<第三章:死と氷の都へ> 【02】
【02】
振り回された後、固まった雪に叩き付けられる。
左足は関節のやや下が折れた。砕けた骨が、肉から飛び出さなかったのは幸いである。
狼達が――――爪と牙が殺到する。
本能的に喉と顔を腕で防御した。一瞬で全身がボロボロになって、血と肉が周囲の白に撒き散らされる。内側に刃物を内蔵した洗濯機にかけられたら、こうなると思う。
不思議だ。
熱さと痛みが全神経に伝わる。だが、筋肉は脱力している。死が駆け巡り、今まさに急所に届く刹那。
妙に頭の中が冷静である。
そういえば、昔から死にかけた時ほど冷静だっけ。
死にたがりの癖に、いざ死にそうになると全身が生きようとする。生存に必要な情報を得ようとする。駄目ならあっさり諦めるが、なんやかんや、今日のこの日まで何とか生き延びて来た。
何て皮肉な性質。
あ、もしかして僕の本質というのは。
「ギャ!」
狼を一匹殺す。
脇腹に喰らい付いた奴だ。何故こんな事が出来たのか理解できないが、耳孔に指を突っ込んで三半規管を引きずり出した。空いた穴に貫手を突っ込み脳を潰す。
首をへし折ると牙を放してくれた。
運良く。近くの狼が離れてくれる。
ゆっくり、ザモングラスの剣を抜いた。柄を握った手が、血と脳液で凍る。剣を手放さないから丁度良い。
さあ、やろう。
グルルルル、と唸り声。狼かと思ったが違う。自分の声だ。
何に対してか忘れたが、前にこんな言葉を浮かべた事がある。
獣とは、手負いで本物になる。
なら、僕の本質は獣性そのものか。ただ、こっちには人並の恥がある。人で在る、人で在りたいと願う故に、獣を恥じる心が。
でも、どうしてか。
こう、なんだ。
「は、ハハハハハッ!」
血を見ると堪らなくなる。
他人の血じゃ駄目だ。自分の血でないと。こうも興奮は出来ない。
脇腹の深手は血が凍る温度なのに出血が止まる気配がない。左足の骨折に、全身の打撲に裂傷は数え切れず。加え、メガネが割れた。電源がやられて完全に壊れた。その破片のせいで左の視界がぼやけてよく見えない。
後、痛み。
神経という神経が生きているという痛みを伝えて来る。
ま、今はいいや。
所詮こんなもの情報の一つだ。他に優先すべき事がある。
雪が爆ぜた。
獣が歯を剝きだし襲ってくる。一匹を後の先で荒く斬り殺す、返す刃でもう一匹の首を跳ねる。続けて三匹、上手くカウンターが決まり血飛沫が雪を汚す。
同じ獣でも僕の爪は長く厚く鋭い。
六匹目が剣に齧りつく。単純な膂力では到底敵わない。片足では流す事も出来ない。
別の一匹が左方向から迫る。
刀の鞘を返す。
刃を下に向け、逆手の抜刀。鯉口が凍りつき硬かったのが功を奏した。
片手だが、百点の居抜き。
狼は数瞬の間を開けズレて分離、湯気を上げる血肉と化す。剣を食べている狼を、刀の切っ先で刺殺して剥がした。
狼達が、仲間の死体と僕を囲み歩き出す。数は更に増えていた。
50か、もしかして100? まあ数はどうでもいい。そもそも僕は、一人で万の軍勢を相手した男の臣下だ。たかが獣群れの100や200、何というのだ。
「てか」
ケダモノの癖に警戒している。
様子見している。
こっちは爪と牙を抜いたのに、冷めさせてくれる。攻め入っても良いが足が不自由なのだ。更に下手な上半身の動きは脇腹の傷口を開く。
出来れば、全部カウンター狙いで………………ハハ、止めた。馬鹿らしい。こずるい考えなど、こいつらにはもったいない。
ちょっと考えれば、いやいや、ちょっと考えなければ分かる事だ。
伊達メガネになったデバイスを外し、踏み砕く。
今は完全に一人だ。
ここには誰もいない誰も見ていない。一人で好きにやって良い。
何だ。
恥も何も、獣しか居ないではないか。
「おい」
まず、一歩。
折れた足を引きずり進む。
関節は動くが、体重を預ける事が出来ない。出血のせいで眩暈がする。視界の左が暗く光を感じない。
だが、それがどうした。
手足は欠けていない。刃は即死の威力を保っている。内の炎は消えていない。まだ死なない。死ねない。こんな所で、こんな奴らで、死んでなるものか。
僕には帰る場所がある。
どんな姿になっても帰る場所が、帰ると約束した女がいる。迎えに行かなくちゃいけない娘がいる。
だから、なあ、お前らは、
「邪魔だッ!」
狼が一斉に吠える。
