<第二章:忘却のロージアン> 【01】


【01】


 近港のギルスター騎士団が増援を要請するまで、後六日。

 一度、要請が送られてしまえば、今更安全になりましたという戯言で軍は止まらない。

 王の危惧通りなら、些細な理由を付けて、レムリアに軍を置き支配体制を築く。

 実際、探られては不味い事柄を、この国は山ほど抱えている。

 辺境伯を抱き込んでの食料流通量の偽装。

 代行英雄を葬った男の件。

 死んだはずの王子が諸王の軍勢に紛れ込んでいる。

 エリュシオンは、内部政治の腐敗により弱体化しているが、それでも世界最強の軍勢には変わらない。

 奇策と軍略により、黒エルフに遠征軍が負け続けているからこそ。今は、勝利できる戦いが欲しい所だろう。

 謀反を企てた小国など格好の的だ。

 急がねばならない。


【148th day】


 雪原の街道を馬車が行く。

 向かうのは、廃都ロージアン。

 衛兵長が馬車の御者をやり、幌付きの荷台には僕と、親父さん、バーフル様という何の色気もないメンバー。

 普段、女性率の高いパーティを組んでいるせいか、クソむさ苦しく感じる。

 華がない。てか獣とおっさんしかいねぇ。

 そんな空間は色々と堪えた。

 二日目の昼過ぎ。

 天候は暗雲。

「私はここで。メディム様、後は頼みます」

「おう」

 衛兵長が馬車を降りる。親父さんが手綱を握り、御者を代わる。

 僕は、馬車から物資を降ろすのを手伝った。

 ここはロージアンとレムリアの国堺。関所跡がある場所だ。衛兵長はここで降り、僕らの報告を待つ。

 そして、場合によっては感染した僕らを殺す役目を持つ。

「あなた方の武運を祈ります」

 彼は、小さくなってもずっと僕らを見守っていた。

 更に馬車は六時間進む。

 日が暮れ、通説通りなら吸血鬼の時間で、ロージアンの市街地に入った。

 規模はレムリアと同じくらいか。

 しかし、滅んだ国の街だ。当然ながら荒廃している。

 レムリアと似た城壁は大半が崩れていた。年月の劣化もあるのだろう。ただ明確な破壊の傷跡が見える。

 魔法か、攻城兵器か、ともあれ大きな破壊の痕跡だ。

 かつて並んでいたであろう家々は基礎が少し残る程度で、原型を残すものは殆ど存在しない。

 雪に埋もれ、温かくなれば草花に埋もれ、年月を重ね文明の跡すら消えて行く。

 残るのは、風に吹かれ消える塵だけだ。

「この辺りにするか」

 親父さんが馬車を止める。

 街の目抜き通りだ。足首までの雪を掃うと石畳が見える。

「俺は、ここでお前らを待つ」

「親父さんこれを」

「ん?」

 冒険者の父に銀の杭を一本渡す。

「僕がもし吸血鬼になっていたら、それで心臓を」

「おう任せろ」

 一瞬くらい迷ってくれてもよかったのに、即引き受けてくれた。

 この人らしいが。

 バーフル様は装備の入ったズタ袋を背負い。馬車から降りる。

「ソーヤ、まず騎士団の根城を洗う。狩り逃しがいるやもしれん」

「了解です」

 彼は片手で得物を構えた。

 骨製の特大剣だ。刃に辺る部分は、歪ながら鋭さを持っている。だが、斬るというより潰す得物だ。その重量も体積も余りある。

 僕もラウカンの弓を取りだし、アガチオンを番える。

 前衛はバーフル様に任せる。

 僕は後衛だ。

 感染しないというバーフル様の話は、今一信じられない。一番の得策は接触しない事、それに限る。

 馬車の中でバーフル様に“異世界の吸血鬼”というモノを確認したが、大凡僕の一般的な知識と差異はなかった。

 銀に弱く。

 太陽に弱く。

 夜に巣くい。

 血により仲間を増やす。

 ニンニクは平気で、コウモリや犬、霧に姿を変えたりはしない。常に飢えて乾いていて、生者にむしゃぶりついて来る。

 不老不死の夜の眷属。

 いや不死という幻想は、原形を留めない破壊か、心臓を潰す事で殺せる。

「では、行ってきます。親父さんも気を付けて」

「安心しろ。吸血鬼が現れても、返り血を浴びないで斬り落とすだけだ。普段と変わりない」

 信用しています。

 やっとのこと帰って来て、吸血鬼化した親父さんと一戦とか悪夢に等しい。

 警戒しながら通りを進む。

 廃墟の街を獣頭の男と二人。中々ファンタジーな光景だ。

 ファンタジーといえば、空には煌々とした月が三つ。

 改めて見ると人の顔のようだ。

 小さく丸目が二つ。大きく薄ら笑いを浮かべた細い口が一つ。

 ラナによると、満ち欠けのない左目を古い呼び方で凶月と呼ぶ。これが欠ける時、必ず凶事が巻き起こる事から名付けられた。

 幸い。

 今は欠けてはいない。

「………………いるな」

 バーフル様の耳が動く。

 僕は弓を引く。

 大まかな狙いだけで良い。後はアガチオンが当たってくれる。

「何人ですか?」

「一つ、だが沢山だな」

 骨の鳴る音が聞こえた。

 一つや二つの響きではない。合唱だ。

 するりと闇の中から骨の巨人が現れ、おぞましい姿が雪と月に照らされた。

