振り回す姿は、鬼や悪魔の姿。しかし中身はそれ以上だ。

 最早、生き残っている吸血鬼は、無造作に近づくトトしかいない。

 タイミングを合わせ、僕も移動した。

 エントランス隅、運良く転がっていた瓦礫の影を渡り、バーフルの死角に。

 鞘を返し、細心の注意で刀の鯉口を切る。

 片手で出来たのだ。両手と体を合わせたのなら単純に三倍効率のはず。

 不意打ちなら、これが最上の手。

 これで竜の翼を斬った男を知っている。

 僕は見ている。

 やれるはずだ。

 透明な殺意を練る。

 感覚を極限まで刃に乗せる。

 掴んだコツを技に、技を極致に、極致を以って音もなく殺す。

 鬼も、魔も、獣も、全て斬り捨てる。

 殺意が充填して行く中、体は自重を支える最低限の力を残し脱力する。骨が抜けたかのように柔らかく。水になったかのように。呼吸は浅く長く。心臓も調子を合わせて音を小さくする。 

 後、二呼吸。

 それで整う。

 練り上がる。

 トトが、バーフルに近づく。

 血塗れの獣に近づく美女。神話に良くある構図だ。

「バーフル、久方ぶりですね」

 彼女は、慈愛に満ちた表情を浮かべた。

 男の、荒れ狂う嵐のような感情が一瞬止んだ。

 ほんの一瞬。

 嵐の目に入っただけだ。 

 バーフルと、トトの間に何があったのかは知らない。テュテュと、トトの関係も知らない。

 今の僕には知ったこっちゃない。

 命のやり取りに感情は持ち込まない。

 バーフルはトトの頭を撫でると、

 首をへし折った。

 動く。

 理想通り、音もなく動けた。

 影のようにバーフルの背後に立つ。

 刹那に何もかも解放した。

 脱力から反動で体を爆発させる。

 獣のような低い体勢からの抜刀。刃が鞘を滑り、完全に抜き放たれた時には、火花と共に必殺の一閃となる。

 狙ったのは脇腹からの逆袈裟。

 研ぎ澄ました感覚が時間を粘らせる。やけにゆっくりと、刃が毛むくじゃらの体に吸い込まれて行く。

 刃には何もかも乗せた。僕の魂すら移した。これで斬れないなら何をしても通じない。

 事実、抵抗なく肉を斬った。

 アバラを断った。

 後は、心臓と共に上半身を切り落とすだけ。

 殺った。

 油断は一切していない。明確な確信と事実、僕の刃はバーフルを斬り捨てる。

 油断はしていなかった。

 ただ、それを覆すのが本物の化け物というモノ。

 こいつが鬼や魔や、獣以上という事実。

 バーフルは、刃が致命傷に至る寸前、超反応で体を回転させ跳ぶ。冗談のような身体能力。自分よりデカい得物を背負って2メートルは跳ね上がる。肉が抉れ、骨の幾つかが捻じ曲がるのも構わず。