仲間を呼び寄せる遠吠え。吹雪の中から、新たな狼の群れが現れる。
知った事か。
ただ、刃圏に入った敵を全て斬り殺すのみ。
僕が斬りかかると同時、狼達も襲い来る。
爪には刀、牙には剣。
歪な剣舞に狼を巻き込む。一刃一殺、血煙と臓物が飛散して雪原に血華が咲く。
どうせ獣と獣だ。
楽しんで、他の死んで、獣性を解き放つ。
技に美しさがあったのは最初だけ、時を置かず斬殺は殴殺になり、血と脂を纏った鋼の棒は、刃物から鈍器になる。
狩りの様は、陰惨で残虐に。
なまじ生命力のある獣達だ。頭を半分カチ割られたくらいでは即死しない。目玉をぶら下げて喰らい付いて来る。手足が潰れたくらいでは勢いは止まらない。殺到され生傷が増えるが、直ぐ殴り殺す事にも慣れてくる。
むしろ、そっちの方が楽なくらい。いや、最初からこうだったとも思う。
力任せの原始的な技。叩き潰し、すり潰し、見せつけるように中身を弾けさせる。
獣の血と汚物に塗れる戦い。
名誉の欠片も無く。唯一の美徳であった影に徹する誇りすらない。ただ殺し殺す。そんなケダモノの、ケダモノらしい戦い。
血で血を洗う戦いの獣を殺し尽くし、炎を燃やし尽くすまで続く。
果ては―――――
果てを見た。
狼を殺す、狼になる夢を見た。
気付くと、吹雪。
一寸先は白亜の闇。
見渡す限りの白と、聞こえるのは吹き付ける風の音。
空気は死の冷たさで全身を侵していた。
手足は棒切れのような感覚で、内臓だけが必死に体温を上げている。外は凍てつき、中はじっとり不快な湿り。
へし折れた左足を引きずり、膝まである積雪を虫が這うような速度で進む。
穴の空いた脇腹からは、血が湯気を上げて流れ続けている。口の中は鉄の味。必死に呼吸するが、三回に一度しかまともに酸素を吸えない。唇が震える。肺も凍り出した。白い闇と黒い闇が交互に広がる。
睡魔が全身の痛みを和らげ、精神を乗っ取ろうとしてくる。楽になれ、ただ楽になるだけで良いと、甘く囁く。
もしかしたら、同じ場所をグルグル回っているだけかもしれない。破滅的な発想だが、それでも揺るがず歩みを止めないのは、これが僕なりの戦いだからだ。
死ぬなら前のめりで死にたい。
男なら、そうやって死ぬべきだ。
しかし、自然とはこんなに過酷で、人とはこんなにちっぽけなモノなのか。身につまされる体験だ。生きて戻れたなら、良い経験になるだろう。
そうだ。
この状況を生き延びる事が出来たのなら、良い経験になると思う。
かなり絶望的だが。
「本当に、僕は――――――」
いい加減、学ぶべきだった。
感情に流され、一際の疑問も持たず戦い。罠に嵌った事に気付かないとは。
ネオミアが見えない。
どこもかしくも白と白が続くだけ。位置を、見失っている。
不味い。
右足も動かなくなった。体重をかけた左足が変な方向に曲がる。凍ったそれが折れたのか、砕けたのか確認できない。
深い雪に倒れ込むと、安心するような温かさに包まれる。
それでも。
這って進もうと、剣を握り締めた右手で雪を掻く。虚ろに眺めた手は、爪が異常に太く牙のように膨らんでいた。
ああ、やっぱりか。
死に際で頭が冴えた。
エンドガードの仕組みが理解できた。
この雪原全てが狼を産む苗床だ。死のうが殺そうが、何れアレの仲間になるというシステム。終の戦士とは皮肉な名前だ。畜生が。
ミスラニカ様の力で無効化できるが、彼女の力は完全でも永遠ではない。今は右手の爪だけだが、時間の問題だ。僕も白い一匹の狼になる。それとも獣頭の彷徨う化け物の方か。
笑えない事実だ。
しかし、頭は動くが体がもう指一つ動かない。
これが僕の終わりか。想像していたよりも悪質で最悪な終わりだ。人の願いと心配を踏みにじった結果がこれか。
段々と頭も回らなくなる。
必死に目を開け雪を凝視する。そんな抵抗も虚しく。瞼が降り、白から闇に。
重たく心地良い眠りが、終わりを告げる睡魔がやってくる。
抵抗できない。
体が意思から離れ、意識すら遠くに行こうとしている。
帰りたい。
それでも帰りたいと、心から願う。
彼女達の元に、だが、マリアを――――――
「見つけた!」
どうしようもない闇の中、そんな声が聞こえた。
些細な事はどうでも良く。
意識は消える。
二度と帰れない場所へ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます