<近域の魔王>5


 自分の心音が高くなった。わずかに、獣が騒いでいる。

「何よ、こいつ」

 エアが震えている。

 無理もない。

 これは次元が違う。神性とは真逆な、異質な黒く冷たい気配。この感覚、僕はこの世界に来る時に味わっている。

 闇に蠢く途方もない巨大な生き物。

 花のように開く触手。

 何故、今の今まで記憶から飛んでいたのか不思議に思う。

「アガチオン!」

 僕に応え魔剣が矢筒から飛び出る。

「ぬっ」

 ゴブリンさんを驚かせたが、それ所ではない。謝罪は後でする。

「弓を壊せ!」

 アガチオンはエアの弓を切断する。弦に弾かれた矢は、偶然にもマキナの頭に刺さった。

『にゃぎゃぁあぁぁぁああああ!』

 うるさい悲鳴が響くが、無視。

「お、お兄ちゃん何ッ。え、その瞳?」

 エアを無理やり跪かせて、頭を下げさせる。

「妹の非礼。心から詫びさせてもらいます。子供のやった事とはいえ、魔王の臣下に矢を向けるとは。如何様な処罰でも受けますが、どうかそれは僕に。手始めに、腕の一本でも」

 アガチオンを呼び戻し、左腕を伸ばす。

 魔王は、しばらく沈黙を守ってからゴブリンに耳打ちをする。

「我が魔王はこうおっしゃっている。『金瞳の獣よ。そなたの礼を以って、我らも怒りを鎮めよう。ヒムの腕など飾りにもならぬ』とな」

「あなたの思慮深き英知と寛仁に、心から敬意を」

 僕一人ならどうとでもなるが、妹がいる状況で荒事はできない。巻き込む。僕の最終手段は、人がいる所では、それが守りたい者なら尚更、絶対に使えないのだ。

 てか、金瞳の獣とは。誰? 僕?

