<第一章:諸王の大地へ>【04】
【04】
「おはようございます」
「おう、おはよう」
冷たい朝だ。眠れたが、起きたのは早かった。コートを羽織り、レグレを置いてテントから出ると、歯を磨いているザモングラスと出会う。
歯ブラシを投げて寄越された。受け取って、歯ブラシというより木の枝の先を裂いた物だと気付く。江戸時代にこんなのあったな。レムリアには豚の毛で作った歯ブラシがあるのだが。
氷の浮いた水桶から水を含んで歯を磨く。思ったよりしっかり磨けた。
「あの生意気な女が、あんな悲鳴を上げるとは。貴様、中々やるな」
昨夜の事でザモングラスに勘違いされる。
どう考えても嬌声には聞こえないと思うが。
「いや、共通の知り合いがいたので、その事を話しただけです」
「レグレの知り合いだと? まさか、“星の子”をくれてやった小僧の事か?」
「もしかして、シュナが持っている長剣の事ですか?」
それくらいしか連想できない。
「そうだ。変哲のない長剣に見えるが、あれは文化的にも貴重な刀剣の一つだ。冒険者ならヴィンドオブニクルの『三剣のアールディ』を知っているだろう。彼は、エリュシオン建国の八王子に仕えた騎士の一人。その愛剣の一つが、星剣“星の子”。神代から今の世に続き、深帝骨にも劣らない永遠を約束された剣。朽ちず、欠けず、竜に踏まれても砕け――――」
「あれ、一回粉々に砕けました」
「なっ!」
それはもう、粉々に。
「馬鹿な! ルミル鋼でも傷一つ付かなかった剣だぞ!」
「グラッドヴェインという神の、武器破壊と同時に竜狩りを行う加護を使った為に。あ、修復はしましたよ」
「グラッドヴェイン。待て………修復だと?」
「僕は異邦人です。まあ、異邦の技術でちょちょいとして」
マキナがね。
しかし、そんな貴重な物だったとは直せてよかった。修復後の妙な強さは、アールディと関係があるのだろうか?
「貴様、異邦人か」
妙な、敵意を向けられる。哀れみと憎しみ半々な感情。
「今、グラッドヴェイン様の名を聞いたが」
太い声と共に、陛下が大きいテントから馬と共に出て来る。
陛下もデカいが、馬もデカい。この馬、世紀末覇王が乗っていそうな馬である。
「ソーヤ、説明せよ」
「説明というか、グラッドヴェイン様はレムリアにいる神様です。僕のパーティメンバーであるシュナが契約しています」
後、その神の血は、妻と妹に流れている。
「彼女は、元々この土地で生まれた者だ。ヴェルスヴェインの寵児であり、古代の軍神に並ぶ勇猛で精悍な神。急に姿を消したと聞いたが、かの神は右大陸に腰を落ち着けたのか」
二人の娘を追っての行動だ。彼女の名誉に関わる為、口には出来ないが。
「レムリアに神は多く在れど。あれほど美しい神はそういません」
「一度見て見たかったな」
「紹介しますよ。陛下なら、喜んで迎えられるかと」
「うむ、覚えておこう」
ザモングラスが進言する。
「陛下、この者は異邦人だそうです。なれば」
「森か。確かに入れるかも知れぬが、危険であるぞ」
「我らが入るよりは可能性があるかと。どの道、敵が軍を引いたとあっては他に手がありません」
「うむ」
何ぞ?
