<第四章:妄執のネオミア> 【01】
【01】
庭園に場所を移した。
ご婦人は出会った時の椅子に寝転がる。彼女の護衛の囲みが厚くなっていた。
僕の敵愾心のせいだろう。
トトと目が合った。
ちょっとだけ、すまなそうな顔をする。それが余計に腹が立つ。
「さて、何から話すべきかしら。長く面倒な話よ」
ご婦人は、ダルそうにテーブルの菓子を口にする。
「そうね。まずは青鱗公について。そなた、ロージアンの顛末は知っているかしら?」
「僕が知っているのは、竜が国を作ったくらいだ」
バーフルは、滅んだ原因は誰にも分からないといった。僕は当然、竜も死んだのだと思っていた。だがしかし、青鱗公はここで眠っていた。
「ロージアンの栄光を語るなら、幾夜も必要になるわ。でもね、滅びを語れば一言で終わってしまう。ロージアンは竜が作り、竜が滅ぼした」
竜は、不滅の生き物だという。
その竜の国が滅びる理由があるなら、外部より内部だろう。現代世界の歴史を紐解いても強い国ほど内部から滅んでいる。
「原因は一人の騎士。恐ろしい男よ。ある意味、たった一人でロージアンを滅ぼしたのだから」
「騎士?」
そういえば、誰かもバーフルを騎士と呼んでいた。
「英雄の尖兵。エリュシオンがそう呼ぶ、使い捨ての騎士よ。他者に、栄光を譲る為に働く影人。ある者は罪科の代償の為、ある者は家名を守る為、ある者は使命の為、何にせよ、暗い理由に他ならないわ。まっとうな騎士ではないという事よ」
奇妙なシンパシーを感じる。
「騎士の名は、デイモス・ザモングレア。今、街に潜んでいる獣頭の男の事よ」
英雄の尖兵ザモングレア。
緋の騎士ザモングラス。
似ているのは偶然か、それとも。
「それが、バーフルの名前か?」
「間違いないわ。同じ血の匂いがする」
あの野郎、エリュシオンの騎士だったのか。
なら、あの獣の姿も合点がいく。単純な連想だ。単純過ぎて繋げる事を忘れていた。
いや………違うか。
僕は心の隅で、バーフルを、テュテュと仲睦まじく過ごす獣の男を、敵と思いたくないと目を曇らせていた。
人を信用する事が、簡単な事ではないと分かっていたはずなのに忘れていた。
「ザモングレアは、ロージアンを滅ぼす為にエリュシオンから派遣された。でもね、如何に強い騎士とはいえ竜は殺せない。何よりも彼自身がそれを分かっていた。
だから、
何をしたと思う?
あの男はね。実直な殺し屋なの。その上、生き汚く。戦いに誇りを持たない。それはもう騎士の正道とは程遠い生き物。エリュシオンが語る誇りや、正義、聖なるモノが詭弁に包まれた邪悪でも、あの男に比べたら愛らしく見える。
どす黒い欺瞞の中でも異端とされた騎士。
その男はね。殺せる者しか殺さない。だから、殺せる者を全て殺したわ。
相手は青鱗公に連なるもの全て。竜の血が流れるロージアンの王族全て。
積み重ねた家族を奪われ、青鱗公は狂ったわ。
自分が愛する民草も同じように死ぬのかと。そうなるのなら、いっその事………………全てを自らの手で」
「おかしいだろ」
僕は、疑問を刺す。
「無粋な男ね」
ご婦人の非難は無視した。
「あんたは生きている。あんたもロージアンの血の末裔だろ。それとも名乗りは偽りなのか?」
「間違いなく妾はロージアンの王族よ。けれども、12でネオミアに嫁いでから、妾の故郷はこの国なの」
一個、思い付く。
