<第三章:狂階層のロラ>3

 走る。

 彼女に辿り着くまで足が持てばいい。心臓が破裂しても構わない。人工知能の指し示す道を、頼りない明かりを携えて進む。

 体の熱さも肉の悲鳴も遠い。

 彼女を助ける事ができれば全てを捧げてやる。

 我が神よ。

 ミスラニカ様。

 僕の命を捧げます。

 どうか、我が願いを。

 ラナを助けさせてくれ。

 どんな犠牲を払ってもいい。

 願い、祈り、山刀を引き抜く。

 目の前には『目』がいる。片足が崩れていた。そのせいで音に合流し損ねた奴だ。

 振り上げられた爪をかい潜り、『目』の喉に山刀を突き刺す。勢いがあったせいで肉の感触は薄い、ゴリっとした骨を貫く感触。乱暴に振り抜いて首を落とす。

 モンスターを直に倒したのは初だ。

 感慨はない。

 そんなモノを感じている暇はない。

 勢いを止めず駆ける。

 何度角を曲がったのか、どのくらいの距離を駆けたのか、雪風の指示に従い走り、邪魔な者は殺す。それだけの事を頭に入れて走る。

 僕は走れた。

 敵を倒せた。

 所詮は常人の域でしかないが、異世界に来た日々が僕を鍛え上げていた。

 嬉しさを感じている暇はない。

 喜ぶのはラナを助けた後だ。

『敵集団、35体。回避を』

「ちっ」

 舌打ちをして敵のマーカーを見ながら通路の隅に隠れる。

 走るゾンビの集団のように『苗』達が駆け抜けて行く。

 心臓の音がうるさい。

 体を休めた事で汗が吹き出た。

 遠くからパーティの戦闘音が聞こえてくる。

『敵、相対距離50メートル。安全であります』

 ラナの位置は止まっている。

 そこまでの距離は200メートルもない。ラストスパートで走り、

 走ろうとしたが、

「雪風、これは何だ?」

 すぐ足を止めた。

 通路は袋小路になっている。行き止まりだ。

『順路は奥様に付着したトレーサーから作成しました。敵は、ここを通過したと思われます』

 壁に取り付く。

 山刀の柄で乱暴に殴り突ける。異常に固い。欠片も壊れない。焦りながらも壁を叩いて、抜け道や、仕掛けを探す。

 ない。

 何も見つからない。

「クソッ!」

 怒りに任せ壁を殴る。

 皮膚が裂け拳に血が滲む。

 手は、何か手が。策が。手段があるはずだ。

「………雪風、パルスを起動させて構造の解析を」

『パルスは、一部のモンスターを呼び寄せます。非常に危険です』

「早くしろッ!」

『了解、であり、ます。………制限区間により機能停止。パルススキャン使用できません』

「なん、だと」

 故障か? 訳が分からない事を雪風がいう。

「表面の光学解析だけでもいい。必ず抜け穴があるはずだ! 早くしろよ! 何だっていい!」

『了解』

 バランスを崩して壁に手を着く。眩暈と焦燥。吐き気に似た焦り。じっとりとした冷や汗が体を湿らせる。

 滑らせた手に違和感が。

 ポンチョで壁を拭う。

 埃と汚れに覆われていた模様が浮き出る。

 魔法陣が現れた。

 いいや、これは違う。

「コス………コスモ、グラフィ?」 

 模様が描かれた円陣、その下に大きくそう書かれていた。途方もない年月に晒されて、欠けて、朽ちつつも、それは“英語”で書かれていた。

『図形に該当するデータあり。十五世紀の数学者。ペトルス・アピアヌス著書『宇宙誌<コスモグラフィー>』より、宇宙の構造図』

 雪風の説明。更に壁を拭って埃を落とす。

 小さい案内板らしき物があった。文字がかなり潰れて僕の目では判別できない。

「雪風、読めるか?」

 ミニ・ポットからの解析用レーザーが板をなぞる。

『完全に消失している箇所が多いです』

「やれ」

 何だこれは。

 何故、異世界にこんな物が? 駄目だ。今は、そんな事に脳を使う暇はない。この先に行く手がかりを見つけないと。

『注釈:偉大なる先人××××此処に展示する。×××思考は決して間違いではなかった。×××宇宙とはつまり、××認識できる範囲××××であり。×××××ひたすらの闇。××××光明を得る為に我々の××帆××××』

