<第一章:狂宴の兎>3
緑色の薬効湯は、傷に浸みて少し痛む。
二階層のお風呂場で、ぬるいお湯に浸かって色々と整理する。
これからの事、これからの僕らの冒険。目的をあやふやにしたまま人は命を賭けられない。生きる糧を得るという前提も薄い。
冒険だけが人生ではない。
ダンジョンに潜るだけが生きる手段ではない。
レムリアがそれを許さないなら、別の土地に行く手段もある。
妹と妻を連れて、その日暮らしが出来るかどうかは不明だが、彼女達の為なら何でもできる。そのくらいの男の矜持は持っている。
魚人と商会の繋がりを利用すれば、左大陸への船旅も手配できる。そこで穏やかに暮らす選択肢もある。
仮に、まだこのレムリアで々の尖塔を潜るというなら、絶対に確かめないといけない事が一つ。彼女に遠慮して口にできなかった事だ。今回の事で踏ん切りが付いた。
はっきりさせる。
それが駄目なら、最悪。
「最悪、どうするつもりだ。馬鹿が」
判断するのは答えを聞いてからだ。
「お兄ちゃん、いい?」
「ん?」
妹の声。仕切りが捲れて、ペタペタという足音。
つるんとした裸体が浴槽に沈む。
「えへへ」
「ちょ、おま」
一人では広い浴槽だが二人だときつい。エアの手が僕の敏感な場所に触れる。何度か膝に乗られた経験はあるが、完全に肌と肌の密着は初体験だ。
髪をまとめた妹も新鮮で可愛い。
いや違う。違わなくないが、今考えるのはそこではない。
「エア、どういう――――――」
あ、と。
言葉に詰まる。妹は震えていた。
「さっきのか?」
「うん、ちょっとね」
失敗一つだ。自分の事しか考えていなかった。
エアは、何をして良いのか分からずギクシャクしている。
「いいか?」
彼女の手を取って、僕の胸に耳を当てさせた。昔こんな風にして落ち着かせた経験がある。誰にしたかは思い出せない。
「心音には人を落ち着かせる効果があるとか」
「お兄ちゃんって、心臓の音早いね」
そりゃ妹と裸体で絡み合っているからだ。むしろ今、下に血流が行かないよう必死だ。
「どうだ?」
「静かにして。聞こえない」
黙る。
横になった体勢で足が絡む。一瞬迷ったが、震える肩を見て抱き寄せた。エアの頭に頬を寄せる。なんか、妹の体はお湯より熱い。
今の僕の心境を一言で現すなら、涅槃である。
限りなく澄み切った心でヤらしさの一欠片もない。つまりこれは法に触れてはいない。裸で妹と抱き合っているが、仏陀のような心を以て接しているなら悪行ではない。しかも相手は、偽装結婚した妻の妹だが問題はない。むしろ義理の妹だからこそ問題はない。
ない!
うん、仏教徒にドロップキックくらいそう。無宗教の人間にもボコられそう。
などと、悶々としながら天井の染みを数える。
物理学者の偉い先生の言葉を借りると。
熱いストーブの上に手を置くと一分が一時間に感じるが、裸の妹と抱き合っていると一時間が一分に感じる。
気づくと、お湯がすっかり冷めていた。
浴槽の隣にある紐を引っ張って、足元のパイプから新しいお湯を足した。溢れたお湯は浴槽の下に敷かれた格子を通り下水に。
「ねえお兄ちゃん。見て」
エアが体勢を変えた。片手を僕の肩に、もう片手を浴槽に置いて、下腹を見せて来る。まとめ方が甘かったのか、髪がほどけて胸にたれた。
咄嗟に目を逸らして、横目で見る。
「傷、もうほとんど見えないよ」
「ああ、よかった」
妹のそこに傷が合った。弾丸の摘出痕だ。術後の処置も上手くいって、今はもう薄く細い線が残るだけ。
「ふふーん」
エアが正面から抱き着いて来る。僕の首に両手を回して肩に顎を乗せる。更にぴったりと密着してきた。
胸に硬い突起の感触。
これは、落ち着かない。
黙っていたら別の場所が黙らなくなりそうなので、口を動かす。
「なあエア、ダンジョンに潜るの怖くなったか?」
「ん~別に。アタシってヒューレスの森に来る前は、狩りを生業にしていたの。主な獲物は猪。右大陸最東の森にいるこいつは、強く、暴食で、凶暴で、大きいの。確か、ダンジョン豚の原生種だったと思う。獣人の仲間にもよく犠牲が出ていた。狩りで人が死ぬのは当たり前だったけど………………身をていして誰かに守られ、それが死ぬのは今日初めて見た。幻だけどね」
また少し、妹の体が震える。背中に置いた両手を滑らせた。
「冒険者になってからは、誰かに守られてばかり。ちょっと屈辱かも。狩りは、皆で行ったけど守られた事はなかったから」
「そうか、そういう事もあるよな。でも僕だって、お前に守られた事がある。パーティ全員もだ。お前が敵を発見しなかったら、敵の不意打ちで全滅していたかもしれない」
「うん、そうだよね。うん、そうなんだよね。つまり冒険って、そういう賭けを、誰かが死んでパーティが動かなくなるまで続ける事だよね?」
「………そうだ」
時々、冒険者は熱に浮かされ夢を語るが。
つまりはこういう仕事なのだ。
常に命を賭けて戦い潜る。
夢やロマンを口にしないとやっていけないような仕事。夢を持たない者には、ただ過酷なだけの仕事だ。
「アタシね。みんなが死んで行くなかで、お兄ちゃんが死んだ時、腰が抜けて動けなくなっちゃった。正直、ぜーんぶ。どうでも良くなったの。………この先、どんな冒険をするか分からないけど。お兄ちゃん、絶対に死なないでよ。死んだら………………わかるよね?」
真っ直ぐな、澄んだ青い瞳が僕を覗き込んでくる。
額を合わせた。
呼吸の吐息がかかる。触れずとも唇の体温を感じる。
「重々承知した」
「ダメ、しっかりいって」
「僕は死なない。正確には、寿命とか病気で死ぬかもしれないが、ヒームにしては頑張って長生きする」
「まあ、良しとしますか」
鼻を舐められた。
「所で、お兄ちゃん」
妹は、キョトンとした顔で僕を握る。
「これ何?」
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