 乱暴な動きに刀を絡めとられる。手を放さなかったら手首が折れていた。刹那の反応に合わせて反撃まで来る。

 空中からの蹴り。

 不完全な姿勢だが、飛び退いて威力を殺さなかったら、防御に使った両腕が砕かれていた。

 距離を開け、同時に着地する。

 メイスが轟音を鳴らし床を叩く。バーフルは獣らしく四足で、僕はバランスを崩しながらも人間らしく二足で。

「ほう、吸血鬼の犬になったか」

 バーフルは刀を引き抜くと、それを背の壁に投げつけた。刀身が半ばまで潜り込む。あれでは簡単に引き抜けない。

 刀傷は人間なら深手なはず。口から血を吐いてはいるが、バーフルは少しも堪えていない。

「あんたは、何の犬だ?」

 僕は答えず、問う。

 痺れる手で背の剣を引き抜く。数秒あれば感覚が戻る。数秒稼げれば。

「英雄さ。いや………そんなモノは、もうどうだっていい。“俺”は帰るのだ。あの白亜の都に。竜の首をたずさえ」

 怒りが頂点に達する。

「あんたの帰る場所は、レムリアの、テュテュの所だろうが?!」

「あんな奴隷風情が何だというのだ! 俺の帰る場所はエリュシオンだ! 妻と子の待つ我が家だ!」

 こいつ思考が破綻している。そんな者とっくの昔に死んでいるのに。自分が彷徨った月日を忘れたのか? いや、彷徨い過ぎてそんな事も忘れたのか。

「竜を目覚めさせれば、右大陸は炎に飲まれる。あんたはそれでいいのか!」

「それが、何だというのだ?」

 バーフルはメイスを構える。

 剣を持つ手に力が戻る。

「ソーヤ、一度だけなら戯れと忘れてやる。しかし、これ以上邪魔をするなら殺すぞ」

「黙れ。一度、罠にハメて殺そうとしたくせに。安っぽい手間で口を開くな」

「ならば」

 言葉は不要とバーフルは進む。

 無造作に得物の射程まで歩く。

「この剣は」

 僕は、この期に及んで口を開く。

「ザモングラスというエリュシオンの騎士から奪った物だ。もしかして、あんたの子孫なのかもな。そいつの最後は、白い狼のような獣だった。まるで、エンドガードのような」

 僕は構えを解く。

 脱力して、合わせる準備をした。

「なあ、あんたの姿もエンドガードに似ているな。そいつは憧れから来た姿なのか? 獣畜生に成り果てても、誇り高く使命を全うした戦士と、使命を果たす事もできず、獣畜生の姿で彷徨う騎士。そりゃ羨ましいよな、分かるよ。………犬っころ」

 バーフルは、足を止め。

 渾身の力でメイスを振るう。 

 煽った成果は出た。力み過ぎている。僕を百回は殺せる威力だ。その分、読みやすい。

 メイスは僕の左から右を薙ぐ。

 その軌道と同じように跳ぶ。

 迫る得物と同じ速度で動けば取り付ける。簡単な事だが、正気ではできない行動だ。正気では、この化け物は殺せない。

 メイスの刃が左肩を刺す。痛みが走るより早くメイスに体を引っ掛ける。腕の他に脇腹にも穴が開いた。構わない。思考介さず体が動く。生きて戦おうとする細胞に全てを委ねた。

 視界が回り、反射行動のように動く。

 理解や思考は後。

 成果はあった。

 僕は、振り抜いたメイスの上で片膝を着いて剣を構える。

 突きだ。

 左手は柄、右手は柄頭を握る。

 狙うのは、うなじ。

 一刺しは、肉と骨を同時に貫く。柄に全体重をかけて剣をねじる。血を吐く獣の男。

 脊椎を断ち、出血量から首の動脈もねじ切ったはず。

 が、

 おかしい。

 致命傷なのに不動だ。

「見事だ。人の域であるなら、貴様はエンドガードの一兵と同等か以上だ」

 バーフルは僕の右手を掴むと、

「ッッが」

 へし折った。

 折られた後、そのまま振り回された。

 血が脚に回って視界がブラックアウトする。どこか遠くで地鳴りを聞いた。自分の体が床や壁に叩き付けられる音だった。

 肉が液体になって行く。

 骨が何本も砕けた。

 このまま絶命するまで続くと思ったが、不意に開放され床を転がる。

 まだだ、立ち上がれと体に命令する。

 脚は動いた。立ち上がれる。が、バランスを崩して自分の血溜まりに倒れ落ちた。

 右腕の肘から先が千切れている。蛇口を捻ったように血が流れ落ちる。

「返してやる」

 バーフルが右腕を投げて寄越した。

 そんな物に今更未練はない。

「アガ………チオン」

 僕のうめきに応えて、魔剣が背から抜け出、バーフルに迫る

 容易く受け止められ、大理石の床に打ち込まれる。

「終わりか?」

「まだ………まだ」

 血を吐きながら睨み付ける。

 震える脚で立ち上がり、カランビットを左手に持つ。

 バーフルは喉に突き刺さっていた剣を引き抜き、ザモングラスの剣を手中に収めた。

 喉の傷が幻のように消えた。

 胸の傷も跡形もない。

 不死?

