<第三章:死と氷の都へ> 【03】
【03】
体から異物が外れる感覚で目を覚ます。意識は遠く半覚醒といった所。
正直、今が夢なのか現<うつつ>なのか幻なのか。区別が付かない。
金属の鳴る音が聞こえる。聞き覚えがあるような………まるで手術器具の音だ。それに相変わらずの吹雪の音。
だが暖かい。近くに誰かの体温を感じる。
しかし、声は遠い。
「―――――で、大体の傷は塞ぎました。凍傷の治療も完了、壊疽の心配はありません。眼球内の破片を摘出、足の骨は癒着させました。これで義眼と義足の心配は無しです」
「それはそれで格好良かったけどね」
「長期的なメンテナンスを考えれば生が一番です」
「良いの? 仕事増えるよね」
「これ以上は結構。あなた私をワーカーホリックと勘違いしていませんか?」
「わ、和歌?」
「仕事中毒者という意味です」
「まんま、あんたの事でしょ」
「そんな馬鹿な」
「あんたの趣味は?」
「仕事です」
「じゃ仕事は?」
「趣味の一環です」
「ほら、そうじゃない」
「………………馬鹿な」
誰だ?
聞いた事のある声だ。なのに関連付けができない。うっすらと目を開けるが、視界は包帯に包まれ女のシルエットしか見えない。
二人共、僕に密着して体を温めてくれていた。
頬に少しばかりの風を感じる。どうやらここは、雪に掘った穴倉の中だ。
「あ、起きた」
「思ったよりもずっと早かったですね。いえこれは、アインシュタイン的な楽しい時間は早く過ぎるという奴ですか」
「アイン、誰?」
「IQの高い人です」
「頭が重い人ね」
「あってはいますが悪意を感じる捉え方です」
君らは誰だ?
と、口を動かしたつもりだったが声が出ない。体を動かそうとするが、わずかに片手を上げるだけで精一杯だった。
「良く聞いて」
その手を取られる。
「あなたは、これから戦わなければならない。体力は消耗しているし、傷は一応の治療はしたけど完治には程遠い。それでも、更に血を流す戦いをしなければならない。あなたを待っている子がいる。そして、帰る家も………………わかるよね?」
声は出ない。だから手を握り返す。
不思議と少しだけ力が湧いた。
「だよね。そういう人だものね。あなたは。今から、ネオミアの王城。その死の園に跳ばす。そこで会う女王に、これを見せなさい」
手に何かを握らされる。太い釘のような尖った何か。
別の女が囁く。
「雛が先か、卵が先か、因果律を狂わせる一因になる物質です。決して手放さず。いえ、それはあなたから離れないでしょう。まるで、寄り添う魔剣のように」
「無慈悲な女王だけど話の分かる相手よ。手にした物を見せ、力を貸すといえば、彼女もあなたに力を貸してくれる。利用してやりなさい。昔から瀬戸際の交渉は上手なはずよ」
子供一人も説得できないがな。
「後、あんまりあの子を怒らないであげてね。今回で懲りて素直にいう事聞くようになるから」
そりゃありがたい。
本当にそうなれば良いが。
「 は、いいの? 何か話す事は」
待て、今なんていった?
馬鹿な。ここにいるはずのない名前だ。聞き間違えにしても冗談が過ぎる。では、一緒にいる女はもしかして。
くらっと脳と意識が揺れる。
意識を失いかける。
「聞くのです」
もう一人の女も、僕の手を取った。
「これからも様々な艱難辛苦が、あなたを襲うでしょう。時には身を裂くよりも辛い事が、それを忘れてしまう恐ろしい事も。これは“私達”ができる最後の仕事。本当に、これで最後。二度と、あなたを手助けする事は出来ない。けれども、安心してください。あなたは、全てに立ち向かえる。戦える。だってあなたは、私が―――――」
光に包まれる。
包帯がズレて、一瞬だけ二人の顔が見えた。
それは幻だったのかも知れない。
今際に、淡い夢を見たのかも。
忘れ続けていた夢だが、現実に落ちても彼女達の顔は忘れなかった。
ならば、それは夢でも現実の一部だろう。
軽い落下からの衝撃。たったそれだけで、全身に激痛が走る。
悶絶するような痛みを噛み締め、手元にあったアガチオンを杖に立ち上がる。
背に剣、腰には刀の重み、マントや衣服はボロボロ、傷も血が滲む有り様だが、生きて立っている。霞んでいた両方の視界も徐々に晴れて行く。
死の園といわれた場所は、温室だった。
暖かく、ガラス張りの天井には雪が積もり、水晶のような透明な花が咲き誇る庭園だ。花弁に触れると、指に鉱物の感触が伝わる。
この花、見覚えがある。
ガンメリーの核を使用して作った結晶の槍に似ている。もしかして、これが本来の形なのか?