「ソーヤ、命を出す」
「はい、何なりと」
「愚生らは、見ての通り物資不足だ」
昨夜の晩飯は、僕が漁ったパンとチーズを小分けした物だった。
「敵の物資をレグレに奪わせていたが、黒エルフめは軍を大きく後退させた。あやつの足でも流石に骨が折れるだろう」
王城から分けてもらうのは、無理か。
この人は娘の手は一切借りず戦うつもりだろう。
「アシュタリアの北西には森がある。長く人を遠ざけている禁忌の森である。古き者との契約により、この世界の者は立ち入る事も出来ない。だが、異邦人なら入れるやも知れん」
「分かりました。森に食べ物を分けて貰えば良いのですね」
山菜の知識は多少ある。
土地が違えば、品種も違うだろうが、そこは実食して確認してみるか。
「よいか、数千年の間、人を遠ざけて来た森だ。何があるか分からぬ。好奇心に駆られ忍び込み、帰って来た者はいない。危険を感じたならすぐ引き返すのだ。愚生との臣下の誓い、忘れるでないぞ」
「はい、陛下。ご安心を。冒険者は逃げ足の速い生き物です」
「うむ、良い」
ザモングラスに、ナイフと麻袋が詰まったリュックを渡される。
陛下は馬を撫でると命じる。
「ヴァルシーナ、この者を守ってやれ。危険を感じたら逃げるのだぞ」
ん、その名前って。
「あの、陛下。その馬の名前は?」
「祖父が取り逃した獣人女の名前でな。死に際まで執心しておったわ。遺言で当主が乗る牝馬は全てこの名前にしている」
たぶんそれ、知り合いの母親なんですが。
この土地、奇妙なほど色々な縁があるな。
「では行ってきます」
「うむ、加えていうが危険を感じたら逃げるのだぞ」
「はい、では」
森へ行こうとしたら、ヴァルシーナにコートの襟首を噛まれる。
「え」
そのまま運ばれた。
「ぎ、やぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
景色が恐ろしい速さで流れる。
寒い風が顔面を刺す。目を開けていられない。
僕の悲鳴は強風に掻き消える。
街を駆け、枯れた平原に入り、すぐ森の傍に着く。
ぽいっと捨てられ、顔面から着地した。風の冷たさと、不安定な状態で体を振り回されたので、全身が震える。会いたくて会えない人はいるが、この震え方は違う気がする。
「こ、この馬畜生」
ヴァルシーナが片足を上げる。蹄一つが僕の頭よりデカい。
「運んでいただき、ありがとうございます」
ヴァルシーナが足を降ろす。
危なかった。生命の危機を感じた。いきなり臣下の誓いを破る所だった。
さておき、平原を見ると軍は退いていた。死体は残されていない。壊れた金属の残骸が、朽ちかけた平原の寂しさを演出する。
次に、森を見据える。
遠目から見ていた違和感が確信に変わる。
この森、周囲との季節感が違う。青々とした緑が深く存在している。熱帯雨林のような原始の森が存在している。この気温に存在して良い自然ではない。
はよ行け、とヴァルシーナに背中を小突かれた。
鼻先の一撃だが、殴られたような衝撃。
「待て待て、こういうのは挨拶があるんだ。ケダモノには分からんだろうが」
ヴァルシーナが片足を上げる。こいつ、微妙に人の言葉を分かっている。
相手をしていても進まないので無視した。
手を合わせて、目を閉じる。
祈るように言葉を紡ぐ。
「我が名はソーヤ。異邦からの冒険者。妻神エズスの名を借り、禁忌の森の主に、かしこみ、かしこみ申す。どうか、その声を聞かせたまえ。我らは許しを乞う。我らは許しなくば立ち入らぬ。何とぞ、何とぞ、声をお聞かせください」
適当にいっては見たものの、どうなのだろうか。立ち入る前に断りを入れたのだ。多少の言い訳にはなりそうだが。
しばらく待ってみる。
暇なのかヴァルシーナが僕を小突いて来る。
「あ」
と、今、全然関係ない事が頭に浮かぶ。丁度良いので試して見る。
灰色の空に手を伸ばし、
「アガチオン!」
叫ぶ。
