<捨て犬のパスタ>3

【71st day】


 深夜。

 一度、キャンプ地に戻り皆と夕飯を済ませて、まったりとした後、こっそり抜け出し王城へ。

 招かれた場所はキッチンである。

 圧力鍋で骨がホロホロになるまで蒸かした兎肉に、刻んだ水菜と玉ねぎを乗せ、甘辛いタレを垂らす。

「ランシール、準備は良いか?」

「はい」

 銀髪の獣人メイド。ランシールが、フライパンで熱した油をかける。松の実入りの油が水菜と玉ねぎを軽く炒め、タレと兎肉に絡み浸透する。甘さが混じった醤油の匂いと、上品な肉の匂いが広がる。

「レムリア王、本日のお夜食。蒸し影兎の油かけです」

 この国の王が、キッチンのテーブルに着いていた。

 ここの方が人に聞かれる心配がない、との事だ。

「よし、毒見を」

「それには及ばぬ」

 横から手を伸ばし、叩かれたのがメディムという名の冒険者。

 皆から“冒険者の父”と呼ばれる伝説的な冒険者だが、しかしその本質を知る者は少ない。

「ソーヤ。これはどんな料理だ? 手短に話せ」

 王の命令に手短に話す。

 前に長々と話して蹴りをくらった事がある。あれは痛かった。

「伝令用の影兎を前に食べた時、大変美味だったのでしっかり調理してみました。蒸して、生野菜を置き、甘辛いソースをかけ、上から熱した油をかけて合わせました。肉は、骨まで食べられるほど柔らかくなっています」

「骨までとな、いささか信じられぬが、どれ」

 上品にナイフで肉を切り、フォークで野菜を共に刺し、皿のタレを絡めながら王が料理を口にする。

「うむ」

 一口、二口と王が料理を食べる。

「おお、骨がこんな容易く口の中に消える。どんな魔法を使った?」

「その鍋で蒸かしただけです」

「ああ、そなたが持ち込んだ異邦鍋か」

 この異世界には圧力鍋が三つ存在する。一つが僕のキャンプ地、一つが王城、一つがさる武闘派集団のキッチン。何故か、伝説のアイテムみたいな扱いになっている。

「王城の料理人も使ってはいるが、やはりそなたに使わせるのが一番のようだ。このあっさりとした肉の旨みと、甘辛い味付け、野菜の清涼感、それらが合わさり実に美味だ。酒が欲しくなる」

「陛下、夜の酒は」

「分かっておる。そなたの料理に酒など合わせてみろ、また潰れるまで飲む事になる」

 ちょっと前まで脚気で死にかけていたのに、平気でベロンベロンになるまで大酒を飲むのだから、困った王様だ。

「ソーヤ、俺の分は?」

 親父さんが睨み付けて来る。

 この人の分まで、精を込めて作れないので適当な料理を作る。

 フライパンに持参したケチャップを撒く。強火にして沸かせる。玉ねぎと豚肉、残った野菜も適当に入れて炒める。夕飯の残りである伸びきったパスタを投入。

 ケチャップを追加しながら混ぜ合わせる。

 皿に盛る。

 粉末状のチーズをファサーとかける。

「はい、ナポリタン」

「ナポリ、タン?」

 まあ、ナポリと全く関係のない日本料理である。ニホンタンが正式な名称な気がする。

 親父さんはフォークでパスタをすくうと、蕎麦のようにズルズルと食べ出した。

「ん、雑な味付けだがイケるぞ。赤いソースの酸味とチーズが合わさり、そこそこの美味をかもしだしている。夕飯に食べたパスタより適当な食感な気がするが、まあ我慢しよう」

