<第四章:薊が如く>5


 サンペリエが自らの足を千切った。嫌な予感がする。その負傷箇所から血が吹き出る。新しい足が生えた。血濡れの獣毛に包まれた素足。人のモノではない。

 不可解な事が。

 サンペリエはその足をマントで隠す。まるで恥部を隠すかのように。

「いくよッ!」

 リュテットとアーヴィンが斬りかかる。片足を着いた体勢だがサンペリエの剣は二人を軽くあしらう。

 考えろ。このままではジリ貧だ。二人の体力が持たない。まともな反撃をくらえば一撃だ。

 記憶を画像にして脳に浮かべる。

 すぐ浮かんだのは鮮烈な、おぞましい姿。咆哮で吹き飛ばされる寸前、僕はサンペリエの顔を見た。左半分は面長の青年、もう右半分は、まるで内側から這い出たように、醜悪な獣面が生えていた。獣の種類など分からない。デタラメに獣のパーツをパッチワークして練り固めたような、ただただ醜い獣。

 なまじ人の要素が残っているから余計におぞましい。

 隠れた右腕もその姿なのだろう。

「まさか」

 一つ思い付く。策ともいえない低レベルな発想だ。下手をすれば蜂の巣を突く事になるが、試すしかない。

 矢筒の矢を全部ぶちまけ、その横に僕は寝転がる。

 両足に弓をかける。片手と上半身で弦を引き、歯で一時保持、三本の矢を番える。

 狙えるか? 当たるか? いや、迷うな。

「二人共ッ! 散れ!」

 合図を同時。二人は左右に別れ避ける。

 三矢中、一矢が狙った場所に。見当違いに飛んだ矢は良いフェイントになった。フードが破れ、醜い顔があらわとなる。

「ア゛ア゛ア゛ア゛!」

 サンペリエは、ボロ布を必死に手繰り寄せ、顔を隠す。

 言葉も、友も分からず、それでも騎士には恥が残っていた。醜く変わり果てた自分の姿を、浅ましくも隠そうとする人間らしさ。ならば、剣を振るい人らしく人を殺す事も、彼の残された人間性なのだろうか。

