<第三章:死と氷の都へ> 【04】


【04】 


 案内されたのは客室ではなく。トトの個室。

 脱ぎっぱなしの衣服が散乱して、ちょっと散らかっている。

 メイドの個室といっても、レムリアの高級宿より広い。最近手にした家の間取りよりも、ちょっとだけ広い。ホント、ちょっとだけ。

 高価な丁度品こそないが、生活に必要な物は一通り揃っている。小さいキッチン。ソファに椅子にテーブル。暖炉には光る鉱石が照明を兼ねて置かれていた。

「隅の二部屋は、トイレとお風呂。反対側の部屋は、私の寝室なので入らないように。奥の部屋は来客用の寝室です」

「了解した」

 窓の外は吹雪で薄暗い。

 そういえば、と時間を確認するが、愛用のチープウォッチが壊れていた。

 液晶が狼の爪を受けて割れている。マキナの奴、修理できるかな? 安物とはいえ愛着がある。単純に時間が分からないと困るし。

「洗濯も同時にしますから、恰好そのままでお風呂に入ってください」

「はい」

 真っ先にお風呂場に叩き込まれる。

 バスタブと洗面台があるだけのシンプルな作り。バスタブの下には排水用の格子があり、上には水道管が設置されている。

「そこの紐を引くと温水が出ます。引っ張り過ぎて溺れないように」

「はい」

 凄いな。個室に温水設備とは豪勢にも程がある。

 吸血鬼の都なのに発展している。………………まさか、血を浴びた後の湯浴み用とか?

「ほら、さっさとそのボロを脱いでください」

「え」

 知らない女性の前で裸とか、

「ほら」

 色気も恥じらいも全くなく。あっという間に脱がされ、空の浴槽に蹴り込まれる。冷たい陶器の感触に鳥肌が立つ。

 急いで紐を引っ張ると、大量のお湯が水道管から降りて来た。

「あ、軽く引くだけで良いので」

「………先にいってください」

 溺れかけた。 

「うあ゛ー」

 熱めのお湯が傷に浸みるが、それでも心地良い。

 自分の肌を見ると、火傷跡のような傷痕が各所にあった。狼に集られた記憶がフラッシュバックして脳が痛む。もうペットで犬は飼えないだろう。でも、柴犬は大丈夫かな。

 ふと、右腕を確かめる。

 傷があるだけの普通の右腕だった。爪も無ければ獣毛もない。獣化は防げたようだ。

 つくづく、ミスラニカ様と契約して良かった。彼女の呪いを無効化する力が無ければ、僕の冒険は早々に詰んでいる。

 ただ。

 竜殺しの神曰く。人は神の運命に引きずられる。なら、これまでの戦いは? と考えるのは不遜な事か。

 思い過ごしだ。

「変わった織物ね。外ではこんな物が流行っているの?」

「………………」

 トトが、僕の衣服を木製のタライに入れて洗濯していた。

 浴槽のすぐ傍である。

 ちょっとで良いから男性の裸に対して恥じらいが欲しい。それとも、男として見られていないのか。

「僕は、異邦人だ。外は外でも、世界の外だよ」

「ネオミアの外は全て同じです。世界の外でも、隣国でも、外は外です」

 石鹸と、棒付きのスポンジを投げつけられる。

 お湯を追加して体を洗う。固まった血がお湯に溶けていった。血を見たトトに、襲われないだろうか?

