<捨て犬のパスタ>6

【73rd day】


 深夜、また王城のキッチンに集まる。

 僕と親父さんに王。

 今日は、ランシールがいない。理由があるのだろう。知った事ではない。

「何故か、高級料理に並ぶ事になった。アンチョビパスタです。どうぞ」

 ペペロンチーノにアンチョビを混ぜた簡単な夜食である。 

「うむ、ソーヤ。何か、独特な匂いが」

 アンチョビの匂いにレムリア王が顔をしかめる。ニンニクをオリーブオイルで炒める過程で、アンチョビを混ぜて加熱したのだが、慣れない匂いには人間敏感な物だ。

「白ワインを入れて匂い消しますか?」

「俺はこれでいいぞ」

 親父さんは構わず食す。ズゾーとパスタを啜る音。

「確かに独特な生臭さがあるが、これを酒で流し込むと………………」

 酒をボトルから直飲みである。

「くっ、………………ぷはぁ。たまらん」

「メディム。見慣れぬ酒だが」

「これはエルオメア商会で買った物だ。一本金貨30枚と高かったが、値段に合った味だな。こう、透き通るような深淵な味がある」

 見覚えのある酒である。

「そのお酒。魚人が、沈没船から引き揚げた奴です。海底の低温でじっくり熟成された、まさしく深みのある味だとか」

「そうそう、それだ。道理で魚と合うわけだ」

「王命である。メディム、余にも分けよ」

 安い王命だな。

「少しだぞ。あんまり飲むなら金を払え。というか、自分で買えよ」

「細かい事をいうでない」

 僕に合図してコップを持ってこさせる。

 それに、ナミナミと王は酒を注いだ。

 パスタを我慢して一口。そして、酒を一気。

「む………………生臭い風味が一気に美味に変化した。それだけではない。この深海を思わせるような静かで清涼とした味。染み入る甘さ。まるで海底の深淵を口にしたかのような、しっとりとした、それでいてどこか落ち着くような深み。うむ」

