<第三章:死と氷の都へ> 【01】
【01】
【149th day】
夢を見た。
赤い夢を見た。
情景は映らない。ただ、激しい感情が脳に焼き付けられて行く。
怒り、恨み、悲しみ、恐怖。それが混ざり合った嵐のような奔流。
耐えられなかった。
目を逸らした。
いや、潰した。
自ら両目を潰したのだ。
ああそうか、滲み出る赤色は自分の――――――
「ソーヤ!」
揺さぶられ覚醒する。
「ん?」
目覚めたというのに暗い。少しだけ光が見えるが、視界がぼやけて確認できない。
目を擦る。ぬるっとした液体が油のように指にまとわりついた。
「これ誰の血だ?」
「ソーヤのだ。どこも痛くないのか?」
目の前のマリアが徐々に見えてきた。
「目から血を流してうなされていた。心配したのだぞ」
「そりゃ、すまない」
どうやら僕は、夢を見ながら血涙を流していたようだ。
またもや、夢の内容は全然思い出せない。良くない夢だったのは、何となく覚えている。
マリアから水筒を受け取り、目を洗う。濁った視界は晴れ、薄暗い闇と焚き木の明かりが映る。痛みのない事が逆に怖い。
『ソーヤ隊員。患部を見せてください診察します』
「頼む」
雪風に目を見てもらう。
『スキャンします。この点を直視してください』
ミニ・ポットのアームが黒点の付いたメモ用紙を取り出す。
いわれた通りに見つめた。
『スキャン中………………外傷無し。瞳孔反応に異常なし。出血原因………不明。眼球の機能に異常は認められませんでした。異常環境のストレスが一因かと』
「かもな」
墓所で眠るとか何が起こっても不思議ではない。
「別に妾は、生涯ソーヤの杖になっても良いぞ」
「物騒な事いうな。大丈夫だ」
失明とか冗談として流せない。
「寝起きまで騒がしいな、貴様らは」
バーフル様に呆れられた。
「いや、あんたがマリアを呼び込んだせいだろ」
ここは忘れない恨みポイント。
さて、昨晩の続きだ。
「よし、マリア帰れ」
「断る!」
朝の準備をしながら言い争った。
全く、進展しなかった。
「そんなに妾を置いて行きたかったら、勝手にすればいい。妾は、勝手について行くがな!」
「くのッ」
頑固な子供だ。
保護者の気も知らないで。
「だいたい、ソーヤこそ何なのだ。ラナやエアに本当の事を黙って一人で、心配させているのはソーヤのほうだ!」
「心配させないように黙っていたんだ!」
「妾にはバレたけどな!」
口喧嘩しながら朝飯を作った。
何か、全体的に負けていた気がするが気のせいだ。
本日の朝食は豆カレー。
旧シーカーブリゲイトの豆の缶詰に、妹特製カレー粉とケチャップ、刻んだ干し肉。砕いた乾パンを入れる。隠し味にチョコをほんの一欠けら。
これを焚き木で温めたら完成である。
スパム同様、豆の缶詰も大量にあるので処分がてら適当に作ったら、まあまあ美味しかった。
「ソーヤ。豆は潰さないと妾、食べないぞ?」
「はいはいお姫様」
最初、豆を潰して食べさせて以来、潰さないと食べなくなってしまった。
熱いので手袋のまま缶を持ち、マリアの分を豆をスプーンの裏でガシガシ潰す。
作業中、獣頭の男に話しかける。
「バーフル様は、本当に食べないので?」
「我にはこれがある」
彼は酒瓶を取り出す。
ちらっと見えた彼の荷物には、同じ物が大量に。
「荷物を見たら入っていた。テュテュの奴が忍ばせていたのだろう」
いやいや、忍ばせるって量じゃないだろ。
五分ほどスプーンを動かし豆を潰し終わる。ついでに、猫舌マリアには丁度良い温度になった。
「ほれ」
「うむ、食べるぞ」
の前に、
『いただきます』
と二人で手を合わせた。
豆カレーを食す。
「ランシールのポトフには負けるけど………これはこれで………………これだな!」
マリアは満足そうに食べる。
どれ僕も一口。
「ん」
豆の淡泊な味わいが、カレー粉のおかげで気にならない。時々入って来る干し肉と乾パンの食感は良し。強いていうなら、ジャガイモとか人参とか入れたいな。豚モモとか鳥モモも。飴色に炒めた玉ねぎを入れても良い。