 おっかなびっくり彼女を見るが、平然と洗濯していた。

「異邦人とはいえ冒険者なら、どこかの国の冒険者組合に所属しているはず。どこの国ですか?」

「レムリアだ」

「レムリア? 失礼。聞いた事のない名前です。中央か、左大陸ですか?」

「この右大陸だよ。ネオミアの南だ」

「まさか、ロージアンの生き残りで? それならここに来た理由も」

「違う。更に下」

「ロージアンの下? ああ、ベリアーレの方ですか。彼の国では、奴隷を冒険者に仕立て利用していると聞きます。なるほど………あなたのボロい身なりに納得しました」

 確かにレムリアは、ベリアーレがあった土地に建国したが、何だこの人の物言いは? まるで500年前から時間が止まっているような。いや、今が500年前のような。

『ポータルは時空間移動の現象であり。時間の差異が生まれるのは不思議ではない』

 最も古いA.Iの言葉だ。

 血の気が引いて真っ青になる。

「すみません! 今はエリュシオン歴だと何年ですか?!」

 エリュシオンは建国から、1240年になる。

「ネオミア歴×××。エリュシオン歴だと、確か×××です」

「え?」

「×××ですよ。耳にお湯入りましたか?」

「すみません。もう一度だけ」

「エリュシオン歴だと×××」

 聞き取れない。

 数字をいう瞬間だけ、何かが邪魔をして言葉を消す。数字が、聞き取れないノイズのような言語に変更される。翻訳魔法<バベル>に干渉しているのか? こんな事、初だ。

「あ、イヤ。すみません。ありがとうございます」

「変な人ですね」

 混乱するが、慌てても仕方ない。形ばかりの平静を装う。

 何か、じっとりとした嫌な気配を感じた。大きく蠢く蛇のようなもの。逃げようにも、既に絡めとられている。そんな気配。

 と。

 お風呂場の外で物音が聞こえた。

 トトー、トトー、と彼女を呼ぶ若い声。

「帰ったのか。お腹減ったぞ」

 無遠慮に、お風呂場の戸が開かれる。

 褐色の幼いエルフが現れた。

『………………』

 見つめ合う僕ら。

「一応隠れた身ですよ。もう少し警戒を」

「ソーヤ!」

 マリアが、服のまま浴槽に飛び込んで来た。

「死んだかと思ったぞ! 雪風も通信機も壊れるし! 入る事は出来たが、城の外に跳べないし! 妾がどれだけ心配したと思っているのだ!」

 マリアの声に、怒りがこみ上げて来た。

「おまっ、大体、お前が付いて来たのが原因だろ! 僕のいう通り帰っていれば問題なかった事だ!」

「それはそれ、これはこれだぞ」

「じゃねーよ! これはこれで、完全にこれだ!」

 自分の事は棚に上げないマリア。

「あなた達、静かに。姫様にバレたら、私は首を飛ばされます。二人とも凄惨な責め苦を受けますよ」

『………………』

 黙った。

 一瞬忘れたが、ここはそういう危険な場所だ。

「ソーヤ、怪我をしているのか?」

 マリアが、僕の頬の爪痕に触れる。

 似た様な傷が全身にある。

「治療を受けた後だ。食って寝ればじきに治る。お前こそ、怪我はないのか?」

 濡れた黒髪を退かして、顔をよく見る。

「いったであろう。妾の逃げ足は世界一なのだ。気付いたと同時に、獣面に蹴り入れて転移して逃げた」

「そういえばあなた、何と戦っていたの?」

 トトが僕を不思議そうに見る。

「何って。城の周りの狼と」

「エンドガードの呪法と? 変わった人ね。普通死ぬはずなのに」

「いや、死にかけたけど」

 助けてくれた二人については語らない。トトが、どれだけ信用できるか未知数だ。そも、僕はあの二人について知らない事が多すぎる。

 バーフルについてもだ。

 前に聞いたエンドガードの戦い。戦士達が獣の姿となり、吸血鬼の王を倒したという話し。

 蓋を開けて見ればデタラメだ。エンドガードは戦士ではない。呪いのシステムだ。吸血鬼の王を倒したというのに、女王はのんびりと生きている。

 てか。

 大事な事が。

「マリア、お前どうしてここに?」

「トトが、かくまってくれた」

「食糧庫で、チーズを齧っている所を見つけました。飼われた事しかないので、餌付けできるなら飼ってみようかと」

 ペット感覚だった。

「トトは中々優しい。ランシールと似た匂いがするのだ」

「そうですか。子供を育てた事はないので、間違っていたらどうしようかと思っていました」

 経産婦じゃないのか。では、やはりテュテュとは空似。世の中には似た人間がいるというアレだろう。

 ともあれ、マリアと合流できたのは大きい。後は、城を抜け出しマリアの力で跳んで逃げる。

 バーフルは、正直いえば僕一人で倒したいが、レムリアに救援を求めるのが賢いやり方だ。まだ、あいつの真意が読めていないが、裏切りは裏切り。

 理由など関係ない。

 問題があるなら、このネオミアの状況が、聞いていたのと大分違う事か。情報源がバーフルなだけに、もしかしたらロージアンの吸血鬼は、あいつがやった事か。いや、あのご婦人の仕業なのか。分からない事が多すぎる。適当な決め付けば、致命傷になる。全部保留だ。

「あれ、マリア?」

 僕の肩に首を預けて、ぐてんとなる。

 軽く頬を叩くが反応なし。スヤァとした寝息。

「安心して眠ったのでしょう。懐いているように見えても、やはり気は抜いていなかった様子。ふむ………何故か異常に腹が立ちます」

 渡せ、とトトが両手を差し出す。

 迷ったが、今は彼女を利用しよう。

 トトは濡れたマリアの衣服を剥ぎ取ると、抱えてお風呂場から連れ出した。僕はお湯を追加して、傷を刺激しないよう洗浄した。

 安心したせいか、僕も強烈な眠気に襲われる。

「これ着替えです」

 トトは体半分だけお風呂場に戻り、着替えとタオルを投げ捨てる。

 一通り洗浄して、拭いて、着替えて、お風呂場を後にした。

「お腹は空いていますか?」

「あ、少し」

「では我慢するのです」

 そんな返し方あるのか。

「冒険者、取りあえず今は眠っておきなさい。姫様は気まぐれな方です。付き合うには、まず体力がないと」

 案内された寝室のベッドには、マリアが先に眠っていた。

 テルテル坊主みたいな寝間着姿だ。

「一つ聞きますが、お二人は恋人で。あなたは、夜な夜な幼い体にむしゃぶりついていたりしますか?」

「しません。こいつは妻のつもりですが、僕には手のかかる娘のような存在です」

「娘に手を出す親もいますが?」

「そんな趣味はなーい」

「なら、ここで一緒に眠りなさい。野外ベッドは片付けておきます」

 凍死必至だ、それ。

 トトが窓の外から枕を取り出す。

「おやすみなさい。良い夢を」

「どうも」

 冷たい枕だ。ギリギリ凍っていない。

 静かに戸が締められ、明かりも消える。外の明かりは薄く。目を瞑れば何も光は感じない。

 ベッドに入ると、自然にマリアが抱き着いて来た。

 髪を撫で、額に唇を当てると不思議な気持ちになる。

 名の知らない感情だ。

「なあマリア。お前、大きくなったら胸は成長するぞ」

 眠る彼女に囁いて、僕も深く眠りに就く。

 今度は、僕が抱きしめて眠る番だ。

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