「ふっ!」

 リュテットは、この隙を見逃さない。

 大上段からの一撃、サンペリエの左手首を落とし、脳天を削る。

 今一度の咆哮、リュテットの体が飛ぶ。

 僕の傍に、手首の付いた宝剣ガデッドが突き刺さった。

 奇しくも、リュテットの一撃はサンペリエの獣面を削っていた。それこそ、憑き物が落ちたかのように、サンペリエは彼を見た。

「あーヴぃン?」

 人の部分が涙を流した。

 僕には見えなかったが、アーヴィンも同じように泣いていたのだと思う。

 だが、

 剣に迷いはなかった。

 せめて苦しませず。

 彼の祖父がそうであったように、命を刈る者の慈悲たる矜持で、アーヴィンの剣はサンペリエの首を、はねた。

 一呼吸休めるほどの静寂が訪れる。

 終わった。

 かに、思えた。

 首を失った体が胎動する。

 同時に、

「ぐっ、あッ」

 左肩の関節が鳴る。肉が爆ぜ、破損した組織が生まれ変わった。自分の再生点が目に止まる。それは鮮血よりも赤い液体で満たされ、沸騰するように煮立っていた。

 力強く、左手が弓を持った。

 立ち上がり、宝剣ガデッドを弓に番える。渾身、弦を引き剣を放つ。

 不思議な事に、いやラウカンの弓では必然な事か。恐ろしい威力が出た。剣はかつての持ち主を貫き、壁に縫い付ける。

 剣は腹を刺した。

 外した。

 体がコントロールできていない。熱い、全身の血液が沸騰している。

 醜悪な獣の産声が聞こえた。血をまき散らし、新たな首が生まれる。サンペリエが押さえていた“本当の獣”が。

「心臓を、心臓を潰せッ!」

 僕の声に、剣を杖にしてリュテットは立ち上がろうと、力尽き倒れ込む。

「アーヴィン!」

 アーヴィンは盾を捨てる。剣を両手で構え獣に斬りかかる。慈悲も何もない、鬼気迫る太刀筋。阻む鎧を何度も何度も打ち付け壊し、わずかな隙間に剣の切っ先を捻じ込む。

 アーヴィンは返り血を浴び、血みどろで、凄惨な表情を浮かべる。獣が手足をばたつかせ抵抗する。鋭い爪がアーヴィンの鎧を、皮膚を、肉を裂く。

 構わず、

 渾身の力と全体重をかけて、剣が心臓を刺す。

「ギャァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 耳を震わせる悲鳴。

 弓を捨て、僕は駆ける。アーヴィンの元に。

 柄に手を添え、異常に湧いた力で押す。

 大量の血が飛ぶ。

 生暖かく粘った液体を頭から浴びた。うなじから背中に垂れる感触に鳥肌が立つ。構わない。知った事ではない。押せ。殺せ。手に、暴れる厚いゴムのような感触。

 僕に迫った爪をアーヴィンが素手で受ける。

 血臭にむせ返りながら深く息を吸い、止め、最後の一押し。

 一際大きく、獣が鳴く。

 声が尾を引いて小さく。

 それが、断末魔だった。

 だが、気が抜けない。二人して剣を持つ手が離れない。二度、三度、刃を回し、潰れた心臓を掻き回す。

「あんたら、良くやったよ」

 ふらふらのリュテットに肩を叩かれた。

 指が固まって動かない。

 僕もアーヴィンもひどい姿だ。帰ったらすぐ風呂に入らないと。

「ど………どうだ? これでもうちのリーダーは適性がないと?」

「悪かったよ」

 リュテットの謝罪にアーヴィンは引きつった笑いを浮かべ、うずくまり吐いた。こわばった指を剣から離し、アーヴィンの背中をさする。

 自分の再生点を確認した。さっきのが錯覚だったかのように、ちょこっとの赤色。薄い魔力。あれは、何だったんだ? ラウカンの力? それじゃ、サンペリエに憑いていたのは? 駄目だ。情報が少なすぎる。何かを決めつけるのは危険だ。

「………………な、い。すまな、い。すまない」

 アーヴィンが石畳を叩く。

 かける言葉がない。

「何だい? こいつ、あんたの知り合いだったのか?」

「すまん。今はしばらくほっておいてくれ」

 リュテットは僕を無視して考え込む。

「この鎧、聖リリディアスの。獣? リリディアス? まさか、ね」

 リュテットの青い顔。

『――――――――隊員。ソーヤ隊員。状況の説明を。データリンクに障害が発生しています。状況の説明を』

「イゾラ、何とか勝てた。被害は、アーヴィンの顔に傷が少し」

 あ、これまずかったか。発狂しないと良いが、

『エラー、あなたは登録ユーザーではありません。近くに“ソーヤ”という名の冒険者がいるはずです。彼にデバイスの返却を、至急お願いします。緊急の用件があります』

「イゾラ? 何をいっているんだ。僕だ。ソーヤだ」

 何だ、これは。

『声紋チェック98%該当。画像網膜チェック50%該当。マキナシステムの管理外である為、イゾラプログラムが独自判断でチェックします。質問、あなたを異世界に送るにあたり、面接をした人物の役職は?』

「社長だ」

 僕の独り言にリュテットが不思議そうな顔を浮かべる。

『質問、あなたが異世界に到着して最初に作った料理名は?』

「みそ汁」

『それを振る舞った人物の名称を』

「グリズナスの使徒、モジュバフルのゲトバド」

『あなたが偽装婚姻をした女性の名前を、種族名を含めお答えください』

「エルフ、ヒューレス家の次女。ラウアリュナ・ラウア・ヒューレス」

『最後の質問です。あなたの妹様の名前を二人答えてください』

「一人はヒューレス家の三女。エア・ラウア・ヒューレス。もう一人は、もう一人は、あれ?」

 僕には妹がいた。

 元の世界に置いてきた妹だ。

 小さい頃から英才教育を受け、アホみたいに勉強が出来てスーパーマンのように運動が出来て、僕なんかより何万倍も人間が出来ていて、それ故か僕のような駄目人間にはいつも厳しくて、何やかんやで生き別れていて、再会したのは五年前で、厳しいアスリートの道を選んだのに、足を事故で失い。僕はその治療費の為に、ここに。

