<第四章:祭りの終わりに> 【01】
【01】
【138th day】
「すまぬ、起こしたか?」
「あ、いえ」
温かい毛布が掛けられ、浅い眠りから覚まされる。
僕の隣にはエアとラナ。マリアは、瑠津子さんに懐いて彼女とガンメリーの間で眠っている。眷属や、パーティの皆は、食堂で騒ぎながら眠ってしまったようだ。
かの神が、毛布を小脇に全員に被せて回っていた。
吐く息が白い。息が潜む、静謐な空気だ。
「ソーヤ。少し話さぬか?」
「はい」
姉妹に毛布を掛け直し、神の後に続く。
食堂を出て修錬場に行く。夜明けの闇に、薄く積もった雪が白く輝く。たった一晩で、外は冬の空気に様変わりしていた。
「冷えぬか?」
グラッドヴェイン様は、暖かそうな毛皮のマントを羽織っていた。その下は、今日はハイレグ衣装だ。彼女の方が冷えそうである。
「少し冷えますね。ですが左大陸の寒さに比べたら可愛いものです」
それに、竜の血を吸ったポンチョが妙に暖かい。これ熱を発していないか?
「あの土地の寒さは魂が凍る。この小冬など比べるまでもない」
「グラッドヴェイン様は、左大陸の方ですよね?」
「うむ、かの地で生を受け、鍛え、戦い、争い、誉れ、死を許されず神となった。懐かしくも遠い記憶だ。最早、他人の夢のようにしか思い出せぬ」
「あの、悪竜の事を聞いても良いでしょうか? 眷属でもない僕が聞くのは、不敬とは思いますが」
昨日の一件で、竜について興味が湧いた。
ラナの力も関係している事だ。できるだけ情報が欲しい。
「良いだろう。我も丁度、その話をしようと思っていた」
神は、雄々しさを隠し、悲しげな表情を浮かべる。
「悪竜。朽鱗公ルストヴェイン・ロラン・ルゥミディア」
その竜の名には、
二人の娘の名が含まれていた。
「我が生まれた年。左大陸に熱病が蔓延していた。犠牲者の数は、千や万では止まらず。滅んだ国も、一つや、二つではない。特に多くの赤子が犠牲となった。墓所には“くるみ布”が溢れ、母親のすすり泣く声は大陸中に響いていた。それを哀れと思ったのが………朽鱗公、いや、その時はまだ、翠鱗公と呼ばれていた。翡翠の如き鱗の美しく、最も優しい竜だ。かの竜は、人々から熱病を吸い上げその身に集めていた」
竜は、そんな事も出来るのか。
人の病を癒すなど聖人の奇跡だ。
「我もまた、竜に助けられた者の一人よ。慈愛に満ちた行為だ。永遠に語り継がれるべき美談であり、人と竜と繋げる逸話だ。かの竜は、本当に人を愛していた。
しかし、大陸中から病を吸い上げた時、竜の美しい翠鱗は朽ち果て、途方もない痛みとなって彼女の体を蝕んだ。人は、そんな竜を大きな病巣と見た。それでも竜は人を気遣い。人の世を飛び立った。
だがな、鱗の朽ちた竜に居場所などない。彼女は他の竜に追い立てられ、結局は左大陸に戻って来るしかなかった。
そんな人の為と身を削った者に、人が願ったのは死だ。
浅ましいが、結局は人などそんな者なのだ。
愛憎というのだろうか、それとも病の痛みからか。もしくは人の怨嗟と呪いか。
竜は狂い。人を喰らうようになる。悪竜、朽鱗公と呼ばれ、我らヴェルスヴェインの武人が討伐する事になった。
精鋭8000。エリュシオンを除けば、当時世界最強の一軍だ。
その中には、我も含め、竜に命を救われた者も多かった。竜が憎かったのではない。哀れで仕方なかった。苦しみが続くなら、せめて命を救われた我らの手で楽にしてやりたかった。
そして、炎と殺戮の中、我だけが生き残った。
伝説通り、最後に朽鱗公を仕留めた。
