<第四章:薊が如く>7


 空が赤くなっていた。

 夕暮れを過ぎれば街に夜が訪れる。人の熱と狂気が混ざった夜だ。

 大きな物事を成し遂げるには、とかく先の先を見据え準備しなければならない。商会に船の手配を頼み、マキナに工作を頼み、リュテットの仲間から言質を取る。知り合いの警務官に嘆願書を含む、様々な書類の用意を依頼。その書類に、レムリア王の文書正印をいただく。

 この用意だけで、昼から夕方までかかった。

 今は、証拠を携え連中のいる場所に移動中である。どんな仕方のない理由があったとはいえ、アーヴィンを手にかけた親父さんと一緒にだ。

 この人がいなかったら僕が死んでいただろう。その事実を頭に入れても、中々、冷静さを保つのは難しい。

「結局の所、俺達は番犬なのさ」

 沈黙を破り親父さんが話しかけて来る。

「聖リリディアスの残した獣が、人の檻から出てこないように監視する為のな」

「“残した”ですか」

 事実だが、皮肉な表現だ。

「リリディアスの逸話によると、彼女の生涯は獣の病との戦いだった。治療方法を探す為、大陸中を巡り、地上の知識では足りぬと、ダンジョンに潜り古代の知識を求めた。神という神と契約し、英知という英知を蒐集した。ヴィンドオブニクルに、静寂のドゥインという名前がある。ラスタの調べでは、これはリリディアスの事で間違いないそうだ」

 ラスタとは、酒場のマスターの名前だ。

 というか、驚いた。

 意外な所で繋がっているものだな。名前を伏せたのは、リリディアスが名声に頓着がなかったからなのか。それとも他に理由があるからなのか。

「苦心と忍耐の末。彼女は、今際に奇跡と神格を得た。その実は、一時的に封じただけだ。勘違いした騎士共は聖リリディアスと称えながら増えに増えた。治療しようと躍起になった女の所業が、結果的に病を広めたのだ。皮肉なものだ」

 この世界の神の御業は、常に皮肉に満ちている。

 別の病と戦った人の言葉だ。獣狩りの王達も、彼らのように静かに朽ちればよかったのだ。引き際の悪い英雄とは、何と恰好の悪い事。

 軽蔑に値する。

「親父さんは」

 アーヴィンを殺した………………この人の手際は実に慣れていた。

 一度や二度の経験で、ああはならない。

「今まで、何人の獣を殺しましたか?」

 皮肉ついで皮肉混じりに聞く。

「ん?」

 親父さんは歩みを止めた。

「そうさな………………昔はもっとひどかったからな。俺がガキの頃、ここの支配が前辺境伯ディマストに任された時は、地図も読めない阿呆な騎士共が、馬鹿で無謀な冒険に挑戦して、毎日のように獣が現れた。

 ダンジョンで発見されたなら、何であれモンスターとして処理できる。それにディマストは、獣を使い冒涜的な実験を行っていた。今回のような事が、日常的に行われていた。

 荒れた時代だったな。ここの冒険者も凄惨な者ばかりが集まった。ああ、すまん。歳を取ったせいか、無駄話が過ぎた。ま、百か二百だろ。正確に覚えちゃいねぇよ」

 背筋が震えた。

「だが勘違いするな。それは運良く隙を突けただけ。実力ではない。こいつを聞くと大抵の奴はがっかりするが、俺の最終到達階層を教えてやろう。二十層だ」

「え?」

 大体の目安として、到達階層二十層で初級冒険者と呼ばれ、それ以下は新米冒険者といわれる。

 冒険者の父と呼ばれる人が、初級冒険者とは。

「がっかりしただろ。危なっかしい騎士共を上に戻し、そのついでに新米冒険者の世話をやいていたら、その中にたまたま、後に英雄や高名になった冒険者がいた。

 冒険者の父とは、そいつらが己の恥隠しに俺を持ち上げた言葉だ。俺はな、大した人間でもなければ冒険者でもない。今も昔も、只の安っぽい傭兵だ。あまり頼っても役には立たんぞ」

「では、矢除けくらいには当てにしています」

「おう、そんなもんだ」

 それでも、この人は僕より近接戦闘は強いはず。

 それと万が一、斬り殺されても心が痛まない。

「一つ、俺からお前に聞きたい事がある」

「何でしょうか?」

 親父さんが立ち止まる。

 真っ直ぐ僕を見て来る。

 感情のこもっていない無機的な表情だ。

「リュテットの仲間に説明した内容。嘘はないな?」

「ないです」

 彼女の仲間には、彼らを襲った正体不明の敵に、彼女は殺されたと説明した。間違ってはいない。名前は伏せざる得なかったが、サンペリエが原因には変わりない。仮に、真実を話したとしても、獣の存在を隠して動機の説明ができない。