 もう一杯注ぐ。

「おい」

 半分くらいで親父さんにボトルを取られた。

「メディム、不敬であるぞ」

「まず、民の酒を取る王がどこにいる?」

「民の物は王の物である」

 異世界のジャイアニズムだ。

 おっさんの喧嘩など見苦しいだけなので止める。

「では、王に酒の代わりに特別な追加を」

『何?』

 何故か、親父さんも反応する。

 水にさらしていた鶏卵を取り出す。割って、王のパスタに落とした。

「何だこれは?」

「鶏卵をトロっとした感じに茹でたもの、温泉卵です」

 こっちの主流である大卵では作り難い物だ。

 そこに、乾燥ハーブ各種と乾燥ニンニク、岩塩を擦って混ぜたクレイジーソルト“もどき”を振りかける。

「軽く混ぜながらお食べください」

「うむ」

 温泉卵をフォークで半分に割ると、王は子供のような顔を浮かべる。やっぱり珍しいようだ。それを軽く混ぜてパスタと合わせて口にした。

「おお、味が変わったな。濃厚かつ食べやすい。というか、この卵、何に合わせても美味いのではないか? 明日の朝食に出すよう、材料とメモを残して置け」

「了解です」

 確かに、温泉卵を入れたら何でも美味くなる。だが危険なのだ。全部温泉卵になるのだから。それはある意味、料理への冒涜ともいえる。

「ソーヤ、もちろん卵はまだあるよな?」

「ありますが?」

 親父さんの問いに、レムリア王をチラチラ見る。

「メディム、酒をもう半分注いだのなら余の卵を分けてやろう」

「本当に半分だけだぞ?」

 僕の用意した鶏卵なのだが、まあいい。おっさんの醜い喧嘩など見たくもない。

 親父さんのパスタにも温泉卵を落とす、クレイジーソルトも振りかけ、同時に王のコップに酒が注がれる。

 後は仲良く食事と飲酒。

 良い歳で全く。やれやれだ。

 締めの枝豆は、今日は僕が煮た。中身を取り出し小鉢に、そこに温泉卵を一個追加、唐辛子の粉末と魚醤を一垂らし。

 喧嘩しないよう親父さんの分も用意して、小鉢にスプーンを挿して進呈した。

「気に入ったようなので、枝豆の温泉卵落としです」

「うむ」

 二人は静かに食べる。

「ううむ、また違った味わいが。しかし、こんなに美味い豆がこの世にあったとはな。それに、ここ最近野菜が美味くてな。これは歳か?」

 王はお気に召したようだ。

 親父さんは一気に搔き込み、飲み込む。

「お前の偏食、その老齢でようやく治ったか。メルムの奴が昔必死に色々食わせていたが、その義理の息子が治すのか。面白い偶然だ」

 メルム。

 ラナの父親の名前だ。僕とラナの結婚は彼に認められていない。というか、場当たり的な偽装結婚なので、認められたら認められたで、面倒になる。

 そのうち、全ての経緯と理由を話さなければならない。物分かりが良い人だと良いが。

「メルムか、あやつも気苦労が絶えまい。森も俄<にわ>か騒がしくなっている。姉妹をいつまでも――――――いや、これは今、話す事ではないか」

 王も上品に豆を搔き込んで飲み込む。

 口にしないが、僕は二人に注意したい。

 よく噛んで食べろ。

「さて、ソーヤ。リーベラの件。どういう事だ?」

 王が本題を切り出す。

 さて、どうなるやら。報告をする。

「奴はエリュシオンの手先でした。詳細は不明ですが、二つの法王と繋がっていました。追われたのも偽装です。その境遇を生かして反エリュシオン勢力に入り込み、内側から食い破るのが目的です」

「何故、殺さなかった? エリュシオンの獣を屠った男が、密偵如きに苦戦するとは思えぬ」

「獣は、異邦の手段を用いて殺しました。様々な前提条件があるのです。街中で、人間相手に使用できる術ではありません」

「異邦の手段か」

 王の目が、欲を灯す。

 ラウカンの力も、ミスラニカ様の力も、王と親父さんには話していない。いや、誰にも話していない。絶対に話せない。

 ワイルドハント。

 あの力は、周囲を汚染するのだ。

 正確には、トリガーに使用している呪いの言葉が原因だ。これは死の呪いである。耳に届くだけで生物を死に陥れる。

 僕が戦った場所は、黒く枯れ果て、今でも草一本生えていない。

 当たり前だが。こんなモノは人前で使えるわけがない。呪いの連鎖が人の間で起これば、レムリアが全滅する危険すらある。

 仲間の名誉を守る為に得た力が、他の仲間を守る為には使えない。それ所か破滅に繋がる。

 本当に、神の業とは皮肉に満ちている。

「レムリア、諌言する」

 親父さんが、少しかしこまって王に話す。

「ソーヤが、どのような手段で獣を倒したかは聞くな。調べるな。商会の倉庫一帯が吹っ飛んだ話を聞いただろ? あれはこいつの仕業だ。異邦の知識や術を盗もう物なら、ドッカーンとなる。王城を吹っ飛ばされて改築するか? もちろん、王も替える事になるが」

「そうだな」

 王の目の色が変わる。

「メディム、お前の諌言を聞き入れよう。ソーヤ、誓っておこう。余が、異邦の知識や術を奪う事はない。もし奪おうとする者あらば、王命を下し、そやつを処分する」

「ありがとうございます。助かります」

 マキナにセキュリティがあるので、悪用するような連中には知識は渡さない。

 正常なら、たぶん。

「リーベラを殺さなかった理由として。精神的にへし折ったからです。二度とレムリアに近づかないよう約束させました。魚人の監視付きで、明日船で沖に出します。取りあえずアゾリッド群島に向かわせて、そこから左大陸に直行する船にでも乗るでしょう。ここには、二度と戻ってこないかと」

「お前、何したんだ?」

 親父さんの問いに、答えるかどうか迷ったが、

「幻を見せて、仲間を虐殺する光景を見せた」

 端的に話す。

「酷い奴だな、お前」

「………………」

 誰かに、そういってもらえるのは正しいといわれるより楽だ。

 一番は沈黙だが。

「リーベラの残した奴隷、百余名は、農夫を始め各職業に使えます。左大陸小麦の量産も行えるでしょう。念の為に、彼らだけを集めて商売をさせましょう。その方が監視しやすい。それに、彼らは奴隷といっても、生まれつきの奴隷ではありません」

「む、どういう事だ?」

 王の疑問に答える。

「質疑をした所、奴隷のほとんどは一時、黒エルフに取り入り、その後、エリュシオンに再占領された諸王国の民でした。不敬罪で逮捕され、奴隷に落とされた中央大陸の職人も混ざっています。彼らの店に人が入れば、レムリアの商会を焚き付ける良い理由にもなるかと」

「それで、どの商会が彼らの商売を仕切る?」

「そこは、ザヴァ商会で」

「ソーヤ、それは」

 王が解せない顔になる。

「いいじゃねぇか、レムリア。こいつ、一介の冒険者としては破格の働きをした。懇意にしている商会の儲けくらい大目に見てやれ」

「………………うむ、ううむ………………ソーヤ。良いだろう。好きにするが良い。しかし、失敗を犯せば国で取り仕切るぞ。良いな?」

「はい、ありがとうございます」

 本当は、僕の方で監視する為だ。もしかしたら、リーベラの密偵がまだ混ざっている可能性もある。

 それと、僕の諜報能力は隠しておかなければならない。王にこの力がバレたら、潰すか奪うかの二択だろう。

 僕が本題を切り出す。

「レムリア王、アリアンヌの件はどうなっているのでしょうか?」

「それか」

 王はもったいぶって、連絡用の小さいスクロールを取り出す。

「エリュシオンからの返事は相変わらずない。しかしな、余の懇意にしている第五法王と連絡が付き、お前の働き、アリアンヌ・フォズ・ガシムの件を伝えた。後は彼の働き次第だ。すまんな、一介の王ができるのはここまでだ」