ご婦人が生き延びた理由と、彼女以外の血族が死んだ理由。下手をすれば命を奪われる侮辱になるが、僕はためらいなく口にした。
「あんたザモングレアを手引きして、ロージアンの王族を殺させただろ?」
「そうよ」
さらりと返される。
ご婦人の表情は自然なままピクリとも変化はない。
「ロージアンとネオミアは、同盟関係だったわ。けれども、決して良好な関係ではなかった。当たり前よ。ロージアンの建国の切っ掛けは、ネオミアの蛮行によるもの。ネオミアを悪とする教えは、ロージアンでは極当たり前になっていた。
妾は、死んだ母の胎から生まれた。父からすれば母を殺した憎い子供。親族からすれば、死を背負って生まれた不吉な竜の血族。そして、生まれつき死病を患っていた。
妾は、ネオミアで死ぬ為に嫁がされたのよ。建て前は同盟を強固にする為、真実はロージアンがネオミアに攻め込む理由にする為。
ネオミアの王。ネラプシス様は、それを見通していたわ。
賢く、勇敢で、優しい方。
この地のダンジョンの奥底に潜り、聖体を見つけ、妾を治療してくれた。国を守る為といえば色気のない話だけど。それが彼の愛だった。
幸せの束の間、ザモングレアが現れ、
『夫を失うか、捨てた家族を捨てるか、選べ』
そう提案した。
妾は、夫を選んだ。捨てた家族を殺した。竜は狂い、国は滅び、それで………………終わるはずだった。浅はかと笑うなら笑いなさい。子供だったのよ。
荒れた竜は、唯一の生き残りである妾の所にやってきた。狂乱のままネオミアの国土を半分焼き払うと、竜は妾に忠告したわ。
『これより深き眠りに就く。不死の呪いを受けた血の末よ。眠りを守るのだ。この狂気が夢に消えぬなら、この大陸は炎により灰燼と化すだろう』
竜の眠りと共に、ネオミアには冬が訪れた。
一年、二年と冬は終わらず。雪と氷が静かに人を殺していったわ。五年目の春、それでも雪は止まず。飢えと、民の怨嗟に、王の英知は陰りを見せた。
薄暗くなった貴族の諌言を受け、聖体の封印を解いたのよ。呪われし加護。凶月の呼び声。獣の王に敗れ、名を奪われた神。吸血鬼の得体。
王はその恩寵を受けた。
民は凍え、飢えていた。
王は救済だと片っ端から食った。食われて“残った”者は、また別の者に喰らいついた。一晩で都に生者はいなくなった。
貪食の吸血鬼の王。その眷属である氷の貴族達。死都ネオミア。
国は都は滅びたわ。
だが、妾には王と、この城が残った。それだけで良かった。別に何も望まないわ。堕ちたとはいえ愛した男よ。どんな仕打ちを受けても、妾には彼を愛する以外、他に何もないのだから。
でも、その日が来た。
八年目の冬。二つの満月の夜。
エリュシオンが大軍を引き連れてやって来た。先陣を切ったのは、憎きザモングレア。
ネオミアには、もう兵はいない。亡者が彷徨うだけよ。エリュシオンの大義名分は、その亡者を殺す事。吸血鬼を殺す事。
ただ連中には誤算があったわ。
ネオミアには、山岳に居を構える者達が残っていた。古の盟約により、ネオミアを外敵から守る終の戦士達、エンドガード。
熾烈な戦いは四日続き、最後の晩に、妾は彼らに逃げるよう忠告しにいった。
笑われた。
国の后を笑うなど斬首ものよ。でも、彼らは笑いながらいったわ。
戦って戦い、正にその最中に死ぬ事が我らの誉れだと。
どうかそれを汚さないで欲しい、と。
度し難い馬鹿共よ。
もう戦士は、九人しか残っていなかったわ。それで二万の軍勢相手に何ができるというの?