「妾の愛玩物に許可なく触れるとは、下衆な来客よな。あら、でも。トト、これは客なのかしら?」
「いえ、姫様。またクセ者でありましょう」
「そう、やっぱり」
庭園の中心には、フカフカの豪勢なソファに寝そべり、お茶を飲んでいるご婦人がいた。
テーブルには豪華なティーセットと沢山の甘いお菓子。彼女を囲むのは、青白い顔をした執事とメイド達。ヒーム、エルフ、獣人、見た事もないような小人。多種多様の人種が揃っている。
調度品が高価な割に、ご婦人の恰好は地味だ。そして、これも見覚えがある。
黒いドレス。
背中の大きく空いたノースリーブのデザイン。生足や、露出した肌は雪のように白い。つま先で黒いハイヒールをブラブラと弄んでいる。
血に塗れたような赤い髪。肉感的な肢体。重たそうな胸は、気だるく身じろぎするだけで揺れる。傾国の悪女といった容貌。吸い込まれるような怪しい金色の瞳。細い唇から鮮血のような舌と、長い犬歯が覗き、
「殺して狼の餌になさい」
そんな命令を下した。
メイドと執事が一斉に動く。狼と違った速さ。人間的な繊細さと技巧が乗った動き。同じなのは、得物が爪と牙という事か。
「殺すなよ」
手放した魔剣が舞う。
コツを掴んだ逆手抜刀を披露する。背の剣は半ば抜いた状態で受けに使う。
三刃で、吸血鬼共の攻撃を全て受け止めた。
圧力と衝撃で体が完全に目覚めた。
「急な来訪、失礼した。良い話がある」
長い爪と刃が軋み合う。
短い時間だが拮抗できる。
「トト? どう思う」
「一角の剣士ですね。あの魔剣、獣人の血の匂いがします。気になりますね」
一人だけ戦わなかったメイドがいた。栗毛の猫獣人だ。波打つような癖が付いたロングヘアーで、知り合いにとても似ている。
余裕がない今、関連性を探る暇はない。
「姫様。殺すのは話を聞いた後でも遅くないかと」
「そなた何を賭ける?」
「では首を」
「なら聞いてあげるわ」
ご婦人は面白そうに体をくねらせ、艶っぽい表情で僕を見つめる。
「そこの小汚い剣士。妾の寵愛物が首を賭けているのよ。精々、楽しい話をなさい。つまらなかったら、全身の生皮を剥いで百年はそのまま生かし続けてあげる」
部下を引かせない所から、冗談ではないらしい。そういうプレイは美女相手でも流石に困る。
僕は、背の剣と一緒に握っていた物を貴婦人に見せる。
牙。
大きな牙だ。
由来は分からない。見せろといった彼女達を信用して、受け渡された牙を見せる。
「害獣が、このネオミアに侵入しているはずだ。今なら格安で退治を請け負う」
「害獣? 街をうろついている犬の事かしら? それとも城の中をウロチョロしているネズミの事かしら?」
犬は、バーフルの事だ。では、ネズミとはマリアの事か? あいつバーフルから逃げ出せたのか? それなら一先ず安心だが、さっさと僕の所に逃げてこいよ。
「姫様。この者は冒険者のようです。再生点を持っています」
「法魔の血の代行術? 盗掘屋は、まだそんな魔法を使っているの。嫌だわ、野蛮」
人の生皮を剥ぐといった女が何をいう。
「冒険者なら報酬次第でどんな事でもします。ケチらなければ信用できるかと」
「盗掘屋の末裔を信用しろなんて………まあまあ、面白いわ」
この女の面白い基準が分からない。
さて、どうする。進展しているのかこれ? 好転しているのかこれ?