 美味そうな音を立てて、親父さんはパスタをすする。

 こっちの世界ではズルズルと音を立てて食べるのは失礼なのだが。旧友とはいえ、隣に王がいるのに良い度胸だ。

「メディムよ、それを余に少し分けようとは思わぬか?」

「このような庶民的な味、陛下にはもったいのうございます」

 親父さんは王のフォークを体でブロックして、ズルズルとナポリタンを食べる。

 ちょっとうらやましく見ているランシールを、僕は見逃さなかった。

「ランシール」

「はい、何でしょうか?」

 彼女は名前を呼ぶと、耳がピコピコ豊かに動く。

「キャンプ地から持ってきた食品があるのだが、感想聞かせてもらえるか?」

「そのような事でしたら、協力致します」

 持ってきた瓶の中身を皿に移す。

「これは野菜ですか?」

「キノコ、プチトマト、セロリ、ピーマン、鶏肉のマリネだよ」

「マリネ、とは?」

「ワインビネガー、塩、胡椒、砂糖、柑橘類の汁、オリーブオイルを合わせた調味油で、材料を漬ける料理方法。うちのパーティメンバーは野菜嫌いが多くてね。何とか、これで食べてくれないものかと作ってみた。てか、エルフまで野菜食べないってどういう事なんだろうか」

 妹は、エルフのくせに野菜嫌いである。食べやすいように軽くお湯に通したり、ベーコンの油で炒めたりと工夫中だ。

「こちらでは見た事のない料理ですね。食べてみます」

 プチトマトにフォークを刺して、口元を隠しながらランシールは食べる。

「ん、あっ」

 ちょっと扇情的な表情を浮かべた。

「ちょっと失礼を」

 無言でランシールはマリネを口にして行く。しかし黙っていても、顔は正直なようだ。

 野郎三人で、彼女の表情を見守る。僕はイヤラシイ意味ではない。おっさん二人は知らないけど。

 野菜を一通り試食して、ランシールは一言。

「美味しいです」

「それはよかった。それで、その、どう美味しかった?」

「えと、実に美味しいです」

「あ、はい」

「あ! 大変美味しいです!」

「うん、ありがとう」

 薄々気付いていたが、ランシールは食事に関してはラナと同じ語彙能力だ。いや、美味しいといってもらえるのは本当嬉しいし、それが無いと何のやる気も起きないのは確かだが。

「どら、俺も一つ」

「なら、余も貰おうか」

 女子の皿に、良い歳したおっさん共がフォークを伸ばす。

「お、これは良いな。ベーコンだな、ベーコンと混ぜてパスタで食おう」

「うむ、ピーマンなど四十年ぶりに食べたが、これなら毎日食べられるぞ。ソーヤ、朝食用に少し残して帰れ」

 偶然にも王の野菜嫌いが解消できた。

 予備のマリネを一瓶置いて行くとして、てか、おっさん二人は食べ過ぎである。自分の料理も片付けず行儀が悪い。

 そして、食事に集中して、滞りなく終わり。僕は皿を洗う。

 ランシールは少し離れて、火にかかった鍋の様子を見ている。僕の背中に王が話しかけてきた。

「して、リーベラと接触したとな?」

「はい、若い商会に接触すると王から聞かされていましたが、まさか自分の所に来るとは」

「ザヴァもエルオメアも、最近名を上げた商会だからな。当たるなら余でもそうする」

 リーベラの動向は、レムリア王に察知されていた。船の情報はゲトさんからだが、王国に侵入した情報はレムリア王からだ。

「ソーヤ、どう見る?」

「難しいですね」

 王が危惧しているのは、リーベラの目的が不明瞭な所だ。

 元とはいえ名高い豪商である。王国内で反エリュシオンの扇動でも起こされたら事だ。こちらにも、タイミングというものがある。

「確定できる情報ではありませんが、大方の目的は、エリュシオン小麦の揺さ振りかと。王国に安く左大陸小麦を流通させ食に馴染ませ、そして連れている奴隷の数から、この大陸でも左大陸小麦を生産。今、主流のエリュシオン小麦に成り代わる、事は無理でも流通量に揺さぶりをかける事はできます。ただ」

「何だ?」

 親父さんが疑問符を浮かべる。

「それで利益を得ようとする気配がありません。それは商人にしては不気味です。今日、ザヴァ、エルオメア両商会の下に着く事を、神の前で約束させました。差し迫った状況とはいえ、かなり不利な条件で締め付けたにも関わらず、眉一つも動かさず。ほぼ言いなりです。事がすんなりを行き過ぎて怪しく思えて」

「それは確かにあるな」

 王が僕の意見に同意してくれる。

「利益を顧みない。それは商人の本分から逸脱している。となると、リーベラの目的はエリュシオンへの復讐だろう。豪商とうたわれた男が、職の本分を捨てるとなると理由は人としての業しかない。慧眼を欺くのはいつの世も人の妄執だ。リーベラ・アラルレド、王国の異物になるのは確かだろう」