そして名を呼ばれ魔剣が………………………………五分後、来るはずはなかった。だよね。流石に圏外だよね。
さて待つ。
十分経過。
三十分経過。
………………小一時間経過、
暇を持て余したヴァルシーナに襟首を持たれ振り回された。こいつ、いつか馬刺しにしてやる。
すると、
「ん?」
声が聞こえた気がする。
「馬畜生、何か聞こえたか?」
ヴァルシーナは僕を捨て置き、森に進む。
「おい」
先に進ませるのも不味いので後を追う。
踏み入れた森は自然の楽園だった。
背の高すぎる木々。降り注ぐ謎の明かり。苔むした濃色の緑に、生命力の溢れた大きな葉や果実。大きな白い菌糸類の塊。足元には、所狭しと根が敷き詰められ、小さな水の流れをいくつも見つけた。そして、汗ばむほど暖かい空気。植物から生命力が溢れているようだ。
ゲームのパッケージ絵で知った磯野宏夫という画家の絵に似ている。
力強い自然、しかし人が生きにくい空間。
そんな中を進むと声が近づいて来る。
綺麗な澄んだ声だ。必死に何かを訴えかけていた。
ヴァルシーナが駆けだしたので、必死に後をつける。
乱暴な馬だと思ったが、自然を傷付けないように進んでいる。
辿り着いた所には、小鹿がいた。
Yの字に生えた若木に胴を挟まれ、そこから逃げ出せないでいる。抵抗したのか腹から血が滴っていた。
先に着いたヴァルシーナが鹿と鼻先を合わせて、意思疎通していた。
馬の目が『貴様、何とかしろ』と僕を見る。
ナイフを持って近づくと、小鹿が悲鳴を上げて暴れる。
「どうどう」
おどけて敵意を見せず、さっさとナイフで木を切る。だが、細い若木なのに切断できない。刃が立たない。普通の木の繊維密度じゃない。
仕方ないので、片方の幹をヴァルシーナが、もう片方を僕が持って、開いて木を下げる。ようやく隙間ができて鹿が解放された。
脱兎の勢いで僕らから離れる。
そのまま逃げ去るかと思ったら、視界ギリギリで踏みとどまった。
チラチラ見て来る。
こういう時は、変に動かないで様子見だ。
ヴァルシーナは、呑気に草を食ってる。
野生の動物なのであまり目を合わせないよう。驚かせないよう。気長に待つ。
まあ、鹿の機嫌とっても無意味な気がするけど。
ヴァルシーナが僕を小突き回す。
本人? は軽くしているつもりだろうが、蹴り入れられているような衝撃だ。
何故か、鹿が戻って来た。
馬の方は僕の腕に鼻面を寄せる。
「え、なに?」
手を出せ、といっている気がしたので、手を差し出すと『んべ』と咀嚼された草を吐き出される。軽い怒りが湧くが、たぶん、鹿の傷に塗れといっているのだろう。
鹿の方も、大人しく身を任せた。腹の傷に草を塗りたくる。
終わると、鹿は首を何度か下げて森の奥に向かう。ヴァルシーナが後に続くので、僕も歩みに合わせる。
更に、緑の奥へ。
方角は確認しているが、帰れる自信がなくなってきた。
大きな川が流れていた。極彩色の鳥が飛んでいる。見た事もないような大蛇と目が合った。
空の高い位置には枝葉の天蓋。隙間から見える星は、錯覚だろうか?
外の世界と明らかに違う次元。
別の惑星にいるような感覚。
鹿と馬を追い、川に沿って歩く。
新緑の迷宮の奥の奥へ。
途中いくつか食べられそうな山菜を見つけた。しっかり場所を記憶しておく。
更に奥に進むと『クク、ククククッ』という声。鳥かと思ったら、茶褐色のカエルだった。川に大量にいる。しかも、デカい。人の頭くらいのサイズ。だが、鈍い上に警戒心がない。川から出てきて、平気に僕らの進行を妨げて来る。邪魔である。
カエルを跨いで先に進むと、意外な人物が待っていた。
不自然にぽっかりと開いた場所に、年老いた女のエルフが一人。
エルフは不老長命の種族だ。その真実は、老いるより前に身体が衰弱して死ぬ。老いるほど長く生きた個人は相当珍しい。軽く見積もっても、千年単位で生きている事になる。
いや、それよりも何故ここに人が?