確かに、目の前で愛した男が灰になった。始祖より受け継いだ魔剣は砕け竜を傷付けた。全てを失い、同胞からの願いを受け、我が拳は、竜の心臓を貫いた。
しかし、思うのだ。
竜殺しの神を創り出したのは、朽鱗公の願いではないのか。
己が身を削り助けた者達を、狂いの果て手にかけるなど、人を愛した竜の顛末としてはあまりにも悲しい。誰かに止めてもらいたかった。
人の願いが神を創るのなら、竜の願いが神を創り出してもおかしくはない。人を救った竜の願いが、人に殺される事など皮肉な願いではあるが」
真実は誰にも分からない。皮肉で悲しい話だ。
けれども、人は幸福な者を信仰しない。聖人や聖女、英雄の人生は、悲惨なものが多い。悲劇だからこそ人を惹き付ける。
グラッドヴェイン様が、娘の名に朽鱗公の名を付けたのは弔いの為だろう。その彼女らの最後が悲劇なのも、また皮肉か。
「最早、捨てる事も厭きる事も出来ぬ。闘争の熱で隠すしかない人と竜の願いと呪い。我が謳い称える武とは、所詮そんなものだ」
「グラッドヴェイン様。ラナの力は」
「そうだな。我の血と、我の伝説。愛した男を失う、その代償からの奇跡」
僕は、本当に彼女に愛されているのか。
それは誇らしくも、重たくもある。
「我の加護は、犠牲が多すぎる。その運命に眷属や、血を引きずる事もある。故に、そなたらが気がかりでならん。特にラナは、記憶の中のルゥミディアと瓜二つだ。エルフに誅殺された子が、そのエルフと瓜二つとは、奇な事であるが」
誅殺って、まさか。
「ルゥミディアの、最後を知っているのですか?」
寒さの中、嫌な汗が流れた。
血の混じりは知っているようだったが、どういう最後を辿ったのかを知っているとは。下手をすれば、ヒューレスは神の怒りをくらう。
「ああ、メルムから聞かされた。『この体には忌々しいヒームの血が流れている』とな。延々とそれを隠し続けてきた先祖達への恨みを聞かされた。怒りも覚えた。被害者面をするヒューレスの子孫達を、縊り殺してやりたいとも――――――」
仮に、僕がグラッドヴェイン様の立場なら、許してはいないだろう。
ヒューレスは皆殺しにしている。それで止まらず、エルフを憎み続ける。
「だが、出来なかった。遠い日の復讐など、神となった我には縁遠い事だ。神格を穢し、眷属を不要な争いに巻き込む。………………いいや、これは違うな。
面影があったのだ。
メルムにも、エアにも、ラナにも。………………殺せぬよ。我が子達を殺すなど。人を捨てた神なれど、母として生きた時間は忘れられぬ」
男には分からない事だ。
女になら、分かる事なのだろうか。
「ソーヤ。そなたの戦い方は、古き勇士そのものだ。死を恐れず、欲を持たず、名もいらず。殺す為に殺し、無我無欲で命を捨てる。それがエリュシオンの進行を押しとどめ、諸王の歴史と我らヴェルスヴェインを作った。
だが、古き者よ。
それは滅びたのだ。人の摂理の中、利用され、使い潰され、消えて行ったのだ。
ラナは、そなたを愛している。エアも同じように。それが、月日の移り変わりで消えゆくものなら良い。そうでないなら、エルフの長き命は苦しみになる。
ソーヤ。長生きせよ。一日でも長く彼女らの傍にいてやれ。思い出は慰めになる。おそらくは、ヒームを愛したエルフへの唯一の慰めだ」
「………肝に銘じます」
死にたがりに長く生きろとは、難しい注文ですよ。母様。
「して、できるなら子供をバンバン作れ」
「………………」
えーと。
まあ、それは。うん。
「最低でも二人、いや、四人か。いや、ランシールを入れるのなら六人は軽いか」
「ちょっとお待ちを」
え、どういう計算?