「あら? 良く見ればその牙」
ご婦人は、やっと僕が持った牙に興味を示す。
「懐かしい忌血の匂いを感じる。そういえば、あなたの身体から、剣から、魂からも、最も穢れた血の匂いがする。………説明しなさい。場合によっては」
「ぐっ」
「カエルのように平たくなりなさい」
拮抗が終わる、押される。吸血鬼共の増した圧力に潰されそうになる。片膝を付いて耐える。
真実を話すか、否か。騙されるような相手か? これも否か。
「アガチオン、弾き飛ばせ」
魔剣が唸る。
四人の吸血鬼が吹っ飛ぶ。花の上に着地する瞬間、彼、彼女らは黒い霧に姿を変え、人の形に戻ると涼しい顔でご婦人の傍に立っていた。
バーフルの野郎。情報が間違っているじゃないか。あいつから聞いた話、もう何一つ信用できないな。
「アガチオン、聞いた事のある名前ね。確か、アールディの三剣の一つよ」
ご婦人は、更に興味を持ってくれたようだ。
ヴィンドオブニクルの一人、三剣のアールディ。アガチオンも彼の一振りだったのか。シュナの“星の子”といい。妙に縁がある。
「この魔剣は、獣狩りの英雄ヴァルナー・カルベッゾから奪った物だ」
「ヴァルナー? 聞いた事のない英雄だわ。路傍の石のような名前ね」
その例えはあんまりだと思う。
続いて、背の敵を受け流しザモングラスの剣を見せびらかす。
「この名剣は、緋の騎士ザモングラスから………」
少し言葉に詰まる。
だが、真実を話す。
「剣技と共に奪った物だ」
「ザモングラス………………少し面白いわ。そなた、妾の仇敵と似た名前の男を殺したのか」
似た名前? どういう事だ。
違う。そんな事は後で良い。
「つまり僕は、エリュシオンの敵だ。奴らから収奪を繰り返して力を付けて来た」
「妾の前で」
ご婦人が、急に豹変して牙を剝いて僕を威嚇する。
「エリュシオンの名を出すか、痴れ者めッ!」
驚いたが、飲まれないよう。心を冷たい刃にした。
「あんたとエリュシオンの間に、何があったかなど関係ない。あんたが説明しろといったから、墓まで持って行く秘密を話した。それに対する礼が怒りなら、僕もそう全身で応えよう」
フリではない。
本当に殺すつもりで殺気を向ける。
「野蛮な男ね。女の怒りくらい素通りできないのかしら。やだやだ」
ご婦人は、態度を戻すと、しれっと受け流す。
トトと呼ばれたメイドがさらっという。
「姫様。こちらの方は、きっと女を知らないのでしょう。見た所、器の小さそうな男です。異性が寄って来るような人間ではないかと」
「いわれて見れば、そなた童貞か?」
「違います。妻がいます」
一応、結婚しているんだが! 最近良く、偽装結婚だった事を忘れるくらいに円満な家庭なんだが!
「プッ、そ、そう。妻帯者ね。一応、聞いてあげるわ。どんな女かしら?」
ご婦人が笑いを耐えながら聞いて来る。
え、もしかして妄想とか思われている?
「あんたには負けるが胸が大きくて、その割に背が小さくて、そこのメイドさんくらい愛らしい顔つきのエルフの元姫だ」
「クッ、ぶっハハハハハハハッ!」
耐えた後、ご婦人は爆笑した。庭園に笑い声がこだまする。
耐えかねて、何故かトトを引き寄せ胸を揉みしだく。
「妾の王気に晒され、必死にひり出したのがその戯言とは。実に愉快。こんなに笑ったのは500年ぶりか。ふぅ………………気分が良いわ。眠る」
「は?」
トトを解放して、ご婦人はソファで眠りに就く。
僕から離れた吸血鬼達が、彼女に毛布や枕を用意して眠りの手助けをしていた。
「………………」
ぽつねんと僕は置いて行かれる。
「あの、ちょっと」
色々どうなっているのでしょうか?
「付いて来なさい。城を案内します」
トトが傍に来て、庭園から出るよう僕を促す。仕方ないので後に続いた。
長い廊下に出た。赤いカーテンが並び、床は大理石、時々見かける調度品は漏れなく高価。
これと比べたら、レムリアの王城は掘っ立て小屋だ。
「安心なさい。姫様は、あなたに害獣駆除を依頼するでしょう」
「なら、何ですぐに返事をしないんだ?」
急に寝るとか、流石に意味が分からない。
「貴族が、それも栄光と歴史ある氷の貴族が、急な訪問者と契約を結ぶなど、品位に欠ける行為です。少し時間を開け、改まった場で依頼と契約を行うのです。あなたのような外の人間には、懐古的なやり方でしょうが、これはこういうモノなのです。合わせなさい」
「了解です」
郷に入っては郷に従おう。
トトが僕を一瞥して一言。
「では、まず湯浴みをしなさい。ドブネズミみたいよ、あなた」
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