<第三章:狂階層のロラ>4
途方もなく広い、鐘のような天井の高い空間。聖櫃のような石棺が並び、その上には冒険者の得物が捧げられている。
石棺は無数にあった。見渡す限りに並んでいる。百や二百、いや千、万以上。
遠く視界の先、敵と女を見つける。
靴を脱いで、中腰で石棺の影に隠れながら進む。
山刀の血と脂をポンチョで拭う。刃こぼれがひどく状態が良くない。右手の山刀を握り直し、カランビットを取り出し左手に持つ。
最後の詰めだ。しくじるな、焦るな、だが急げと体を動かす。
『ソーヤさん。進言します』
メガネに雪風からのメッセージが表示される。
『現在地をパーティの皆様に伝えました。戦闘は待ってください。危険です』
近づくにつれ、心臓が高鳴る。
墓所の一角、丸く開けられた空間。
ふいに思い浮かんだのは手術室だ。
新しく裂かれたローブと下着、装飾品、杖が転がっている。他にも壊れた道具や、年代物の装備が散らかっている。床には血の染み。
ラナの白い肌が見えた。
全裸で、分娩台に似た寝台の上に彼女の体は置かれている。両腕と両足は伸ばした形。
眠っているようだった。
良い夢を見ているような穏やかな顔。
頭の傍に、おぞましいロラがいる事にも気付かず。
薬か、魔法か、人の抵抗を奪う手段をこいつは持っている。
闇を溜めた瞳で、ロラはラナの体を見つめている。長い爪が肌の上を這う。
爪先が突起に触れる。
あっ、と小さく漏れる声。
噛み締めた奥歯が砂利のような音を立てた。
まだ、だ。
耐えろ。
もう少しで完全な死角に移動できる。
一撃で決める。
こいつは一撃で決めないといけない。決して逃がすものか。
親父さんの勘は当たっていた。
30年、いいや、もっと長く冒険者を欺いて来たモンスターが、僕の存在に気付いていない。
左斜め後ろ。そこに移動した。
もう少し、ほんの少しで。
あ、
と。
半開きの石棺を見てしまった。
見つけてしまった。
エルフの半身像だ。甚振られ弄ばれ、痩せ細り枯れ干からび、絞り殺された。
ラナの未来を幻視して、激情と破壊の意思で影から飛び出す。
低く、限界まで身を低く、そして速く。一撃で。
殺す。
血が大きく飛び散る。
赤い飛沫がラナの頬にかかる。
「ぐ、が」
振り向き様のロラの爪腕が、僕の左肩を貫いていた。
詰めをしくじった。
最後の最後に精彩を欠いた。気配を殺し損ねた。しかし、これでも良い。
「お前を」
あえて、前に出る。爪を根本まで肉に食い込ませる。うるさい自分の悲鳴と叫び。
カランビットの刃をロラの腕に突き刺し食い込ませる。かぎ爪状の刃は簡単には離れない。互いの片腕を封じた。逃がす事を封じた。
「お前を、追っている人を知っている」
空いた爪が振るわれる。
山刀で受け止めると、爪は刃を半ばまで砕き食い込む。
「恐ろしく強い冒険者だ。お前を追わなければ栄光を手にした人間だ。今、こっちに向かっているぞ」
悪臭を撒き散らしロラが吠える。
僕は頭を振りかぶって頭突きをかました。
暴れる体に振り回される。寝台にぶつかりラナの体が床に転がった。怪我はない。安心して、ロラと戦う。
お互いに。隠密という最大の手が塞がっている。武器も必殺には程遠い。泥仕合も甚だしい。
山刀が折れた。
構わず振るう。柄で殴り、折れた刃でロラを切りつける。
爪が僕の体を切り刻む。鋭い爪だ。が、こうも密着して速度を殺せば、手足や体を両断できるほどの威力はない。
僕は即死するような攻撃を防ぐだけでいい。血や肉くらい幾らでもくれてやる。
彼らは今もここに向かっている。時間を稼ぐだけで僕の勝ちだ。いいや、最悪でもラナが助かれば大勝利だ。
が。
ぞぶり、腹に何かが刺さる感触。