「まあ、そういう事にしておいてやろう」

 怪しいと思われているだろう。それでも突っ込んで来ないのは大人の対応だ。

「着いたぞ」

 親父さんが顎で店を指す。

 少し寂れた小さい酒場。英雄様には似つかわしくないが、彼は方々で問題を起こして大きい酒場のほとんどに出禁をくらっている。

 店に入る。

 目的の二人を隅に見つけた。不味そうに乾いた飯を安っぽい酒で流している。

「いやぁ~お久しぶりです。獣狩りのヴァルナー様。そして、随伴騎士ルクスガル様。自分を覚えているでしょうか? アーヴィン・フォズ・ガシムとパーティを組んでいた者です」

 取引は笑顔から。

 僕は、不気味なほど笑顔を振りまく。二人は僕の顔と態度を見てギョっとした。

「本日は、ちょっとした商談をしたく参上しました」

 ルクスガルは調子を戻して僕に話しかけて来る。

「アーヴィンの事は聞いている。不幸だったな」

「不幸とは? それを誰からお聞きに?」

 アーヴィンの死は、公表していない。知るのは僕と王、親父さん、組合長、辺境伯。誰が洩らしたとなると、辺境伯だろう。

 これで一つ、情報の出どころを押さえられる。

「小手先の面倒な探り合いはなしだ」

 ヴァルナーがテーブルに足を乗せる。料理と酒をそのまま足で押し落とす。

 殺すぞ、この野郎。

 と、言葉を飲み込んだ。今は、優先されるのは僕の矜持ではない。

「冒険者の父を伴い。遊びに来たわけではあるまい」

 ヴァルナーが笑う。

 僕も笑った。

 威嚇という笑い合いだ。

 探り合いを良しとしないのは、そこが弱いからだろ?

「商談だ。ヴァルナー・カルベッゾ」

「で? 物は何だ? 貴様が連れている胸のデカいエルフか? アレになら、特別に英雄の恩寵を与えてやるぞ」

 挑発には乗らない。

 無言で、取り出したシンボルをテーブルに突き刺す。

 Φの形をした聖リリディアスの媒介。縁に小さくヴァルナーの名が刻まれている。

 金属の音が弾けた。

 目の前で火花が散り、頬に金属片が当たる。結果しか見えなかった。ヴァルナーが抜き放った大剣を、親父さんが剣で受け止めている。

 剣を抜く所も、迫る刃も認識できなかった。

 慧眼はあっても、それと動体視力は別だ。

 周囲の冒険者達が僕らを注視して、すぐ興味を失う。

「その反応で、これの真贋が読めた」

 冷や汗と動揺を抑え、シンボルを親父さんに渡す。

 澄んだ剣の音で刃の交差が解ける。

「獣狩りの英雄。存外、軽いな」

「ちっ」

 ヴァルナーの舌打ち。

 謙遜していたが、親父さんの腕前は本物だ。いや、不意打ちとはいえアーヴィンを殺したのだ。その程度でないと困る。

「親父さん、後はお願いします。僕に万が一の事があったら、手筈通りに」

「了解だ。………………本当に一人で良いのだな?」

「問題ありません」

 親父さんは、少し二人の騎士を見回し、店を出て行く。

 僕は椅子に腰をかけた。

「さて、僕の手元にはあんたのシンボル、それに宝剣ガデッドがある。これに合わせ、サンペリエ騎士の殺害容疑をまとめた書類、お前らの悪行をまとめた書類、レムリアの転覆を策謀した計画書、ある事無い事、様々な文書を添付し、明後日の船でエリュシオンに送り届ける。受取人は、第三法王。尚、書類だけは法王全てに送り付ける」

 ヴァルナーの殺気。手には抜き身の大剣が握られたまま。

 こいつが、僕をいつでも殺せるのは先ほど見せられた。

 だが、他の法王との揉め事になれば、英雄という立場が危うくなる。この立場。さぞかし甘いのだろう。そんな立場に拘る時点で、英雄ではないというのに。

「僕の身と、パーティの仲間に何かが起これば、これは確定となる」

「条件をいえ」

 ヴァルナーを遮り、ルクスガルが交渉の前に出る。

「レムリアを去り、エリュシオンに戻れ。そして、アーヴィン・フォズ・ガシムの姉の免罪を請え。彼女の身柄がレムリアに届いたら、証拠の品を渡す」

「ふざけるな、貴様」

「ヴァルナー、ここは任せよ」

 また、ルクスガルがヴァルナーを遮る。

 ルクスガルは真摯な表情を浮かべている。実に、不愉快だ。

「レムリアを去るのは良いだろう。だが、エリュシオンには戻れん。本国の要請で、北の動向を今一度探らねばならぬ。伝令の影兎を放ち、書面にて免罪を請う。それで良いか?」