「はい………………いえ、ありがとうございます」

 進捗待ちなのは変わらずか。

 僕は動くべきなのだろうか、それとも彼らを信用して待つべきなのだろうか。

 難しい二択だ。

「代わりといっては悪いが、余から報酬を渡す。リーベラの奴隷を仕切る権利だけでは、お前の働きに対して吊り合わぬ。別室に―――――――」

「レムリア王、それに付いては僕から要望があります」

「ふむ。聞こう」

 危なかった。

 最後までいわせていたら詰んでた。てか、これからの発言で詰む可能性もある。それは、今ランシールがここにいない理由でもある。

「妻の体にも飽きましてね。女を紹介してもらいたい。できれば毛並みの良い獣人で。美しく、従順で、どこでも僕のモノを加え込んで嬌声を上げる“淫乱”が良い」

 めちゃくちゃ不遜な態度でそういう。

 親父さんに『万が一の時は助けて!』と必死にアイコンタクト。彼は、王に見えない角度で笑いを噛み殺している。

 この親父は、人の不幸を見て楽しんでいる所がある。

「………………………………残念だが、余の配下でそのような女はいないな。メディム、お前の娼館から適当な淫売を見繕ってやれ」

 とんでもない目つきで睨まれた。

 怖っ。

 これ食事で機嫌取っていなかったら斬り殺されていたぞ。

「了解だ。陛下」

「ふん、興が削がれた。余は寝るぞ」

 親父さんの酒を奪って王はキッチンから出て行った。大きい足音が消え去ってから、気が抜けて椅子に腰を降ろした。

「クックックックッ」

 親父さんが悪そうな顔で笑う。

「見たか? レムリアの顔。そりゃ淫乱女を寄越せといわれて、自分の娘は宛がえないよな」

「いや、笑えない。全然笑えないです。ひ、膝が震えて来た」

「しかもそれをいったのが、美人で胸のでかいエルフ妻に手も出してもいない童貞野郎だ」

「ちょ、あんたそれ誰に聞いた?!」

 だ、誰が童貞だ。

「お前の神だ。不能かと心配していたぞ」

 最悪だ! 僕の個人情報を!

「実に面白い話のネタだ。人に話せないのが悔やまれる。………………設定だけ変えて話してみるか?」

「や・め・ろ!」

 処刑されるわッ。

「冗談はさておき、だ」

 心から笑っていたように思えるが。どこに冗談があった?

「お前、国盗りなんか考えていないよな?」

「は?」

 いきなり何だ。

 考え外過ぎて言葉に詰まる。

「パスタの評判は良いぞ。お前が提案したメニューも好評だ。それに、その亜種も見かけるようになった。新たな食の主流に加わるだろう。仮に、エリュシオンとの関係がこじれても、パンの代行になる。お前が短期間に、この国にもたらした食文化の数々は驚嘆に値する。ここは辺境の若い国だ。右大陸自体も荒廃を繰り返したせいで、文化的に空白の部分が多い。その隙間を、お前が綺麗に埋めて動かし始めた」

 食い物くらいという考えは、甘かった。

 社長に念を押されていわれた事だ。技術的な特異点をもたらすな、と。僕はもたらしてしまった。それも得意げに考えなしに。

 何てこった。

「その表情、何を意味するのか俺には分からん。しかし、お前が広めた食を、民は何れ昇華して確固たる文化とする。莫大な利益を産むだろう。対外交渉に使えるほどにな。民というものはな、最終的に食わせてくれる相手に付いて行くのだ。リーベラの奴隷を手にして、お前は簒奪<さんだつ>に動くのかと警戒したのだが、ま、そんな顔には見えない。俺の残った目が節穴でないならな」

「親父さん。農夫の経営を今からでもレムリア王に」

「無駄だ。変に立ち止まると転ぶぞ。お前が正義と思い成した事だろ? 最後まで責任を持って苦しめ。王への諌言は、そう簡単に取り消せるものではない」

 正義か、クソくらえな言葉だ。

 やらかした。失敗だ。

 素人の浅知恵じゃこの辺りが限界か。とても十全には足りない。

「だが」

「?」

 親父さんが立ち上がり、去り際にいう。

「お前は良くやっている方さ。良く、やり過ぎているほどにな。………それが不幸を呼ばなければ良いが。ま、悪行の神に良く祈っておけ」

 嫌な予感を一つ増やして親父さんは去る。

 僕は洗い物に取り掛かり、王の朝食のメモを書置く。何回か顔を見たメイドさんに連れられて、王城を後にした。

 厄介事を解決したのに、全然そんな気がしない。


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