「エア。お前も謝れ」

「何で! アタシお兄ちゃんの事、心配しただけじゃない! 何も悪い事してないよ!」

 僕の手を振り払ってエアが怒鳴る。

 魔王の前だというのに、無知とはいえ豪気な妹だ。危ない。相手が悪い。世の中、理不尽な事が沢山あって、悪くなくても謝罪しなきゃいけない時もあるのだ。妹よ。

 それに相手が話の分かる人達? なんだから謝った方が良いだろ。大体、10対0で僕らが悪いわけだし。

「頼むから、お兄ちゃんの為だと思って」

「イヤ!」

 仕方ない。

 軽く、というか。途中から三段階威力が低下して、もう、ふわっと撫でるくらいの勢いで、妹の頬を叩いた。

「エア、お前は偏見と勘違いで人に矢を向けた。この人達は、マキナを助けた恩人だ。恩ある人に、矢を向けるのがヒューレスの末裔がする事か?」

 ポケっとした妹の顔。

 が、ぐにゃと歪む。

「………あ、アタシ。あ、あたし。わるっ、悪くっ、ぐ、悪くなっ」

 ポロポロ涙の大粒を落としてエアが泣き出した。

「お兄ちゃんがブったぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 号泣した。

 あれ? こいつは予想外だぞ。昔は怒って殴り返して来たのに。

「ぴやぁぁぁぁぁぁぁああッ!」

 何か面白い泣き声である。

 いや、大失敗だ。見た目、成人女性なのに赤子のように泣きに泣く。

「マキナ! 助けろ!」

『はわわ、はわわ』

 このポンコツ使えねぇ。つーか、全部お前のせいだからな! 後で覚えておけよ。

「ぴにゃぁあぁぁぁ! にゃぴゃぁあぁああぁぁぁ!」

 魔王を前にしているのに、妹の泣き声は止まず更にうるさく。

 ゴブリンさんも呆れ顔だ。

「何かもう、お兄ちゃんが全面的に悪かったから。機嫌直してくれ」

 ポケットを探ると、緊急時にラナに上げる為の飴を見つけた。

「ほら、あーん」

「むぐ………………」

 イチゴ味を口に入れると、エアは黙ってくれた。

 頭を撫でると、コアラ見たいに抱き着いて来る。他所様の前で恥ずかしいが、膝の上に乗せて、背中をさすって慰めた。

 うん、成人女性と赤ちゃんプレイしているような背徳感だ。正確には妹プレイか。

「おい、第六世代人工知能のマキナくん」

『ひゃい』

「こうなる事は予想できなかったのかな? お前がいるから、雪風を置いてきたんだぞ♪」

『すす、すみませせん。最近、ポットのセンサー類が調子悪くてて』

「報告しろ。常に」

『ひゃい。ソーヤさん、怒ってますか?』

「ハハッ、怒ってないよ。キャンプ地帰ったら、ちょっと二人の時間を作ろうか」

『絶対、怒ってるじゃないですか! ヤダー!』

「ぴにゃぁあぁぁぁ!」

 エアがまた泣き出す。

「ああ、よしよし。怖かったなぁ、ごめんなぁ」

 撫でくり撫でくり。

 マキナに目で『後で殺す』と伝える。

『ヒィィィィィ』と、マキナのスクリーンに文字が表示される。

「この甘いの、もっと」

「ごめん、エア。それラナ用だから」

「うくっ」

 ぶわっと目が潤む。

『エア様! これからマキナがも~~っと美味しい物を作ってあげますから! ちょっとだけ我慢してくださいね!』

「ホント?」

『ホント! ホントです!』

「あーよいだろうか?」

 放置気味のゴブリンさんが、すまなそうに聞いて来る。

「我が王はこういっている。『明日にしようか?』と」

『大丈夫です! 妹様の為、マキナが今すぐご飯を作ります! というか、汚名を濯がないとマキナの身体が危ないので!』

 少し離れたマキナが、手早く、携帯コンロや調理器具を広げ。火を用意する。珍しいのか、ゴブリンさんと魔王様は傍で見学していた。

『ソーヤさん。マキナはただ今、緊張状態により機能が15%低下しています。念の為に映像を送りますので、失敗しそうな時はアドバイスくださいね!』

 メガネの液晶にマキナのお料理風景が映る。

 妹は、完全に甘えん坊になっていた。スリスリしながら抱き着いて離さない。たまには、こういうのも良い。

 あれ?

 不謹慎だが、こいつってこんなおっぱい無かったっけ?

 怒られそうだから絶対に口にしないが。

『では、マキナを助けてくださったお礼と。今日の非礼をお詫びする為、誠心誠意、心を込めて、お食事を用意させてもらいます。まず、材料を炒めますね』

 タッパーからスパイスに漬けられた豚の腿肉を取り出す。

『このお肉には、ギャスラークさんから貰ったスパイスも揉み込ませてあります』

「それ、何のスパイスだ?」

 レムリアのスパイスには良い思い出がない。

 辛くて酸っぱくてエグい思い出だ。

『ゴブリンさん達が、地下で育てている植物を配合した物です。クミン、コリアンダー、カルダモン、ターメリックに似た成分です。そこに、ヒューレスの森で採取したスパイス。こちらは、クローブ、ナツメグ、シナモンと似た成分です。これらを併せて、配合した異世界スパイス。名付けて、レムリア・長耳マリアージュスパイスです!』