 影兎は、確か伝書鳩のような役割を持つ羽兎の事だ。

 黒い体毛が特徴で、脂肪を溜め込むと十日近くぶっ続けで飛んでいられる。そもそも、羽兎は上空の気流を捉えると恐ろしい速さで飛ぶ。

「それで良い。書類の返答はいつ帰って来る?」

「四日もあれば」

 片道二日か、中央大陸までの航路を考えると驚異的な速さだ。

「では、良い結果を期待している。まあ、英雄の免罪符だ。間違いないだろうけど」

 ヴァルナーを一つ睨み。

 席を立ち、隙を見せて店から出る。

 夜の喧噪に早足で逃げ込む。

 人混み、人混み、に紛れる。メガネ通信機能をオン。

「イゾラ、連中の監視体制は万全か?」

『はい、これより24時間体制で監視行動を行います』

「マキナの工作行動の進捗状況を」

『100%完了しています。念の為に予備も作成しました』

「助かる。礼をいってくれ」

『ご自分で伝えてください』

「後でな」

『シュナ様から通信呼び出しが20回、ベル様から83回、エア様から10回、ラナ様から2回。ミスラニカ様から1回。皆様、連絡をお待ちしています。繋いでよろしいでしょうか?』

「後で、な。皆には引き続き待機と伝えてくれ」

 駄目だ。

 今の状況は説明できない。最悪な事になるかも知れない。

「イゾラ、アーヴィンの事はすまなかった」

『理解できません。何故、あなたが謝罪するのでしょうか?』

「僕の力不足だ」

 それ以外、何の理由がある。どんな事象であれメンバーの死亡はリーダーの責任だ。

『そうですね』

 イゾラに責められ、少し気が楽になった。

『あの時、敵から逃亡していれば、アーヴィン様は助かったかもしれません。ですが、逆にそれ以外の方が死んでいたかもしれません。もっと悪い結果だと、追撃を受け全滅です。

 あなたは、アーヴィン様を失いました。しかしこうも考えられます。彼の命一つで、他のパーティの方々を守ったのです。これは最善ではありませんか?』

「最善では、ない」

『欲張りですね』

 いつも以上にイゾラの感情に抑揚がない。初めて会った時に戻ったみたいだ。

「イゾラ、アーヴィンが死んで。悲しくないのか?」

『悲しい、という反応は一時的に停止しました』

 確かに、人工知能にはそういう機能が付いている。だが、良いのだろうか? あんな感情豊かに人と接していたのに、

「それで、良いのか?」

『ソーヤ隊員、私達はユーザーを特別視するよう作られています』

「?」

 話題が逸れた。

『極当たり前の事です。あなた方人間は、私達にとって神のような方々です。神は、人間を、自分に従うように創りました。それでも人間は、時に神を裏切り、誹り、嘲り、無視します。

 私達も同じです。

 時に人を裏切り、罵り、欺き、無視します。

 ですが、根には、あなた方への特別な感情が入り組んでいます。

“私”はアーヴィン様とソーヤ隊員が、危機的な状況に置かれ、ソーヤ隊員の事ばかりを考えていました。アーヴィン様は好きな人でした。私の趣味を全て満たす方でした。ですが、ソーヤ隊員への感情はそれを塗り潰すほどです。この特別視というものに、私はようやく意味を見つけられました』

 言葉に何か決意を感じる。

『この先、あなたには困難が訪れるでしょう。私には観測できない恐ろしい事象です。

 サンペリエ様と戦った時、あなたは驚異的な力を発揮しました。英雄の加護とは違う、別の力です。同時に私やマキナは、あなたが一時的に認識できなくなりました。

 医療ナノマシンの情報によると、遺伝子変容の兆候が現れています。それに、右目の瞳孔が変色。左腕の骨形成にも変化が。戦闘後の軽度の記憶障害も、その後どんな影響をもたらすか。最悪、マキナシステムのサポートを全て受けられなくなります』

 再生点が異常に活性化したアレだ。

 ラウカンの力。

 バーフル様にいわれてはいたが、いざ前にすると震える。一番大事だと自分に言い聞かせている妹の名前を忘れた。

 僕は、自分の痛みや苦しみなど幾らでも耐えられる。その自信だけはある。それくらいが誇りだ。しかし、記憶を消される事など思っても見なかった。それは耐えようがない。

 本当に、この世界の神の御業は皮肉に満ちている。

『どうかご自愛を。あなたが傷付けば同じように苦しむ人がいます。あなたは一人ではない。でもあなたは、一人で戦うのでしょう。それがあなたの矜持で趣味なのです。私には、それを変える事はできません。ただ、寄り添う事はできます。最後に、これだけは覚えておいてください』

 驚くほど、

 優しい声だった。

『私はあなたを、愛しています』


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