鹿が老エルフに寄り添う。
「この千年、森に招かれた者は、あなたで十一人目。異邦の者よ、何の用があって禁忌の森に足を運んだのですか?」
「あの、山菜を分けてください」
「………………ん?」
老エルフが困った顔をしている。
「できれば果実と、キノコも」
「待ちなさい。ここには、人知を超えた神代の秘宝や財宝が眠っています。それを求めるが為に、来たのではないのですか?」
ここにはそんな物があるのか、でもいらない。過ぎた力は身を滅ぼす。今持っている力だけでも扱いに困っているのに、これ以上抱えられるか。
「違います。食料を分けて欲しいだけです」
「まさか、森を一つ食い尽くすような要求を?」
「四人と、この大きい馬の分だけで」
老エルフの『こいつ、何いってるの?』という顔付き。
しまった。礼儀を忘れていた。
「あ、そうですね。働きます。僕が出来る事なら何なりと。その対価として食べ物を分けてください」
「………少し待ちなさい」
老エルフが鹿を連れて少し離れる。
え、これはどういう事かしら? 後で騙すつもり? 山菜要求とか………うそん。
そんな声が聞こえてくる。
何故か、馬も相談に参加する。僕一人蚊帳の外である。
うんうん、と頷く老エルフ。横顔を見て、若い時はさぞかし美しかったのだろうと思う。今も美しいが。
エルフと動物達の相談が終わる。
「本当に食料で良いのですね?」
「あ、はい」
「欲の浅い人だこと。来る途中に、カエルと出会ったでしょう? あれが増えすぎて困っているのです。主食にしていた蛇がいるのですが、カエルが大きくなり過ぎて蛇が食べる事ができず。毒を持っているので、他の生物の害にもなっています。駆除しなさい。成功した暁には、人が食べられる物を与えましょう」
「はい、そんな事で良いのなら。あの、カエルは食べても良いでしょうか?」
「聞いていなかったのですか。毒ありますよ。死にますよ?」
「そこは、試してみないと何とも」
「変な人。お好きにしなさい」
「では」
約束通りにカエル駆除だ。
生息地帯に移動して、カエルを一匹捕まえる。
毒がどういう種類の物か確かめないと。この手の知識を、イゾラから聞いておいて良かった。
左手の小指で、カエルの皮膚を触る。最悪、切り落とす事を覚悟して。
刺激も痒みもない。痺れるような感覚も何もない。
皮膚に毒は持っていないようだ。
なら、と両手でカエルを持って色々と確かめる。
やたら大人しい。されるがままだ。しかし毒を飛ばされる危険性もあるので、なるべく背後から触る。
全身にイボがあり、特に目の端に大きなイボがある。そこを押すと白い液体が出た。
これが毒だろう。
サイズは全然違うが、こいつヒキガエルなのかな?
死んだ爺さんが昔食べたといっていたけど、行けるかな。
「よし」
リュックから麻袋を取り出す。
カエルの両足を持ってフルスイング、近くの岩にカエルの頭を叩きつける。
ナイフで切り込みを入れて皮を剥ぐ。力は必要だったが、思ったより綺麗に剥ける。食えそうな手足を切り落として麻袋に入れた。
まだ心臓が動いている胴体は、どうしようか。埋めれば良いのだろうか?
