<第四章:再会の時、来たる>【01】


【01】


 ぐっすり眠ってしまった。大立ち回りした後だから疲れていたようだ。

 起きると、マリアが腕に抱き着いている。

『貴公、衛生レベルが低下している。洗浄するが良い。今、すぐに』

 優しい手つきでトーチは、マリアを僕から引き離すと、赤ん坊のように彼女を抱きかかえる。

「風呂あるのか?」

『そちらの通路の先、川が流れている』

 指で広場の通路を指す。

「凍ってないか?」

『なら、割ると良い』

「………………」

 傷んだタオルと石鹸を投げつけられる。

 川は凍っていなかったが、凍死しかける寒さだった。

 一個、気持ち悪い事が分かる。ロラの外套、昨晩の戦闘で傷付いた箇所があったが、修復されている。あんまり想像したくないが、これ生きていないか? いや、まず陛下のご先祖様を着ているって何なのだろう。ちょっとしたサイコパスだぞ。

 うん、この事は墓にまで持って行こう。

 また、人にいえない秘密を一つ抱えてしまった。

 アガチオンといい、ザモングラスの剣といい。何で僕の周りには、人に自慢できないようなアイテムが集まるのだろうか。これも我が神の加護か? ………かもな。

 血と汗を、刺すような冷水と石鹸で落とす。

 羽兎に覗かれたので、アガチオンで射抜いた。

 妹に習った通り、皮を剥いで血を抜く。

 体を拭いた後、聖堂に戻り朝飯の準備。

 焚き火跡に薪を追加して、燃焼用の小枝に着火。

「朝飯作る。食料はどこだ?」

『そこの箱である』

 トーチが物資の箱を指差す。

『貴公、コックであるか?』

「違う。コックは………ん? コックは、誰だったっけ?」

『質問の意味が不明である』

「あ、れ」

 猛烈に不安に駆られる。脳をごっそり持っていかれたような空虚な感覚。自分を支えている物が支柱から折れたような、盗まれたような………何だこりゃ。

 考えても何も浮かばない。

 疑問に思っていた事の疑問を忘れて、その不安な感情だけが残る。

 駄目だ。

 思い出せない。いや、忘れたのか? 何か空白めいたモノは感じるが、これが何なのかが分からない。欠片も、分からない。

「まあ………………いいか」

 こういう時は手を動かそう。

 考えても仕方ない事は考えない。今は、今はそれで良い。良い、はず。

「調理器具は?」

『そこの箱である。右の箱は食料である。衛生状態に問題はない』

「お前これ、ほとんど新品じゃないか」

 まな板やナイフは、使用された経歴はなかった。

『コックは従軍していたが、一番最初に自殺した。数少ない非被曝者であったが、情報認識の違いと、被曝者の顛末を見て悲観したと思われる。兵の食事は、缶詰で賄われた』

「そいつは、何とも」

 何か、調理器具に手を合わせてしまった。

「すまん、ちょっと聞きたいのだが。ここの物資に放射能の汚染はないのか?」

『ない。核実験演習は兵だけに行われた。彼らは、徹底した洗浄を行えば放射能の影響はないと認識していた。それに私は、汚染された物資を娘の傍に置かない。口にはいれない』

「了解だ」

 浅はかな考えだった。

「てか、お前。マリアにどういう物を食べさせていたんだ?」

 隣の食料物資を手に取る。

 基本的に缶詰が多い。豆、スープ、コーンスターチ、マカロニ、蜂蜜、マスタード、トマトソース、ケチャップやら塩胡椒………あ、瓶コーラがある。粉末卵に、乾燥チーズ、板チョコ、チョコ菓子、エトセトラ、エトセトラ、後、スパム。スパムが沢山。