 以上です。と雪風の声。

 額の汗を拭う。

「他には?」

『ありません。た―――だ壁が、構造に―――――不可侵領域、の………ラ………』

「雪風?」

 音声に雑音が走る。

 ここに来て故障したのかと絶望に目を開く。

『ソーヤさん。雪風のコア・ユニットを取り出してください。それを構造図の中央部分に』

 音声が途切れ、ミニ・ポットの上部ロックが勝手に外れる。

 呆けている暇はない。

 雪風の指示通り、疑似水溶脳の入ったシリンダーを引き抜く。

 人工知能の生命活動の様なのか、液体には電気的な光の動きがあった。まるで夜空に輝く星々のように。

 コスモグラフィにコアを近づける。

 構造図、中央部分に穴が開く。丁度、コアが入り込むサイズ。

 迷う暇はない。

 コアを入れる。光が走り、図形を浮かび上がらせる。中央のコアが、見知った青い星と同じ色に輝いた。

 重い音。

 厚い扉がスライドする。冒険者を欺き続けた扉が開く。

 先には通路が続く。

「雪風、聞こえるか?」

『はい、デバイスとの機能同期。問題ありません』

 メガネから雪風の声。

「親父さんに位置を知らせろ。僕は先に行く。お前は、ここを開けたままにしろ」

『危険です。合流を待ってから進んだ方が得策かと』

「できない相談だ」

 構わず進む。

 ここは他の通路と様変わりしていた。石畳や石壁の劣化が少ない。翔光石の分量が多いのか、カンテラが無くても見通せる。

 見通せるが地図はない。

 ラナの位置は表示されているが、構造が読めない。

 直線距離では180メートル。

 が、ここは入り組んでいる。行き止まりが多く。まっすぐ目的地に向かえない。

 そして『苗』がいた。

 十字路の真ん中に『耳』が。

 息を殺して近づく。拾って置いた小石を投げ、『耳』に背を向けさせる。逆手に持って山刀を左肩に突き刺す。

 体重をかけた刃が心臓に届く。刃を捻じり器官を壊す。『耳』がどこかに両手を伸ばす。体を押し倒して、念の為に首も刈る。刃をうなじに当てて峰を足で踏み付けた。

 殺した。

 周囲に敵はいない。

 拙い僕の感覚の範囲では。

 足音を殺し、精一杯の速度で進む。

 扉が壊れた部屋。中に現代文明に近い器物が。

 悠長に見ている暇はない。調査など後で幾らでもできる。

 今は一歩でも、早く静かに確実に、気を張り、全ての感覚を総動員する。

 速やかに殺す。それだけしか手はない。一体なら何とかなる。二体以上なら何もできない。

 見つかれば死ぬ。

 僕だけが死ぬのなら良い。

 元々、自分の命に価値など見出していない。だが、僕が死んだ事でラナの救出が間に合わないかも知れない。

 何をしてでも死ねない。

 だから、何をしてでも殺す。

 八体の『苗』を殺した。奇跡的に不意打ちが全て成功した。本質には程遠いが、親父さんの技をコピーできた。

 ラナとの距離は50メートル。

 広い通路に出た。おそらく、この先を進めば辿り着ける。

 荒くなる呼吸を浅く整える。

 不意打ちとはいえ、小さい人型のモンスターとはいえ、肉と骨と心臓を突き刺し、首を刈る作業は重労働だった。

 失敗の許されない重圧。全身の気を張る事も体力を削る。慣れない技に、体の色々な部分が悲鳴を上げている。

 脇腹が痛みで捻じれる。

 心臓が破裂しそうだ。 

 だがそれが何だ。

 手足の一つも捥げていない。

 今日が終わるまで持てばそれでいい。意志で全部飲み込む。傷みも痛みもねじ伏せる。。

 行ける。

 まだ戦える。

 自分の心臓の音と、ひたり歩く足音を捉える。

 角から『口』が現れた。

 走れ。

 体に命令して駆ける。

 敵が詠唱を始めるより速く首を落とせた。

 行ける。

 ここに来て技は冴えている。だがこれは、際の力だ。消える前のロウソクの炎だ。

 長くは持たない。一気に行く。一秒でも惜しい。

 速く早く、しかし静かに音もなく。命を燃やして極致に一歩でも近づく。

 音もなく敵を喰らう、凶手の獣の如く。

 まるでロラのように、

 あいつが生み出した『苗』を殺す。


 そうして、


 辿り着いたのは墓所だった。

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