鹿が傍に来て鼻先で離れた岩を指す。
蛇の親子がこっちを覗いていた。
胴体を彼らの口くらいのサイズに刻んで置く。これで皮も合わせて処分してくれるだろう。
さて、これからは根気と体力の世界だ。
カエルを解体して行く。
コートを脱いで馬に掛ける。労働に額から汗が伝う。だが、不思議と疲れはない。森から生命力を貰っているようだ。
殺すのは大型のカエルだけで、小型の物は放置した。
毒があるとはいえ、本当に呑気なカエルだ。仲間が目の前で解体されているのに、気にせず僕の周りを跳んでいる。
手慣れてきて、手早くカエルを解体できた。カエルを捌くバイトがあるなら、僕は高給取りになれるだろう。
持って来た麻袋がカエルの手足で一杯になった。生命力が強いので、袋の中でもピクピク動いている。不気味だ。
ふと、時計を見てみて驚いた。
八時間も経過していた。
これは早く帰らないと陛下に心配をかける。
「あ」
大型のカエルがいない。これは、駆除完了なのかな? ちょっと時間の感覚がおかしい。作業を開始して一時間くらいの気分だ。
気付くと、鹿がいない。馬はいる。
馬の鞍にカエル肉を括り付ける。一日三食、四人分として、あ、陛下は三人前計算で、十日くらいは持つと思う。後は、他に貰える食べ物次第か。
澄んだ鹿の声が聞こえた。
呼ばれている気がしたので老エルフの元に戻った。
「あなた、本当にカエルを駆除するのね」
「え、はい」
変人を見る目だ。何故だ。やる事をやっただけなのに。
「戦乱と勇士の世界で、人が求めるモノは常に力でした。山菜を寄越せと言ってきたのは、あなたが最初で最後でしょう」
「仕える王が空腹では、何事も立ち行かないので」
えっ、と老エルフの小さい声。
「あなた、王ではないのですか?」
「一般人です。一般的な冒険者です」
「おかしいですね。王の資格がないものは森に入れないはず。こんな事、千年なかったのに。………ああ、可能性が前後したのかしら」
なんのこっちゃ。
「どんな事にも例外はあるのでしょう。山菜を求めし者よ。食材を受け取りなさい」
鹿の傍に食材がどっさり。
「こ、これは!」
テンションが上がる。
巻藁のように束ねられた大量の山菜。ざっと見た感じで、ゼンマイ、ノビル、モミジガサ、ホースラディッシュ、行者ニンニクもある。後、椅子にできそうなドデカいマッシュルーム。
「うっわ」
それに岩塩だ。バスケットボールくらいの岩塩がある。昔のアニメでいっていたが、塩がないと人は戦えないのだ。つまり、これで陛下は戦える。
草で編まれた籠の中には更に色々な物が、軽く揉んだだけでも油が出る木の実に、味のアクセントにできそうな香草、果物は大きいアケビに木苺とリンゴ。
用意された食料は、まだまだある。全部はとても見ていられない。
いそいそとヴァルシーナに全部積む。伊達に大きい馬ではない。かなりの大荷物だがびくともしなかった。
「大変助かります」
「カエルがいい加減うるさかったので丁度良いのです。もう一度聞きますが、本当にこんな物で良いのですか? 人が生きる為に便利な物もあるのですよ」
「これ以上、頂いたら申し訳ないので大丈夫です」
過ぎた物は持たない。僕の鉄則だ。
それで今まで上手くやって来た。
「では、もう行きなさい。ここに長く居すぎると、あなたも森の一部になってしまいます」
「はい、ありがとうございます」
頭を下げて、お礼をいう。
不安だったが、これで陛下の役に立てる。
頭を上げて老エルフを見ると、そこには誰もいなかった。代わりに、巨大な木が一本立っている。天を貫くような巨木だ。
もう一度頭を下げて去る。
帰る僕らを、巨木と小鹿がいつまでも見守っていた。
出口は近かった。
鹿と散策した十分の一くらいの距離。