「消すのか?」

 親父さんの物騒な言葉。

「いや、今しばらく時を待ち、様子を見る」

 王はするりと返す。

「あらまし、余の事に沿う。利益になるなら使うまでだ。使えぬのなら放逐し、邪魔になるなら消す」

 怖い怖い。

 人を統べる者としては正しいのだろうが。

 口にはしていないが、僕がリーベラを王に絶対面会させたくない理由は、王とリーベラに似た“欲”を感じたからだ。たぶん、二人は気が合う。そして、目的も沿う。

 故郷を追われた豪商は、自分を追い立てた者に復讐をしたい。

 ここにいる王は、煩わしい同盟関係を後腐れなく解消したい。

 お互い損はない。

 損はないが、本当にリーベラの目的は復讐なのか? それが、僕には確信できないのだ。曖昧な情報ほど危険なものはない。致命になるともいえる。

 僕が決める事ではないが、リーベラは消した方が良いと思う。最低でも、他所の大陸に追放。腹に何を溜めているか知らないが、ロクでもないのは確かだ。

「それと、先にもいいましたがリーベラは奴隷を連れています。まだ、レムリア国内には入れていませんが、いかがしますか?」

「何名だ?」

「リーベラの申告では145名です」

「多いな。いや、豪商ともなると少ない方なのか。どんな人材だ?」

「農夫に様々な職業の下働き、娼婦男娼、それに密偵です」

「奴隷といってもエリュシオンで長年働いてきた奴隷だろう。レムリアでは、どこでも働き口は見つけられる。故に」

「そうですね。各方面に散らばって、工作員として動けます」

 雪風に監視させた所、リーベラの密偵と思われる者を13人捕捉した。近港で待機中の奴隷達の中にも、そういう訓練を受けた奴が混じっているはずだ。

「メディム、何か案はあるか?」

「そうさな。ま、国内には絶対入れない方が良い。国内に出入りする人間との接触も不味い。取り込まれる危険がある。と、なると」

 皿と調理器具が洗い終わり、清潔な布で拭き始める。

「農耕地に空きはあっただろ。そこに集めて監視だな。手隙なら農作業でもさせよう。エリュシオン奴隷同士、仲が良いのか悪いのかは分からんが、あそこなら万が一に事が起こっても国民の目から隠せる」

「その案で行こう」

 あまり考えたくないが、人の目から隠して消すという事か。例え奴隷でも、手心を加える理由にはならない。

「陛下、豆が茹で上がりました」

 ランシールが枝豆を王に出す。

「おお、これがなくてはな。ランシール、そなたにも一度聞こうと思っていたが、豆にどんな魔法をかけたのだ?」

 かけたのは塩です。

「陛下、それはソーヤ殿との約束で秘密にしてあります」

「そうか。無粋な事を聞いたな、許せよ」

 本当に塩だけなんだが、前に説明したら『またまた、何か隠しておるな?』と聞き入れらなかった。面倒なので秘密という事にした。

「確かに、これは止まらんな」

 親父さんが、次々と鞘を押し込み豆を口に入れる。

「メディム、貴様」

 王は本気で怒っていた。

 空いた鍋を洗おうとして、ランシールに止められた。

 僕もテーブルに着く。流石に王の枝豆に手を出す度胸はない。

「レムリア王。アリアンヌ・フォズ・ガシムの件、その後の知らせは?」

 僕の質問に、王は表情を崩さないが、歯切れが悪く答える。

「あまりよくはない。そもそも、余を王にと推した第五法王は、放浪王などと揶揄されるほど世界各地を旅して回っている。当然、エリュシオン国内での発言権も小さい。何度か書状は出しているが、執政官からは良い返事は帰って来ていない。ただ、アーヴィン・フォズ・ガシムに付いては返事があった。聖リリディアスの騎士として、再度位を授けるそうだ。彼の騎士の名誉は、回復したといっても良いだろう」

