<第二章:忘却のロージアン> 【03】
【03】
今のような冬の季節。
かつてこの地に、傷付いた竜が降り立つ。
体には無数の剣と槍、巨大な斧。
青い鱗の大半は剥げ、肉はとめどなく血を流し、更に酷い事に、竜は右の片翼を失っていた。二度と飛ぶことのできない傷である。
失った翼の所以については諸説ある。
曰く、鱗の朽ちた竜と争った為。
曰く、竜殺しの英雄と戦った為。
曰く、深淵の魔と戦い敗れた故。
竜は真実を語らなかった。だから民は、誰も尋ねなかった。
後世に残ったのは身勝手な憶測だけである。
竜の降り立った国は、竜と同じように傷だらけだった。
隣国との長い戦乱に負け続け、奪われるものは全て奪われた。今、子供が生まれても、大人に育つまでの食べ物がない。いいや、この冬を越す事もできないだろう。
国は滅びの瀬戸際にあった。
滅び行く者達は、同じように死にゆく竜に自分を重ねた。
竜という強者が、死ぬ行く人間に憐れまれるとは皮肉な話である。
幼い国王は、自ら献身に務め竜を癒した。
民も黙ってそれを倣う。
人が身を切り何かを助けるという事は、無駄で、無意味でも美談である。しかしそれは、絵空事の中で語られるほど簡単な事ではない。
連日、死者が出た。
老人と子供が飢えと寒さで死んで行く。
それは静かな滅びであったが、、それが彼らの終わりではなかった。
竜が降り立った事で、傷付いた国は、また戦乱に飲まれた。
極単純な事である。
北の国も、南の国も、東の部族も、竜が欲しかった。竜の死骸が欲しかった。
傷付いた国は兵を出した。無論、竜を守る為に。
皆、弱兵である。
まともな兵はいない。口減らしの為、志願した者ばかりである。
鎧や盾は全く足りていない。ある者は、着の身着のままに剣を持ち。ある者は、農耕器具を手に軍列に加わる。戦う術などない女子供もいた。
愚かな自殺行為である。
戦争とは殺戮なのだ。ルールなどない。国同士の取り交わしは合っても、それは対等な国力が合って初めて成り立つ。
国の弱さとは致命的なのだ。
そして、この国の民とは、逃げる場所すらない弱者であった。
王も同じく弱者であった。弱者ではあるが王であった。
軍の出立には、幼い王が先陣を切った。
王は別れ際、竜にいう。
「残った民には、最後の最後まであなたを癒すよう王命を下した。しかし、臆病風に吹かれ逃げ出す者もいるでしょう。心無い言葉をあなたに浴びせる者も。
でもどうか、それを責めないであげて欲しい。
人とは弱く、誰もが誇り高く死に挑める者ではないのです。おさらばです竜よ。出来るなら、あなたを蒼穹の下で眺めたかった」
冬の灰色の空の下、王と竜は永遠の別れを交わす。竜が降り立ってから、終わりのない曇天が国を覆っていた。まるで行き先を人に見せるかのように。
幼い王の死に様は、無残だったという。
民の為と無様な行為にも及んだ。
最後の最後まで、民の命乞いもした。
北のネオミアの軍勢達は、幼い王をいたぶり最後には惨殺した。
幼王の軍は当たり前のように壊滅した。
彼の死は無為だった。
竜は、王を騙していた。
竜は、不滅の生き物である。
傷は、ひと時の夢と同じなのだ。それを癒さなかったのは、ただの戯れ。せせこましく自分を世話する人間が愉快だった。子供のような好奇心で眺めていただけだ。
そして最後に、竜は人の愚かさを見世物にしたかった。
最後に自分を裏切る小さい人間を。
拾ったつもりの自分を、売り渡す人間を。綺麗事ばかりいう幼王の醜い顔が見たかった。
だが、竜の為に死んだ者達は、愚かではあったが、誇りを失わなかった。誇りを持って死んでいった。
だから竜は、誇りを捨てた。
竜は人の心意気に負けたのだ。
彼は、人と這う生き方を選んだ。
ネオミアの軍勢が国に侵入すると、竜は翼以外の傷を消し軍勢を八つ裂きにした。
炎は使わなかった。
人間のように野蛮な殺し方をした。叩き潰し、切り裂き、薙ぎ払った。見せしめに軍勢の将を、生きたままゆっくり噛み砕いた。
悲鳴を彼女の部下達にじっくりと聞かせた。
軍勢がそうした以上に、軍勢を陰惨な手段で壊滅させ、竜は大きく鳴いたという。
王の為か、二度と帰れない空を思ってか、それとも自らの愚かさを嘆いたのか。
鳴き声が終わると、空は晴れ渡り、竜の鱗のような青い空が澄み渡った。
竜は建国を宣言した。
青鱗の片翼の竜が支配する国。
ロージアンの誕生である。
「それで」
話の区切りに、僕は質問を挿む。
「何故、滅びたのですか?」
「そこは気になる所よな」
竜が国を作った話。顛末は、ここに来るまで十分と見た。
今は全て滅び、死霊が彷徨い巨大な墓標があるだけだ。
「諸説ある。学者連中を100人呼べば、100人全てが違った憶測を並べる。国が一つ滅んだのだ。それも竜が統べる国が。大きな理由があったのだろう。大きな災害や、敵があったのだろう」
バーフル様は、空になった酒瓶を闇の中に投げ捨てる。
砕ける陶器の音がカタコンベに響く。
「だが、誰も答えは知らぬ。ロージアンの栄光は数多く残るが、滅んだ原因だけは誰にも分らなかった。人とは愚かさで滅ぶ者だ。竜は何を理由に滅ぶのか、全ては………忘却の彼方」
かれこれ500年は昔の話だな。
バーフル様は、唸るようにそう呟いた。
僕は、消えかけた篝火に薪を追加する。
一つ思う所があった。
雪風がミスラニカ様と家の地下迷宮を探索した時、色々な情報を持ち帰って来た。
“我々は獣に滅ぼされるのではない。自らの愚かさで滅びるのだ”
工房の壁にあった書き殴りだ。
同じ内容の書き記しが随所で見つかった。
レムリアの地には、かつてベリアーレという国があった。それは500年前、人の愚かさで滅びたという。
獣頭の男曰く、同時期に滅んだロージアンは違う。
違うという。
なら………………では?
「なーんだ。一番おもしろい所が秘密ではないか」
そんな感想が背後から聞こえる。
振り向くと、闇の中から褐色のエルフが現れた。
上は暖かそうなセーターと、丈の短い動きやすそうなジャケット。下はホットパンツだが防寒タイツを穿いている。首の赤いマフラーは、確かラナがローブから作った物だ。手袋も彼女が編んだ物で、暖かそうである。
髪は三つ編みをアップにして動きやすくしている。
バーフル様のいう増援とは、マリアの事だった。
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