終わりは見えていた。翌朝には、ネオミアは蹂躙される。街は破壊され、文明は欠片も残さず消される。
いえ、竜を呼び覚ました事により、大陸は炎に包まれる。何もかも灰となる。
人は結局、人の愚かさで滅ぶのよ。笑える話と最後の夜を過ごしたわ。
そして夜は明けた。
だが陽が落ち、夜が深けて、次の朝が来る。何も変わらない凍えた平穏が。
エリュシオンの軍は、壊滅していたの。
残ったのは、雪原で群れをなす白い狼達。エンドガードの成れの果て。
彼らはね。呪いを持っていたのよ。古き時代に刻まれた吸血鬼狩りの呪い。その末裔が、吸血鬼を守る為に狼になるとは、皮肉な話よ。
軍が壊滅して、雪に埋もれる中、それでもザモングレアは一人生き残っていた。
平穏を喜ぶ妾をすり抜け、居城に忍び込み王と相対した。
死闘の果て、王は死に、奴も………少なくとも妾には相討ちに見えたわ。
しかし今、姿を変えエリュシオンらしい人獣になり、再びネオミアにやって来た。奴の目的は、妾の首か、眠る竜を起こす事か。何であれ、ロクな事ではないわ」
ご婦人は話を区切り、血のように赤い液体を飲み干す。
喉を潤した後、僕を真っ直ぐ見つめる。
「冒険者。依頼を出すわ、受けなさい」
「内容は?」
「そなたがバーフルと呼ぶ男の討伐よ。ネオミアの平穏の為、青鱗公の眠りの為、それは右大陸の平和にも繋がるわ」
「依頼というなら報酬はあるのだろうな?」
「報酬? そうね。褐色の幼子を殺さないであげるわ。そなたの非礼の数々にも目を瞑る」
「安いな」
「は?」
僕の言葉に、ご婦人は声を上げる。
「そんな安い報酬では依頼は受けられない」
「薄情な男ね。子供の命が惜しくないの?」
ここから、
瀬戸際の交渉だ。
「僕は、マリアが人質になった時点で命は諦めている。殺したいなら殺すがいい。ただ、これだけは忠告しておく。お前らもその命を賭けろよ」
「城の吸血鬼200人を相手に。そなたは―――――」
無造作に刀を抜く。
「ハナから、自分の命なんか勘定にねぇよ。ご婦人、あんた幼いな。その熟れた体は見せかけか? 人質とったくらいで、人を簡単に操れると思ったら大間違いだ。経験則なのだろうが、視界の狭さに笑いが出るよ」
刀を担ぎ、殺気を練る。
周囲に気配。
知らぬ間に囲まれていた。
だが、構えた僕の方が早い。踏み込み、邪魔が入るより先にご婦人の首を刎ねる事ができる。その後、八つ裂きになるだろうが知ったこっちゃない。
妄想ではなく現実として、周囲にそれを幻視させた。
「賢く考えて発言しろ。その上で、マリアを殺したくば殺せ」
「浅はかな男ね。妾が首を斬られたくらいで滅びるとでも?」
ご婦人は余裕たっぷりだ。
僕はそれを見て、くすりと笑う。
「カタナを見て気付かないとは、あんたの竜の血は薄いようだな。この刃は、竜を喰らった女の爪だ。奇しくも古き者と同じ性質を持っている。白鱗公の尻尾を傷付けた業物だぞ」
少しだけ、ご婦人の顔が動く。
僕は歯を剝き出して笑う。
「さて、魔を以って魔を征すとは、基本中の基本だが。通じるか否か、あんたで試して見よう」
身を低く。体を撃ち出す力を溜める。
速く鋭く。立ち塞がるなら何者をも斬り捨てる。
今は、その事だけを考える。
「………………はぁ、止めよ。止め。本当に馬鹿な男ね」
ご婦人が音を上げてくれた。
内心ホッとするが、まだ気を休めない。詰めを怠るな。
「冒険者、報酬は何を望むのかしら?」
「マリアの安全を保障しろ。僕の生死に関わらず、レムリアに帰せ。後………」
周囲を見回す。
これでいいかと適当に決めた。
「そこの燭台を寄越せ」
テーブルにある燭台を報酬に選んだ。金貨二枚くらいの価値。物自体に意味はないが、それを得るという契約に意味がある。
商売の神は、物品か金を紐づけないと契約を成せないのだ。
「それ安物の燭台よ?」
「僕は燭台に目が無くて世界中の燭台を集めている。だからそれで良い」
完全にデタラメである。
金でも良かったが、適正な金額が思い付かなかったので燭台でいい。