 名前。

 名前が。

 日本海軍の駆逐艦で幸運艦で、戦後台湾に渡り、最後は嵐で。

 嘘だろ。何だこれ。

 名前だけが出てこない。

 ド忘れとかそんなレベルではない。そこだけ記憶のピースが外れて消えている。

『雪風、様です。思い出されましたか?』

「あ、ああ」

 急に思い出せた。

 こんな当たり前な事が、何で記憶から消えていた?

『チェック、イゾラプログラムの精査により、あなたをソーヤ隊員と仮に認めます。ですが、緊急策としてユーザー権限を6レベル下げます。ソーヤ隊員、状況の説明を』

「あ、ああ」

 衝撃に動揺が隠せない。

 何だ。何なんだこれは?!

「あんた、顔色が悪いよ」

『バイタル不安定です。ソーヤ隊員、落ち着いてください。………ラナ様に代わります』

『あなた! 大丈夫ですか?! 怪我は! 生きてますか?! 私すぐそっちに戻ります!』

 一発で落ち着いた。

 ラナのこんな様子の声を聞かされたら、落ち着かざる得ない。

「大丈夫だ。生きてる。戻られても困る。いや、もう大丈夫か? あ、いやでも」

『あ、ちょっと! エア?!』

『お兄ちゃん無事!』

『お兄さん無事ですか?!』

『あ、わたしからは別に何もない。いや、アーヴィンは無事?!』

 わちゃわちゃと通信が混雑する。

『イゾラ、戻ります。ソーヤ隊員。落ち着きましたか?』

「ああ、それなりに」

『状況の説明を』

「敵は倒した。ここの安全は一先ず確保している。アーヴィンが少し負傷した、顔に」

『ソーヤ隊員、負傷はありませんか?』

 思ったより反応が薄い。本当に発狂されても困るが。

「僕は、身体的には問題ないと思う。だが帰還したらメディカルチェックを頼む。脳にダメージを受けたかもしれない」

『右目の視力に問題はありませんか?』

「右目? いや視力に問題はないが」

『了解です。メディカルチェックの準備をマキナに打診しておきます。階層移動中、メディム様と接触しました。彼に、そちらの場所を伝えてあります。間もなく合流していただけるかと』

「了解だ。そちらは大丈夫か?」

『はい、枯渇された再生点と魔力は一時的な効果だったようです。一階層上がった段階で、元の数値に戻りました。負傷者を組合に届けたら、皆様すぐ戻るそうです』

「了解。負傷者は助かりそうか?」

『問題ありません。獣人の方はもう自分の足で歩いています。ソーヤ隊員、イゾラから提案です。今後このような行動は控えてください。他所の矜持を否定したあなたが、別の矜持に命を賭けるなど、ナンセンスです』

「いや、表の喧嘩とこれはまた別な」

『イゾラには違いがわかりません! ………通信アウト』

 きれた。

 何かへこむ。

「あんた、ブツブツと気持ち悪いよ。頭打ったかい?」

「うるさいな。上のパーティと連絡とってたんだよ。あんたの仲間、助かるよ」

「そんな芸当が。まあ、一応礼はいっておくよ」

 リュテットは、死んだ仲間に跪き祈りを捧げる。僕もポンチョを脱いで、サンペリエの首を包んだ。穏やかな顔をしていた。

「ソーヤ、略式だが鎮魂の祈りを捧げさせてくれ」

 アーヴィンは重い足取りで、包まれたサンペリエの首を持つ。抱きしめながら祈りを捧げた。

「我ら八王に連なる血盟なり。ここに一人、戦いに果てた者の魂を看取る。どうか悠久の座にて彼の血を救い。穏やかな眠りを。魂の安らぎを我らは望む。聖リリディアスよ、獣はもういない。血は人の中にこそ流れる」