「ありがとうございます」

 王の助力に礼をいうが、複雑な気分だ。

 亡き友の名誉回復は嬉しい。しかし、彼の姉の身体が心配だ。混乱している情勢下で、女囚がどんな扱いを受けているか想像するのは容易い。

 例え、自由の身になったとしても身内が全て死別しているのだ。生活の当てはあるのか? 何とか連絡は取れないものか。丈夫な人なら良いが、長い船旅に耐えられるなら、ここに来てもらいたい。

「だが、ソーヤよ。何か一つ、今一つだけ、エリュシオンと取引できるような案件を見つければ、必ず免罪を請おう。我が祖父、ラズヴァの名に懸けて誓う。後、一つだ」

「分かりました」

 ああ、この人は上手い。

 僕が行えるギリギリのラインを読み切って動かしている。故に、嘘ではないだろう。いや、これが嘘なら、僕はこいつを見限る。中央大陸に乗り込んで自力で何とかする。一年という冒険期間は間違いなく超過するが、構わない。どうせ現代の世界には僕の身内など一人もいないのだ。こっちに骨を埋めるのも良いかも知れない。未練は、

「あれ?」

 眩暈に頭が揺れる。

「ソーヤ殿!」

 椅子から崩れ落ちそうになる所を、ランシールに支えられた。

「おいおい、急にどうした」

 親父さんに心配される。

「すみません、ちょっと疲れが出たのかも」

「無理もない。英雄を倒し、ダンジョンに潜り、商会の仕事をこなし、料理の支度まで、お前は働き過ぎている。この件が片付いたら存分と休むが良い。王国から東、半日ほど行くと大湖がある。そこは、余が長く使っていない療養地だ。しばし貸し与える。パーティを連れて行け」

 水辺。水浴び。水着。

 水着イベントですか?!

「はい、ありがとうございます。かなり元気が出ました」

 テンション上がって来た。

 ………………単純だな僕は。

「今日はもう良い。ランシール、ソーヤを送って行け」

「はい、陛下」

 別に良いのだが、ランシールに腕を取られる。

 最後にいっておく事が。

「レムリア王。二日ください。リーベラの件、成るように成して見ます」

「うむ、良きに計らえ」

「忘れていましたが、カロロがリーベラに顔見せで着いています。僕の命令です」

「それは構わぬ。今日はもう良い。帰って眠れ」

「では」

 挨拶と礼を済ませた後は、僕はランシールを連れ添い廊下に出る。

 レムリア王は良き支配者だと思う。

 それが人として善に沿うのか? というのは愚問だ。人の上に立つという事は、少年漫画のように甘言を並べて済む問題じゃない。良き王とはつまり、外敵には情け容赦のない者だ。

 これは、今は、よしておこう。

 王への感情はリセットして次の行動に注視した。

 リーベラの件。

 やるしか無いが、スマートな方法では解決できないだろう。幸い、人工知能の諜報性能はこの世界ではトップレベル。神の如き目と耳がある。だが、動くのは僕のような凡人である。力は持っていても全て借り物。いつ失うか分かったものではない。

 皮肉なもんだ。

 成す事を成そうとしているだけなのに、冒険者の本分から外れて行く。

「なあ、ランシール」

「はい?」

 馬小屋で馬の準備をしているランシールに、ぽつりと聞いて見る。ちなみに、馬は栗毛の老雄馬。大人しくて賢く、たまに一人でも乗らせてもらっている。

「僕って、冒険者に向いていないかな?」

「え………………………………………………は、はい」

 もの凄くすまなそうな顔でいわれた。

 そ、そうだよな。なんせヴィンドオブニクルに弾かれたからな。

「どうぞ」

 手を取り、鞍のあぶみに足をかけ馬に乗る。僕が前、彼女が後ろで手綱を握る。彼女の視界を確保する為に、体を少し傾けしっかりと密着する。ラナとまた違った弾力が背中に当たる。

「でもソーヤ殿には冒険者でなくとも素晴らしい才能がありますよ」

「え?」

 耳元でそんな事をいわれた。

 あったっけ? そんなもん。

「あ、料理とか?」

「料理は大変美味しいです。でも、これはきっと家族、友人に作って喜ばせる類の料理です。ソーヤ殿は、そもそも欲深くないので金銭を取って利益を得るような料理人には向かないでしょう」