たったそれだけの距離で、森の外に出た。寒さに一気に体温を奪われる。ヴァルシーナに掛けたコートを羽織った。
狐に化かされたような気分。
だが、物はしっかり残っている。木の葉に変わる様子はない。
変わった経験をした。
パーティの土産話が一つ出来た。一番は、陛下の戦う様だが。あれは口でいっても信じてもらえないだろう。
帰り道はヴァルシーナが歩みを合わせてくれる。
いけ好かない馬と思っていたが、共に変わった経験をしたので友情が生まれた。
と思っていたのだが、
「待て」
ヴァルシーナが僕の襟首を噛む。
「それはやめっ」
また風の中に悲鳴が流れる。
荷物を積載してバランスが崩れたのか、前に運ばれた時より乱暴な移動だった。
全身を振り回されて、眩暈を覚えながら帰還。
「ふん、早かった………………なっ?!」
ザモングラスが僕らを見て驚く。
何だこのリアクション。
「ソーヤ帰ったか。驚いただろう? しかし、アシュタリアの臣下なら誰でも経験する事だ」
陛下が背を向けて武器の手入れをしている。こういう事は自分でやるのか、王としては意外だが武人としては正しい。
流石です、陛下。
「あの森は………………馬鹿な」
振り向いて陛下も同じリアクション。
「すみません、お待たせして。カエルを捌くのに時間がかかって」
「何をいう。出て行ってから、さして時は過ぎていない」
あれ、そういえば日の高さが変わっていない気がする。相変わらずの灰色の空で判りづらいが。森に居た間は、時間の経過が遅かったのか?
「そなた森に入れたのか」
「え、はい」
ヴァルシーナから食料を降ろす。カエルの手足はまだ動いている。うわい、新鮮。
「それが真なら、記録に残っているだけでは、ヴェルスヴェイン以降二人目になる。森の中で、一体何を手に入れた?」
「だから、これです」
山菜、果実、木の実、カエル肉、その他である。
ザモングラスに凄い剣幕で迫られた。
「禁忌の森には、人が手にすれば人界を変える秘宝が眠る。触れれば人知を超える叡智が眠る。貴様、それらを無視して山菜なぞ採って来たのか!」
知らねぇよ。
「先にいえ。というか、あんたが取りに行けばいいじゃないか」
「………こ、このっ」
歳なのか、お爺さんがキレかける。
「その無欲故に入れたのかもしれぬな。ソーヤよ、アシュタリアの臣下となった者は、皆あの禁忌の森に入ろうとして追い返されるのだ」
「ザモングラスと、レグレも?」
「うむ、追い返された。王に仕える者は、時として王の荒誕に付き合わなければならない。例え、人の域を越える無謀であってもだ。それを教える為に、伝統的にあの禁忌の森に向かわせる。そして追い返される。つまり臣下の、通過儀礼だ」
「なるほど」
ザモングラスを見て、にっこり笑う。ブチっと怒りを返された。
アーヴィン、君の師匠って気持ちが若いね。
「しかし、愚生の臣下に森に入り、生きて戻る者が現れるとは」
「持って来たのは山菜ですがね」
ザモングラスがいちいちチクチクしてくる。
「飯の準備しますね」
無視。とりあえず、飯だ。
「待て、ソーヤ。男の身でありながら飯の準備を出来るのか?」
「しますよ。冒険者としていつもしてますし」
趣味ですから。
ザモングラスが口を開く。嫌味をいわれそうだと思ったが、
「程度は知らんが、レグレよりはマシだろう。あれの料理は、料理といいたくない次元だ」
意外に擁護してくれた。
「レグレは、あれは色々と、うむ」
陛下も思い出して嫌そうな顔を浮かべる。レグレのおかげで、僕の料理のハードルが下がった。
テントから調理器具を借りる。
火は、暖に使っている木炭を入れた篝火がある。
まず、下ごしらえ。
カエル肉を井戸から汲んで来た水で洗い流す。毒が付着しないように気を付けていたが、万が一という事もある。
