<第三章:狂階層のロラ>2


「隠れ名の恩寵を」

 矢を番え、弓を引く腕に、微量の魔力を込める。いいや、僕の魔力など受け取らず、手甲に憑いた英雄が狂喜に似た感情を矢に宿らせた。


 見つけたぞ。


 その言葉と暴れる感情に血が沸く。ラウカンの弓が軋む。

 外さない。

 二度も外すものか。

 この一撃で何もかも終わらせる。

 長き因縁に。狩り逃した獲物の最後を終わらせる。

 数百年の時を開け“私”は仇敵と邂逅した。

 無貌の頭部がズルリと剝け、髑髏のような皺がれた顔が現れる。眼窩の闇は無明より濃い。腕の肉を振るい落とし、曲刀のような二爪を現す。

 下半身は霞のように消え、やせ細った貧弱な上半身に、外皮がマントのように漂う。

「皮肉な姿だが、見間違う事はないぞ! ロラッ!」

 私の叫びに、宗谷の仲間と、私の娘達が竦む。

 ロラも、悲鳴にも似た叫び声を上げた。

 そしてまた逃げようとする。

 この国と大地を汚す大蜘蛛を呼び込んだ愚小が、また逃げようとする。

 この塵には、最早理性も知性も残っていないだろう。生き延びたいという妄執だけで迷宮を生き延びた。魔物の生き血を啜り、人の生き血を啜り、私の末の血を啜り! 

 死ね。

 死ね! お前はここで殺す! 理性が戻るまで痛めつけて思い出させてやる! お前が何をしたか! 何の切っ掛けになったのか! そして死ね! 死ねッ! 竜躯喰らいのロラが! 我が母の名誉を喰らった一族の穢れがッ!

「お兄ちゃん! どうしたの?!」

「邪魔だ! 娘!」

 娘が矢を遮る。愚かしい行為だ。それほど宗谷に信を置いているのだろう。矢を番えた相手なら、親でも前に出る事はしない。

 あまりに、愚かしい行為だった。

 最早、同時に貫くしかない愚かさだ。

 例え我が末とて、この妄執を止める事はできない。


 僕は、


 激流の感情の中、自分の体のコントロールを取り戻して矢を逸らした。


 放たれたそれは、矢というより魔法じみた光線の破壊だ。ロラを掠め、着弾した壁を大きく破壊する。

 爆音が響く中、ロラが爪を振り上げ、

 違う。

 エアを攫おうとマントを広げる。

 誰も、

 僕以外誰も見えていない。反応すらしていない。駆け、跳び、弓で爪を殴りつける。

 ロラが笑った気がした。

 二撃、両肩を爪で裂かれる。防刃素材のポンチョがまるで役に立たない。あまく血がしぶく。

 だが、エアに覆いかぶさる事はできた。去り際にロラは僕の背中を裂く。痛みより熱さを感じた。呼気が漏れた。口の中に鉄の味。

「お兄ちゃん!」

「いるな」

 守れた。

 妹はこの手の中にいる。

「ソーヤ! 何だその傷は?」

 シュナを始め、パーティの皆が僕の傷に驚く。彼らにはアレが見えていなかった。だから僕が、急に血を吹き出したように見えたのだろう。

 油断していた。ルゥミディアと因縁のある相手だろうと踏んでいたが、体を乗っ取るほどの怒りと妄執とは。危うくエアを射抜く所だった。

「リズ、治療を頼めるか?」

「問題ない」

 妹に圧し掛かったまま動けない。背中の傷が深いのかもしれない。エアは心配そうな顔で僕の頭を撫でる。

「光を集え、癒し、祈り、願う。我が―――の名の元に」

「ぐっ」

 前に受けたラナの治療ほどではないが、熱と痛みが広がる。背中の肉を傷と共に混ぜられる感覚。肩の傷も同様に。

「完治した」

 痛みは消えた。妹の肩を借りて立ち上がる。

 当たり前だが、裂かれたポンチョと野戦服はそのまま。

「リズさん、といったかしら? あなたこの魔法は? この修復速度。人知を超えているわよ」

「フッ、凡夫には分からない」

「何ですって?」

 リズとフレイが喧嘩腰になる。シュナに傷の具合を見てもらうが、問題ないようだ。

 ふと。

 親父さんが不気味な静寂を湛<たた>えていた。

 ………………え?