『マリアは、私が温めたスープが好物である』

「あ、はい」

 他所の食卓について深い詮索は止めよう。

「なあ、品質期限が豪快に過ぎているんだが」

 半世紀以上です。

『私の測定機器によると細菌の繁殖は認められない問題ない』

 コーラの金属キャップをアガチオンで取ろうとして、中々上手く行かない。

 トーチが小指を出す。栓抜きになっていた。昔の映画みたいに瓶コーラの蓋を取った。キャップは指の中に入る。

 久々のコーラを一口。

 シュワシュワとした口当たりに、甘みと清涼感が喉を潤す。

 あ゛ー地球の味だ。

 さて、朝飯作るか。

 新品のまな板に兎を置く。新品のキッチンナイフを手にした。

 まず、下ごしらえ。頭手足羽を切断、内臓を取り出して、包丁の裏で叩いた後、大まかな骨と肉をバラす。肉に塩胡椒を揉み込み、しばらく放置。

 鍋に水を汲んでくる。兎の肋骨、手足、羽、脂身を入れてトーチに持たせ、火にかけた。

 調味料を作る。シンプルで、蜂蜜とマスタードを同量混ぜた。

 缶詰を漁る。

 コンソメスープと、豆、………スパムを手にした。頑張れば美味くなるはず。苦手意識は良くない。

『マリアは、豆は嫌いである』

「なるほど」

 よし、入れよう。

 ちょくちょく鍋の灰汁取りをしながら缶詰の豆を潰す。子供は、形を誤魔化すと苦手な物でも食べてくれるのだ。うちの妹も、ピーマンが苦手なのに肉詰めにすると食べる。

 スパムを微塵切りにした。僕はこいつが嫌いだ。

 何で、固まったスライムみたいな形しているの? 実は液体なの? 肉なのに………てか、豚肉あるならお前の出番なんかないんだよ! 調子に乗るなよ! 沖縄行け! ハワイに行け! 豚のいない世界に転送しろ! ファック!