「何を待つのだ。ラナとエアが二人ずつ。ランシールが二人と考えれば簡単な事よ。待て、ランシールの子供か。それは是非、我が眷属に加えたいな。いや、面倒だから全て我が眷属として迎え入れても良い。そなたの血はともかく。三人とも優秀な血統だ。異邦の血混ざったくらいで落ちるとは思えん」
微妙に自画自賛しておられる。
「母様とりあえず落ち着いてください。てか、エアに手を出したらマズいでしょうが」
義理の妹に手を出すとか、エロゲーかよ。
流石に義父から刃が飛んでくる。
「何をいう。メルムの奴など四姉妹全てに手を出していたのだぞ」
「お願いです………あれと比べないでください」
あの、好色エルフ。レムリア王以上だ。
ちょっとは親父さんを見習え。
「面倒だ。ソーヤ、そなたも我と契約して眷属にならぬか? 眷属二人の子となれば、その子供が眷属となるのも自然な流れだ」
「え?」
いきなりの提案で固まる。
魅力的な提案ではある。グラッドヴェインの眷属となれば、僕のネームバリューは跳ね上がる。悪評を消し飛ばす名声を手に入れられる。冒険者としては得難い名声だ。竜との無謀な戦いも報われるし、このタイミングなら異議を唱える者はいない。
「ただし」
グラッドヴェイン様の提案は、うまい話ではない。
「ミスラニカと契約を切れ」
「はい?」
何の冗談だ。
例え神でも聞き流せない言葉だ。
「あの神は、まっとうな神ではない」
「知っています。右大陸、三王国を一人で滅ぼした。悪行と謀略で神の座を得た女」
「ソーヤ、それは違う。その程度の事ではない」
「え?」
違う? 国崩しがその程度とは。
「国など滅ぶ時は簡単に滅びる。そんな事くらいで神格を得られるなら、世は神だらけになる。あの女の神格は、もっと陰惨で暗くおぞましいものだ。そなた、ミスラニカに聞いた事はないのか?」
「あ、いえ」
かの神にはそれを嫌う空気があった。だから、過去を詮索した事はない。
「聞いたとして答えたとは思えんが………すまぬな。やはり我の口からはいえぬ。どんな神であれ、神が神の秘密を漏らすなど。殺戮になる」
確かに、宗教戦争って奴はとことん厄介だ。決着の仕方が滅ぶか、滅ぼすしかない。
数多神がいる異世界でそれをやれば、泥沼だ。ミスラニカ様のように、信徒が少ない神であっても神が否定してはいけない。
「グラッドヴェイン様。お誘いは嬉しいです」
しかし、
「お断りします。何が合っても、ミスラニカ様と契約を切る事はしません」
それはない。
「ソーヤよ。知っての通り、眷属、信徒は契約した神の運命に引きずられる。それは良くも悪くも人の身に降りかかる。ミスラニカのそれは、そなたに――――――」
「それでも、僕はあの神を信じます。グラッドヴェイン様、こいつは仁義ってやつなんです。僕は、この国に来て色々な神から契約を断られた。
異邦人であるが故、夢を持たぬ故、武が足りぬ故、異種族と絆を持った故、様々な故で、大凡レムリア中の神に見捨てられた。
止めに、強盗をぶちのめしたら牢に入れられた。
そんな僕を拾ってくれたのがミスラニカ様だ。この国で唯一、僕と契約してくれた神だ。
その恩を忘れて、別の神に鞍替えなんて、とんだ“あばずれ”ですよ。そんな奴が、誉れ高きグラッドヴェインの眷属だなんて。貴女の格が下がります」
少し、感情的になってしまった。
でも、これが僕の信念だ。
「そうか。………………良く分かった。我の提案は忘れてくれ。二度も子を捨てた者に、母親の真似事など出来ぬものだな」
「いえ、そんな事は、つもりじゃ」
「中に戻ろう。温かい茶を入れてやる」
コートを翻し、グラッドヴェイン様が食堂に戻ろうとする。
寂しげな背中に、胸がちくりと痛む。
「ん? そういえば」
が、何かを思い立ち立ち止まる。
「そなた、我を母様と呼んでいなかったか? 二回も」
「ぶっ」
しっかり聞かれていた。しかも二回とも。
「ん、ん?」
擦り寄られる。
あ、これあのパターンだ。
「あ、いや、ホントすいません」
「詫びは良い。ほら、ん? ん?」
妙にお茶目な様子で肩に肩を当てられる。
「怒らぬぞ。良いから、改めていってみよ」
「ホント、勘弁してください」
そんな風にからかわれ、食堂に戻って行った。
淹れてもらったお茶は、とても甘く懐かしい味がした。
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