あ、いや。
流石に、これ以上の手間を加えるとアウトドア料理の大雑把さが損なわれる。てか、普通のカレーだ。
「うまうま」
と、マリア。
「まあまあ」
と、僕。
うーん、不思議だ。焚き木を囲んで食べる豆缶は本当に美味い。たぶん、シチュエーション的な理由で美味しいのだろう。
ま、ここ墓所ですけどね。
暗闇のせいで朝飯という感じはしないが、朝食を済ませて一息。
「じゃ帰れ。マリア」
「イ・ヤ・ダ」
堂々巡りの議論を交わす。
「さて行くか」
バーフル様は、荷物を担ぎ立ち上がった。
「ちょっと待ってくれ。僕はまだ」
一応、こっちも荷物をまとめ出立できる準備はした。
「妾は何をしても付いて行くぞ。ソーヤが嫌なら勝手にするがよい」
再度、頭を抱える。
拘束して置いて行こうにも、こいつは転移して逃れる。説得して意思を変えさせないといけないのだが、自分の口下手さが憎い。
「………マリア、約束しろ。危険を感じたら逃げろ。僕やバーフル様を見捨ててもだ」
「わかったー」
適当な返事。
「大事なことだ。しっかり誓え」
「………誓う。危なくなったら逃げる。………………必ず」
僕の真剣な表情に、真面目に返してくれた。
不安だ。
全然、安心できない。
「雪風、マリアを頼む。危険を察知したら転移するよう指示しろ」
『了解であります』
ミニ・ポットをマリアの腰に吊り下げる。
「マリア、雪風が指示を出したら分かっているな?」
「わかってるぅー」
面倒くさそうな返事。
まだ何か手を。
「済んだな。大鐘楼を鳴らすぞ」
バーフル様が僕を待たず行動に出た。
特大剣が竜の抱いた大鐘にぶち当たる。落雷のような大音量の響き。
「ッ」
僕とマリアは、あまりのうるささに両耳を閉じた。
大鐘の振動を皮切りに、周囲にある鐘も一斉に鳴りだす。音は波のように広がり、階層全ての鐘を震わせた。
いや、音の響きは階層その物を震わせる。
地震のような振動と大音響に立っていられない。目を開けてすらいられない。三半規管が麻痺して吐き気がする。脳が震え意識が明滅する。
意識を保てない。
眠るより深い闇に落ちる。
マリアの小さい悲鳴が、鐘の音の片隅で聞こえた。
そして意識を取り戻すと、
「なっ」
冷たい痛みに包まれていた。
鐘の残響のように白い風が鳴いている。
野外だ。
それも大吹雪の最中。
大鐘楼。
やはり、ポータルと似た効果がある物か。
周囲は、こんもりとした雪原である。積雪は膝近くまで。風の合間に、土地を囲む山々が見えた。呼吸の難しさは寒さだけが原因ではない。酸素が薄い。普段の生活圏と違う高度だ。
「マリア?!」
「ここだぞ」
『ここであります』
マリアと雪風は真後ろにいた。
「おう、無事に辿り着いたな」
並んでバーフル様も。
「ここは危険だ。少し進むが、行けるな?」
「ええ、まあ」
まだ頭はクラクラするが歩くくらいなら。
「マリアは大丈夫か?」
「大丈夫だ。ソーヤ、ちょっと気にし過ぎだぞ。左大陸の真冬は、こんなもんじゃないのだ」
彼女は平気そうに胸を張る。
「雪風、機能に問題は?」
『現在、マイナス7℃。消費電力13%増加。吹雪の為、索敵機能が通常時の5%に低下』
「不味いな」
今、敵に襲われたら不意をつかれる。
「行くぞ」
バーフル様はお構いなく進む。一応、雪を踏み鳴らして僕らの道を作ってくれた。
マリアを先に行かせ後に続く。
しかし、寒い。
寒痛い。
加えて、この猛烈な風。体力の消耗が半端ない。
「ソーヤ、マフラー貸そうか? これ暖かいぞ?」
「大丈夫だ。僕のマントも同じ素材だ」
歩みの遅れた僕を、マリアが振り返り心配する。
情けない。
防寒着は着ているし竜血のマントは発熱している。それが追い付かない寒さと風。後、単純に僕の耐寒機能か。
いやいや、マリアが寒さに強すぎるだけかも。バーフル様は、凍死するような生き物には見えないか。
「ここだ」
五分ほど歩いた。体感的に一時間は凍えていた気もする。