「正し、僕が死んだ場合はマリアにこれを渡せ。必ずだ」
「どこまでも変わった男ね、良いわ。報酬は幼子の安全と燭台。そなたが死亡した場合は、幼子に燭台を渡す。それで間違いないかしら?」
「確かに」
了承は得た。すかさず、ポケットに忍ばせて置いた羽を取り出す。
早口で、かの神を呼び出した。
「夜の賢者、知の猛禽、グラヴィウス。その英知を眷属たる我に分けたもうたれ、その慧眼で揺らめく人の世の公正を定めたまえ」
僕の肩に、一羽のフクロウが降り立つ。
立つはずだったが、
「………………あれ?」
降り立たなかった。
「グラヴィウス様?」
羽を振り、叩いたりするが無反応だ。
「トト、あれは何かしら? 外の冒険者は燭台集めと羽を振る趣味があるの?」
「恐らく。ミネバ姉妹神を呼び出して契約の仲立ちをさせようとしているのかと」
「馬鹿な男ね。冬に閉ざされた地に砂漠の踊り子が来るわけないじゃないの」
まさかの圏外だった。
こういう大事な事はあらかじめいってくださいよ、グラヴィウス様。最悪だ。
「冒険者、つまりは契約の証を求めているのね?」
「まあ、そうなります」
「トト」
「はい姫様」
トトが、ご婦人にナイフと容器を渡す。
容器は、再生点の物と似ているガラス製だ。ご婦人は、ナイフで指を切ると血を容器に溜める。結構深い傷だったが一瞬で傷は閉じた。
容器をコルクで閉めて、僕に差し出す。
「妾の血よ。契約の証として受け取りなさい」
受け取ったは良いが、
「これをどうしろと?」
「簡単な事。妾が契約を破った時は、それを飲んで吸血鬼となり復讐に馳せるがよいわ」
「そいつは………」
危険な手段だ。血を飲んだ瞬間、こいつに支配されたりするんじゃないのか?
こんな物を契約の証にされても困る。困るが、なら他に何かを出せといっても無駄な事か。
まさか、グラヴィウス様の契約が使えないとは。
「それで、どうするのかしら?」
ご婦人は信用できない。
マリアの安全が確かではない今、救援を呼びにネオミアを離れるわけにはいかない。
状況は最悪だが、それでも戦うしかない。
バーフルを倒し、場合によっては吸血鬼共とも戦う。
勝てるのか? 奴に。
たった一人で。
「受けよう」
迷う意味はない。
勝てる勝てないの思案に意味はない。必要なのは必ず倒す、いいや殺すという決意。
刀の峰を親指に滑らせて、切っ先を鞘に入れる。荒っぽく音を鳴らして納刀した。
「エリュシオンの人獣。見事に退けてみせるさ」
「楽しみにしているわ。最悪の場合、この大陸は竜の炎に包まれる。光栄に思いなさいな。成す事が出来れば、これは勇者の所業よ」
規模がデカすぎて想像できない。
それに、竜殺しの知り合い達が青鱗公を止められないとは思わない。あくまで、僕個人の浅い考えなのだろうが。しかし、白鱗公との戦いが戯れであったのだから、狂った本物の竜というのは………………駄目だ。余計に想像できない。
「あ、そういえば」
ご婦人に左の手のひらを見せる。
そこには歪んだVの字と、それを囲む幾何学模様が記されている。勇者の証。召喚機能はラナが後で焼き足して無効化した。
「一応、勇者ギャストルフォから認可を受けた勇者です。僕」
忘れかけていたがな。
「最初から見せよ、愚か者。多少、妾の対応が違ったぞ」
多少かよ。
勇者って、何だかんだで信用の証になるのか?
「大体そなたは――――――」
ご婦人の声を遮り、遠くで破砕音が響く。
思ったより早かった。準備をする暇も、策を練る暇もない。
ぶっつけ本番。実に冒険者らしい。
「では、ご婦人。行ってきます。契約の件は確かに守ってください。でなければ、ネオミアを襲う獣が一匹増えます」
「重々承知したわ。行ってきなさい。エンドガードのように勇猛に戦い。そして、生き残って彼らより上である事を証明してみなさい」
「御意に」
吸血鬼の囲いが開く。
僕は一人、静かに戦いにおもむく。
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