ロラの体から尻尾のような触手が伸びて僕の腹に突き刺さっている。猛烈な眠気が体を襲う。脱力感と明滅する視界。力を抜けば楽園に行けるような甘い誘い。
唇を噛み締める。
その痛みすら遠い。
まだだ。
開いたミニ・ポットから、ペンタイプの注射器を取り出す。針のない圧力で薬剤を打つ物だ。首に当ててスイッチを押す。
「っ」
常温の液体が熱い体に流れ込む。体温が狂って体が震えた。
劇薬だ。
一時的に痛みを麻痺させ、疲労感を消し集中力を上げる。常用すれば廃人になる。重傷を負った時の緊急措置として用意しておいた。
心臓の音が更に高くなるが、気味が悪いほどに痛みや疲労が消える。
覚める。
迫る爪がやけにゆっくりと見えた。
頭は覚醒したが体がまともに動かせない。できたのは、爪を右肩に突き刺す事。
痛みは遠い。
折れた山刀を突き刺しえぐり込む。
僕は叫ぶ。
思ったよりもロラの体は軽い。近くの石棺に叩き付ける。しかし、体を浮かばせる何かしらのエネルギーが僕を振り回す。
揉みくちゃな乱闘を繰り広げる。
頭を打つ衝撃に時々意識が途切れる。肩の傷から、とめどなく血が流れている。
ロラ。
お前は、生き延びたいのだろう。
僕は、違う。
お前を殺せればそれでいい。
彼女を助けられればそれでいい。それ以外、何もいらない。
だから、お前の負けだ。
ロラと共に床に転がる。僕の傍に折れた山刀の刃があった。それを口で咥え、ロラの首に突き刺す。
熱く、強く、抱擁しながら刃を潜り込ませる。
鼓膜を麻痺させるほどの悲鳴。
このまま、
この、ま、
あ、
ぶつんと切れた。
体に限界が来た。ぐっしょりと体を濡らすのが自分の血だと今更気付いた。気力を奮い立たせるが、意思と体を繋ぐものが断線した。
動かない。
何をどうしても体が動かない。
薬の効果も失せた。単純な理由だ。血が無くなり過ぎたのだろう。
刃はロラの首を浅く切っただけ、致命傷には遠い。
ここまで。
残念とは思わない。
自分なりによくやったと思う。
すまん、と。
目を伏せる。
異世界で出会った仲間達の顔が浮かぶ。楽しかった日常、甘い出会いと温もり、長くはなかったが馳せた冒険の日々。
友の名誉の為、剣を振るった夜。
眼覚めの傍、彼女達がいる朝。
小さい神と出会った夜。
幻のような遠い日々。それはまるで、
僕の冒険はここまでだ。
ロラが、乱暴に、僕の右肩から爪を引き抜く。
最後くらい。男らしく睨み付けて死んでやる。
見据え口を開く。
「最後に一ついいか?」
爪が振り上げられる。
「僕如きに、ここまで痛めつけられるとは。テメェ大したことないな」
落ちた爪が額に突き刺さった。
鈍い音が骨に響く。
ロラの胸から剣が生えていた。
丁度、心臓の位置。背後から容赦なく。
「やっと見つけたぞ」
親父さんが剣を引き抜く。ロラの叫びは哀れな懇願に聞こえた。
返す刃がロラの肩から上を切り飛ばす。
「おい、こんなもんじゃねぇだろう」
親父さんがロラを突き刺す。
何度も何度も、突き刺す。
「こんなもんじゃねぇだろ!」
とっくに事切れた化け物を甚振る。
積年の思いが垣間見えた。
少年の純粋な怒りを感じた。
それを剣と死骸に向ける。叩きつける。やがて、血濡れたロングソードが持ち主の力で折れた。
少し呆けてから、親父さんは元に戻った。
冒険者の父の顔に戻る。
遠くから近づく仲間達が見えた。
「ソーヤ、よくやった。心から礼をいう」
「親父さん、すみませんが。後は、お願いします」
ギリギリに保っていた意識を手放す。
この傷で、僕が生きてダンジョンを出られるかは神のみぞ知る。
ああでも、ちょっとだけ達成感がある。心地良く死ねる。
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