 うん、その名前は不味い。

「マキナ、長耳ってエルフに対する蔑称だぞ。削除しろ」

『………………レムリア・マリアージュスパイスです』

「はい、よろしい」

 何と結婚<マリアージュ>したのか分からなくなったが、気にしないでおこう。

「あ、いい匂い」

 妹の機嫌が治る。

 この郷愁を感じるスパイスの匂い。

 子供が急いで家に帰りたくなる匂いだ。

『お肉は下炊きした物なので軽く炒めるだけでオーケーです。これに、潰したトマトを沢山。赤ワインをドバドバと。擦ったリンゴを入れて、こちらは準備完了』

 次にマキナは、フライパンを取り出す。

『次は、味付けを濃くする為にスパイスのペースト作りです。フライパンに、擦った玉ねぎ、ニンニク、ショウガを入れて炒めまーす~♪』

 マキナはご機嫌でフライパンを掻き回す。

 前世代がお料理ロボットだったので、手際は流石だ。

『火が通ったら、スパイスと牛乳を追加。混ぜ混ぜ~♪ 混ぜ混ぜ~♪ 美味しくな~れ♪ 美味しくな~れ♪ も――――』

「それはいけない」

『はい』

 国の文化が誤解を受けそうなので止めた。

 一部ではもう手遅れだが。

『ペーストが出来ましたので、これをお鍋に入れてしばらく煮込みます』

 ペーストを鍋に投入。混ぜ合わせる。

 鍋はよく見たら圧力鍋だった。封をして、しばらく放置。

 マキナは、調理から一旦離れて折り畳みのテーブルを組み立てる。椅子も用意。食器は、魔王様が並べている。

 ちょ!

 いかん、色々とマズイ光景だ。

 そもそも客に用意をさせるなど。

「エア、お兄ちゃんもお手伝いをするので、ちょっとどいてくれないか?」

「ヤ」

 妹は離れない。それ所か、更に強く抱き着いて来る。

 姉妹そろって似た様な反応を! クソッ、離せない!

「なんかさー面白い事いってたけど。自分、エルフを嫁にしたのー?」

 ゴブリンさんが話しかけてきた。

「あ、はい」

「どこの氏族のもんを?」

「ヒューレスです」

「は? え、ヒューレス? そこの森のヒューレス? そういえば、その手甲」

「そこの森のヒューレスです。メルム・ラウア・ヒューレスの次女、ラウアリュナ・ラウア・ヒューレスが妻です。これは、その妹のエア」

 甘えん坊エルフを指差し。

「レムリア王の認可は貰いましたが、彼女らの父親からは反対、というか縁切りされましたけどね」

「ああ、そりゃ難儀だねー」

 妹が何かいいそうだったので、強めに抱きしめて黙らせる。

 さらっさらっの髪を撫でると大人しくなった。

「しかし自分、変わってるな」

「はあ、どうも」

 ゴブリンに、変わり者扱いされた日本人は僕くらいだろうか。まあ、日本人って他所から見たら全て変わり者な気がするけど。

「これやるー」

「え」

 小袋を貰った。中を覗くと種が入っていた。

「花に興味あるん違うんかー?」

「いや、そこの花に興味があって」

「んじゃ丁度いいーそれの種やー」

「ありがとうございます」

 こんな簡単に貰って良いものなのか?

「あの、これって貴重な物では?」

「ぜんーぜん。でも、ここらの地上では無いかなー? 花から種も取れるでー」 

 マジかー。

「すみません、失礼ついでに聞きたいのですが。人を汚染した呪いの解呪方法とか、ご存じではありませんか?」

 文化の違いで向き不向き、得意不得意がある。

 もしかしたらゴブリンは、簡単に呪いを祓う方法を知って、

「むりー」

 無理かー。

「ヒムの呪いやろー? それはわからんなー。土くれと生ものは違うしなー、人に花植えても咲かないしなー」

「ですよねー」

 そう都合良く何でも進まないか。

 でも、呪いを浄化して咲く花か。土壌のみの効果だろうが、これだけでも収獲だ。

 ゴブリンさんは離れ、魔王様のお手伝いをする。皿を並べスプーンを並べている。

 ホント、申し訳ないです。

 しばし、

 赤い花を下に、のどかな空を眺めて時間を潰した。

 眠気を誘う柔らかな日差し。ゴブリンとマキナの雑談。食器が鳴る音。

 食欲そそるスパイスの匂いが草原を漂う。

 妹は、僕の肩に顎を置いて眠ってしまった。

 テーブルには、黒いマントを羽織った骸骨と、ゴブリンがちょこんと座る。鍋の前では円柱状の人工知能が歌い回る。

 シュールだ。

 これ、異世界に来て一番シュールな光景だ。なのだが、僕も妹の体温に触れているせいか、うつらうつらと眠気が。

 そういえば昨日はあまり眠っていない。

 ねむ。

 ねむ。

 ………………………………。

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