「嘘だろ」

 僕は声を上げてパーティを見回す。

 エア、シュナ、リズ、フレイ、ラザリッサ、ギャスラークさん、親父さん。

「ラナ?」

 彼女がいなかった。

『え?』

 親父さん以外の皆が互いに顔を見合わせる。当たり前だ。すぐ隣にいた者が忽然と消えたのだ。僕も覚悟していなかったら対応できなかっただろう。

 エアを振り払って立ち上がる。

「雪風、トレーサーで追尾しているな?」

『しています。申し訳ありません。ソーヤ隊員。機能障害が発生して、奥様の異常を探知できませんでした』

 液晶にラナの位置を表示させる。移動が速い。もう100メートル以上距離が開いている。

「待てソーヤ」

 飛び出そうとする僕を、親父さんが止める。

「見えたのだな?」

「はい」

「分かった、追え。だが、魔力を帯びた品を全てここに置いていけ。再生点の容器もだ」

「メディム、何を?!」

 その提案に妹が声を上げた。

「俺の勘だ。あいつは、魔力を探知する何かしらの方法を持っている。いいか、ソーヤ。ラウアリュナ姫はお前が見つけろ。そして、位置を発見したら俺に知らせろ。敵わない事は今しがた学んだはずだ。戦うな、場所を教えるだけでいい。30年、数々の冒険者を欺いて来た奴の不可視性を、異邦の術と慧眼で見抜け」

「待って、待ってメディム。魔剣もなしにお兄ちゃんは身を守れない」

「安心しろ。俺達が、敵を全て引き受ける」

 遠くから声が響く。ここに集まって来る何かの音が。

 ルゥミディアの矢に呼ばれた『苗』達が。

 更に、親父さんは変わった器物を取り出す。簡単な引き金が付いた、銃の発射装置に見えた。

「この装置の中には、禁制の火薬が詰まっている。押せば、爆音が響いて。恐らくダンジョン中の『苗』をここに呼び出せる。危険だ。すまんが、お前ら覚悟してくれ。生き延びたら、どんな賠償でも受けてやる」

 彼の説明の中、僕はもう準備をしていた。

 魔王様から貰った針を取り出し、ヒューレスの手甲を外す。これでルゥミディアの力は使えなくなった。過去の因縁など、僕の知った事ではない。

 再生点の容器を首から降ろす、ゲトさんから貰った首飾り、矢筒を降ろしてラウカンの弓を置く。アガチオンを持ち、床に突き刺した。

「アガチオン、僕を守るな。パーティを守れ」

 魔剣にそう命令する。

 ラナの位置は更に移動している。600メートルは移動していた。

「お兄ちゃん、使って」

「駄目だ。今からの戦闘で絶対に必要になる」

 妹から差し出されたコンパウンドボウを突き返す。

 これは乱戦時に『口』を射抜く為に必要な武器だ。

「身軽な方が静かに移動できる。安心しろ、エア。お姉ちゃんは必ず助ける」

「わかっているけど! でも………ごめん」

 エアは、何かをいおうとして言葉を飲み込む。

 良い妹だ。僕にはもったいない。

「ソーヤ、任せろ」

「シュナ、頼む」

 彼との挨拶は少ない。男同士の友情は、言葉ではない行動だ。

「行くぞ、口を開けて耳を閉じろ」

 もう時間が許さず、親父さんが引き金を引く。

 爆音がダンジョンに響く。耳を閉じても頭が揺れる衝撃と音。

 わずかな静寂の中、奥から足音とうめき声。白い影が波のように迫る。

「ギャストルフォの名において命じる」

 フレイが杖を床に突き刺し詠唱を始めた。

「我が声に応えよ、我が血に報いよ、これは奇跡なれど神技には足らず。風穴のルテュガン、死色のリ・バウ。並び奉る神よ、我が命に従い、奪え」

 手を合わせ、開くその掌には白い霧の塊。

「この吐息は死の先触れ、命よ飛沫と散れ。ホーエンス・ロメア・ラズネオミア」

 ふっ、と吐息と共に白い滅びが通路を舐め尽くす。

 30体の『苗』が全て凍り付く。

「ラザリッサ、やりなさい」

「はい、お嬢様」

 ラザリッサが前傾姿勢を取る。尻尾が普段よりも大きく伸びていた。それを第三の足として体を発射させる。彼女のタックルが凍り付いた『苗』を吹き飛ばす。

 通路が開く。

 僕の進む道だ。

「行くのです、ソーヤ。あなたは必ず我が友を救うでしょう。だってあなたは、わたくしが認めた勇者ですもの」

 フレイが女神の微笑を浮かべる。

 小さく頷き。僕は駆けた。

 もう一方の通路から『苗』が大量に押し寄せ、背後でパーティが戦闘を開始する。

 もう振り返らない。

 仲間達は強い。僕よりも遥かに。

 だが僕にしか見えない敵がいる。僕にしか倒せない敵がいる。

 ラナを救う。それだけを頭に闇に飛び込む。

 走る。

 走る。

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