 僕にはどうしても、それが不吉な言葉に感じた。

 アーヴィンはサンペリエから遺髪を取ると、壁に張り付けになっている体の傍に首を置く。

「ソーヤ、油と火はあるか?」

「あるが」

 燃やすのか? こいつはまだ。調べなくてはならない事が。

「アーヴィン、これが何か………………知っているのか?」

 今、聞くべき事ではないのかも知れない。

 だがどうしても、引っかかる。これは、ダンジョンのせいなのか? それとも。

「自分にも正しい事は何も分からない。ただ一つ想像するなら。聖リリディアス、かの神は建国の尽力で神格を得たのではなく。もしや、この呪いを」

 アーヴィンが咽る。

「おい、どうし」

 肩を貸すと、お互い血だらけだが、その中でも新しい血が付いた。

「アーヴィン!」

 倒れる彼を支えて、寝かせる。裂けた鎧から鮮血が溢れていた。留め金を外して鎧を脱がす。水筒を取り出し傷口付近を洗い流した。腹筋は抉られ、傷付いた内臓が見えた。

「ソーヤ、自分のいっていた事を」

 ごふっと口元が血で汚れる。アーヴィンの再生点を確認するが、まだ透明で枯渇した状態だ。

「喋るな、深手だが助からない傷じゃない」

「聞いて、くれ。自分はいったよな。このパーティに不可能は、ないと」

「ああ、ああそうだ。お前のいった通りだよ」

「本当は、自分は、姉の―――――」

 アーヴィンの呼吸が短くなる。

「リュテット」

 僕は、弓に矢を番えた。

「剣を鞘に収めろ。眉間を射抜くぞ」

「あんた、その男もリリディアスの騎士なんだろ? それが今、どういう事を意味するか、この状況でそれを理解できないのかい?」

「早計だ。剣を収めろ。それにアーヴィンは、元・リリディアスの騎士だ」

「神との契約に元も現もないさ。死んだ魂まで、あたいらは神の物だ」

「お前と、戯れている暇はない」

 僕は矢をリュテットに向け、彼女は、

「え?」

 投げつけられた剣に貫かれ絶命した。喉に突き刺さった剣が墓標のように立つ。

「アーヴィン」

 混乱した脳で、彼を見る。傷は塞がっていた。だが再生点は空のままだ。

「お前、何を」

 理解はしている。次に何をすれば良いかも。

 早く動け。

 来るぞ。

 恐ろしいものが。

 しかし、自分でもそう思ったように、人間は感情の犬だ。これを殺せるほど非情なら、人は人でなく。僕は僕ではない。

 彼の両手が、やけにゆっくり近づいて、僕の首を絞めた。

「がっ」

 肉が潰された。視界が一気に滲む。赤く黒く染まる。純粋な獣ではない彼に、ラウカンの力は働かない。

 僕の抵抗など幼子のそれだ。

 すまん、と。

 心の中で名前を呟く。

 ラナ、エア、ゲトさん、シュナ、ベル、ゼノビア、エヴェッタさん、マキナ、イゾラ、グラヴィウス様。そして、ミスラニカ様、雪風。

 僕の冒険はここまで、


 鈍い音が骨に響く。


 現実に引き戻された。

「ぐ、ガハッ、ごほっ」

 咽て空気を求める。何が? 

「あ」

 冗談だと思った。アーヴィンの体から、剣が生えていた。丁度、心臓の位置。背後から容赦なく。

「やめっ」

 剣が引き抜かれる。

 僕の哀れな懇願など知らず、親父さんの刃はアーヴィンの首を―――――

 解放された僕の体は力なく横たわる。

 感情が処理できない。

 故に何も感じない。

 目を閉じた。

 もういい、楽になりたい。

 現実を全て捨て、落ちる暗闇は、どこまでも安寧に包まれている。

 この闇に、意識を溶かす。

 闇に。

 何もかも。

 闇に。

 ただ、闇の奥に。小さな唸り声を聞いた。


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