 ………………落ち着いた。

 鍋の様子を見て、灰汁を取りつつ、骨周りの肉を削ぎつつ、30分ほど経過。

 味見して出汁を確認。

 良し。

 骨と異物を取り除く。コンソメスープと、潰した豆、憎しみで刻んだ豚肉の出来損ないを入れる。混ぜて混ぜて、完成にしておこう。煮込むと、豚野郎が更にブヨってしまう。

 フライパンにバターを落として兎肉を炒めた。蜂蜜とマスタードを混ぜたハニーマスタードをかける。鼻腔を刺激する匂いだ。

「ん~」

 マリアが目を覚ます。

『おはよう、マリア』

「おはよぉ、ダディ」

『洗顔の時間である』

「鍋置いてけ!」

 鍋ごと移動しようとするトーチを止めた。

 火がしっかり通るまで肉を炒め水分を飛ばす。味見をしつつ、塩を追加。

 完成。

 箱でテーブルと椅子を作り布を敷いて、見栄えを良くする。

 新品の皿に料理をよそって並べた。

 今日の食卓。

 兎のコンソメスープ豆と豚の憎しみ入り。

 兎肉のハニーマスタード炒め。

 65点くらいの朝飯だ。マキナに鼻で笑われそう。

「うわぁ!」

 マリアが小走りで駆け寄って来た。

「何これ! 何これ!」

 テーブルに両手を置いてピョンピョン跳ねる。

 遅れて来たポンコツに膝蹴りして、こそこそと話す。

「お前、マリアに普通の食事はさせなかったのか? ロブス王の所でも、もっとマシな食い物出すだろ」

『毒殺の恐れがある為、ここ以外での食事は禁止している』

「そりゃサルミアッキを美味しいというわけだ」

『栄養バランスは考慮している』

「美味しい食事は心を豊かにする」

『食事が不味い方が軍隊は強い、というデータが存在する』

「そりゃ自分の所の飯不味い言い訳だ」

『アメリカの食事は世界一、の量である』

「日本食は世界一、の健康食だ」

『魚を生のままで食べ、何でも大豆の発酵物で味付けするような食事が、であるか?』

「平均寿命はお前の国より上だ」

『数の相対性が問題である。小国相手では何の参考にならない』

「そもそも、お前。異世界人じゃないのか?」

『心の15%は、今も合衆国に捧げている』

「微妙な愛国心だ」

『心とは、時間と経験により変動する数値である』

「戯言だなぁ」

「ソーヤ! 早よ! 冷める! 冷めるではないかっ!」

 テーブルに着いたマリアが僕らを急かす。

「はいはい」

 僕も席に着いた。こりゃ妻というより子供だ。

「ほら、トーチ」

 カップを差し出す。

『これは何であるか?』

「砂糖水。うちのA.Iはこれを飲んでいたが、お前もじゃないのか?」

『水溶脳の維持には、まだ必要ではない』

「不要でないなら飲め。家族は全員一緒に食事をするものだ」

『理解した』

「ダサい受け答えだぜ」

『質問。ダサいとは何であるか?』

「お前の音声を玄田哲章さんに変更したら教えてやる」

『質問。玄田哲章さんというのは』

「飯!」

 マリアが怒るので話を切り上げた。

『マリア、お祈りを』

「もう! 冷める! 主よ――――」

「いただきます」

 手を合わせて、冷めそうなのでさっさと食べようとする。スプーンでスープを掬おうと。

 何故か、マリアに凝視されている。

「ダディ、妾もそっちで良いか?」

『日本式の食前の祈りは神への深い配慮が』

「こっちは食に関わったモノ全てに感謝しているんだ。神様も入っているよ」

「いただきます!」

 いって早々、マリアはスプーンでスープをガツガツと搔き込む。お行儀が悪い。

『仕方ないのである。いただきます』

 トーチはポットの装甲をスライドさせて、水溶脳の容器を露出させる。

 マキナと同じようにストローが伸びて砂糖水を啜り出す。

 僕も、ちょっとぬるくなったスープを口にした。旨みは出ているが、思ったよりも塩味が利いていない。ああでも、豆と一緒にスパムを噛み砕くと丁度良い塩梅に。

 続いて、ハニーマスタードの兎肉も。

 あ、うまっ。

 マスタードの酸味と辛さが先に来て、噛んで行くと蜂蜜の甘みと肉の味が口に広がる。

 これ、エアは絶対喜ぶ味だな。お土産にマスタードを持って帰ろう。いつ帰れるか分からないが。

 マリアは、兎肉で頬を膨らませてリスみたいになっている。

「~~~!」

 あ、ちょっと詰まった。

 コーラをコップに入れて渡した。一気飲み、炭酸に咽て咳き込む。涙目である。

「シュワシュワして、辛くて甘い。大人の味だな!」

「せやね」

 口に含み過ぎるのは子供のする事だけどな。

「肉、僕の分も食べるか?」

「食べるぞ!」

 嬉しそうに食べるのであげる。ちょっと、食欲がないのだ。

 兎肉を一人で平らげ、スープも何杯もおかわりして、マリアは満足そうにお腹をさする。

「マリア、食事が終わったら『ごちそうさま』だ」

「うむ、ごちそうさまだ」

「はい、お粗末様」

 マリアはきちんと手を合わせていう。

「たは~、結婚とは美味しいものなのだな」

 スープ、空になったよ。この細っこい幼児体型のどこに入ったんだ? 子供が沢山食べるのは良い事だが。

 皿をまとめて僕は川へ洗浄に。マリアはトーチに抱っこされて横になる。