目の前に都が広がる。
「これがネオミアだ。生者が生きて辿り着けたのは、500年ぶりか」
死と氷の都は、切り立った崖に位置していた。
街は白く化粧され凍てついている。不思議と建物が残っているのは、凍って固まったからだろうか? この街には、レムリアやロージアンのような城壁はない。それもそうだ。街の周囲は絶壁である。落ちた先は、深海のような闇が大口を開けて広がっていた。
特徴的なのは、街の奥にある巨大な城。
凍てついた中であっても黒く。まるで絵本の悪い魔女が住むお城だ。
「だが、一つ問題がある」
バーフル様が剣で道を指す。
ネオミアに続く細い一本道。幅は6メートルもない。この吹雪で倒壊しないか心配になる細さだ。簡単な手すりは用意されているが、それを超えると崖の下に真っ逆さま。
これ以外ネオミアに行く道は………空を飛べないと無理か。
「良く見ろ」
バーフル様の剣の一閃。
見えない壁を剣が引っ掻く。
「白鱗公の結界だ。我が腕でも破壊できぬ」
細道に入る前に、不可視の壁があった。
触れて見るが、冷たさはない。固いようで柔らかい曖昧な感触。試しにアガチオンで斬って見たが、壁を撫でるだけに終わった。
「しかし、吸血鬼はこれを越えてロージアンに来たのですよね? 後、さっきの鐘も」
「そうだ。どこか結界に綻びがあるのかもな。だが、我らには確かめようのない事だ。そこで」
バーフル様がマリアに近づく。
「嬢ちゃんの出番だ」
「あ、なるほどなー」
マリアは納得してバーフル様の手を取る。
こいつの子供らしい部分で、人に頼られると喜んですぐ受けてしまう。力を自慢する機会があるのが、嬉しいのだろう。褒められるのも大好きだし。
「ん」
でも何だろう。この悪い予感は。
バーフル様は、吸血鬼は大鐘楼を利用してロージアンに現れているといった。だが、僕らが降り立った場所に鐘らしい物はなかった。
いや、ネオミア内部にある可能性も………………内部?
待て。
おかしい。
そもそもバーフル様は、この結界をどう越えるつもりだったのだ?
「マリア待て!」
僕が止めるのは一瞬遅かった。
二人は転移して、結界の向こう側に。
「マリアすぐ戻――――――」
また、遅かった。
バーフルは、マリアの首を指でつまむ。それだけの事で彼女の意識を奪った。
僕が伸ばした手は透明な壁に阻まれる。
「お前ッッ! どういうつもりだ!」
マリアを肩に担ぎ、バーフルは何の悪びれもなく答えた。
「我は、ずっと探していたのだ。この目障りな結界を消す手段を。それがまさか、こんな簡単に飛び越える事が出来るとは………………ふむ、何というか。別に何もないな。500年、ただ長かったとだけ思う」
こいつ、最初からマリアを利用する気で僕を。
「ソーヤ、安心せよ。吸血鬼は我が必ず倒す。貴様は元より生餌のつもりで連れて来ただけだ。立派に役目を果たせ」
「待て! バーフル! おい!」
僕を無視してバーフルは進む。
どんな絶叫も一切気に留めていない。だが、少しだけ振り向いていう。
「ああ、そうだ。気を付けろ。そろそろ、エンドガードが来るぞ」
「何?」
背後で、厚い空気が動く音。
衝撃の後、視界が反転する。左足の骨が鳴る。
「がっ」
体が宙に浮く。
白い獣が、僕の足に喰らい付き持ち上げていた。
大きな白い狼だ。
体高は2メートル。体長は、尻尾を入れたら6メートルはある。
虎やライオンを軽く凌ぐ大きさ。
「嘘だろ」
それが吹雪の中、群れを成して現れる。
少なくとも30はいる。
しかも、これは違う。
この白い狼は、古き者や、ロージアンの猫のように、話しが分かる獣ではない。ワニのような感情の無い瞳がそれを物語っている。
これは、機械のように一つ事を行う獣だ。
感情という揺らぎを持っていない。
そして今、この獣達は僕を殺す事をだけを考えて一斉に牙を剝いた。
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