 馬鹿な、不滅な者などあるわけがない。血を流したのだから、いつかは必ず殺せる。タネがあるはず。観察しろ、理解しろ、解き明かせ。 

 それが唯一、今………違う。

 切り札を切らなければ、

「死する瞬間まで闘志を失わないか、お前は良い勇士だ。実に」

 最後に判断をミスった。

 死の呪いを口にするより先に、剣が閃く。

 霞む目では捉えられなかった。

 体に走った斜めの線から血が吹き出る。まだ、これだけの血液が残っていたとは我ながら驚く。

「羨ましいよ。死ね」

 視界が暗転して水飛沫が聞こえた。

 温い油水に浸かる感触。体は、まだ生きようとしている。僕にも意思はある。

 残念だが、僕は人間だ。

 血の大半と主要な臓器に傷を負えば死に至る。こればかりは、意思でどうにかなる次元じゃない。声が出ない。神に祈る事すらできない。

 獣の足音が遠ざかる。

 まだだ。

 まだ。 

 戯言のように繰り返す。

 別の音が近づいて来る。虫の這う音か、衣擦れか。

「死にましたか?」

 もう、体の感覚がとても遠い。

 声が女で、その女が僕の体をまさぐっているのは分かった。

「良かった。割れていない。ある種の奇跡です」

 コルクの開く音。唇の感触。喉を通る液体。

 丁度、心臓が止まり………………………………ドクン、ドクン、また脈打ち出す。

 いや激しく。ニトロが入ったように心臓が爆発する。

「ッッ!」

 もんどりうって体を捻じる。全身が熱い。意識が急速に定まる。喉が異常に渇く。口がカラカラで呼吸もままならない。犬歯が疼く。周囲の明るさに目が眩む。

 力は有り余っているのに体を動かせない。

 足りない。これを動かすには燃料が足りない。

「私は、ひと時の夢の為にあなたを利用しました。次は、姫様を守る為に、いいえ、もっと沢山の者を守る為に、あなたの死を利用します。私が払える代償は少ないです。だから、これくらいは、ためらいなく喰らいなさい」

 トトが服をはだけさせ、艶めかしい首筋を晒す。

 一切の迷いはなかった。理性がなかったからだ。

 片腕で抱き寄せ、柔肌に犬歯を突き刺し、溢れ出た赤く甘い液体を吸う。伸びた爪が女の背中を傷付ける。咽るまで血を飲み干し、たまらなくなり吠える。

 同時に、舞い散る雪の中から白い狼が現れた。

 狼は弓を咥えていた。

 ラウカンの弓。この弓から始まったのだ。終わらせるのも、この弓が相応しい。

 拾い上げた右腕を肘に押し付ける。焼きごてを当てたような熱と痛み。ほぼ一瞬で神経が繋がり、血が廻る。五指で力強く拳を作り、開くと狼から弓を受け取る。

 弓は僕の意思を汲み取り、形を変える。

 番える矢はない。

 矢では、バーフルを殺せない。

 ならば必要なのは、弓の形ではなく剣。否、剣でも殺せなかった。

 不死を殺せる得物を。

 その願いを飲み込み、弓は大鎌に。

 長柄に付いた輝きのない曲刀刃。三日月のように魂を狩る大鎌。

 石突で床を鳴らし、トトを睨む。

「礼はいわない。どうせ、これも貴様らの予定の内だろ。バーフルを殺して僕がまだ正気だったら、血以上のモノを覚悟して置け」

「ご武運を」

 トトからトップハットを受け取り、赤い瞳を隠す。

 狼達が集まり、理性を持った瞳で僕を見つめる。

「エンドガードよ、逃した獣を狩りに行くぞ。喰らい付いたら骨も残すな」

 唸り声の返事。

 獣を従え、獣を狩りに行く。

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