全部を洗ったら、大鍋に全部ぶち込み、削った岩塩と水を入れた。よくわからない香草もついでに入れた。肉はしばらく放置。
灰汁抜きが必要な山菜も別の鍋に入れて水にさらす。
種類も量が多いので、何を調理しようか迷う。贅沢な悩みだ。
フライパンの上に油分を多く含んだ木の実を置いて潰す。荒っぽいやり方だが、思ったより油が出た。実自体は、炒めれば食えるのだろうか? 後で取り除く事も視野に入れる。
行者ニンニクを洗って刻む。
フライパンに入れて、火にかけてじっくりと炒める。この手のやり方は慣れたものだ。
油に匂いが移ったら、塩水に浸けておいたカエル肉を取り出す。
改めて見ると、大きい手羽先みたいだ。
強火にして炒める。
中々良い匂い。ちょっと焦げ付くくらいに両面焼きにした。
味見………カエルとか初めて食べたが、通説通り鳥みたいだ。
肉の生臭さは行者ニンニクが消している。味わいは淡泊だな。煮込んだりしたら良いのだろうが、時間がない。岩塩を削り、適当な香草を齧りながら、混ぜて調味料を作る。シンプルだが、味付けはこれでいいか。
もう一度味見………及第点かな。
他のカエル肉もじゃんじゃん焼いて行く。
同時に、別のフライパンで付け合わせを作る。ドデカマッシュルームとホースラディッシュを刻んで塩炒め。後、生でいけそうな山菜を塩で揉んで、軽くお湯に通す。水で急冷して、果物を添える。
料理を置く皿は高そうであった。一枚、金貨5枚はしそう。
ザモングラスがテーブルを用意したので、料理を並べた。
野外で、しかも気温が気温なのですぐ実食してもらう。
「陛下、カエル肉のニンニク炒めと、キノコの辛味塩焼き、禁忌の森の山菜と果物です」
「………………アシュタリアの歴史に於いて、カエルを食ったのは愚生くらいだろうな」
「味はともかく栄養とカロリーはあるので、冷める前にお食べください」
「陛下、お労しや」
傍のザモングラスが苦渋の顔を浮かべる。
陛下が覚悟してカエルを口にした。
バリバリと骨ごと噛み締める。
「ん、普通に食えるな」
「ありがとうございます」
「いや、美味いぞ」
豪快にかっくらい出す。見ていて気持ち良いが、自分の分も含めて他二名の飯も作らないといけない。
「なに、飯?」
フライパンを振っていると、あられもない姿のレグレが起きてきた。
「なーに作ってるの?」
手近にあるリンゴを齧りながら、背中に抱き着いて来る
「邪魔をするな。席に付け」
「え、うん」
睨み付けて離した。
陛下の食事速度が速いので、あんたら二人の分を作るのが大変なんだ。
「元とはいえ、聖リリディアスの騎士の中で、カエルを食ったのは俺くらいだろうな」
ザモングラスは文句をいいつつカエルを食べる。
不味そうな顔はしていない。
「カエルか、昔よく食べたけどさ。………あれ、これ美味いよ。今まで食べた中で一番美味いカエルかも」
レグレには好評だった。
この人達、食べる。
特に陛下は食べる。冒険者三人前は食べる。つまりは、普通の人間の六人前くらいだ。
ともあれ、人の役に立てるのは楽しい事だ。相手が超絶強い人で、趣味に合った王様であるから尚更。
作った先から食われて行くので、自分の分を作れたのは食事の終わり始めだ。
「ソーヤよ、満足である。馳走で腹を満たしたのは、いつ以来か」
「ありがたき言葉、感謝であります」
陛下はご満悦だ。
物資がないといっていた割りに、酒はあるらしく三人揃って飲酒している。
カエル肉、思ったよりも悪くない。腿は特に美味しい。カレー粉入れて唐揚げにしたかったな。妻や妹に食べさせようとは思わないが。
「そういえば」
と、食べ物の話題を振る。
「陛下、レムリアにも左大陸の小麦が流通したのですが、ここではどういう食べ方を? やはり焼いてパンにするので?」