 冷たい水で洗い物をしながら色々考える。

 まず、お昼はどうしようか。

 大量にあるスパムを少しでも片付けたい。棒状にカットして、コーンスターチと粉末卵を塗して揚げる。スパム入りのアメリカンドッグを作るか。

 この皮肉。トーチに通じるか? 海外だと違う名前だっけな。

 後は、戦争の話。ダンジョンに潜るかどうかの話。

 ちょっと家族ごっこしたが、その程度では情は移らない。

 僕が大事なのはラナだ。それとエアにランシール。シュナにベル。

 体は一つしかない。それで既に五人を守ろうとしている。今でも無理くさいのに、更に何かを請け負ったら、何も守れなくなる。

 僕の弱みと強みは、己の小ささだと思っている。

 太陽に近づくような無謀な事はしな――――――昨晩しました。しましたね。たぶん、妹に説明したら助走付けて殴られると思う。

 獣の相手だけでなく。百戦錬磨戦士達に啖呵を切りました。

 あれは、よくない。

 熱に浮かされたとはいえよくない。

 陛下の為だったとはいえよくない。

 反省だ。改善しよう。仮に次もやるなら、もっと簡単に勝てるようにしないと。

 よし反省終了。

 無茶はもうしない。しても彼女達の為、右大陸に帰る為。それに限る。

 聖堂に戻ると、マリアはトーチに抱っこされベタベタに甘えていた。

『ソーヤ、昨晩の続きである』

「僕もだ」

『こちらの要望は一つ、ダンジョンに潜れ』

「嫌だ。僕にはもう、ダンジョンに潜るメリットがない。デメリットだけだ。無駄な事に命は賭けられない」

 あそこに、僕が熱くなるものはない。

『貴公は、矛盾だらけである。生命に関する危険なら、昨晩自ら進んで行っている』

「ダディ、それは違うぞ」

 マリアが僕を弁護してくれた。

 子供の顔ではない。王者の顔つきである。

「ソーヤは、忠誠心の為に命を賭けたのだ」

『ダインスレイフ王の為であるか? 数日で忠誠心が生まれるとは思えない』

「こやつ自身の欲求への忠誠心だ。教義、信仰、蒐集、矜持、自分の趣味に合ったモノに狂いたいという欲求。騎士道とは遥かに違う、歪な死生観。

 名誉や、金銭など全くの無頓着だろう。

 安っぽい一般的な価値観を語るが、実の所そんな物どうだってよい。自分が、ここで命を賭けたい。ここで、こう死にたいと思うから戦う。簡単に、命を捨てる。

 ソーヤ、お前は“根が狂っている”のだ。

 この大陸の蛮族達よりも、度し難い狂気を持っている。

 忌血の獣とは、呪いの塊だ。呪いとは情念である。

 それを解ける者、倒せる者は、俗に英雄と呼ばれる人の羨望と名声を集めた者。そうでない者には獣は倒せない。狂気は獣に飲まれる。正気では獣に足りぬ。凡夫の矜持など踏み潰される。

 ソーヤ、お前は英雄ではない。英雄は、そんな薄暗い物を抱えてはいない。しかし、ただの英雄の臣下が、英雄に勝る所業を行ったのだ。狂気を孕んだ者のくせに。

 トーチ、一つ教えてやろう。矛盾と狂気は、似ているが決定的に違う。

 ソーヤ、妾に正直な所を聞かせてみよ。その女の事なぞ、本当はどうだってよいのだろ?」

「違う。僕は、ラナを愛している」

 これだけは間違いない。

 だからこそ、下らない闇の奥底になど興味はない。

「いいや違う。違うのだ。妾はこういう者を知っている。千年変わらず、血に愚かさを持っている者達だ。だからお前を、妾の夫にした。世界を滅ぼすに相応しい伴侶だ」

 絶対に違う。

 真実としても、僕がそう思う限り違う。否定してやる。

 マリアは似ているが、ミスラニカ様と完全に違う所がある。ミスラニカ様は狂相を浮かべながら、世界を滅ぼすなどといわない。あの人は、悲しそうな顔でそう呟く。

 後、一つ気になる事が。

「マリア、お前は僕がダンジョンに潜らなくても良いのか?」

「………………あ」

 完全に頭の中になかったらしい。

『マリア、ダンジョン五十六階層の秘密は、あなたの幸せと同じくらい。私の『悲願である』どうかソーヤを説得して欲しい』

「ソーヤよ、ダンジョンに潜るが良い」

「嫌だ。離婚するぞ?」

「うう~ん」

 マリアが頭を抱えた。

「では、妾が………ソーヤの子供を産んでやろう」

 すまん、僕は君の事を完全に子供としか認識していないので欲情できません。

 今は。

「僕がダンジョンに潜ったら、死ぬかもしれないぞ」

「それは困る。とても困るぞ」

「いやぁ、僕って冒険者としては下の下だから。獣と戦った時のように戦えないんだよなぁ。ダンジョンって勝手が違うし」

「では、危険な時は妾が地上に戻してやろう」

『マリア、それはいけない。マリアの簡易ポータルは、ダンジョン内では使用できない。他のポータルがある場所では干渉を受ける。予測できない危険がある』

「ええー」

 マリアは、がっかりに声を上げた。

「じゃ僕は、ダンジョンに潜らなくてもいいよな?」

 僕、爽やかな笑顔。

 さて、後はこいつらを利用して右大陸に何とか帰還するだけだ。僕がマリアの夫である以上、陛下の身は保障されている。元々、諸王達には名声が轟いている人だ。新生ヴィンドオブニクル軍においても、不遇な扱いは受けないだろう。