 前にダンジョンであった骨の巨人に似ているが、目の前のこれは、普通の人間の骨が集合して巨人になっていた。

 頭が無く。げんなりするほど目を引くのは、腹だ。

 妊婦のように膨らんで、そこには頭蓋骨が密集している。

 カタカタ、カタカタ、カタカタカタカタ、百近いしゃれこうべが鳴く。

「バーフル様、まさかこれは吸血鬼が」

「馬鹿を言うな。こいつは、ロージアンに巣くう死霊だ。廃墟の憑き物が、生き血で目覚めたのだろう」

 バーフル様の言葉の後、巨人は襲いかかって来る。

 巨大な集合腕を振るい。有る物全てを薙ぐ。

 重い風鳴り。

「所詮こんなものか」

 だが、竜の翼をへし折った男は軽くそれを受け止めた。

 剣を持った片腕で。

 反撃は、雑ともいえる無造作な一撃。

 轟音と共に、巨人の大きな腹は砕かれ、体は真っ二つとなる。

 上半身は回転しながら遠くに飛ぶ。残った下半身は塵と化し、死霊らしい消滅を果たす。

 呆気に取られるほど簡単に倒した。

「死霊がいるなら、吸血鬼はいないか」

「どういう事ですか?」

「魔とは、反目し合うものだ。奴らに共存するという知能はない。匂いを嗅ぎ付けたら、どちらかが滅びるまで戦う。そして、この程度の相手に吸血鬼が敗れるはずがない」

 この巨人。結構な敵だと思うが、これ以上とは。

「行くぞ。予定は変更だ。直に地下墓地に行く」

「そっちの方こそ死霊がいそうですが」

「いるに決まっているだろ。山ほどな」

 うぇ。

 早くも帰りたくなった。ちょっと前の階層で骨は嫌ほど見ているのに。またか。

「――――――――――――」

「あれ」

 ふと、闇の中から声が響く。

「どうした? ソーヤ」

「今ちょっと猫の声が聞こえて」

「猫? 我が耳には聞こえなかったぞ」

 ニャー、と再び声。

 うちの神様の声ではない。それより太く低い鳴き声。

「ほらまた」

「聞こえぬ。幻聴だ」

 バーフル様は先に進む。

 彼の位置を雪風にターゲティングさせて。僕は、軽率と感じながらも猫の声の元に。

 少し進むと巨人の上半身を見つけた。今にも滅びようとしている。僕がたどり着く頃には、完全に消え、雪の上に塵の山を残すだけに。

 だが、一つだけ原形の残った物がある。

 赤子の骸骨だ。

「………………ッ」

 何ともいえない気持ちになる。

 偽善で無為な行動と分かっていても。ラウカンの弓を地面に刺し、アガチオンで雪と土を掘る。雪も土も柔らかく。赤子を埋める穴はすぐ掘れた。

 埋め、手を合わせる。

 アシュタリアを思い出した。

 炎に包まれ灰に塗れた国だ。

 ここは、どこかそれに似ている。荒廃の空気とは似るものなのか。別に何か原因があるのか。

「そこの方」

 声と小さい鐘の音。

 闇の中に光る瞳。

 鉤尻尾の真っ黒な猫がいた。口に小さい鐘を持っている。

「赤子の鎮魂に感謝する。あのような姿になったとはいえ、粗放な扱いは哀れな事だ」

「あなたは?」

 喋る猫、二匹目。

 この方もどこかの神か?

「ただの墓守だ。名すら忘れた身よ」

 と、

「おい!」

 バーフル様に、凄い剣幕で後ろから肩を掴まれる。

「敵地で勝手に離れるな! 貴様は餓鬼か?!」

「あ、すみません。そこの方が」

 猫に向き直る。

 だがバーフル様には、

「何をいっている。まさか、死霊なんぞ弔っていたのか? 全く無駄な事を。こいつらは果実に湧く虫のようなモノ。埋めたとて、また這い上がって来る」

「はい………すみません」

 猫が見えていなかった。

 その事に、軽い胸騒ぎを覚える。

「気にされるな。我らは死を待つ者にしか見えぬ。それより、これを」

 猫は僕の足元に寄ると、咥えた鐘を置く。

「墓地に行くなら持つがよい。墓守の鐘は、死者を眠りに誘う」

 拾い上げ手に持つ。

 幻ではない。確かに形がある。

 バーフル様は「早く来い!」とお怒りで背を向けた。

 闇に下がり猫がいう。

「夜の匂いのする優しき人、忠告しよう。その獣を信用するな。死を否定するのは、悪夢と妄執の寄り人に他ならない」

 猫は一匹ではなかった。

 広がる街の闇の奥に、数十の………いや、数百の光る双眸が見えた。

 猫は口々に囁く。

「気を付けるのだ。悪夢に囚われるのは、終わりなき闇に囚われるのと同じ」

「氷に閉ざされた。かの地のように」

「哀れな青鱗公のように」

「貴き血筋と同じように」

「汝もそうならぬよう。気を付けるのだ」

「悪夢の匂いは奴らを呼ぶ」

「凶月の使者がやって来る」

「白き獣がやって来るぞ」

「優しき人、気を付けるのだ。悪夢は優しき心に喰らい付く」

 一陣の風が吹く。

 猛烈に雪が舞い上がり目が眩む。一瞬の雪風が納まると、廃都には静かな夜闇だけが広がっていた。

 全ては幻のように。


(――――――努々忘れる事なかれ)


 だが微かに、その猫の声は聞こえた。

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