 はい、当たってる。

 コスト計算とか絶対できないので、料理人の才能はないと思います。だって、材料抜いて不味くするなら高くなっても良いから入れるだろ。高くなって食べられないなら、安くするだろ。

 うん、僕は飯屋とか酒場は経営できない。

 あ、でも隠れ家的なお店でこう、高めのお酒とツマミを少々で、小粋で珍しい日本料理などを出す。名付けて異世界居酒――――――――

「あかん」

「アカン?」

 ランシールの吐息が耳にかかって、変な気持ちになった。胸の感触と合わせ、色々と前で良かった。

 馬が城の抜け道を通り、街の外に出る。

 夜の草原を風を切って走り出す。

 この老馬は駿馬で名を馳せたそうだが、老いても尚、その足は並みの馬より遥かに速い。

「あなたには、商才もあると思います。でも、ソーヤ殿には商人に必要な金銭の執着がないです。貴方は何といいますか、自分に不用な物は価値があっても簡単に手放すでしょう?」

「ああ、まあ心当たりが」

 結局、物の価値って手元に置いておきたいか否かだろ? 手に余る物なら、それは要らない物だと思う。この辺りは、現代でフラフラとその日暮らししていた癖なのだろう。

「で、その僕の才能とは?」

「人の為に命を賭ける事です。素晴らしいと思います。忠臣の矜持そのものかと」

 あまり馴染みのない言葉だが、それって誰かの家来って事だよな? 

 リュテットという冒険者の言葉を思い出す。

「少し前、ある冒険者にも似た様な事をいわれたよ。パーティのリーダーより、それを支える方が向いているってね」

「差し出がましいですが、ソーヤ殿。あの、陛下を支えてもらってはいただけませんか?」

「………………」

 返答に困る。

 ランシールの事は、好きだ。

 真面目、誠実で、強く美しい。出会い方は最悪だったが、それを経ても僕は彼女に好意を抱いている。単純に、お返しの好意というわけではない。純粋に、好意を抱いている。

「陛下は、何か大きな事を考えています。信の置ける方が多く必要です。ワタシには、それはソーヤ殿のような方が、と」

「すまない。無理だ」

 しかし、レムリア王は信に値しない。

 良い王、良い支配者を、僕はそもそも好かない。

 僕が好くような王は、それこそ単身で死地に向かうような。僕が先に死なないと、彼が死んでしまうような、そういう乱世と戦地に栄える王だ。

 つまり、別にレムリア王が悪いというわけではない。僕の願望が歪んでいるだけだ。だが僕は、これを耐えて人に仕えると、きっとおぞましい裏切りをすると思う。

「そう………ですか、残念です」

「すまん」

「いえ、謝るような事ではありません。ワタシの小さい希望を述べただけで、気になさらず」

「そうか」

 風の中、無言で馬が走る。

 今日も良い月が出ている。

 異世界の夜に浮かぶ三つの月が、まるで口の裂けたニヤケ顔に見えた。

 キャンプ地の篝火が見えて来る。

 そこでランシールが馬を止めた。

 いつもはキャンプ地まで送っていって、ラナと揉めるまでが日常なのだが。

「ソーヤ殿。実は、陛下に、いえ父に。あなたと関係を持つように命令されました」

「え?」

 あのおっさん、何考えているんだ? 自分の娘を。

 いや、女を宛がうのは人を掌握するのに有効な手か。でも根本的な問題が、

「おかしな話ですね。ワタシがとっくに好いている人なのに」

「それはその、確かに」

 皮肉だ。

「これでは、ワタシが何をいってもやっても父の指図になってしまう。人を好くのが、こんなにままならないモノとは」

「君は本当に実直な人だな。黙っていれば良い事を」

「それでは自分の心を裏切る事になります。騎士の真似事をしてから、己を殺して陛下や弟に仕えてきました。でも、ワタシはあなたに仕えていない。だから自分の気持ちに仕えています」

「君が、もう少しでもズル賢い人間なら――――――」

 僕も平気で利用できた。

 その言葉は飲み込む。

「本当、ままならないものだな」

「ですね」

 僕は馬を降りる。

 声もなくランシールは去っていった。夜闇の中、彼女の銀髪が揺れる。

 完全に視界か消えるまで、僕はそれを見つめていた。

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