『まて、貴公。質問がある』

「何だ?」

 トーチが性懲りもなく意見をいう。

『貴公は、マキナユニットを機能停止した。何故か?』

「そりゃ、冒険者を辞めて、あの大陸から逃げ出す予定だったからだ。起動したままだと悪用される可能性がある。放置して置けば、企業側から妨害があったかもしれない」

『何故、破壊しなかった? コントロールを奪った時に、マキナユニットの構造を取得したが、意図的に脆い設計になっていた。矢の一本、槍の一刺しでも簡単に破壊できる』

 痛い所を突かれた。

「そ、そりゃあいつらはお前がいう所の戦友だからだ。眠らせる事は出来ても、殺す事は出来なかった」

『なるほど、大尉と同じ心境であるな』

「ん?」

『大尉も、私が孤独にここで朽ちて行くよりは、眠りの中で安らかな死に向かった方が良いと判断した。私を労っての事である。ソーヤ、貴公は恐らく知らないのだろう。マキナユニットには、時限式の爆弾が組み込まれている。企業側が指定した一年という期間に連動した設定だ』

「は?」

 いきなりの情報だが、心当たりはある。

 物資のコンテナに仕込んであった自爆装置。あれは取り外し可能な急ごしらえの装置だったが、同様の物が、マキナに仕込まれていても不思議ではない。

 社長は、技術特異点を持ち込むなと口を酸っぱくしていた。

 対策していないはずがない。

『設計上、外せる部分ではない』

「だ、だが、それが僕の冒険と何の関係が」

『私なら解除できる。貴公がダンジョンに潜れば、であるが』

「………ぐ」

 そう来たか。

『マリアの意見をまとめると、貴公は、自己評価は低いが仲間思いである。自分の損得では戦えないが、他人の損得の為なら戦える。違うか?』

「A.Iを救う為に、A.Iのいう事を聞けというのか?」

『そうである。私は、五十六階層の秘密を解き明かし、元の存在に戻りたい。それが私の欲求である』

「元の存在………」

 A.Iが現代世界に行く前の姿。

 マキナもイゾラも雪風も、器物に押し込められた液体が真実の姿ではない。現代世界に数多存在するA.I達も同じく。

『我々もまた、歪なのだ。私は本当の姿を取り戻して、鉄の体ではなく生物の体でマリアを抱きしめたい。その為にも、貴公にはダンジョンに潜ってもらいたい』

「………………」

 こいつ、次は情に訴えかけてきた。少し揺らいでしまう。

 決めて良いのか?

 ダンジョンに潜るという事は、一人で行えない所業だ。

 僕一人の命なら幾らでも賭けてやるが、他の皆の命が必要になる。

 こんな事で再び僕は、あの薄闇の脅威に立ち向かえるのか? 親父さんのように、誰かを失っても戦えるのか? 他の冒険者のように、誰かの死を乗り越える事が出来るのか? 分からない。分からないな。

 アーヴィンを失った痛みが、今も残っているからこそ答えられない。

 しかしこれは、挑戦しなければマキナと雪風を見殺しにする事になる。

 仲間を助ける為に、仲間の命を賭ける。

 皮肉な矛盾だ。

 重い。賭けるにしてはあまりにも重い。一人では決められない。

「僕は――――――」

『待たれよ』

 苦渋の言葉はトーチに遮られる。

『マリア、デュガンから緊急の連絡である。繋ぐ』

 トーチのスピーカーから、雑音が混ざったデュガンの声が聞こえる。

『―――――えるか。聞こえるか? マリア、トーチ』

「うむ、聞こえるぞ」

 マリアが応答する。

『そこに、ソーヤもいるな? 今すぐ! アシュタリアに向かわせろ! 王城が襲撃を受けた!』

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