「こう、布のように伸ばして各々旗印の紋様に型でくり抜いてスープと共に茹でる」
「なるほど、レムリアでは細く糸状にして食べています」
「変わった食べ方をするな。あの小麦は、左大陸小麦と銘打っているが、この大地で育った物ではない。見ての通り、この大陸は寒い。暖かい時期は短い。だが、大陸南部の海域にあるディルランズ列島。そこは常夏といって良い地域だ。自然も作物も豊富で、しかし住む連中は呆れるほど戦に弱い。
つまり、左大陸小麦とは連中の献上品だ。その証として、旗印の形にする。
ディルランズは、小麦で諸王から平和を買っているのだが、最近は、特に黒エルフに組みする諸王は、その小麦に手を付けず送り返す者が多い。余った小麦が、どうなっているかと思っていたが、他所の大陸に流通しているようだな」
「かなりの量が流れています。場所によっては食料の形態が変わるかと」
「不思議であるな」
陛下は、アケビを皮ごと頬張り、酒をぐびりと飲む。
「黒エルフは、組みする者に何を食べさせているのだ? よもや、魔道の術で怪しげな食い物を作り、連中を洗脳でもしているのか」
「へいかー、忘れていたんだけどさ。これ、連中のテントで盗んで来たんだけど。もしかして、食べ物かも」
レグレが、椅子を倒しながら後ろの物資を漁り、ある物を取り出す。
銀色で筒状の、
「嘘だろ」
缶詰だった。
材質は鉄をスズでコーティングした物だろうか。しっかりと密閉されている。
この異世界の鍛冶の技術では製造可能だが、アイディアがない。
偶然に作られた可能性もあるが、これの出てきた相手が黒エルフという謎の勢力。
単純に連想できるのは、僕と同じような奴。前例は見た。同郷の古い人が、植林で神様になっていた。
「陛下、黒エルフなる者に従う連中って、どれほどいますか?」
「左大陸の諸王の旗は24ある。内、黒エルフに従うのは14の旗。エリュシオンに従うのは6の旗。軍の数は諸王によってマチマチであるが、少なく見ても30万の軍勢だな」
しかし、規模が違う。
考えたくないが、異邦人が軍を率いている可能性がある。もしくは、僕のように仕えているのか。
ザモングラスが説明に補足をしてくれた。
「諸王は多くいれど、内に四強と呼ばれる諸王がいる。ヴィンドオブニクルにも名を残す、勇猛の王デュガン・シュテルッヒ・ホロビ・ロブス。
最も若く蛮勇な王ラ・ダガ。
傭兵の王ガーシュパル・ヨハン・ヴァイマッフェッ・クルトルヒ・ローオーメン。
そして、ヴェルスヴェインの秘子、武の極致の体現、魔獣の如き巨大馬を半身のように扱う騎手。槍の腕を振るえば軍が散り、剣を持てば竜が去る。次代の軍神を目される希代の王、ラ・ダインスレイフ・リオグ・アシュタリア。この四強たる諸王は、誰にも組みしていない」
「流石です、陛下」
陛下の肩書に僕は拍手した。
てか、僕みたいのが一時的とはいえ臣下で良いのだろうか?
「ま、愚生の国はご覧の有り様だがな!」
陛下の自虐ジョーク。
すみません、笑えません。レグレですら、ばつの悪そうな顔をしています。
「ザモングラス様、これ切ってもらえますか。上の部分だけ」
「おう」
缶詰を差し出す。
残像のような銀の一閃が過ぎた。剣が鞘に収まる所だけはしっかり見えた。
缶詰の上部は外れる。綺麗な切り口である。
中身は、スパムに似ているピンク色の肉。匂い。
「食い物か、それは?」
陛下の反応は、カエル肉を見た時よりも悪い。
フォークで塊になっている肉をほじくり返して、口に運ぶ。
「………………まず」
不味かった。
色々と不安になる味だった。
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